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ラトザール物語
第三話 叛旗(その一)
十ヶ月後、メルフィーヌは双子を産んだ。男の子と女の子、それぞれ、リフとリルと名付けられた。ガランカは、メルフィーヌの授乳を許さなかった。サミエ家のしきたりとは言っていたが、たとえ、子どもであろうとも自分以外の男が妻の乳房に口をつけるのを許せなかっただけかもしれない。そこで、乳母が雇われた。ガランカの遠縁にあたるトロール族の大柄な女性だった。名前はメイヤ。 以前、城下の宿屋でメルフィーヌの世話をしてくれた赤毛の少女は今、ガランカの屋敷で働いていた。名前はレダ。相変わらず痩せているが、よく気が付き、よく働いた。メルフィーヌは、レダを自分の妹のように可愛がっていた。朝と夕、ガランカに内緒で搾った母乳をメイヤに届けるのもレダの仕事だった。 ガランカは、このところ、ふさぎ込みがちだった。王宮から戻っても自分の部屋で何か考え事をしていることが多くなった。魔王アーサーに関する調査も進展してないらしい。エルドールから来たエドガー一行の消息もわからないままだった。メルフィーヌが、エドガーに出会った唯一の証人だという事になる。だが、ガランカはその事を極秘にしていた。自然、ブルーノとエルドールの関係は悪化した。もともと、ブルーノは世界制覇の野望を持っており、エルドールはその第一の障害ともくされていたのだという。そのブルーノが、人を避けるようになったという。まるで人が変わってしまったようだと言っていた。 アーサーとエドガーこの二人の消息がわからないという事実は人々にも不安を与えていた。エルドールの長老会議はこれら一連のことについての一切のコメントを差し控えているらしい。近代的な装備を誇るエルドールの軍隊が魔王アーサーと手を結び攻め寄せてくるという噂が広まり、人々をいやが上にもおびえさせた。物価が上がっているという、様々な生活必需品が不足し始めた。エルドールとの交易が滞っているためだという。一体、敵は、魔王なのか、エルドールなのか。その上、作物は数年来まれな不作だった。魔王の呪いのせいだという噂が広まった。各地で天変地異が起こっているという。ドラゴンを目撃したと言い出す者まで出る。冒険者の数が減った。彼らも命が惜しいのだ。魔王が相手では冒険のわりが合わない。人々は、かつて魔王アーサーを倒した英雄、ハートン兄妹の出現に希望をつないだ。しかし、それは最も恐ろしい敵となる可能性をも持っている。アーサーとエドガー、二人の名は、連日人々の噂にのぼった。ある識者は二人のことをこう対比する。魔王アーサーと破壊神エドガー。 そんな状況が半年以上も続いたある日の昼下がり、メルフィーヌは、屋敷内の仕事を一段落させ、寝室で休憩をとっていた。この広い屋敷で女主人として数多くの使用人を監督するのは、十九才の女の子にとってなかなかの重労働なのだ。 突然、室内に風が吹き込んできた。メルフィーヌは、顔を上げ思わず悲鳴を上げそうになった。窓が開き、一人の男が部屋に入ってきたのだ。小柄な少年のような体格の男だ。 「しッ! 声を上げないで。」 男は手を上げて彼女を制止した。金髪の少年だ。 「・・・ルーイ。」 メルフィーヌは、立ち上がった。忘れもしない、一年半前、あの洞窟の中で彼女の命を救ったロードだ。エドガーと共に今、巷で噂の人物でもある。 「あ、あなた、どうしたの! なんで、ここにいるの!」 「静かに、人に見られたくないんだ。」 「それは、わたしのせりふよ。ここは、わたしの部屋よ。こんなところ、誰かに見られたら・・・」 「ただ、これを、きみに返そうと・・・。」 ルーイは、腕に抱えていた防具を差しだした。氷の鎖帷子、一年半前、メルフィーヌが身に着けていたもので、魔物の攻撃によって破損していたのをエリザベスの手で修復されたものだという。魔法の力を持った貴重な鎖帷子である。メルフィーヌの父親の形見でもある。 「ありがとう・・・。あなたには、命を助けていただいたお礼もまだだったわ。なんと、お礼を言ったらいいのか・・・」 メルフィーヌは、その思い出の鎖帷子を受け取った。冒険者として過ごした日の記憶が、彼女の心の中に甦える。 「礼なんていらないよ。じゃ、ぼくは、これで・・・」 ルーイは、窓に手をかけた。窓から半分身を乗り出した時に振り返った。少年の髪が風になびく。 「・・・一つだけ、わがままを言ってもいい?」 ルーイは、恥ずかしそうな様子でそう尋ねた。 「いいわよ、なんでも言ってちょうだい。」 「また、会いに来てもいいかな?」 「・・・」 「会うだけだよ。きみの笑顔が見たいんだ。」 「・・・ええ、いいわよ。」 次の瞬間、少年の体は窓の外に消えた。
ルーイは、鼻歌混じりに安宿の階段を登った。踊り場でエドガーの姿を見つけて立ち止まった。少し、ぎょっとした様子。しかし、そのままエドガーの前を通り過ぎようとした。 「えらく、ご機嫌だね。」 エドガーは、そう言った。 「そういうきみは、えらく、不機嫌そうじゃない!」 ルーイは、心の中を見透かされたような気がして、むっとして、言い返した。 「ベスから聞いたんだ、きみが、メルフィーヌの鎖帷子を持ち出したって。」 ルーイは、目を反らした。 「どこに行ったのかは見当がつく。きみが、あの子の居場所をどうやって調べたのかはわからないけどね。きみが、そんなにもあの子に執心だとは思ってなかった。」 ルーイは、無言で、エドガーを無視するように自分の部屋のドアを開けた。 「ルーイ。言っといたはずだ、王宮には近づくなって。それから、いつも言っているように、不必要に“人間”と関わりを持つのは止めるんだ。きみの悪い癖だ。正体を知られてしまったら、どうするつもりだい。」 「わかってるよ! もう、行かない。」 ルーイは、部屋に入り、勢いよくドアを閉めた。 この二人のやり取りを物陰で聴いていた者がいる。エルフの少女、シュンラだった。
「まったくでかい屋敷ね。体もでかけりゃ、屋敷もでかい。しかも、悪趣味な成金造り。」 シュンラは、王室直属親衛隊筆頭組頭ガランカの屋敷の廊下を歩きながら独り言を言った。平然とした様子だが、人の気配がすると素早く物陰に身を隠す。 「これだけ広いと、どこがどこやらわかりゃしない。」 シュンラは、一つの部屋の前で足を止めた。確か、この部屋のはずだ。ドアを開ける。しかし、期待はずれの人物がそこにいた。最悪の事態だ。 ガランカは、突然の侵入者の姿に驚かされた。 「・・・おまえは。」 「わたし、あなたの奥さんに用があるの。あなたじゃないわ。おじゃまさま。」 シュンラは、急いで身を引いた。 「まて! シュンラ、なんでこんなところにいる!」 ガランカは、叫びながら立ち上がった。 「大声を出さないでよ。悪かったわよ。黙って入って。謝るからさ。」 シュンラは、慌てて部屋に入り、ドアを背にした。 「わたし、人目につくわけにはいかないの。エドガーに怒られちゃう。ね、このことは、忘れて。お願い。あなたとわたしの仲でしょう。誰にも言わないで。お願いだから。」 「エドガーだと・・・、エドガーはどこだ? ここにいるのか? 一体何をしているんだ! 奴は、味方か、敵か?」 ガランカは、血相を変え、エルフの少女の腕を掴んで、叫んだ。 ええい、ままよ。シュンラは意を決して、ガランカに抱きついた。 「ね、こんなとこ、奥さんに見つかったらことでしょう? だから、静かにして。お願い。」 その時、イッキュウは、ガランカに依頼され、彼の妻の冒険者としての修行を手伝うためこの屋敷に来ていた。メルフィーヌは、屋敷内の仕事の合間にプリーストの呪文の修行を続けたいと、ガランカに頼んだのだ。今日は、その打ち合せの日だった。そして、ガランカの部屋からなにか叫ぶ声を聞いた。ドアは半ば開きかけている。イッキュウは、そのドアを押し開けた。 「ガランカの大将、どうしまし・・・」 イッキュウは、驚いた。組頭と女が抱き合っている。長身で金髪。エルフだ。見覚えのある顔。鮮やかな緑色の瞳。シュンラ=リスレン、エドガー=ハートンの部下のロードである。魔法使い、プリースト両方の呪文に長け、その魔力の強さはロードの中でも群を抜いているという。 シュンラは、身を翻し、ドアを抜けた。 「捕まえろ!」 しばらく後で、ガランカの大声が聞こえる。シュンラは、別の部屋に飛び込み、そこで仕事をしていた女中の驚き騒ぐ声を後目に窓から飛び出し姿を消した。 「どうしたの? この騒ぎは一体なんなの?」 ガランカの妻、メルフィーヌが、駆けつけた。イッキュウは事の次第を説明しようとした。 「シュンラです。エドガー=ハートン殿の部下、シュンラ=リスレン殿がこの屋敷に侵入したのです。私が見た時は、ガランカ殿と抱き合ってい・・・」 イッキュウは、慌てて口を押さえたが、遅かった。
「おれは、何もしていない。シュンラのやつが勝手に入ってきて、勝手に出て行ったそれだけだ。」 ガランカは、メルフィーヌの寝室でそう弁明した。それは、事実だった。 「男の人って必ずそう言うらしいわね。」 メルフィーヌは、鏡台に向かったまま振り返ろうともしない。 「本当だ、信じてくれ。おれが、あんなエルフの小娘なんか相手にすると思っているのか?」 メルフィーヌは、無言で髪をとかし始めた。 こういう時は、しばらくほっとくしかない。ほとぼりが冷めるのを待とう。哀れなガランカは、そう考えて退散した。 メルフィーヌは、手を止めた。シュンラ、あの宿屋まで彼女を送ってくれたエルフの少女。その精神構造はメルフィーヌの理解を越えている。ルーイとメルフィーヌのありもしない仲を盛んに気にし、かつてガランカに迫られたことがあるとも言っていた。ガランカが彼女を連れ込んだという話は、有り得ないことではないが、馬鹿げたことのようにも思える。白昼堂々とである。しかも、そうだとしたら、ガランカ自身が先頭に立って騒ぎ立てるはずはない。真っ昼間から家に女を連れ込んで、大騒ぎをしてそれを追い出すなんてこと普通の神経では考えられない。しかし、イッキュウは、ガランカとシュンラが抱き合っていたとハッキリと言ったのだ。 メルフィーヌは、シュンラに対して決して良い印象を持ってはいない。何を考えているのかわからないところがある。不気味でさえあった。百九十才以上になるというエルフ。そんなに長い時間、一体何を考えて生きてきたのだろう。きっと、人間とエルフとでは感じる時間のリズムが違うのだ。だから、価値観も違ってくる。ルーイといい、シュンラといいどうしてこう変な事ばかり続くのだろうか?しかも、町中では彼らの消息が盛んに取り沙汰されているというのに。 近ごろ、ガランカは塞ぎ込んでばかりの日が多かった。慰めようとするメルフィーヌの試みも失敗に終わっていた。自然、夫婦の交わりも疎遠になりがちだった。ガランカは、メルフィーヌに満足していなかったのだろうか。それで、シュンラに手を出した。でも、メルフィーヌがあのエルフの小娘なんかに負けるはずがない。断じて、有り得ないことだ。 男の人の生理というものはよくわからない。いつも、何かしら目新しいものを追いかけていなければ気が済まないのだろうか・・・。メルフィーヌは、考えるのを止めることにした。考えても仕方のないことだ。こんな時世なのだ。今夜は、早く寝てしまおう。 シュンラは、胸が小さい。背ばかり高くて、まるで少年のような体型だ。メルフィーヌとシュンラの二人を並べたら、世の男どもは迷わずメルフィーヌを選ぶに違いない。あのエルフは、ルーイが好きなのだ。そのルーイでさえ、メルフィーヌの魅力に負けた。あの少年は、またこの窓を訪れることだろう。メルフィーヌという花を求めて・・・。この若妻は、そう考えることで心地よい優越感を覚えた。エルフなんかに負けるものか! ルーイが、再びメルフィーヌの部屋の窓に立ったのはその数日後だった。
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