ラトザール物語

 

 

第三話        叛旗(その二)

 

 ルーイは、美しい少年だった。どことなく謎めいた影があるのも、その美貌を際立たせている。彼は、ベッドの端に座り、メルフィーヌの屋敷内での生活の苦労話を、ただうなずきながら聞いていた。

 「ルーイ、あなた、エルドールから来たのよね。」

 「うん。」

 「じゃあ、ちょっと教えてほしいことがあるの。これの使い方なんだけど。」

 メルフィーヌは、ひとしきり愚痴を言い終わると、以前、ガランカからもらった黒い箱を取り出してきた。中には外国からとり寄せたという下着が入っている。

 「主人が、わたしにって、くれたのだけど。使い方がわからなくて困っていたのよ。ね、エルドールの女の人はこういうものを身につけるんでしょう。あなた、使い方知ってる? 知ってたら教えてちょうだい。」

 ルーイの顔は真っ赤になった。もちろん、彼はその布切れが何であるか知っている。ルーイは、その中の一枚を摘み上げた。

 「これは、女性の下着の一種で、胸につけるんだけど・・・」

 「まァ!」

 メルフィーヌは、下着という言葉で大げさに驚いて見せた。

 「そうだったの。知らなかったわ。どうやって着けるのかしら? 教えてくださるかしら。」

 そう言って、メルフィーヌは胸をルーイの目の前に突きだした。

 「服を脱がないと・・・」

 ルーイの顔はますます赤くなる。

 「いやだ。そんなの無理よ。こんな昼間に。」

 「夜ならいいの?」

 ルーイは、勢い込んで言った。

 「調子に乗るんじゃなくてよ。そんな事を考えるなんて悪い子ね。」

 メルフィーヌは、ルーイを子供扱いしている。彼女には、少年の姿形しか見えていないので無理も無い。

 「きみの裸は、もう見てるから平気だよ。ほら、あの洞窟の中で。憶えているだろう? とっても綺麗だったよ。」

 「そういう問題じゃないわ。だめなものはだめ。わたし、結婚してるんだから。わかるでしょう。」

 「ケチ。」

 ルーイは、わざとらしく上目使いで拗ねて見せた。その様子を見て、メルフィーヌは、髪を揺らして笑った。

 

 ある日、ルーイは、エドガーに尋ねた。

 「ねェ。ぼくって、子供みたいに見える?」

 「ああ、見えるね。」

 エドガーは、古い地図のような布を広げ、蝋燭の光の下で、何か調べ物をしている。顔も上げずにきっぱりとそう言った。

 ルーイは、エドガーの部屋の粗末な硬いベッドに腰をおろしていた。メルフィーヌの部屋のベッドとは随分な差だ。ルーイは、人目を忍んでは数回メルフィーヌの部屋を訪れていた。彼女は、迷惑そうな顔もせず、毎回、彼を喜んで迎え入れてくれるし、思わせぶりな素振りを見せることもある。でも、結局は、彼を子供扱いし、ちょっと体に触れるだけでも、笑って叱りつけるのだ。ルーイ自身、十九才の女の子に子供扱いされることに違和感をおぼえない自分を見出していた。メルフィーヌと同じ部屋で同じ空気を吸っているだけで、胸の高まりの中に、甘酸っぱい懐かしいような思いに浸れる。まるで、人間になったような気分が味わえる。ルーイは、そう思った。その一方で、それ以上の何かを求めている自分がもどかしい。

 「赤ちゃんみたい?」

 「なんだい? 急に。」

 エドガーは、顔を上げた。

 「ううん。なんでもない。」

 「きみは、子供だよ。百年たっても。千年たっても。なんの進歩もありゃしない。シュンラと同じだ。ロードってどうしてみんなわがままなんだろう。」

 「エド、王宮にはいつ行くの?」

 ルーイは、エドガーのベッドに横になって、蝋燭の灯りとエドガーの栗色の巻き毛を見比べている。

 「王宮には行かない。」

 「どうして? みんな待ってるのに。」

 「危険過ぎる。」

 「なんで、王宮が危険なの? なんで? アーサーが復活したから? でも、まだ確かめたわけじゃないだろう。せっかく死んだのに、わざわざ生き返るなんて考えられないよ。ぼくだったら、ごめんだね。もう肉体も失っているのにさ。きみが吹き飛ばしちゃったじゃない。あの小汚い魔法使いと一緒にさ。」

 「きみは、子供である上に、うるさすぎるよ。時期が来たら話す。それまで、黙っておいで。」

 

 森の中の小さな池は、さざなみ一つ無く、境面のように静まりかえっている。村外れのこの場所からは万年雪を頂いたルーン山脈の山並が良く見渡せる。甲高い鳥の鳴き声が時折その静寂を破る。池のほとりにはちょうど良い形の切り株があった。ルーイは、それに腰かけた。ルーイは自由時間の一部をいつもこの切り株に座って過ごす。彼の日課だった。

 誰にも邪魔されることの無い彼だけの時空間。しかし、今日は、珍客がいるらしい。

 「降りておいで。シュンラ。そんな所で隠れているのは疲れるだろう。」

 一本の高い木の枝の上にエルフの少女の姿があった。

 「ここにいるだろうと思ったわ。あんたのお気に入りの場所だものね。」

 シュンラは、十メートル近い高さを飛び降り、両手を広げ片足だけで音もたてずに着地した。まるで羽があるような動作だ。

 シュンラは、ルーイの近くまできて草の上に腰を降ろした。彼女は、どこにでもいるような村娘の姿に扮している。髪に布の髪飾りを巻き、誰もその姿だけからでは彼女をエルフのロードだと見破る者はあるまい。ルーイと二人並ぶと、村の若者同士の逢引きといった様子だ。

 「さっきみたいな真似はできるだけ慎んだほうがいい。どこに人の目があるかわからないんだから。普通の家の娘はあんな高い木から飛び降りたりはしないものだよ。」

 「あら、ルーイ、あなただんだんあのエドガーに似てくるわね。そのお説教くさい口ぶりといい・・・。まったく、わたしたちいつまでこんな辺ぴな所でこんな窮屈な暮しをしなきゃいけないのかしら。エドガーの考えていることはさっぱり理解できないわ。ねエ、あなたもそう思うでしょう? みんな、エドガーが悪いのよ。あの偏屈のわからず屋の先天性根暗症候群のチビ、おまけにシスター・コンプレックスよ。ベス、ベスって、泣きべそなんかかいちゃって。その上、・・・」

 「エドの悪口を言うな!」

 ルーイが、真顔でシュンラの言葉を遮った。

 「あら、悪口なんか言わないわ。事実を言ってるだけ。なにしろ、わたしのお父さんですもの。」

 「エドは、きみの父親じゃない。」

 「あら、育ての親よ。もちろん、実の父親なんかじゃないわ。だって、わたしこれでも、れっきとしたエルフですもの。」

 妙に刺のある口調。

 「何が言いたいんだ? ・・・エドについて何か、知ってるのか?」

 「知らないわ。わたしが知ってるのは、彼が、赤ん坊のわたしを拾って育ててくれたって事だけ。口うるさいエリザベスと一緒に。いろいろ、要らないお節介も焼かれたけどね。もう、百九十年になるわね。おかげで、こんな立派な女の子に成長しました。ねエ、ルーイお兄さま・・・」

 シュンラは、ついと立ち上がり、池の岸辺に立った。

 「きゃァ! 冷たい。でも、気持ちいい。」

 エルフの少女は、長い衣服の裾を腰の辺りまで引き上げ、池の中に足を突っ込んだ。すらりと長い足がむき出しになる。

 「ルーイもいらっしゃいよ。気持ちいいわよ。」

 ルーイは、撫然とした表情で切り株に根をおろしている。

 「ねエ、ルーイ。この池、魚いるの?」

 「いるよ。時々見かけることがある。」

 「本当に? こんなちっぽけな池なのに。見てみたいわ。」

 「きみが、いま脅かしちゃったからだめだよ。どこかに隠れてるさ。」

 「隠れてるんなら、叩き出すまでね・・・」

 シュンラは、そう言って、上体を屈め一本の指を池の水に漬けた。たちまち、水面が青白く光った。まるで稲妻が水中を走ったみたいだ。森の小鳥たちはさえずるのを止めた。完全な静寂が辺りの空気を支配する。しばらくすると、白い腹を上にした魚が浮いてきた。

 「シュンラ! なんてことを・・・。邪悪でない生き物を、魔法で傷つけたり殺したりしてはいけないことぐらい十分知ってるはずなのに。」

 ルーイは立ち上がった。

 「あら、ちょっと気絶してもらっただけよ。殺してなんかないわ。」

 もう一度、少女の指が水面に触れると、浮かんでいた魚たちはみな泳ぎだした。尾びれを振って、急いでもとの隠れ家に逃げていった。

 「どこかの人妻だって、こうやって気絶させれば、思うがままなのにね。」

 シュンラは、そう言って微笑した。ルーイの顔から血の気が引いた。

 「どうしてメルフィーヌのことを・・・」

 「ルーイ、いらっしゃい。これは、脅しなんかじゃないわ。わたし、あなたの子供が欲しいの。」

 シュンラは、その場で裸になった。小さめの乳房を手の平で覆い隠し、長い足で白い立木のように池の中につっ立っている。脱ぎ捨てられた衣服が池の水に沈んで行く。

 「エルフって、成長の遅い種族よ。でも、わたしだってもう子供ぐらい産めるわ。子持ちの人妻なんかに負けるものですか。」

 ルーイは、シュンラの肩に手を掛けその華奢な裸体を引き寄せ、唇を重ねた。そして、押しやるようにして体を離し、ゆっくりと村の方角に歩きだした。数歩で一度振り返り、言った。

 「好きにするがいいさ。エドに告げ口するなり・・・。でも、もしきみが、メルフィーヌを傷つけるようなことがあったとしたら。・・・その時は、きみを殺す。」

 ルーイは、言葉を句切り、ためらいがちに目を伏せた。

 「ぼくの子供なんて誰にもつくれないよ。きみも気付いている通り、ぼくは、人間でもエルフでもない。どんな亜人種とも違う。エドやベスと“同じもの”だ。きみは、まだ、ぼくの本当の姿を知らないんだ。」

 ルーイはそのまま後も見ずに歩き去った。

 

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