ラトザール物語

 

 

第七話                五つの試練(その二)

 

 次に叩いたのは、裁の長老の門だった。しかし、いくら門を叩いても、誰も取り次いでくれない。門には鍵がかかっていなかった。メルフィーヌとラピは、顔を見合わせた。どうしよう。勝手に入れということだろうか?

 何度か叩いているうちに、その勢いで、門が開いてしまった。二人は、こわごわと屋敷の中をのぞき込む。広い庭園には人の気配がない。しばらく耳を澄ましていると、微かな人の叫び声が聞こえてきた。鞭が宙を切る音。右手の木立の奥からだ。メルフィーヌは、体のほうが先に反応した。門をくぐり、木立に向かって走りだす。

 「おねえ、あぶないよ、急に飛び出しちゃ。」

 ラピは、小声でそう叫びながらメルフィーヌの後を追った。

 木立を抜けると、ちょっとした広場があり、数人の男、女が集まっていた。中央の太い柱には、まだ若い男が半裸でくくり付けられており、役人風の男から鞭をふるわれている。男の皮膚が破れ、血が流れ出している。女が一人、泣いていた。身重であることが、その服装からもわかる。その他、全員、神妙な面もち。広場の隅で、帳面を手にしていたもう一人の役人風の男がメルフィーヌたちに気付き、近寄ってきた。

 「今、刑の執行中だ。関係者以外立ち入ることは許さぬ。立ち去られよ。」

 有無を言わさぬ調子で、メルフィーヌたちの前に立ち塞がった。

 ラピに引っ張られるようにして、メルフィーヌは、その場を立ち去りかけた。その時、二人は、木立の下で、一人の中年の歳格好の婦人に行き当たった。婦人は、何事か急いでいる様子だった。手には何やら重たそうな本を持っている。さっきの役人風の男たちと同じ服を着ていた。ここの関係者のようだ。

 「よいところに来ました。こちらにおいでなさい。」

 婦人は、メルフィーヌたちをちらりと見るとそう言った。

 言われるまま、婦人の後に従うメルフィーヌ。木立のさらに奥へと進んでゆく。ラピは、心配そうな様子で、メルフィーヌの後を追った。婦人は、その歳格好からは想像できないほどの速足だ。

 「今そこの広場で・・・」

 メルフィーヌが、ようやく声を出す。

 「あの男は、盗みを働いたのです。被害者からの通告があり、捕らえられ、裁判の末、刑罰を受けているのです。」

 婦人は、歩調を緩めずにそう言った。

 「女の人がいましたわ・・・」

 「男の妻ということですね。男は、身重の妻のために、禁固刑よりも、体罰を受けることを選んだのです。鞭打ちの刑の後に釈放されます。」

 木立を抜けると、小さな庵があった。婦人は、懐から取り出した鍵で扉を開け、中に入った。暗い室内。倉庫らしい。婦人は、中から、両腕にいっぱいの糸綴じの書物を抱えて出てきた。

 「この書類を運ぶのを手伝ってください。」

 そう、言うなりすでに、自分の持ち分だけの量を抱えて歩き始めている。

 「あの・・・、わたしたち・・・」

 言われた通りに書物を抱えたメルフィーヌが、急ぎ足で、追いつきながら再び声を出した。

 「カトマールから来たのね。」

 「はい。え・・・?」

 メルフィーヌは、面食らった。

 「あなたたちのここエルドールでの行状はすでに捜査済みです。もっとも、あの支庁舎での、抜刀騒乱事件は、起訴不問となりましたけど。紹介が遅れました。私、エルドールの司法責任者、裁の長老を務めさせていただいている者です。」

 裁の長老は、相変わらずの歩調のままそう言った。

 三人は、石敷の広場に出た。十数人の男、女が集まっている。長机の上に書物を積み上げると、長老は、その中の一人、髭面の男に何事か指図を与えている様子だ。

 「靜粛に! 靜粛に!」

 髭面が、木槌で机をやかましく叩きながらそう叫び始めた。しかし、当の本人以上に騒々しい人物などその場にいないことは明かだった。全員、かしこまった様子で各々、椅子についていた。互いに話を交わしている者もいない。

 長老の目に促されるまま、メルフィーヌとラピは手近な椅子に腰をおろした。長老は、すでに席についている。何がはじまるのだろう。メルフィーヌは、考えを巡らせていた。これが、試練なのだろうか? でも、まだ、彼女たちの目的も告げていないのだ。

 ようやく髭面は静かになった。

 「ここは、法廷です。これから裁判が行われます。」

 長老は、メルフィーヌの横に席を移すと、目の前で進行する儀式を説明し始めた。メルフィーヌは、裁判というものがあることは知っていた、実際に見るのは初めてだ。

 「エルドールにおいては、人を裁くのは人です。」

 長老は、説明の途中で、そんな意味の事を繰り返し強調した。しかし、メルフィーヌには、長老の言おうとしていることがわからなかった。ラトザールにも罪人を裁く制度はある。各地方の王宮の派出機関が、それらを担当し、国王の名のもとに、整然たる法をもって統合される。学校でもそう習った。それと、これと、どう違うというのだろう。

 長老は、メルフィーヌの疑問におかまいなしに、のべつ間もなくしゃべり続ける。メルフィーヌには、その言葉の半分も理解できなかった。

 「超古代において、人族の文明が芽生えた頃は、王者の徳によって、罪をなくすことができると信じられていたそうです。そのさまは、善政が施されると罪を犯す者がいなくなり、牢屋が空になると表現されています。」

 長老は、メルフィーヌの目をのぞき込むようにして、ゆっくりと言葉を続けた。

 「しかし、未だかってそういう社会は実現されていないのです。罪は、法によって作られます。それもある一面においては真実でしょう。しかし、それと同時に、正常な社会秩序も法によって保たれてきたのです。」

 長老は、言葉を区切ると、メルフィーヌの反応を伺っている様子だ。しかし、メルフィーヌには、相づちを打っても良いのかどうかさえわからない。当惑した表情を浮かべるばかり。そんな彼女に対して、長老は、明かな失望の顔色を見せている。長老は、エルドールの制度がラトザールのそれに較べて、いかに優れたものであるのかを説こうとしているようにも、メルフィーヌには思える。しかし、残念ながらメルフィーヌには、反論するだけの知識も意見もない。

 「問題は、エゴです。誰しも、自分が可愛いし、自分に似たものほどいとおしく思えるのです。それは、生物の本来持つ特性と言わざるをえません。」

 それは、ちょっとおかしい。メルフィーヌは、そう思ったが、反論は無駄に思えた。広場では、すでに何人かが壇上で発言を繰り返している。しかし、長老は、すでにその裁判の進行のことなど忘れているみたいだ。

 「同情もしかりです。自分自信の境遇を相手の身に重ね合わせる者は、自分に近い者しか救おうとはしないでしょう。したがって、裁きが私物化された時、国は乱れます。ここに、人が人を裁く難しさがあります。人を裁くのは人でありながら、人であってはならないのです。しかし、人でないものが人を裁いたならば、その裁きは血の通わない冷酷なものになってしまうでしょう。」

 長老は、そこでついと立ち上がり、指を振って、髭面に合図を送った。髭面は、「閉廷」と叫びながらまたもや、やかましく机を叩き始めた。人々は、一斉に解散して行く。その人の流れに沿って、長老とメルフィーヌは再び歩き始めた。

 「そこで、私は、一つ実験をしてみようと思うのです。」

 あちらの木立、こちらの木立と、黒い影が見える。それに気付いた時には、メルフィーヌたちは、すでに一群の兵士に囲まれていた。長老は、手を上げて、兵士に何か合図を送った。

 一人の兵士がずかずかと近づいてきて、大きな手で、ラピの体を捕らえた。

 「おねえ!」

 ラピの叫び。身を乗り出したメルフィーヌの体を、数本の槍が囲んだ。

 「これは、どういうこと!」

 メルフィーヌは、長老の方をにらんで、そう叫んだ。ラピの小さな喉もとには、白じらと光る刀身が押し当てられている。

 長老は、顔に笑いを浮かべている。

 「あなたには、ある二つの物の重さを計ってもらいます。これが、あなたに与えられる試練です。ラトザールの民衆全ての命と、そこにいる子供の命。さあ、どちらが重いですか?」

 「気でも違ったの! その子を放してよ! これが、エルドール流の裁きだとでも言うの!」

 「裁きでは、ありません。実験です。あなたがたは、エルドールの市民権を持っていないため、エルドールの法による保護を受ける権利を主張することはできません。あなたがたは、援軍が欲しいと言う。我々の血と肉を差し出せと言う。ならば、私の問いに答えてください。あなたがたの言葉を自らの血で立証して見せてください。」

 メルフィーヌは、聞いていない。ややもすると、兵士たちの槍先を押し退けてラピを助けにゆく構えだ。当然、兵士たちとの間に、激しいもみ合いが起こる。

 「冷静に、判断なさい! 子供一人の命と、ラトザールの民衆全ての命、どちらが、重いのかと尋ねているだけです。今この場で殺すと言ってる訳じゃありません。」

 長老が、声を荒げた。

 「どっちも、大切よ! あなたたちに何がわかると言うの。絵空事ばかり言って! ラピは、わたしといっしょに魔物たちと闘い、生死の際をここまで、かいくぐってきたんだから!」

 「やれ、やれ、とんだ、エゴイストだわ。失望しました。お嬢さん。私は、あなたの言葉の重さを計っただけなんです。あなたが、自ら巷での前言を撤回するというのなら、私は、あなたを裁かなければなりません。あなたは、国家の保安を揺るがす虚偽の情報を流した疑いで、第一級スパイ罪としてエルドールの法廷において起訴されることでしょう。死罪、または、二百年以内の禁固です。なお、エルドール市民ではないあなたには、エルドール市当局が弁護士を選び与えることになります。弁護士の選出に関してなにか希望があったら今この場でおっしゃってください。」

 メルフィーヌは、顔色を失った。彼女のさまよう視線がラピを捕らえた。哀れなラピは、震えながら、小さくうなずいた。兵士の腕に手を掛け、自分の喉に押し当てられている刀身に体重をあずけるような体勢をとった。

 「だめよ! ラピ。やめて!」

 メルフィーヌの叫びよりも、ラピの動きのほうが早かった。ラピは、すでに喉を押さえて、兵士の足もとに転がっている。メルフィーヌは、槍をかいくぐり、ラピに駆け寄った。

 「痛い!」

 助け起こしたラピは、喉に擦傷を負っているだけだった。兵士の刀は、よく出来た偽物だったのだ。

 ラピの頭を抱いて、しゃがみ込んでいたメルフィーヌは、突然立ち上がると、ラピを捕らえていた兵士の頬面に拳を叩き込んだ。さしもの大男の兵士も少しよろめいた。

 「よくも、だましたわね! みんなしてグルになって。」

 彼女は、顔色を怒らしてなおも暴れながら、長老に掴みかかろうとするが、それは、兵士たちの腕に阻まれた。

 「意地の悪い試し方だったことは、認めます。メルフィーヌ=サミエ殿。しかし、エルドール市民四十万の命の重さゆえのことです。お許しください。」

 長老は、メルフィーヌに近づき、鮮やかな刺繍で縁取られた木の小箱を、彼女の手に押し込んだ。

 「裁の長老の印。お貸しします。これが、私の判決です。」

 長老は、そう言って、何事もなかったかのような物静かな笑いを浮かべた。

 

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