ラトザール物語

 

 

第六話        エルドール(その二)

 

 エルフの少女、シュンラは、メルフィーヌの寝顔を覗き込んだ。メルフィーヌは、木の根元で布にくるまって寝息をたてている。

 「まったく、あきれるほど隙だらけね。こんなんじゃいつ殺されても文句を言える筋合いはないってものだわ。」

 この女が死ねば、ルーイは悲しむことだろう。シュンラは、そう思った。いま、その女の命はシュンラの指先一つにかかっている。白い喉笛、すぐに切れそうだ。このエルフの少女は、小さい頃から血を見ることへの抵抗感はほとんどなかった。いつだって殺せる、そう思うと少しは気持ちが楽になった。

 シュンラは、そのままの体勢から木の上に身を躍らせた。木の枝の間を縫うように飛ぶ。今夜はどの木で休もう。シュンラは、そんなことを考えていた。その時、追跡者のけはいを感じた。誰だ? まさか、シャール? シュンラは、一本の木の陰に隠れた。けはいを消す。目の前を小さな影が飛び去っていった。シャールではない。シュンラは、ほっとした。でも、何者だろう? 小さな影は立ち止まり、辺りを見回している。ホビットだ。

 「あんた、誰よ?」

 シュンラは、ホビットの背後から声をかけた。ホビットは、跳び上がって驚いた。まだ、子供だ。

 「お、おまえこそ、誰だ? なぜ、おねえを見てた?」

 「おねえって、あの木の影でいびきかいてる脳天気女のこと?」

 ラピは、脳天気女という言葉は初めて聞いた。悪い意味には違いなさそうだ。

 「おねえの悪口をいうと、おいらが許さないぞ! おいらが、用を足して帰ってくるところで、ちょうど、おまえが逃げるとこだったんだ。」

 「わたし、逃げてなんかないわ。逃げるんだったら、あんたのようなぐずにつかまるもんですか。」

 「おまえ、魔物だな。」

 「あんたのようなちんちくりんに説明しても無駄だろうけど。わたしは、れっきとしたエルフよ。魔物なんかじゃないわ。」

 「・・・」

 ラピは、小さな頭で一生懸命考えていた。この鳥のような身のこなしの少女は一体何者なんだろう。敵か、味方か。口の悪さだけでは立派な敵だ。

 「じゃあね。あんたなんかと遊んでる暇ないの。」

 そう言って、エルフの少女は再び木の上に姿を消した。もはや、ラピには彼女を追うことは出来なかった。

 

 スラニの砦は、今や完全に魔物の群れによって包囲されていた。ロアルドたちは、城壁を越えて襲ってくる魔物に備えるため、それぞれの持ち場についていた。夜も更け、月明りがロアルドを照らしていた。隣にフレイアがいる。フレイアは、一度だけ、ロアルドと寝たことがある。彼女が十六才の時、まだ、冒険者になるための修行を積んでいた時のことだ。ロアルドは、その当時すでにある程度名の売れた冒険者だった。あれから、十年、奇妙な因縁だと、フレイアは考えていた。今では、こうして二人で月明りの下、土手に肩を並べて座り、確実に迫りくる死を待つ身となった。

 十年間の成功と挫折、そして、名誉の記憶がフレイアの胸をかすめる。十年前、彼女は家出少女だった。日常の生活の繰り返しに失望を覚え、住み慣れた家を飛び出した。当時、ハートン兄妹が魔王アーサーを倒して間もない頃で、兄のエドガー、妹のエリザベスの二人の冒険者の名は国じゅうの人々の口にのぼっていた。特に、フレイアは、エリザベスに憧れて、彼女と同じ道を志した。しかし、すぐに挫折が訪れた。熟練の冒険者の道は、地道な努力の積み重ねでもある。挫折感から逃れるため、フレイアは、世間に突っ張って、背伸びをし、年齢以上の女として認めてもらいたがった。言葉使いもなげやりで、その当時、彼女に言い寄ってきた男、七人と寝た。子供を堕したこともある。ロアルドはその中の一人だった。堕した子供の父親かもしれないし、そうでないかもしれない。ロアルドも、やはり背伸びをしていた。しかし、彼は、その背伸びによって成功した部類の人間だった。寝たことはあったが、フレイアは、ロアルドをあまり好きではなかった。付きまとわれて、うるさいと感じることも多かった。彼は、フレイアの堕胎を知って、責任を感じているようだった。背伸びをした十六才の少女にとってそんな責任はありがた迷惑だった。

 そのくされ縁が続き、今に至った。なんだか、すごく不思議なことのように思える。国王の親衛隊にまで登りつめ、初めて憧れのエリザベスに会った時のことを、フレイアは鮮明に憶えている。エリザベスは、ひ弱な感じのする痩せた少女だった。すでに大人の女になっていたフレイアは呆然とした。しかし、そのエリザベスから形容のしようがない威圧感をおぼえたことも事実だった。エリザベスは、フレイアの捨ててきてしまった物の全てを持っているような気がした。

 「メルフィーヌ様って、不思議な女だよな。」

 突然、ロアルドが言い出した。

 「何が出来るわけでもない、ごく普通の女みたいなんだが、何かしてあげなければならないって、周囲の者に思わせてしまう何かがあるんだよな。」

 珍しく難しい事を言っている。

 「さすが、ガランカの大将が選んだだけのことあるぜ。いい女だ。」

 ロアルドは、月を見ながら一人言のように言った。そのガランカは、カトマールの戦乱の中、暗殺され、すでにこの世にはいない。

 誰しも、言葉には出せない不安がある。それは、歴戦の冒険者といえども例外ではないようだ。ひたひたと忍び寄る死という重い現実が、勇猛で鳴らした戦士の心の中の言葉を解放しようとしているのだろうか。

 「どうしているかしら、無事、エルドールまで行き着けたらいいのだけど。」

 フレイアが、口に出した。口数を合わせるような何気ない調子。まるで、遠い外国の噂話でもして、間をつないでいるような、そんな調子だった。

 砦の窮状を見かねたメルフィーヌが援軍を求め、単身エルドールに旅立って、十日余り。地上に溢れ出た魔物たちは、ラトザール全土で猛威を奮っていると聞く。メルフィーヌの献身的勇気が実を結ぶ可能性に思いを巡らした時、彼らの口から、決って絶望的なため息が漏れるのだ。そのため息には、メルフィーヌの盲挙を押しとどめることの出来なかった自分たちへの自責の思いも含まれていた。そして、日増しに悪化する砦内外の状況は、彼ら精鋭親衛隊士をして、死を確信させるに十分なものだった。ロアルドが、フレイアの顔をまざまざと見る。目が合った。

 「おれは、死ぬのは恐くない。ここの連中を守るために死ぬ気だ。覚悟はできている。」

 いつになく真面目な口調。なんだか十年前の彼を思いだしてしまった。あの当時もそんなせりふを耳にしていたような気がする。フレイアは、目を閉じた。その唇をロアルドの唇が塞いだ。舌と舌が激しく絡みあう。僅かな月明りの中、長い接吻。

 「十年ぶりに許してくれたキスだな。」

 ロアルドは、フレイアの体を放し、そう言った。いつもの遠慮の無い大声の主とは、まるで別人のようだ。フレイアの頬から耳たぶにかけて静かに指で愛撫している。

 「わたしたち、ここで死ぬのかしら。」

 フレイアが、そう言った。

 「わからんな。こんな状況は初めてだ。おれは、今まで自分とそれを含めた小人数の仲間たちのために戦ってきた。それぞれ、個人、個人が自分の命についての全責任を持っていた。戦うのも、それは自分自身の名誉、利益のためだった。でも、今は、違う。圧倒的な大多数の民衆のために戦わなければならない。ここの連中を捨てて、おれだけが生き延びるなんてことは有り得ないんだ。」

 いつになく舌の回りのいいロアルド。さっきのキスのせいかな。フレイアは、そんなことを考えていた。まるで潤滑油をさされた歯車みたいだ。

 「だが、もし本当にここで死んじまうんなら・・・、もう一度だけ、きみを抱きたい。」

 ロアルドは、そう言って、フレイアの腰に手をやり、彼女の体をゆっくりと押し倒した。フレイアの革の胸当ての紐を解く。互いの息が荒くなり、唇と唇が求め合う。人に見られたらどうしよう。フレイアは、そう思った。

 「だめよ、ロアルド。人が見ているかもしれないわ。」

 フレイアは、顔を上げてそう言った。

 「うん・・・」

 ロアルドの手の動きが止まる。

 「だから、今は、このまま愛し合いましょうよ。うしろからちょうだい。服をちょっとめくるだけで出来るわ。人が来たらすぐに止めればいいでしょう。いいアイデアだわ。」

 フレイアは、そう言って、早速、身を起こし前に手をつき、四つん這いになった。冒険者としての彼女の役割は事物に関わる職務が多く、とかく即物的になりがちなのだ。一種の職業病ともいえる。ロアルドは、微かに苦笑し、フレイアの言葉に従った。

 「二人で月を見ながら愛し合うなんて、素敵ね。」

 フレイアは、そう言って、後ろでせっせと腰を動かしているロアルドを振り返った。同意を求める口調だ。ロアルドは、それどころではない。

 「目ぐらい閉じてくれよ。せっかくおれが・・・」

 「あら、だめよ、今は任務中ですものこうやって魔物を見張ってなきゃ。」

 そう言って、フレイアは嬉しそうに笑った。

 

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