ラトザール物語

 

 

第四話        受胎告知(その二)

 

 確かにその人影は金髪の少年、ルーイのものだった。ルーイは、城門を魔法で兵士もろとも爆破した後、宙を飛ぶようにしてカトマールから逃げ走った。しかし、そのルーイを追うもう一つの影があることに、彼は気付かなかった。ルーイは、立ち止まり、肩で息をしながら一本の大木の根元に座り込んだ。

 「やっと、見つけたぜ。エルドールのルーイ=ポワイエ殿。」

 頭から布をまとった男が、ルーイの目の前に立った。月明りの中、布を取った男の顔は片側半分が崩れている。

 「城の中であんなに派手な魔法を使ったのは、おまえさんの失敗だったな。私はここにいますって、宣伝してるようなもんだぜ。それとも、なにかい、おまえさん死にに来たのかい?」

 「・・・おまえは、シャール・・・」

 「そうだとも、シャール=ザマ様だ。十三年前、おまえさんがたに煮え湯を飲まされたシャールだ。見ろ! この傷を。」

 シャールは、顔の傷を差し示した。

 「どうしたんだい? その驚きようは。てっきり、俺様は死んでしまったものと思ってたのかい? ところが、俺様は生きてるね。この通りだ。」

 シャールは、愉快そうに笑っている。ルーイの指が宙を示した。

 「おっと! お得意の魔法は俺様には通じない。知ってるはずだぜ。」

 シャールは、指輪をはめた指を前に差し出した。一瞬の雷光。ルーイの背にしていた大木が弾け散り、轟音と共に倒れた。ルーイは、とっさに逃がれていた。しかし、少し逃げ遅れたため左腕に傷を負った。

 「逃げても無駄だ。俺様から逃げ延びることは出来ない。」

 ルーイは、木の上を飛んで逃げた。シャールは、執拗に追いすがってくる。逃げきれないと悟ったルーイは、反撃に移った。ルーイの剣が舞う。シャールはその第一撃を軽くかわした。

 「一対一じゃ、おまえさんに勝ち目は無いね。一人でのこのこと出て来たのをあの世で後悔するがいいぜ。」

 シャールは、指輪に息を吹きかけた。あたりの木の葉が鋭い氷の刃となってルーイの身を襲った。ルーイは、必死にその攻撃をかわす。しかし、氷の刃は次々と数を増し襲いかかった。

 シャールは、高らかに笑った。そのシャールの背後で声がする。

 「一対一で勝ち目がなきゃ、二対一で戦うっきゃないわね。」

 シャールは、ぎょっとして振り返った。

 「・・・シュンラ・・・」

 エルフの少女、シュンラは、氷の刃を一枚指に挟んでもてあそんでいる。

 「相変わらず、ちんけな魔法ばかり使ってるじゃない。シャール。あんた、人相がますます悪くなっただけで。それ以外、てんで進歩がないのね。」

 怯んだシャールを、ルーイの剣が捉えた。と、それはシャールの被っていた布だった。シャールは一瞬早く身をかわし、木の上に逃れていた。

 「ふッ。意気がるのはせいぜい今の内だぜ。今度会う時は、全員まとめてあの世に送ってやる。待ってな。」

 そう言い残し、シャールは忽然と姿を消した。

 「まったく、逃げ足の見事さも相変わらずね。感心しちゃうわ。」

 「・・・シュンラ。ありがとう。助かったよ。」

 ルーイは、剣を鞘に納めながら、おずおずとそう言った。

 「あなたを助けたわけじゃないわ。わたしは、あの小汚い魔法使いが嫌いなだけよ。さよなら、ルーイお兄さま・・・」

 シュンラは、ルーイの目を見ようとせずに、身を躍らせ木の上に姿を消した。

 

 長かった夜が明けた。メルフィーヌたちの一行は短い休憩を終えて立ち上がった。すでに、王都カトマールは視野の彼方に見えなくなった。あたりにはのどかな田園風景が広がっている。ここまでくると昨夜の出来事がまるで嘘だったように思えてくる。王宮の兵士が城下で略奪、虐殺を行ったなんて信じられないことだ。魔にとりつかれた人の話は時々耳にする。しかし、それは太陽の光の届かない地下深い洞窟の中での話であって、王宮の中でそんなことが起こるとは考え難い。しかも、これほど大規模に起こったとあっては前代未聞である。古文書にもそんな記述はあるまい。昨夜は、親衛隊筆頭組頭のガランカを始め主だった重臣たちのほとんどが殺されたという。すでに国王ブルーノにも魔の手が延びているのかも知れない。何れにしても大変なことになったものだ。魔王アーサーの仕業であろうか。

 イッキュウたちが、知らせを聞きガランカの屋敷に駆けつけてくる頃にはすでに城下の混乱は始まっていたという。ガランカの屋敷の使用人たちは命からがら危急を親衛隊士たちに伝えたのだ。彼らは、一体どうなったのだろう。無事逃げ延びていてくれればよいのだが。イッキュウたちにとっても今回の出来事は予想もつかないものであったという。実際、どうしてこんな事になってしまったのだろう。ガランカが死ぬなんて・・・。

 一行は、メルフィーヌの生まれ故郷のサジャの村をさして進んだ。タケル川の川沿いに広がる田園風景の中に異変を感じ始めたのはその時だった。朝の早い農夫たちの姿が見えない。この季節は農繁期にあたる。彼らの姿が見られないことは有り得ない。一行の胸中を不安が支配し始めた。

 その不安は的中した。一軒の農家に辿りついた時だ。朝だというのに食事を炊ぐ煙も見えないので不審に思っていたところ、中はもぬけの空だった。焼けてさんざんに荒らされていた。その様子から見て、やはり、昨夜何物かに襲撃されたらしい。木の柱に刀傷がある。その近くに半分に割れた小型の盾が見つかった。木製の粗末な物だが、農夫の持ち物とは思えない。フレイアが手にしたところ、それはオークの物だとわかった。オークはコボルトと並ぶ代表的な低級魔物であるが、武装した彼らは人間にとって恐ろしい敵となる。本来、他の魔物と同様、洞窟の闇に潜みたとえ夜であろうと地上に姿を見せることはない。もし、この家を襲い、また、先ほどから感じている異変の原因が彼らにあるとすれば導き出される結論はただ一つ。正と邪、陽と陰の調和が崩れ、魔の力が大地より噴出したのだ。そういう現象は、古文書の記述にもある。十数年前、このラトザール地方全域に猛威を奮ったあの魔王アーサーの反乱もその実例である。あの時も武装したオークやコボルトたちによって多くの村人が殺された。

 今や状況は絶望に近い。ほぼ最悪の事態が身に迫りつつあるらしい。一行の口数も少なくなった。

 「フレイア、ここから一番近い村はどこだ?」

 戦士のロアルドが、沈黙を破った。

 「メルの村ね。ここから十キロ程北よ。」

 フレイアが、答えた。彼女の職務には品物の鑑定、現在地の確認等の諸々の雑務が含まれる。彼女は、地図を手にしていた。

 「では、そのメルの村に行ってみよう。先ずは、状況を的確に把握することが大切だ。」

 ロアルドの意見。もちろん、誰も反論は無い。一行は重い腰を上げた。

 

 アンナは、薄暗い室内で目を覚ました。見たことのない部屋。窓が一つも無い部屋。壁も天井も奇妙な模様で埋められている。どうしてこんな所にいるのだろう。さらに驚いたことには彼女は裸だった。裸で、クッションを敷きつめた篭のようなものの中にいる。彼女は、先月十五才の誕生日を迎えた少女だった。大人になったお祝いだといって近所の人たちが集まって祝福の宴を開いてくれた。生まれて初めてお酒を口にした。その時の気分に似ている。目覚めながら夢の中にいるみたいだ。こういう時って、体が動かなかったりするんだ。ふと彼女はそう思った。背筋がぞくぞくするようなスリルを憶える。恐怖と期待の入り混じった気持ちで、彼女は手を動かしてみた。足も。・・・動く。なァーンだ。彼女は少しがっかりした。やっぱり、いつもと同じ朝なんだ。もうすぐ、口うるさいお母さんが起こしにくる。飼犬のジャックの鳴き声がするはずだ。まだ起きたくない。もう少し寝ていよう。そう思った時、アンナは、部屋の隅の椅子に一人の女の人が座っていることに気付いた。裸で、体じゅうに模様がある。部屋の壁と同じ模様だ。そのため部屋の一部のようにも見える。でも、アンナのほうをじっと見ているので、やっぱり女の人だ。アンナは、声をかけてみることにした。

 「あなた、だれ?」

 初対面の人にこの言い出し方は、まずかったかな。アンナは、そう思った。でも、これは夢なのだ。細かいことは気にしない。それに、他に適当な言葉がみつからない。女の人は返事をした。

 「私は、奴隷。」

 「“どれい”ってあなたの名前なの?」

 アンナは、奴隷という単語を知らない。そもそも、ここラトザール地方にはそんな単語は存在しなかった。

 「奴隷は、奴隷。」

 そりゃそうだ、アンナは感心した。わたしだって、アンナはアンナ。でも、感心している場合ではない。

 「その“どれい”は“どれい”の“どれい”って何?」

 「奴隷は、マスターのもの。」

 またまた、新語だ。

 「マスターって何?」

 「マスターは、ゼーダ=JC924=ジャルマーニ様。」

 「それって、人の名前なの?」

 「マスターです。」

 話題を変えよう。アンナは、そう思った。こんなんじゃ、きりがない。とっておきの質問をしよう。そうだ、いっぺん夢の中できいてみたかったこと。

 「わたしは、だれ?」

 女の人は少し困った顔になった。答えを探しているみたいだ。しばらくして、口を開いた。

 「あなたは、大切な命を宿した大事な体。」

 ずいぶん長い単語だ。アンナにはピンとこない。

 「それって、簡単にいうとどういうこと?」

 「母親です。」

 ふーん。アンナは思った。十五才にもなると、大人になったり母親になったりといろいろ大変なんだ。でも、母親がわたしなら、そもそものわたしは何者なんだろう? アンナには、まだ母親という概念は一つしかない。彼女自身の母親だ。彼女の母親が彼女だとして、彼女自身も彼女だとしたら、二人の人間が同時に一人の人間であることになる。そんなのへんだ。すると、彼女はまた別の彼女に違いない。頭が混乱してきた。この女の人の答えは、どれ一つとして答えにはなっていない。きっと、質問をはぐらかす名人なのだ。真面目に考えるだけ馬鹿を見そうだ。

 「この夢って、いつさめるの。」

 「さめません。」

 それは困る。今日は、ルドルフとのデートの日なのだ。口うるさいお母さんにやっと許してもらった彼女の初デート。そうだ、こんなことしてる場合じゃない。すぐに目を覚まして髪をとかなきゃ。服は夕べのうちに選んどいたはずだけど・・・。あれ? 覚えがない。夕べ何をしてたんだろう? その前は? 大変だ、こうしちゃいられない。プレゼントの用意さえしてないや。

 「あの、わたし、急いでるの。ごめんなさい。出口はどこかしら?」

 「出口はありません。」

 「そんな! わたし、早くもとの世界にもどらないと。お母さんやお父さんも心配するし・・・」

 「心配しません。」

 「どうして、そんなことがいえるのよ!」

 「死んだからです。」

 これは新説だ。死んだって、誰が? このわたし? 冗談じゃないわ。わたしは、こうしてちゃんと生きている・・・はず。

 「ねエ、これって、死後の世界というやつ? わたし死んじゃったの?」

 なんてことだ。こんなことなら、ルドルフにキスの一つも許しておくんだった。うら若き乙女がこんなわけのわからないうちに死ぬなんて。

 「違います。あなたは生きています。」

 「じゃ、誰が死んだの!」

 「あなたの両親です。」

 両親って、お父さんとお母さんのことよね・・・。でも、夢の中で死んだからって、さめた後でも心配しないって変じゃない。いや、さめた後で死んでるから夢の中では心配しないのかしら・・・。いや、・・・

 その時、信じられない場所から、信じられないものが出てきた。男が二人壁をすり抜けて部屋に入ってきたのだ。二人とも裸。アンナは、大人の男の裸をこんなにはっきりと見るのは初めてだった。びっくりした。なんて夢だ。

 二人の男は模様女となにか話をしている。意味の通じない音。盛んに口を動かし音をたててはいるが、アンナには何一つ意味がわからない。やがて、裸の男たちが近づいてくる。股に肉塊をぶらさげた彼らはとっても不可思議な生き物のように見える。おチンチンというものだとアンナは知っている。夏になると村の小さな子供たちは男の子も女の子も裸で水遊びをする。数年前までは彼女もその群れの中にいた。でも、こんな奇妙なのを見るのは初めてだ。二人そろって全く同じ顔、同じ歩き方、同じ体。褐色の引き締まった皮膚の下に、胸や腕、腹部の筋肉の張り具合が目で見えるようだ。機能性に徹した肉付き。男とはこんなものか。アンナは、そう思った。へんな夢だ。

 

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