ラトザール物語

 

 

第七話                五つの試練(その四)

 

 理の長老は、気むずかしそうな初老の男だった。机の向こうから。メルフィーヌとラピをじろりとにらみつけた。

 「おまえたちの話は聞いておる。色仕掛で迫ったりしておるそうじゃが、わしには無用だぞ。」

 いやみな言い方だ。メルフィーヌは頭にカチンときた。

 「この屋敷を訪れたからには、理というものついていくらかの見解があってのことと思われるが、どうじゃな?」

 長老は、冷酷そうな顔に見下すような薄笑いを浮かべている。

 「そんなものわかりません! わたしのわかっている事は、ラトザールとエルドールに滅亡の日が近づいているということだけですわ。」

 メルフィーヌは、かっとなって、そう言った。この長老、エドガーを嫌っているとのことだが、エドガーの方でも嫌っているのだろう。わたしだって、こんなやつ嫌いだ。メルフィーヌは、そう思った。でも、嫌ってばかりいてもラトザールは救えない。

 「“そんなもの”とは何事じゃ! 第一、そんな話、どうやって信じろというのだ。」

 「では、もし、本当ならどうするんですか? 後になって後悔しても始まりませんわ。もし、本当に・・・」

 「“もし”、などという仮定の上に立った議論で、エルドール市民四十万人の命を左右するような決定は下せぬ!」

 長老は、拳で机を叩いた。机の上の花瓶が揺れる。

 「そもそも、理の長老たるわしの責務は、整然たる理論と秩序をもってエルドール市民を指導し、彼らの生活を保証することにある。そのわしが、他の長老どもと同じように一時の感情にほだされて、選択を誤るようなことがあってはならぬのじゃ。どうしても、援軍が欲しくば、このわしを十分納得させるような話し方をせい。」

 長老は、すごい形相でメルフィーヌの方をにらみつけた。ラピは、たじたじとなり、声も無い。メルフィーヌの服の裾をつかまえて身を縮めている。しかし、メルフィーヌは負けていない。

 「それじゃあ、うかがいますけど。あなたがたは臆病者の集まりですか? すぐ隣のラトザールの民衆が、魔の手先どもによって生死の境をさまよっているのを見殺しにするおつもりですか? わたしは、今回の乱変で夫と母を失いました。この子も、・・・」

 メルフィーヌは、隣にしがみついているラピを指し示した。

 「この子も、一夜にして両親を失いました。魔物に殺されたのです。もうこれ以上悲劇を繰り返したくないんです。だから、こうやって援軍をたのみに来たんです。いまや、ラトザールの民衆の唯一の生きる望みは、ここエルドールからの援軍だけなんです。そのために、こんな、こんな小さな子供までが、魔物たちの牙をかいくぐって、命がけでここまで来たんです。こんな小さな子供にさえ示せた勇気の百分の一も、あなたがたは持ってないのですか!」

 メルフィーヌは、ラピの頭を片腕に抱いた。激情に、涙が込み上げてきた。

 「臆病ではない。慎重なのだ。程良い慎重さは、勇気にも優る美徳なのだ。」

 「そんな、絵空事を話すために来たんじゃありません! 援軍をたのみに来たんです!」

 メルフィーヌは、机に両手をついて身を乗り出した。

 「おまえたちは二言めには援軍、援軍と言うが。その援軍となるべき軍隊、その兵士のことを考えたことがあるのか。皆、エルドールの民じゃ。わしには、彼らの命を守る義務がある。また、彼らとて、それぞれ父母、兄弟、妻子、守るべき家族がある。たとえ、兵士のうちの一人とて死んだならば、その死を悼む者、その数は十倍ではきくまい。戦いともなれば、当然、多数の死者が出る。一体、誰が彼らに詫びるのじゃ。」

 「・・・でも、もし、カトマールの軍隊がラトザール地方全てを呑込んで魔の力を借り、このエルドールに押し寄せてきたらどうするんですか? エルドールの市民全員が殺されてしまうかもしれませんわ。守るべき者があるならば、その守るべき者のために戦うのが兵士の務めではありませんか? もし、・・・」

 「その、“もし”という言い方はやめろと言うておるのじゃ!」

 長老は、また、机を叩いた。その時、下男が入ってきて何事か長老に告げた。

 「いましばし待ってもらえ。大事な話の途中じゃ。」

 長老は、下男にそう言った。下男はまた何か耳打ちした。長老の顔色が変わった。ちらりと、メルフィーヌとラピに目をやった。

 「すぐにお通ししろ。」

 素早く、そう下男に言って、メルフィーヌたちのほうに向き直った。

 「話を中断してすまなんだ。いま新たな客人が見えられた。おまえたちの話の真偽を確かめてくれるやもしれぬ。おまえたちもカトマールから来たと申すのならばその名を聞いたことがあろう。ラトザール国王親衛隊筆頭組頭、ガランカ=サミエ殿じゃ。」

 ガランカは、案内も乞わず、窮屈そうに巨体を屈めドアをくぐった。忘れもしないその仕草。ずかずかと長老の前に進み出て片膝をつき、時候の挨拶を述べた。長老も型通りの挨拶を返す。

 「ところで、ガランカ殿、長旅でお疲れのところ、申し訳ないが、ちょうどそなたにご相談願いたいことがありましての。」

 長老は一つ咳払いをして言葉を継いだ。

 「そちらにお見えの客人がたも、つい数日前、カトマールよりこのエルドールへいらしたとのことですじゃ。もしや、ガランカ殿には見覚えなどござらぬか?」

 そう言って、メルフィーヌたちの方を手でさし示した。ガランカは、太い首を巡らしてメルフィーヌを見た。

 「さて、カトマールにも人は多うございますからな。見覚えのあるような、無いような。」

 とぼけた口調。

 「さようか、実はこの者たち、極めて重大なる用件を持ち参っておるのじゃが、そなたに、その事の真偽のほどを・・・」

 メルフィーヌは、席を立ち、つかつかとガランカに歩み寄り、右手を振り上げた。彼女の平手打ちが、ガランカの頬面を捉えた。見事な音。ガランカは、左腕をさし出してメルフィーヌの体をとらえ、自分の胸もとに抱き込んだ。

 「さよう、思い出しましてござる。この者の名はメルフィーヌ=サミエ、このガランカ=サミエの妻にございまする。」

 「わたし、わたし、あなたがしん、死んだと、・・・思って、どんな、どんなに・・・」

 メルフィーヌは、ガランカの胸の中で小さな子供のように泣きじゃくり始めた。もはや、その涙を止めることは出来ない。おいおいと鳴咽を上げ続けた。張り詰めていた糸が一気に切れたように、どんな言葉も口に出すことが出来なかった。

 呆っ気にとられたのは長老の方である。

 「この者の申し上げたこと、すべて事実にございます。いまや、ラトザールは生死の際に立たされております。援軍派遣の件なにとぞご賢慮のほどを、私よりも重ねてお願い申し上げます。このとおり。」

 ガランカは、メルフィーヌを抱いたまま身を屈め、床に手をついた。長老は、その手を自分の手にとった。

 「顔を上げてくだされ。ガランカ殿。そうとわかれば、もはや、わしの愚慮など不用。さあ、勇者メルフィーヌよ、これを。」

 そう言って、長老は懐から小箱を取り出し、メルフィーヌの手にしっかりと握らせた。

 「一時なりともそなたを疑ったこの老いぼれを許してくだされ。いまこそ、エルドールの精鋭防衛軍五千と市民四十万人の命、そなたに、お預けいたしましょう。一刻も早く出陣し、悪魔の軍勢を打ち滅ぼしてくだされ。ラトザールに平和の戻る日をお祈りいたしております。」

 

 ガランカとメルフィーヌは、往来で抱き合い、キスを交わした。通行人がけげんそうな顔で通り過ぎる。

 「ああ、ガランカ、あなた、生きていたのね。一体何があったの?」

 メルフィーヌは、両手でガランカの頬を押えながら尋ねた。聞きたいことは、山ほどある。聞いて欲しいことも。

 「詳しいことは憶えていないんだ。おれは、タケル川の岸辺に倒れているのを助けられたらしい。全身に傷を負い、息も絶えだえだったらしい。そして、山の中に住む不思議な老人にかくまわれていたんだ。ダルマ老と呼ばれていた。傷も快復し、きみがエルドールに向かったと聞かされて、急いでとんで来たんだ。」

 ガランカは、メルフィーヌの手をとって接吻した。

 「わたし、わたし、・・・」

 何から話したらいいのか? 話したいことがいっぱいあり過ぎる。

 「そういう時は、何も話さないのが正解さ。時を置くんだ。きみには、言葉は不要だぜ。」

 「そうだ、ラピが・・・」

 「ラピって、あのチビかい? きみの新しいペットかい?」

 「違うわ! わたしの大事な冒険者仲間よ。」

 「そんな、立派なお方なら、宿屋ぐらい自分で帰れるだろう。心配することないさ。そんなことより、おれが本当に生きているのかどうか心配にならないかい? 実は幽霊かもしれないぜ。」

 「今更、何を言い出すのよ。」

 「確かめる方法があるんだ。」

 ガランカは、メルフィーヌに目くばせした。

 「なに?」

 「幽霊にはまん中の“足”が無いんだ。」

 「そんな変な話、聞いたことないわ。」

 「本当の話さ。おれのひいおじいさんの隣に住んでいた人の親戚の友人が偉い学者だったんだ。その人に聞いたんだから間違いない。」

 ガランカは、そう言って、胸を張った。メルフィーヌは、くすくすと笑い出した。

 「そうね、確かめてみるのもいいわね。」

 「そうだろう? ここに来る途中、知の長老の屋敷に宿を頼んどいたんだ。今夜はそこに厄介になろう。きみの大切なおチビさんには、人をやってことづけてもらったらいい。」

 ガランカは、メルフィーヌの肩を抱き、有無を言わさず歩き出した。

 

 ついに、出陣の朝が来た。エルドール防衛軍五千といっても、警備兵などの駐在任務の者を除くとその数、三千人足らず。それでも、メルフィーヌには、十分過ぎる数に思えた。エルドールの城塞の外に勢ぞろいした兵士たちは、地をうめんばかり。メルフィーヌの心はすでに敵を呑んでいた。

 多数の市民のほか、五人の長老たちも見送りにきていた。でも、メルフィーヌは、性の長老の顔だけはまともに見ることが出来なかった。性の長老のほうではなに食わぬ顔で、供の下男相手に盛んに笑い声を上げている。

 勇の長老が、一本の杖をさし出した。あの絵の中に描かれていた杖だ。

 「メルフィーヌ殿、エルドール防衛軍指令官の印として、この杖を貸し与えよう。これぞ、アスランの杖。そのうち、役に立つこともあろう。」

 柄の先に金色の翼が象られたその杖は、カルハンの雫とともに伝説の魔法器として知られる宝物だった。エルドールの平和のシンボルでもある。

 裁の長老が近づいてきて言った。

 「超古代の戦略家の言葉に、“将、外にあれば、君命も受けざることあり”というのがあります。あなたにこの言葉を贈りましょう。」

 メルフィーヌは、わけもわからずただうなずくしかなかった。どうにも、この老婦人の話は苦手だ。裁の長老は、ちょっと困った様子で周囲をはばかり軽く咳払いをした。

 「出陣したとしても依然として防衛軍の法的な行動決定権は、長老会議にあります。でも、ひとたび外に出た将であるところのあなたには、長老会議の判断を待たずに、あなた自身の判断で防衛軍を指揮する権利が暗黙の了解として認められているということです。」

 裁の長老は、そう小声で説明した。

 理の長老が、二人の男に重たそうな箱を運ばせてきた。

 「これは、路銀とでもいったところだ。軍隊を運営するのにはなにかと金が必要なものだ。その足しにするがよい。」

 知の長老が、一通の手紙を渡した。

 「困った時には、これを、ダルマ老師の所に届けるのじゃ。場所は、夫君のガランカ殿が知っておる。きっと、助けになるじゃろう。ラピ君のことは心配いらん、わしが、責任を持って面倒見るでな。やれ、やれ、教育のしがいのありそうな子じゃて。」

 ラピは、知の長老の屋敷にあずけられることになったのだ。行軍に子供を連れてゆくわけにはいかない。ラピは、見送りの人々の陰から見ているだけで。寄り付こうとしなかった。メルフィーヌは、胸のつまる思いだった。

 性の長老が近づいてきた。

 「わしは、ここにおるシュンスケめを貸してやろうと思っておったんじゃが、ガランカ殿がおられるなら不要じゃな。そういうわけで、わしからの贈物はなしじゃ。ほッ、ほッ、ほッ。じゃが、約束は守ってもらうぞよ。」

 そう言って、また、高らかに笑った。

 いよいよ、進軍開始の準備は整った。兵士たちは、きれいに整列した。見送りの市民たちは、その隊列を遠巻きにして、なお別れを惜しむように固唾を飲み晴れ舞台に立つ兵士たちの挙動の一つ一つを熱い目で見守っている。いまや、指令官の号令を待つのみとなった。メルフィーヌは、指令官の印、アスランの杖をガランカに渡そうとした。

 「わたしより、あなたの方がふさわしいわ。」

 ガランカは、彼女の手を押し返した。

 「おれには、到底、あの長老たち全員を説得することなんて出来なかっただろう。その杖は、きみが持つべきだ。兵士たちもそれを望むだろう。」

 メルフィーヌは、一段高い台の上に立った。ざわめきが止まる。エルドールとラトザールの旗が風に舞っている。メルフィーヌは、唾を呑み込んだ。西の空に向けて、アスランの杖を振り上げる。進め、カトマールへ。一斉に兵士たちのおたけびが上がり、天をも揺るがすかと思われた。

 カトマール炎上から数えて、十九日め。三千の精鋭防衛軍は、エルドールを後にした。

 「指令官殿。」

 行軍の途中で、ガランカが、妙に真面目くさって言った。

 「なによ?」

 メルフィーヌは、思わず吹き出してしまった。

 「あの、すけべじじいと何かあったのか?」

 ガランカは、小声になった。エルドールの性の長老のことだ。

 「なにもないわよ。」

 「じゃあ、約束といってたのはなんだ?」

 「ラトザールに平和を取り戻すって約束よ。決ってるじゃない。」

 「そうかなあ?」

 「あなた、変よ。どうしたの?」

 メルフィーヌは、話題をそらそうとした。

 「心配なだけさ。おれは、地位を失った、屋敷を失った、財産も失った、何もかも失った。今じゃ、エルドール防衛軍指令官の“ひも”といったところだ。しかも、その指令官がこんなにも魅力的とくれば、誰だって心配になるさ。」

 「あなたは、あなた。それだけで、わたしには十分よ。」

 ちょっと、芝居くさかったかな? メルフィーヌは、顔が赤くなるのを感じた。

 

第七話 完

 

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