ラトザール物語

 

 

第五話         旅立ち(その一)

 

 アンナは、暗い洞窟の中にいた。洞窟の中の部屋。水が流れている。目の前に一人の少年が現れた。栗色の巻毛、ルドルフに少し感じが似ている。でも、恐い目をしていた。青白く光る目。その目と同じ色の刀を振りかざし、アンナに襲いかかってくる。

 悲鳴と共にアンナは目覚めた。夢? アンナは、裸で篭の中にいた。夢、一体幾つの夢を見るのだ。肌に汗をびっしょりかいていた。本当にこの世界は夢なのか。そもそも、あの世界は本当に現実だったのか。お母さん、お父さん、ルドルフ、隣のお姉さん、彼らあの世界の住人たちは本当に実在したのだろうか。模様女が心配そうにこちらを見ている。彼女は食事の時と生理上の用事の時以外はずっとあの椅子に座りっぱなしだ。アンナは、篭から起き出して、床に立った。前を隠すこともしない。模様女が、咎めるような目で見ている。かまうもんか。この自らを“どれい”と呼ぶ模様女は、世界中で自分の居場所は、部屋の隅の椅子のみであり、アンナの居場所は篭の中のみであるとでも思っているのだ。その場所を離れることは罪であり、とてつもなく恥ずかしいことだと考えているのだろう。

 「お湯、使うわね。」

 アンナは、そう言って、一面の壁に向かって歩き出した。場所はわかっている。この部屋の壁は目には見えるが実在しないのだ。アンナは壁をすり抜けて小さな部屋に出た。アンナはすでにいろいろな小部屋を知っていた。でも、出口はわからない。模様女は、まだこちらを見ている。アンナに彼女が見えているように、彼女にもアンナが見えるのだ。壁の中なのに。

 この部屋では蛇口という金具をひねるだけで、お湯が使える。夢というものは便利なものだ。朝夕の水汲みは女の子の仕事だった。寒い朝、時には氷の張っている井戸から水を汲み上げる。それをお母さんが大きな鍋でお湯にしてくれる。それが、アンナの朝の日課だった。それが、今ではちょっと汗をかいたといっては、蛇口をひねりお湯を使う。お湯はいくらでも出てくる。

 小部屋の中には全身の映る大きな鏡があった。アンナは、その鏡に裸の自分の姿を映し出した。アンナは、自分自身の体の変化に気付いていた。お腹の下の方が少しだけ膨らんでいるのだ。少し太ったのだろうか。それとも、病気だろうか。アンナは、心配した。夢の中でも病気になったりするのかしら。軽い吐き気をおぼえ、アンナは口を押さえた。

 模様女に相談してみることにした。模様女の目の前に立ち塞がり、症状を告げた。

 「妊娠のせいです。」

 模様女はろくに調べようともせず、そう言った。妊娠がお母さんになることと関係していることぐらい、アンナにも容易に理解できた。でも、いざそれが自分の身に実際に降りかかってきたとなるとやはり動揺を隠せない。

 アンナに初めて月の印が現れた時、お母さんは、妊娠し子供を産むための準備だと説明してくれた。気取り屋のヘレンはそれ以上の知識をいろいろとアンナに吹き込んでくれた。男の子と女の子との体の違いの理由についても聞かされた。ヘレンは、ボーイフレンドと最後までいっていると言って自慢していた。あの時の知識のせいでこんなへんな夢を見てしまったに違いない。“最後までいく”って、どうゆうことだろう。アンナには、その未経験の状況を理解することは出来なかったが、それが、妊娠と関係していることだけはわかった。ヘレンは妊娠を恐がる素振りを見せていた。同い年のヘレンは、自分の体がいかに女っぽいかについても盛んに自慢していた。でも、アンナには“女っぽい”ことが良いことだという意識はなかった。確かに、大人になることは良いことだと思う。アンナも、子供の頃から大人への憧れを持っていた。でも、大人になったからといって、どうして、男だ、女だと明確に区別されなければならないのか。アンナは、“女”という種類の人間があまり好きではなかった。着飾り、おしゃべりに興じるばかりで中身が薄いように思えた。大人の男の人にはもっと何か厚く深いものを感じた。アンナは、女になることにそれほど乗り気ではなかった。それが、こんな夢を見るなんて。妊娠だなんてとんでもない迷惑だ。やはり、友達は選ぶべきだ。ヘレンのような耳年増(と、ルドルフは言っていた)の言葉になんかに耳を貸すべきじゃなかった。アンナは思った。今更後悔しても始まらない。なんだか気分が悪いや。

 

 最初のうち、ホビットの子、ラピは遠巻きにメルフィーヌを見ているだけだった。メルフィーヌが笑って手を差し出しても物陰に身を隠したりする。でも、次第に近づいて歩くようになり、やがて、メルフィーヌにくっついて離れないようになってしまった。時折、身軽にメルフィーヌの背をよじ登り、ちゃっかりと彼女の胸に納まってしまったりする。

 「とんでもない甘えん坊だな。このチビ。」

 戦士のロアルドが、そのラピをメルフィーヌから引き剥そうとする。

 「メルフィーヌ様。こんなチビ、自分で歩かせとけばいいんでさ。くせになりますぜ。それに、へんな流行り病でも持ってたらことですぜ。」

 「いいのよ、ロアルド。この子も寂しいのよ。このままにしといてあげて。」

 メルフィーヌは、笑って言った。メルフィーヌにはすでに子供がいる。今は亡き夫、ガランカとの間に生まれた双子。リフとリル。でも、その二人の赤ん坊は、乳母のメイヤに取り上げられたまま、なかなか抱かせてももらえない。メイヤは、ルーイとメルフィーヌの密会がもとでガランカがああいうことになってしまったと、まだ、思っているのだろうか。妻というものに対して貞操さをすべてに優先させ押し付けようとする大時代の住人。今までに増して、よそよそしい態度だ。メルフィーヌは、その分よけいにラピに対して優しい気持ちになった。このつい最近魔物によって親を失ったホビットの子が愛惜しくてたまらない。ラピもそのへんの心理を理解するのだろう。メルフィーヌに特に良くなついていった。

 一行の先頭を歩いていたフレイアが足を止めた。ロアルドがすぐに彼女のもとに走り寄った。全員に緊張が走る。

 「みんな、隠れて! すぐに。」

 フレイアが小声で合図する。メルフィーヌたちは近くの林に駆け込んだ。しばらくして、武器を持ったコボルトの一群がやってきた。メルフィーヌたちには気付かず行き過ぎてゆく。メルフィーヌは、ラピをしっかりと抱きしめた。ラピは歯をむき出してにらむようにして魔物たちを見ていた。今にもメルフィーヌの腕を振り解いて、魔物に向かって飛び出さんばかりだ。このホビットの子は、つい数日前に、目の前で魔物に両親を殺されたばかりなのだ。メルフィーヌは、ラピのくしゃくしゃの髪を撫でた。隣では赤毛のレダが震えていた。かわいそうなレダ。こんなことに巻込まれて。メルフィーヌは少女の細い震える肩を抱いた。

 その日の夕暮れ近くになってようやくスラニの砦が見えるところまできた。砦はすでに魔物たちの群れによって囲まれている。しかし、大した数ではない。どうしよう。強行突破あるのみか。ロアルドの手が、剣のつかにのびる。その手をフレイアが制止した。群れの中に一際目だつ魔物の姿がある。頭の角、背中の大きな翼、その身の丈はコボルトたちのゆうに倍以上ある。グレーター・デーモンだ。上級悪魔の一種族であり、かなりの知能を持ち、集団での戦闘を得意とする。冒険者にとって、最も恐ろしい敵の一つである。もともと、地上に溢れ出してくる魔物はコボルトやオークなどの下級魔物が主である。彼らは長年にわたる人間たちとの争いの中で、太陽に対する抵抗力を身につけたのだ。しかし、もっと魔の影響力の大きいさらに上級の魔物たちが地上に姿を現すことは希である。魔は、本来、地に属する力なのだ。デーモンはドラゴンと並び上級魔物の最たるものの一つである。それほど、魔の影響力が強まっているということだろうか。

 

 黒装束の衛兵が、執務室に入りエダマ=ルンカに復命した。エダマは、ペンを持ち何か書状をしたためている最中だった。

 「ブルーノ陛下が、ご面会を望んでおられます。」

 衛兵は、そう告げた。

 エダマは、ペンを置いた。

 国王ブルーノ=コルテリアスはすでに、王宮の一室に幽閉されている。鉄格子こそないが、部屋の入り口と壁は黒い兵士で固められている。兵士たちは、エダマの訪問に敬礼で答えた。ブルーノは、部屋の中央の椅子にもたれ、片手で目を覆いうつむいていた。

 「ガランカをどうした?」

 うつむいたままブルーノが尋ねた。いまにも消え入りそうな声。

 「殺しました。」

 と、エダマ。立ったまま、正面から老王の体を見据えている。

 「そちが殺したのだな?」

 「陛下のご命令の通りに。」

 エダマは、恭しく、儀礼的な会釈を行った。

 ブルーノは、顔を上げた。落ちくぼんだ目が、怒りのための生気を僅かながら取り戻した。

 「黙れ! この国賊め! わしは、連れてまいれと命じたはず。わしの目を節穴とでも思うか。城下の有様は何事ぞ。しかも、護衛と称してわしを監禁しておる兵士どもの目は、悪魔に魂を売り渡した者の目だ。うぬの叛意は明らかじゃ。カルハンの雫を盗み出したのもそちであろう。アーサーと手を結び、この世界を意のままに操るつもりであろう。しかし、世の中はそう甘くはないわ。うぬの野望ごときすぐにでも墜えるであろうぞ。さあ、この老骨の命取るなら取れ。こんな、監禁生活などまっぴらじゃ。」

 「アーサー殿は、道具の一つに過ぎませぬ。それに、陛下の身もまだ利用価値が残っておりますゆえ、いましばらくは、お命長らえていただきます。」

 そう言って、エダマは、兵士の方を振り返った。

 「さあ、国王陛下にはお疲れの様子。ご休息願え。」

 兵士たちは哀れな老王の身を挟むようにして両側から持ち上げ、奥の間へと引きずって行った。

 

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