ラトザール物語

 

 

第三話        叛旗(その三)

 

 ガランカが、机から顔を上げると、エルフの少女の姿が目に入った。

 「・・・また、おまえか。帰ってくれ。騒がれたくないんだ。」

 「今日は、あなたに用があって来たのよ。」

 「おれのほうには用が無い。おまえに関わるとろくな事はないんでね。」

 ガランカは、思い出したように付け加えた。

 「そうだ、エドガーは、どこだ? 早く、王宮に来るよう云ってくれ。ブルーノの奴、心配でノイローゼになりかかっているらしい。」

 「そんな事、わたしの知ったこっちゃないわ。まったく、部屋にわたしが入る気配にさえ気付かないんだから。やっぱり、あなたって、鈍いのね。」

 「おまえは、魔法を使うからな。」

 「魔法なんかじゃないわ。わたし、どんな所にでも堂々と歩いて入ってよ。ルーイみたいに、こそこそ窓から入ったりしないわ。」

 「ルーイがどうしたって。」

 「誰かさんの部屋の窓から入るのよ。」

 「おまえさんの部屋か? そいつはよかったな。」

 「違うわよ! 冗談じゃないわ! あなたの奥さんの部屋よ。」

 「なんだって!」

 ガランカは、血相を変えて跳び上がった。

 「今ごろも、ちょうど若妻の寝室の窓が開いてる頃ね。そよ風に窓のカーテンが揺れているわよ。」

 シュンラは、微笑を浮かべていた。

 

 ガランカが、寝室に駆け込んだ時、メルフィーヌとルーイは二人でベッドに腰掛けていた。

 「きさま! ルーイ!」

 ガランカは、巨体を躍らせ飛びかかった。剣を抜いている。メルフィーヌの絶叫。ルーイは、身をかわした。少年の体がくるりくるりと宙を舞う。信じられないような身の軽さだ。ガランカは、しゃにむに剣を振り回す。ベッドの支柱が切り倒される。天幕がメルフィーヌの体を包み隠した。ガランカは、構わず、剣を振りルーイを追いまわした。

 とうとう、ルーイは部屋の隅に追いつめられた。その頭を目がけてガランカの剣が振り上げられる。

 「やめて! あなた! やめて!」

 メルフィーヌは、叫んだ。

 ルーイの指が宙を指した。唇が微かに動く。“LAWIND” 次の瞬間、ガランカの体は振り降ろした剣もろとも、きりきり舞いした。一陣の魔法の凶風が大男の体を襲ったのだ。どうとばかりに倒れ込むガランカの巨体。ルーイは、メルフィーヌを見た。少年の顔は死人のように青ざめている。

 「ごめん・・・」

 そう言い残して、少年の体は窓の外に消えた。

 

 エドガー=ハートンの部下のルーイ=ポワイエが親衛隊筆頭組頭ガランカを襲ったという噂は瞬く間に広まった。ガランカは、ルーイの魔法に倒れ重傷だという。ついに、エドガーがその牙をブルーノに向けたのだという。そして、国王ブルーノの名によってハートン一味討伐の命が下されたという。さらには、エルドールに対する宣戦布告の使者が出発したという噂も流れた。エドガーをラトザールに派遣したのは、エルドールに他ならないのだ。

 城下は、にわかに慌ただしい空気に包まれ、武装した鎧武者たちが続々と王宮に集結し始めた。ガチャガチャと金属音を響かせて城下を歩く黒ずくめの兵士たちの姿を前に、人々は不安げな視線を交わし合うしかなかった。

 

 エドガーは、ルーイの部屋に入った。ルーイは、力無く振り返る。その頬にエドガーの平手が飛んだ。

 「・・・ごめん。」

 ルーイは、そう言って、うつむいた。

 「支度しろ、もう、この宿も危険だ。今度の事件は、ブルーノにとって格好の名分になるだろう。彼にとって今まで目の上の瘤だったガランカも消える。すべては、彼の思惑通りだ。」

 「ぼくのせいで・・・」

 ルーイはうなだれて顔を上げようともしない。

 「ぼくのミスだ。きみを縛りつけるだけで、きみの望む“人間”らしい思いをさせてやらなかった。だから、今度のことには多少目をつぶろうと思っていた。人間に惚れ易いのはきみの癖だからね。それがこんなことになるなんて・・・。でも、どのみち遅かれ早かれ同じ結果を招いたことだろう。きみは、そのきっかけを作っただけだ。」

 「お兄さま。」

 銀色の髪の少女が部屋のドアの向こうから覗いている。エドガーの妹エリザベスだ。その色白の少女は、何事かエドガーに耳打ちをした。

 

 ガランカは、重体だった。魔法によって受けた傷は、その魔法の術者よりも強い魔力の持ち主でないと治療出来ない。もちろん、メルフィーヌには、ルーイの魔法を上まわる力はない。それは、あの洞窟の中で彼女がルーイから受けた治療の例からも明らかだった。

 女中の一人が、親衛隊所属のプリーストイッキュウの到着を告げた。彼女は、女主人の目を避けるように用件だけを伝え、急いで部屋を出て行った。妙によそよそしい態度。

 「イッキュウ、早く、治療の呪文を・・・」

 メルフィーヌは、ガランカのベッドの横に置かれた椅子から立ち上がった。

 「だめですよ。」

 イッキュウは、ガランカの様子を見て首を横に振った。

 「あなたでもだめなの?」

 「エルドールのロード、ルーイよりも強い魔力の持ち主となると限られてきます。私の知る限りでは。一人は、同じくロードのシュンラ=リスレン。彼女は剣の技ではルーイに及びませんが、魔力において上まわっているということです。あと、二人。エドガーとアーサーです。」

 メルフィーヌは、倒れ込むようにして再び椅子に腰をおとした。魔法による治療は絶望的だ、後は、ガランカ自身の強靭な体力に望みをかけるしかない。

 「実際上の問題として三人の中で最も可能性の高いのはシュンラ=リスレンでしょうが、彼女も今どこにいるやら・・・」

 イッキュウは、すまなそうにそう言った。

 例え、シュンラが今ここにいたとしても、あのエルフなんかにガランカの体を触らせるものか! メルフィーヌはそう思った。そもそも、メルフィーヌにはガランカがこんな傷ぐらいで死ぬなんて考えられなかった。たとえ魔法の力とはいえ、ガランカのような大男がメルフィーヌよりもほんの少し背が高い程度の少年と闘い、傷を負わされたことが信じられなかった。メルフィーヌには、ルーイやシュンラが特に優れた冒険者、ロードであるという実感を憶えることは出来なかったのだ。治療して欲しいのはわたしの心の方だ。なんで、こんな事になってしまったのだろう? メルフィーヌは頭を抱え込んだ。それは、後悔ではない。結果に対する腹立たしさだった。

 ルーイという従順で可愛いらしい少年を得て、彼の心を弄んだのは事実だった。しかし、それは愛ではない。はっきりとそう断言できる。スリルに満ちたただの遊びに過ぎなかった。それを取り立てて不貞な妻と陰口を叩く周囲の目が、彼女には信じられないもののように思われた。わたしは、今でもガランカを自分の夫を愛している。それだけで、十分ではないか。それなのに、なぜ、ガランカを傷付けたのは妻であるところの彼女だというように思われなければならないのか? ガランカが死ぬなんて信じられない。あり得ないことだ。もし、万が一そんなことになったとしたら、妻としての母としての女としての彼女の時間の根底が崩れ去るだろう。彼女は、それらすべてを除いた何物かとして、この混乱と疑惑に満ちた世界に放り出されてしまうのだ。わたしは、この男を許してはいない。許すことは有り得ない。わたしよりも先に死ぬなんて許さない!

 

 夜半過ぎ、メルフィーヌはガランカの腕に目を覚ました。彼女は、椅子に座ったままいつの間にか眠り込んでしまっていたのだ。

 「脱げ。」

 ガランカは、命じた。メルフィーヌは、彼の言葉に従い、ベッドに横になった。

 「あなた、動くと傷にさわるわ。」

 ガランカは、彼女の言葉に構わず、メルフィーヌの体に覆い被さってきた。太い腕が彼女の体をとりこにする。激しい抱擁にベッドがギシギシと軋んだ。その音はどんどん大きくなってゆく。メルフィーヌは、思わず叫び声を上げた。ガランカの動きは、とても、重傷のけが人とは思えない。貪るような愛撫に、メルフィーヌは、意識が薄れかけた。殺される・・・そう思った。廊下で、ばたばたと足音が聞こえる。使用人たちが覗き見ているのだ。彼らは、主人と女主人の様子にどう対処したらよいのか困惑しているのだろう。やがて、足音がしなくなった。

 ガランカは、動きを止めたと思うと、それまでの事が嘘だったようにその場で急に眠り込んでしまった。メルフィーヌは、呆れた。ガランカの体の下から這い出し、大きな寝息を立てる大男の背中を揺すってみた。ガランカは目を覚まさない。そして、彼女は腹を立てた。心配して損したと思う。でも、安心した、いろいろな意味で。メルフィーヌは、ガランカの背中の後ろにもぐり込んだ。明日、目が覚めたら、どういう会話を交わそう? メルフィーヌは、そんな事を考えていた。

 

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