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ラトザール物語
第六話 エルドール(その三)
昼過ぎだった。メルフィーヌとラピは、カトマールを迂回し、タケル川に沿って一路東へ、東へと進んでいた。十分、周囲に注意を払い、魔物の襲撃に備えていた。ここまで、何度か危ない目に遭ったが、メルフィーヌの機転とラピの鋭い五感によって危機を脱してきた。タケル川の対岸ははるかかなたに霞んで見える。海に近づいているのだ。エルドールに。 ラピが、前方の茂みの中に何か動く物を見つけた。苦しげな低いうめき声。傷ついた人間らしい。メルフィーヌとラピは、恐る恐る近づいた。それは、まだ若い男の人だった。肩から腹にかけて、刀で切られた傷がある。かなりの重傷だ。メルフィーヌが、思わず手を出した。 「おねえ。危ないよ。罠かもしれない。普通の男がこんな所で倒れているはずないよ。すぐに、魔物どもの餌になってしまうさ。」 ラピが、小声で言った。メルフィーヌは、構わずに男を助け起こした。 「魔物に襲われて、ようやくここまで逃げてきたのかもしれないわ。」 メルフィーヌの声に、男は薄く目を開けた。 「みず・・・」 男の唇が弱々しく動いた。メルフィーヌとラピは、顔を見合わせた。水はさっきの昼の食事で使い果たしている。川からも少し離れている。近くに湧き水があるだろうか。メルフィーヌは、荷物の中から木の器を取り出した。 「おねえ。どこ行くの?」 ラピの心配そうな声。メルフィーヌは、振り返らずに言った。少し顔が赤い。 「ちょっとね。」 メルフィーヌは、物陰に隠れ上着を脱ぎ、胸をはだけた。そして、豊かな白い乳房から器に一杯ほどの乳を絞り出した。ふと、スラニの砦に残してきた二人の乳飲み子のことが脳裏をよぎる。けれど、それは、考えてもしかたのないこと。急いで上衣の乱れを直し、男の側に戻り、器を男の口につけた。男は、その白い液体を一気に飲み干した。 「・・・ありがとう。生き返るようだ。これは?」 男が、メルフィーヌを見た。メルフィーヌは、顔を赤らめて言った。 「山羊の乳よ。」 「そう、そこに二つの大きな乳をぶら下げた山羊がいてね・・・」 「あんたは、黙ってなさい!」 ラピの言葉を、メルフィーヌが遮った。 「ありがとう。礼を言う。私は、国王ブルーノの九番目の王子、ダン。」 男が、そう言い出した。メルフィーヌとラピは、驚いて目を見会わせた。王子ダンは言葉を続ける。 「父王の御身が拘束され、上の王子たちは次々と兵士の手によって殺された。奴ら兵士はすでにその魂を魔の力に侵されているのだ。奴らを操っているのは、かつての父王の側近エダマ=ルンカだ。私は、この事をエルドールに告げ救援を求めるために、僅かに残った腹心の部下たちと供にカトマールを脱出し、身をやつしこの近くまで来た。」 王子ダンは、そこで苦しげにふうっと息をついた。 「しかし、カトマールの追っ手に見つかり、部下たちは、私を守るために残らず命を落し、私自身も傷を負い、ここまで来たところで力尽きてしまったのだ。お見受けするに、貴殿がたは正しき心を持った方々。このことを、エルドールへ。エルドールへ・・・」 王子ダンは、激しく咳をして少し血を吐いた。 「しっかりして下さい。王子様。お体に障ります。静かに。」 メルフィーヌは、王子の背をさすった。 「・・・私の身代りとなって死んでいった部下たちのためにも、兄たちの無念を晴らすために、ラトザールの民衆を魔の手から救うために、エルドールへ、エルドールへ行ってくだされ。私の、私の無念を、・・・晴らして・・・」 王子ダンは、震える手で、メルフィーヌの服の端をしっかりと握りしめ、涙の浮かぶ目で彼女を見上げた。その時、ラピが危険を告げた。黒い鎧に身を固めた兵士の一群が現れた。手に持った長い槍。忘れもしない、メルフィーヌの夫、ガランカを襲い殺した兵士と同じ装備だ。 「王子だ! 見つけたぞ!」 その中の一人が叫んだ。さっと駆け寄ってくる数人の兵士。ラピは、懸命にメルフィーヌの手を引っ張った。しかし、メルフィーヌは、その場を動こうとしない。兵士たちをきっとにらんで手を上げ、呪文を唱えた。“KAWIND” 数人の兵士が、ワッと叫んで身を引いた。メルフィーヌの初めて使った攻撃呪文だった。しかし、その威力はまだまだ未熟なようだ。敵に手傷を負わせた程度だった。メルフィーヌは、短剣を抜き放ち手に持って、立ち上がった。 「魔法使いだ!」 兵士の一人が叫んだ。 「いや、魔法使いが剣を持ったり、鎖帷子を着たりはしない。プリーストの修行を積んだ冒険者だろう。心してかかれ!」 兵士たちが、じりじりと近づいてくる。メルフィーヌとラピは、囲まれ、逃げ場を失った。兵士の長槍の刃先が不気味に光る。メルフィーヌは、この場を逃れる方法に思いを巡らした。答えがない。 突然、大きな鳥のような物が兵士を襲った。一人、二人とその場に倒れる。兵士たちは驚き、慌てた。 「やや! 仲間がいたぞ!」 懸命になって槍を振り回すが、掠ることすらしない。たちまち、五、六人の兵士が倒れた。長身に金髪の少女、ロードのシュンラだった。手に剣を持ち、髪を振り乱し、兵士たちの前に立ち塞がった。 「エルドールの鬼神だ!」 兵士たちは、算を乱して逃げ去って行った。シュンラが、メルフィーヌの方に振り返った。 「あなた、馬鹿じゃないの! どうして逃げなかったのよ! 命を捨てる気?」 ものすごい形相で、そう怒鳴った。 「わたし、逃げた連中を始末してくる。カトマールに知られるとまずい事になるもの。」 そう言い残して、シュンラは、近くの木の上に身を躍らせた。その姿は、メルフィーヌにはもう見えなくなってしまっていた。メルフィーヌは、しばらく呆然とシュンラの消えた先を見ていたが、急いで身を屈めた。王子は、すでに息絶えるところだった。 「・・・ラトザールに平和を・・・」 そう呟いて、王子ダンは、メルフィーヌの腕の中で、動かなくなった。
メルフィーヌとラピは、エルドールへの旅を続けた。エルフの少女シュンラはその後を追っていた。どうして、あの時、危険を侵してまで、メルフィーヌを助けに出てしまったのだろう? シュンラは、そう自問した。こんなところで騒ぎを起こし、カトマールの連中に居場所を知られてはシュンラ自身の身が危うくなる。カトマールには、シャールがいるのだ。 あの時、メルフィーヌが兵士の槍にかかって死ねば、どんなにか気持ちが楽になることだろうと思っていた。どのみちあの女が死ぬことに反対であろうはずがない。だが、ふとルーイの泣く姿が脳裏をかすめた時、シュンラは、飛び出してしまっていたのだ。シュンラは、ふと自嘲を漏らした。人間の女一人の命など、どうでもよかったのだ。ただ、ルーイの涙だけは、耐え難いものに思われたのだろうか? では、わたしは、何故、この女を追っている。殺すためか? 守るためか? すでに、エルドールも近い。シュンラにとって住み慣れてはいたが、決して住み易くはなかったエルドール。一年前、エルドールの長老会議は、カトマールのブルーノからの救援の申し入れに対して、一致した結論を得られないまま、その当時、知の長老の食客の処遇にあったエドガー=ハートンら六人の冒険者の派遣を知の長老の個人的な裁断の範囲として承認した。事後承諾というかたちだった。それから一年、エドガーは、何故か、彼の仲間たちに対して、エルドールへ戻ることも許さぬままラトザール地方に潜み続けている。 ある岩山の麓に差し掛かったところで、シュンラは、慌てて身を伏せた。結界が張られているのだ。ある特定の侵入者に対してのみ作動する警報装置のような物だ。うっかりしていた。結界にかかってしまっただろうか。シュンラは、考えた。すでに、エドガーに言われた警告ラインを越えてしまっていたのだ。しかし、後悔している暇はなかった。 チュインという音とともに、シュンラの目の前の岩が砕け散った。彼女は、光りの筋が走るの見た。 「なッ・・・」 シュンラは、身を翻した。再び光線が走り、彼女の伏せていた場所の岩が破壊された。 「何よ、これ!」 岩陰から金属製の機械のような物が三つ現れた。ウイーンと微かなうなり声を上げている。三本の足を持ち、自力で移動することが出来るようだ。二つの大きな光る目をシュンラに向けた。シュンラは、跳んだ。光線が岩を破壊する。周辺に木は一本も無い。背後は切り立った崖。シュンラは、逃げ場を失った。三つの機械はシュンラを包囲した。シュンラは、魔法の呪文を唱えた。しかし、呪文が効かない。ウイーンという低いうなり声が耳に障る。それは、シュンラがこれまで遭遇したどんな敵とも違っていた。金属特有の鈍い光沢を持つ機械仕掛の化物。こいつらの弱点はどこだ? シュンラは、懸命に考えた。機械の目、足、大きな頭? 一匹を倒したとしても、もう二匹いる。どうやって逃げよう。その時、何者かがシュンラの背後を襲った。不意をつかれた。シュンラは、頭を棍棒のような物で強打されその場に気を失って倒れた。 「間違いない。エルドールのエルフだ。すぐにシャールさまに連絡しろ。」 黒装束の男がシュンラの顔を覗き込んだ。一人、また二人と岩の中から溶け出すように男たちが姿を現す。ニンジャの一群だった。
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