|
ラトザール物語
第五話 旅立ち(その三)
身の軽いホビットのラルが単独で、魔物の群れに気付かれぬようひっそりとスラニの砦の内部と連絡をとり、メルフィーヌたちの一行は夜の闇にまぎれて無事砦内に入ることができた。砦の中は近隣の村や町から避難してきた人々で埋まっていた。魔物の襲撃に住む家を奪われた人々だ。その中の一人がメルフィーヌの姿を見つけ駆け寄ってきた。それは、彼女の母親の身の回りの世話をしていた男だ。メルフィーヌがガランカと結婚し、カトマールにある屋敷に住むことになった時、サジャの村に一人残された母親のもとに派遣されていたのだ。 「メルフィーヌ様!」 男は、メルフィーヌの前で膝をついた。 「ジャック! 母は、母はどうしたの? 無事ここにいるの?」 メルフィーヌは、叫んだ。ジャックと呼ばれた下男はうつむいて泣いている。 「私が、ついていながら。申し訳ありません・・・」 メルフィーヌは、一瞬目の前が暗くなった。母が死んだのだ。逃げ遅れ、魔物の剣にかかったという。ジャックは、そのことだけをメルフィーヌに告げると、地面に泣き崩れた。 ガランカが死に、今また、母の悲報を受けた。メルフィーヌは、しばらく呆然と立ちすくんでいた。言葉が、見つからない。ホビットの子、ラピが心配そうな目でメルフィーヌを見上げていた。少年は、メルフィーヌの旅衣の裾をしっかりとつかまえている。メルフィーヌは、優しくジャックを助け起こした。いくら泣いても、死んだ者が生き返ることはない。それよりも、今は、生き抜くことだ。 確かに泣いていられる場合ではなかった。スラニの砦内も状況はかなり深刻だった。日に日に魔物たちの攻撃は激しくなり、砦内の武器も不足してきた。こんな時のために蓄えられていた食糧は、あと一ヶ月はもつはずだが、それもさだかではない。食糧が底をつく前に救援がこなければ全滅を免れないだろう。 それでも、国王直属の親衛隊士たちの到着に砦内の人々は喜び、湧き立った。これで、魔物たちの攻撃もかなりかわせるだろう。誰もが、そう思った。そして、カトマールからの援軍についての情報を聞きたがった。民衆がこういう危機に瀕した時は、カトマールの兵が助けに駆けつけてくれる。今までは、確かに、そうだった。過去、数度にわたる魔族との戦いで繰り返されてきた歴史だ。しかし、カトマールの王宮はすでに見てきたような状況だ。人々の頼る王宮の兵士たちは、すでに魔にとりつかれ、残虐な悪魔の集団と化している。 メルフィーヌたちは事実を話すことは出来なかった。カトマールがすでに魔の手に落ちたと知れば、砦の士気は地に落ちることだろう。 メルフィーヌ、ロアルド、イッキュウ、ラル、フレイアの五人は歓待の騒ぎが一段落した後で人目のつかない所に集まった。 「ここの連中を見ていると、とても本当の事は言えねえ。」 と、ロアルド。彼らしくもない弱々しい口調。 「言っちゃだめよ。」 と、フレイア。ロアルドを見据えるように、詰然として言い放つ。 「カトマールからの援軍が期待できないなんて・・・。援軍どころか、敵なんだ。魔の兵士どもめ!」 イッキュウが、拳で地面を叩いた。 全員、沈黙した。メルフィーヌは、その時、仲間たちとは全く別のことを考えていた。ある一つの事。援軍だ。カトマールではない。見知らぬ東方の国だ。されど、ガランカの話の中で、幾度となく耳にしたその国の名は・・・。 「わたし、エルドールに行くわ。」 メルフィーヌの突然の発言に全員顔を上げて彼女を見た。 「なんだって!」 ロアルドが、大声で叫ぶ。あっと思って、慌てて口を押さえた。人に聞かれてはまずい相談の最中だ。 「どうして、エルドールに?」 フレイアが、つめ寄ってきた。 「エルドールに行って、援軍を出すように頼んでくる。エルドールには最新の装備を誇る防衛軍がいるって聞いたことがあるわ。」 「エルドールは敵だ・・・」 ロアルドが、また大声を上げそうになって自分の口を押さえた。 「冷静に判断して、それは期待できないでしょう。」 イッキュウは、比較的落ち着いている。周囲を制するように、膝を進めると、メルフィーヌの目を見た。 「すでに、ラトザール国王ブルーノの名によってエルドールに対する宣戦布告がなされています。たとえ、エルドールが我々に十分好意的であると仮定しても、援軍派遣の依頼を信じてくれることは考えられません。」 「今度の事件だって、エルドールのエドガーどもが一枚かんでやがるんだ。ルーイを使ってメルフィーヌ様を、そそのか・・・」 ロアルドは、また、慌てて口を押さえた。 イッキュウが、諭すようにメルフィーヌに言った。 「噂によって状況を判断することは避けるべきだと思いますが、エルドールのエドガー殿が我々に好意的である可能性はかなり薄いと思います。もしも、彼らが我々を助けるつもりなら、ここまで状況が悪化する前になんらかの行動を起こしていたはずです。そう判断するとやはり、エルドールの我々に対する考え方も決して良いものではありますまい。あなたが、エルドールまで行って、彼らの軍隊を動かそうとしても無駄です。」 「ルーイは悪くなんてないわ! エドガーも敵じゃないわよ。」 メルフィーヌは、そこで口をつぐんだ。いまここで、彼女がエドガーに命を助けられたことがあると言えば、あらぬ疑いを招くことになるだろう。それは、ガランカから厳重に口止めされていたことでもある。そうでなくても、ここに集まっているガランカのもと部下たちが、メルフィーヌとルーイの密会を快く思っていないのは事実だった。過去のことだ。メルフィーヌは、そう思った。それに、ルーイはメルフィーヌたちの一行がカトマールの城下を脱出するのを助けてくれたのだ。敵であろうはずがない。 そもそも、何故、メルフィーヌがエルドールの軍隊のことを思いついたのか。特に理由は無い。でも、それは彼女自身にとっては至極当然に思える結論だった。彼女はエルドールに行くのだ。行かなければならないのだ。 「わたし、エルドールに行くわ。こんなところでじっとして死を待ってなんかいられないもの。たとえ、どんな低い可能性でも、それ以外に助かる道がないとしたら、それに賭けるのが冒険者というものでしょう! これ以上状況が悪化することなんてないわよ。もし、エルドールが敵なら黙っていたって攻めてくるだろうし、もし、敵でないなら出来るだけ早くわたしたちラトザールの民の危機を伝え、援軍を頼むべきでしょう。」 親衛隊士たちは沈黙した。彼らから見れば、ほんのかけ出しの冒険者に過ぎないメルフィーヌから冒険者の心得について説教を受けるなんて。 「わかったわ。わたしも行きましょう。」 フレイアの言葉に、全員、身をメルフィーヌの方に乗り出してきた。 「ありがとう。でも、あなたがたは、優秀な戦士ですもの。この砦に残って、人々を守ってあげて欲しいの。エルドールへはわたし一人で行くわ。多人数だと魔物の目にもつきやすいし。」 メルフィーヌは、夜明け前、明るくならないうちに砦を抜けることにした。赤毛のレダが泣いていた。言葉を発することの出来ないこの哀れな少女の口から、鳴咽が漏れている。もう会えないかもしれないんだ。メルフィーヌは、そう思った。生きて帰れないかもしれない。トロール族の乳母のメイヤは、メルフィーヌの赤ん坊をしっかりと抱いて見送っていた。メルフィーヌは、二人の赤ん坊の額にそれぞれキスをした。無口なトロール女の目にも涙がにじんでいた。メルフィーヌの初めて見る涙だった。ラピの姿が見えない。まだ、眠っているのだろうか。 メルフィーヌは、カトマールの屋敷から大事に持ってきた包を開けた。氷の鎖帷子、この父親の形見の魔法の鎖帷子を再び身につける時がくるとは。それは、今では母親の形見でもある。冒険者になることを決心したメルフィーヌのために母親が寸法をとり直してくれたものだ。そして、武器にはガランカの形見の短剣を手にとった。彼の長剣は重すぎてメルフィーヌには使えない。 いよいよ、出発の時がきた。ここまで一緒に旅を続けてきた親衛隊士の一行ともお別れだ。ロアルド、ラル、イッキュウ、フレイアが、整列し、冒険者メルフィーヌのために敬礼をした。メルフィーヌは、照れくさかった。一礼し、闇の中に急ぎ足で消えていった。 砦を囲む魔物の追っ手を気にしないですむところまできて、ようやく、メルフィーヌは一息ついた。闇に沈むスラニの砦の城壁を振り返った。またここに帰ってくることが出来るだろうか。いや、きっと帰ってこなければならないのだ。エルドールの援軍と共に。 「おねえ。こんなところで、ぐずぐずしてないで。先を急ごうよ。」 メルフィーヌの足もとで声がする。メルフィーヌは、跳び上がりそうになった。 「・・・ラピ。」 ラピだ。メルの村で拾ったホビットの子、ラピがついてきたのだ。彼はメルフィーヌを“おねえ”と呼ぶ。 「ラピ! あなた、ついてきちゃだめよ! なんてこと。危ないわ。わかってるんでしょう。さあ、ここからすぐに砦に帰るのよ。」 「もうだめさ。魔物の奴らおいらたちに気付いているかもしれない。もう、戻れないよ。それに、・・・」 ラピは、少し恥ずかしそうに目を伏せた。 「おねえのような女を一人で行かせるわけにはいかないよ。おいらだって、男だい。一緒について行ってやるよ。」 ラピは、自分の能力を誇示するかのように、メルフィーヌの周りをくるくると敏捷に跳び回った。 「わかったわ。もういいわ。ラピ。一緒に行きましょう、エルドールへ。でも、この旅はとっても危険なものよ。命の保証はないわ。あなたも、男の子ならそのへんのことを覚悟してね。」 メルフィーヌの方が折れた。彼女も見知らぬ土地を一人で旅するのは心細かったのだ。この子なら足でまといにはなるまいと思った。案外、心強い味方になるかもしれない。メルフィーヌは、未知の旅への出発の不安から、そういう、希望的観測を自分自身に許していた。 「わかってるさ。おいら。おねえのためなら、いつだって、命を捨てるよ。」 ラピは、ちいさな胸を張ってそう言った。 「そうじゃないのよ。ラピ。もしも、わたしの身に危険が迫り助かりそうにないと悟ったら、わたしを捨てて、あなた一人だけでもエルドールへ行って目的を果たして欲しいの。それがこの任務につく者の責任よ。一時の感情で命を捨てたりしちゃだめ。ね、それがわかってるんなら、一緒に連れて行ってあげる。」 メルフィーヌは、ラピの小さな肩を両手で挟むようにして、少年の目を覗き込んだ。ラピは、歯をキッと食いしばり小さくうなずいた。 「おねえ。エルドールって、どんな所? 行ったことあるの?」 ラピは、メルフィーヌとともに歩き出しながら尋ねた。 「行ったことはないわ。でも、海があって、とってもきれいな町よ。」 「“うみ”?」 メルフィーヌは、行きすがら、ガランカから仕入れた海についての知識を披露した。
エドガーを始めとして、ルーイ、サスケ、アラミス、エリザベスのグループは洞窟の闇の中を進んだ。ニンジャのサスケが先頭に立ち哨戒し、魔物の気配があると呪文で全員身を潜め、魔物をやり過ごした。黒いマントの無言の一団は、ひたすらけはいを絶ち前進を続けた。このあたりの地勢もかなり変化している。強大な魔が作用した証拠だ。洞窟内の迷路も複雑を極めていた。魔物の種類も多岐に渡っていた。下級のものから上級のものまで、本来階層別に住み分けているものたちが混然として同居している。ポイズンジャイアントとオークのグループも見かけた。そして、なによりも彼ら魔物の数はここ数年来に較べて圧倒的に増加している。まさしく、地の底から涌き出しているかのようだ。 突然、目の前にぼんやりとした光が現れた。即座に、グループは散開し戦闘体制に入った。その光の主は、白い裸体の少女だった。 「・・・エドガーよ。」 裸体の少女が呼びかけた。 「わしは、今、この女の体を借りて話しておる。アーサーじゃ。ひさしぶりよのう。我が一族よ。」 「叔父上・・・」 エドガーは、ゆっくりと進み出て剣を抜いた。妖刀ムラマサブレードが青白い光りを放つ。あたりを威圧するようなすさまじい気が流れ出る。 「今回の事件、黒幕はブルーノでも彼の側近のエダマ=ルンカでもない。もちろん、わしでもないことは、お主も知っていよう。剣を納めるのじゃ。この体は虚像。切ることはできぬ。黒幕はゼーダ=ジャルマーニ、お主に因縁のある人物らしい。恐るべき古代の魔法を身につけし者。その魔力でこの世界を支配しようと企んでおるようじゃ。」 裸体の少女は、言葉を区切った。微かにためらいの表情を見せる。 「エドガーよ。わしは、いま、カトマールの地下迷宮の結界の奥に監禁されておる。わしを、この女を切るのじゃ。わしは、この女の体より、新しい肉体として産まれ出ようとしておる。あと三ヶ月足らずの猶予じゃ。知っての通り、古代の魔法は物質にその力の源を置く。我々の精神をもととする魔法とは相異なるものよ。古代の文明は、その物質への偏愛により地上より滅び去った。数十億もの人命とともに。その過ちを繰り返してはならぬ。このわしも新しい体を受ければ、その肉体に支配されることとなろう。そうなっては、全てが手遅れじゃ。今のうちに、まだ、わしの精神の力が優っておるうちに、このわしを切ってくれ。これは、お主にしか頼めぬ難題じゃ。」 言葉を終えると、裸体の少女の姿は消え去った。 「お兄さま。」 エリザベスが側に寄ってきた。 「ベス、今の話、どう思う?」 エドガーが、尋ねた。彼の考え事をする時の癖で、うつむいて顎に手をやった。 「難しいわ。でも、確かに叔父さまの気を感じました。」 これも罠の一つだろうか? エドガーは、考えた。だとすると、彼らにはどんな利点があり、今現在、どんな弱点を抱えているのか。ゼーダ=ジャルマーニとは誰だ? 微かに聞き覚えのある名だが。
第五話 完
|