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ラトザール物語
第八話 軍師(その三)
夜の闇の中、一つの黒い影が現れた。続いて、四っの影が木の上から身を躍らせる。音もなく着地し、寄り集まった。黒い布に身を包んだ五人の男。 「どうだ?」 影の一つが低い声を出した。そこは、森の切れ目の泉のほとりだった。他の影が首を横に振る。 「見失ったか。しかし、そう遠くまでは行ってまい。草の根分けても捜すのだ。城で、シャール様がお待ちだ。」 一人の男が、泉の縁に身を屈め、その水を飲もうとした。初めに現れた男が、その男の肩を押さえた。 「待て。」 そう言って、泉の水面を指さした。星明りの中、魚の白い腹が見える。 「追っ手を巻くためによく使う手だ。毒が放り込んであるのだ。飲めば、数刻で息絶えるだろう。シュンラが、ここに立ち寄ったのは確からしい。すでに、この辺りにはいまい。手分けして捜せ。繰り返すが、発見しても決して手を出すな。気付かれぬように後をつけ、奴らの隠れ家をつきとめるのだ。」 五つの影は、それぞれの方向へと消えて行った。と、その時には泉の水面に浮かんだ魚の腹は消えていた。
すでに東の空が白みかけてきた。森の中の泉は、静まり返り、波紋一つない。早起きの森の小鳥たちが朝のあいさつをかわし始めた。水を飲むために泉のほとりへとやってきた狐が、何物かに驚いて跳び上がり森の中に姿を消した。 白い手が二つ、池のはたにかけられた。水の中から、長身の全裸の少女が現れた。短めの金髪から滴り落ちる水。シュンラは、池の中から立ち、一つ大きく、息をついた。ここは、ルーイのお気に入りだった場所。シュンラは、カトマールの追っ手を巻くために、この池の中に潜み、夜を明かしたのだ。 岸辺の木の根元で、低い声がする。シュンラは、その声の主を見た。それは、布でできた人形だった。村の女の子の持ち物らしい。魔物たちの襲撃の嵐の中、逃げ惑うどこかの家族が落としていった物だろうか。しかし、その人形はいま確かにシュンラの名を呼んだのだ。 「サスケ。」 シュンラは、はずむ息を殺し、低い声で呼びかける。腹話術だ。どこかに気配を消したニンジャが潜んでいるはずだ。 「姉者。エドガー殿が帰ってまいれとのことです。」 人形がそう喋った。 「サスケ。わたし、マークされてしまったの。このまま帰ると、エドガーの身に危険が及ぶかもしれないわ。どこかに、カトマールの追っ手が・・・」 「委細承知。ダルマ老のもとでしばらくかくまってもらうようにとのことです。それから、これは私からです、どうぞお使いください。」 人形はただの布の人形に戻った。その側に女性物の衣装が一式、きっちりとたたんで置いてあるのに、シュンラは気付いた。あの無口なサスケが、こんなまめな性格だったとは知らなかった。シュンラは、そう思った。
シャールは、右足を引きずりながら、エダマ=ルンカの前に進み出た。その顔は包帯で巻かれ、かろうじて片目だけがみとめられた。両手も包帯で覆われている。エダマは、椅子に座ったまま、片手で自分の額を押さえていた。 「今回の失態、どう弁明するつもりだ。」 エダマは、指の隙間からシャールの包帯に覆われた顔を見た。シャールは、言葉も無い。 「用心深いそちのこと、こうなることは十分予測できたのではないか?」 シャールは、顔を上げた。 「さすれば、私は最初に、あのエルフの怪物を即座に殺してしまうよう進言いたしましたはず。それを、殺さずに尋問せよと申しつけたのは、あなた様でございましょう。」 シャールの聞き取り難いくぐもった声。息をするのも苦しそうだ。 「そちは、このわしに責任を転嫁するのか! そちのやり方に誤りがあったまでのことであろうが!」 エダマは、激高した顔でシャールをにらんだ。拳を握りしめた手が震えている。 「しかも、あんな小娘一匹に受けた被害を見よ! 我が護衛兵四十六人が死に、 その倍近い兵が負傷した。しかも、王宮の一角を破壊し、屋根には大穴が開く始末。」 エダマは、椅子から立ち上がった。 「・・・もし、あのシュンラのような怪物が数人で襲って来るとなれば、この王宮も危うくなろう。しかも、エドガー=ハートンもおる。・・・ハートンの力は、あのシュンラよりも上だというのか? そち、ならば知っていよう。」 エダマの言葉に、シャールの片目が微かに笑ったように見えた。エダマは、この魔法使いの顔を間近に見据えていた。醜い男だと思い、背筋に生理的な嫌悪感を憶えた。 「比較する対象ではありますまい。ドラゴンと人間の赤子のごときもの。」 エダマは、肩を落し考え込む様子。 「・・・魔王アーサー復活まで、あと、二ヶ月余り。なんとしても、奴らの攻撃をかわさねばならぬ。そちだけが頼りだ。今日は、怒鳴りつけて悪かった。そなたは、わしにとって大切な友人。怪我もひどい様子。お疲れであろう。ゆっくりと静養して、変事に備えて欲しい。」 エダマは、そう言ってシャールの手をとった。 「我々にはあの古代の魔力を持った機械兵がおります。ご安心のほどを。しかも、さらに奥の手もありますれば。」 シャールは、静かにそう言った。 「そなたの言う奥の手とは、例の女のことか? あれは、使い物になりそうなのか?」 もと国王の妾であったヨーコのことだ。サイキックだとかいうことで、シャールによって薬漬けにされ、毎日、妖しげな部屋で妖しげな男に抱かれているという。エダマには、シャールの道楽の一つとしか見えなかった。 「それは、また、後ほどご自身の目でお確かめのほどを。」 シャールは、そう言ってくっくっと笑った。しかし、その笑いもかなり苦しげだった。エダマ=ルンカ、この中間管理職にとってこのおれが重宝であるのは、エドガーの脅威が存在している間だけのことらしい。シャールは、そう考えていた。エドガーを始末してしまえば、すぐにお払い箱となるだろう。おそらくは、邪魔者として殺そうとするに違いない。その時になって初めて、今回の失敗を上段に振りかざしてくることだろう。しかし、そんなことは、エドガーを始末してから心配すれば済むこと。その時には状況も変わっていよう。いつまでも、こんな去勢した男の下で働くつもりは毛頭ない。シャールは、うやうやしく頭を下げてエダマの執務室から消え去った。 エダマは、その足で地下迷宮の結界の奥へと進んだ。彼も、気苦労の多い人間なのだ。だが、彼はその気苦労を彼の生活を形成する重要な一部品として許容しているようだった。それは、側近としての彼の人生の全てであったと言ってよい。 「シャール=ザマの件、そちの人選ミスであったな。」 迷宮の暗闇の奥から声がする。声のみでその主の姿は見えない。エダマは、迷宮の冷たい石の床に膝をつき頭を下げた。マスター・ゼーダの声が続く。 「いましばらくで、頼りになる男がこの国に到着する。わしの腹心の者だ。我が軍の軍師として十分にその才能を発揮してくれよう。あの薄汚い魔法使いの始末はその男に任せるとしよう。」 暗闇の中の声は、笑いのため微かに震えているように思えた。 「ところで、エルドールの反応について何か報告はあったか?」 「いまだに何の動きも見られないとのことです。すでに我らの使者が到着している頃なのですが。」 エダマは、また頭を下げた。どうしてこう内外に心配の種が多いのだろう。彼は、そう思った。頬を冷汗が伝い落ちる。 「エルドールは、戦いを好まず、和平交渉に出て来る腹であろう。我らは軍師殿との合流を待って、カトマールの全軍をもって兵を進め、彼らの開城を促すのだ。そして、エルドールの海軍力を無傷のまま奪い取り、一気に全世界に向けて覇を唱えるのだ。先ずは、後の憂いを絶つために、農民どもの立てこもった砦を一つ一つ踏み潰し、魔物どもに武器を与え、我が軍に吸収するとしよう。オークやコボルトどももさぞかし勇敢な兵士となることであろう。」 「魔物に武器を与えるので・・・?」 エダマは、面食らった顔をした。 「暗黒の魔王さえ復活すれば、奴ら魔物を手なづけるのはたやすいこと。優秀な統率者さえ現れれば、烏合の衆に過ぎない魔物たちも世界最強の軍団へと変貌をとげよう。狂君主ブルーノの果たせなかった世界制覇の夢は、いとも簡単に我らの手の中へと転がり込んでくるのだ。」 暗闇の中の声は小刻みに震えていた。 「して、魔王復活まで、あといか程?」 「万事、順調に進んでおりますれば、あと二ヶ月程のご猶予を。」 エダマは、頭を低くしてそう答えた。 「そうか、くれぐれもよろしく頼んだぞ。全ての事成った時に、そちの功績には十分応えるであろうぞ。人間とは、物欲によって動くもの。物の流れを制する者にこそ世界を制する権利があるのだ。」
シュンラは、急な谷川の流れに足をとめた。サルテラ山塊の奥、カンナ山の中腹である。吐く息が白い。見上げるとカンナ山の頂は万年雪に覆われている。雲一つない青く澄み渡った空。渓流の水音が耳に響く。少女は、景色に溶け込むように同化した。自然が彼女の体を取り込んだ。夜が来て、また、朝になった。この百九十三年間の時を生きてきたエルフの少女にとって、時間は、人族のそれとは別の意味を持ち、異なった流れを示す。長くなったり、短くなったりする。ある時はゆっくりと過ぎ行き、ある時は馬車馬の走り去るのを壁の穴から見るようなものともなる。谷底から見上げる星空の目くるめく変動に心を奪われ、夜の帳が明けるに従って、山の峰を抜けでる空の色の躍動的なその変貌に魅せられる。今年初めての雪が少女の薄紅色の頬に触れ淡くも解け去った時、シュンラのしなやかな四肢は、再びその本来の動作を開始した。それは、若木に足が生え歩き出したかのような光景だった。 ダルマ老師の古ぼけた山寺は、すでにうっすらと雪化粧をしていた。朝の支度のための煙が細く立ち登っている。シュンラは、案内も乞わず破れ門を通った。そして、中央の大きな屋根の建物へと向かって歩いた。途中数人の修行僧がシュンラの姿をみとめ、軽く会釈をした。シュンラも儀礼的な会釈を返す。彼女はサスケに用意してもらった服を着、村里の娘のようないでたちだった。 ダルマ老師は、板張りの床の中央に足を組んで座っていた。禿げ上がった頭、赤ら顔の恰幅の良い老人だ。老師はシュンラの姿をみとめると、にこやかに声をかけた。 「シュンラか、カトマールでだいぶ暴れたそうじゃのう。」 シュンラは、片膝をついた。 「・・・はい。」 珍しくしょげかえったシュンラの様子に、老人は静かな笑い声を上げた。 「最近は、世間が騒がしゅうなって、この山寺もにぎやかになったものよ。つい最近まで、カトマールのガランカ=サミエ殿というお方がお見えじゃったわ。そなたの知り合いであろう。」 「ガランカが? 死んだはずじゃ・・・?」 シュンラは、ガランカについての一件を知らない。 「エドガー殿とエリザベス殿が見えられての、置いていかれたのじゃ。ひどい怪我じゃた。エドガー殿は、名前を出してくれるなと言うものでな、適当にごまかして治療を終え、エルドールへ送り出してやったわ。いま頃は、もう到着しておることであろう。そなたと同じで、おそろしく元気なお人じゃったわ。」 ダルマ老は、また笑い声を上げた。 その時、一人の男がふらりと、座敷に入ってきた。 「これは、これは、シュンラ様。お久しゅうございます。あい変わらず、お美しゅうございますな。」 細く青白い顔の、痩せた男である。袖の長すぎる衣服を身にまとい、頭のてっぺんに結い上げた髪に赤い布の髪飾りをつけている。嬉しそうに、シュンラの側に寄ってきた。 「あんたは、あい変わらず、不健康そうね。チョウリョウ。まだ、星占いなんかに凝ってるの?」 シュンラは、そう言った。 「占星術ですかな。あれは、もう、止めました。あまり当たりませんのでね。最近は、専ら、幽体分離などを趣味としております。食を絶ち、身を軽うする術ですよ。」 そう言って、チョウリョウは、愉快そうにカラカラと笑った。
第八話 完
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