ラトザール物語

 

 

第二話     王都カトマール(その四)

 

 そんなある日、客があった。ガランカの率いる親衛隊隊士たちだ。ガランカは、一人一人、メルフィーヌに紹介した。戦士のロアルド、プリーストのイッキュウ、ホビットのラル、そして、フレイア。かれらは、王宮でのガランカの大立ち回りの話を聞き、婚約の祝福のために訪ねて来たらしい。だから、上手に話を合わせてくれと、二人きりの時にガランカから頼まれた。上手に話を合わせるということは、許嫁として振舞うということだ。メルフィーヌは、彼女自身の命がかかっていることでもあるので仕方がないと言って、しぶしぶ承諾した。

 食事の後、酒宴になった。酔いが回ってきた時、仲間たちは、二人を囃し立てて、接吻を強要した。王宮でやったように派手なのを一つとせがんだ。

 ガランカは、メルフィーヌに目配せした。メルフィーヌの体が、ガランカの膝の上に乗せられる。拍手が湧き起こる。メルフィーヌも少し酔いが回っていた。ガランカの屋敷に連れ込まれて以来、昨日まで、用心のため酒には口をつけていなかったのだ。最初は鳥がつつくようにチョンと唇を触れ合う。それが、二度、三度と繰り返された後、本格的なキスに入った。メルフィーヌは、ガランカの胸板の広さに、改めて驚かされた。彼女の体がすっぽりと包み込まれている。良く発達した硬い筋肉が彼女の手の下で、時折、その形を変えるのだ。こういう生活も悪くないかもしれない。メルフィーヌの頭をふとそんな考えがよぎった。彼の無作法さを許したわけではない。でも、一緒に暮らしていれば、なんとか矯正できるだろう。メルフィーヌは、ガランカの腕の中でそんなことを考えていた。

 「どうやら、おじゃまのようだ。」

 長く続くキスに、ロアルドたちは、気を利かせるつもりで、帰って行った。

 ガランカは、メルフィーヌの体を解放した。

 「いい演技だったぜ。ありがとう。」

 ガランカは、椅子に腰掛けたままで手を鳴らし給仕を呼んだ。食卓の後かたづけを命じる。

 「どういたしまして。お役に立てて嬉しいわ。」

 メルフィーヌは、努めて気取った風を装った。顔が火照っているのはお酒のせいだ。そう自分に言い聞かせた。内心の動揺をこの男に知られるのが恐かった。

 その夜、ガランカの定期訪問は遅かった。メルフィーヌは、来客をもてなすためのドレスを脱ぎ、湯を使った。髪を乾かし、鏡台の前に座り込み、髪をとく。ふと、思い立って、夜衣を着替える。あのネグリジェという服はどうだろう。でも、すぐに思い留まった。わたしは、一体なにを考えているのだろう。思わず赤面してしまう。そうだ、これは復讐なのだ。彼女の受けた侮辱に対する復讐の第一歩だ。そう、自分に言い聞かせた。いつものように絨毯の上に座り込んで待つ。タペストリーの騎士を眺める。ガランカから贈られた宝物を絨毯の上に並べてみた。膝を抱える。髪を指でくるくると丸める。立ち上がり、鏡に自分の姿を映し込む。復讐は完璧だ、わたしは、こんなにも魅力的。首を振る。腰に手を当てる。夜衣の胸の部分を少し引っ張ってみる。鏡の中の自分が様々な仕草を見せた。髪を結い上げた。胸を少しはだけて見せる。だらしない感じ、商売女みたいだ。部屋の中を飛び跳ねた。修行の師ジャルバに教えてもらったように。軽い身のこなし。でも、胸当てを着けていないので、胸が邪魔になった。その時、ひらめいた。あの外国からきたという下着だ。あれは、布で出来た胸当てに違いない。早速、試してみる。しかし、うまく着けられない。何かこつがあるのだろう。髪を振りほどく。ベッドの端に座る。足を組む。そのまま、後ろに倒れ込んだ。ガランカは、何をしているのだ? もう、眠っちゃうぞ。

 ノックの音がする。いつもの音だ。メルフィーヌは、慌てて身を起こし、服の乱れを直した。

 「どうぞ。」

 ガランカは、いつものように窮屈そうにドアをくぐった。メルフィーヌの隣、ベッドの端に腰をおろした。大男の体重でベッドが傾き、メルフィーヌは転がりそうになった。

 「さっきはありがとう。改めて礼を言うよ。あのくらいしなきゃ。奴ら、この家に居座っちまうんだ。奴らに居座られたが最後、おれの酒蔵も空っぽになっちまうんでね。これは、酒蔵のお礼だ。」

 ガランカの持ってきた小さな箱の中には一個の指輪が入っていた。魔法使いが好んで使う魔力を集中させるためのものではなく、純金製の台座にいくつかの高価な宝石をあしらった装飾用のものだ。裕福な商人の妻、後宮の女たちが身につけるものである。ガランカは、メルフィーヌの肩を抱き寄せた。メルフィーヌは、目を伏せてうつむいている。ガランカは左手で彼女の肩口の紐を解いた。たちまち、夜衣の前がはだけた。ガランカの大きな手が彼女の白い肌を愛撫する。

 「いやだ、くすぐったい・・・」

 メルフィーヌは、身をよじらせた。

 「今日は、あの約束を持ち出さないのかい?」

 「・・・いじわる。」

 メルフィーヌは、赤面した。耳たぶまで赤くなった。唇が微かに開いた。ガランカは、その唇に自分の唇を重ねた。静かに、ゆっくりと。ただ、唇が触れ合っているだけのキス。ただ、互いの体温を確かめ合うだけの抱擁。メルフィーヌは、ガランカの手で裸にされた。

 「綺麗だよ、メルフィーヌ。」

 「いやだ、恥ずかしい・・・」

 メルフィーヌは、両手で顔を覆った。その唇から、微かな吐息が洩れる。

 「ねェ、ガランカ、一つだけきいてもいい?」

 「なんだい?」

 「トロール族と人族のハーフって、本当にできるの?」

 「できるさ。作ってみるかい?」

 メルフィーヌは、ただ、こっくりとうなずいた。

 

 エドガー=ハートンは、外出用のコートを脱ぎ、壁の釘にそれをぶら下げた。壁にはいたるところに茶色のくすんだしみが浮きだしている。ところどころ曲がった木の柱。はみ出した漆喰。小さな村の安宿の一室だ。

 「ここは、ぼくの部屋だ。」

 彼は、そう言った。その声は変声期前の少年の声に近い。だが、何か底知れぬ威圧感がある。

 「眠れないんだ。」

 ルーイは、机から顔を上げた。蝋燭の光の中に少年の金髪が揺れる。

 「きみが眠れないのは、きみの勝手だ。でも、ぼくの机が占領されているのは、ぼくが困る。」

 「不機嫌だね。」

 「おたがいさま。」

 「・・・あの子、どうしてるんだろう?」

 ルーイは、窓の外を眺めながら、そう独り言のようにつぶやいた。夜も更け、村の家々の灯はすでに消えている。

 「だれ?」

 「この間、洞窟の中で拾った子。」

 ルーイは、再び机にうつ伏した。

 「ふさぎ込んでいるのは、そのためか。」

 エドガーは、ルーイの頬にかかる髪をかき上げた。

 彼らは、数日前、この村の近くの洞窟で、一人の女の子の命を救った。魔物に襲われていたのだ。仲間のシュンラが、カトマールの城下の宿まで送り届けたのだが、その後、消息を絶ったのだという。

 「名前もきいてなかったんだ。」

 ルーイは、机にうつ伏したままエドガーを見た。

 「メルフィーヌだ。メルフィーヌ=ダルネ。」

 「どうして知ってるの!」

 ルーイは、跳ね起きた。

 「ちょっと調べればわかることさ。」

 「居場所も知ってんだね!」

 ルーイは、エドガーに詰め寄った。

 「そこまでは知らない。残念ながら行方不明だ。」

 その時、音もなく部屋の窓が開き、一人の男が現れた。黒ずくめのその独特なデザインの衣装は、ニンジャだ。夜の闇や、洞窟の暗闇の中に潜み、専ら情報収拾を本業とする。その一方、闇の中での戦いのエキスパートでもある。彼らは、人目につくことを極度に嫌う。

 「エドガー殿。」

 ニンジャは、蝋燭の光の届かない部屋の隅で身を屈めた。声のトーンからして成人した男であることは確かだ。

 「サスケか。城の様子はどうだ? ブルーノは?」

 「ブルーノ殿は、エドガー殿の登城を心待ちにしている様子。」

 「ぼくは、今、忙しいそれどころではないよ。勝手に待たせとけばいい。それで、カルハンの雫のありかは、つかめたかい?」

 「それが、ブルーノ殿が肌身離さず持っているらしいのです。」

 「ブルーノが・・・。そいつは妙だ。ぼくは、またガランカあたりが守っているものと思っていたが・・・」

 気になる魔王の動き、気になる狂王ブルーノ、気になるカルハンの雫。あのアミュレットには特殊な力が秘められている。暗黒の魔力と共鳴する器だ。普通の人間が常時身に着けていられるようなものではない。そもそも、ブルーノは何故ぼくをエルドールから呼び寄せたのだ。エドガーは、思案顔に歩きまわった。この国に巧妙に張り巡らされた目に見えない罠を仕組んだのはアーサーなのか、ブルーノなのか、それとも別の何者か。そして、その罠の一つにダルネの娘が掛かったのは、何者かの作為か、運命の悪戯と呼ばれる単なる偶然か。いずれにせよ、なかなか面白い事になりそうだ。エドガーは、立ち止まり唇の端に笑いを浮かべた。

 「わかった、今夜はもう休んでおくれ。」

 エドガーがそう言った時には、もう、ニンジャの姿は消えていた。

 

 銀製の蝋燭立ての柔らかな炎が瞬き始めた。蝋燭の芯が燃えつきかけているのだ。絹の天幕に覆われたベッドの中では二人の人影が一体となって動いている。ベッドがミシミシと軋む音と、メルフィーヌの切なげな声が部屋に響いていたが、蝋燭の明滅と共に、全ての音が途絶えた。そして、訪れたしばしの静寂。窓の外は、春の宵。朧月夜だった。

 メルフィーヌは、ガランカの広い胸板の上で腹ばいになり頬杖をついた。

 「ねェ、トロール族って、長生きするの?」

 「なんだい?」

 ガランカは、彼女の長い髪を指先で弄んでいる。

 「人間より長生きする?」

 メルフィーヌは頬杖をついたまま、ガランカの顔を覗き込んだ。

 「そりゃ、まあ、一般的にはそう言われているな。」

 「良かった。」

 メルフィーヌは、ガランカの胸板に頬をつけた。そして、言った。

 「じゃ、わたしより先に死なないでね。約束よ。」

 わたしは、この男よりも先に死ぬのだ。彼女は、そう思った。それが、メルフィーヌの復讐だった。

 

 淡い月明かりの中、時折風が木の枝を揺らす以外は動く物とてない静かな森が広がっている。人里離れた山奥、沼のように息を潜めた木立の中に埋もれた屋根があった。その屋根の下、僧服を着た短い黒髪の男が板敷きの床に膝をついていた。彼の視線の先には頭の禿げ上がった恰幅の良い老人が胡坐を組んで座っている。広い室内は数多くの蝋燭の灯りで照らし出され、その奥には、金色に輝く人物像が、数体、揺らめくように立っている。

 「老師、ヴァンパイアたちが動き出しました。」

 黒髪の男が言った。

 「うむ。そのようじゃな。問題は、今回の事態どう見るかじゃ。いずれ我らの態度も決めねばならぬ時がこよう。おぬしならどう出る?」

 老人は、腹の底から響くような低い声で、男に問いかけた。

 「まだ彼らの真意を図りかねております。」

 「それはいつものことよ。数万年の歳月と共に人として存在する術を失った者たちだ。我ら凡人には解せぬのも無理はあるまい。しばらくは成り行きに任せるしかなさそうじゃな。ただし、監視は怠るまいぞ。特にあの破壊神からは目を離すでない。」

 

第二話 完

 

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