ラトザール物語

 

 

第九話              勝利の女神(その一)

 

 エルドールを出発して二日め、メルフィーヌの率いるエルドール防衛軍は、タケル川に沿って一路西へと行軍を続けていた。そして、王子ダンが非業の最期を遂げた場所へとさしかった。死体はすでに魔物に暴かれてしまったらしい。土を盛っただけの急ごしらえの墓は乱雑に荒らされていた。メルフィーヌは、全軍の行軍を止めた。魔物に命を奪われた冒険者を弔う場合の作法通りに墓を造り直し花を供え、全員で黙祷を捧げた。カトマールに巣食う逆賊エダマ=ルンカの一味を討ち、ラトザールの民衆の背負わされた辛苦を拭い去ることが軍の行動目的であると全軍に向けて布告した。メルフィーヌは、悲運の王子に思いを馳せ、目頭に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

 「ラトザールに平和を。」

 エルドール防衛軍三千の将兵は、その王子ダンの最期の言葉を一斉に叫び、天を仰いだ。エルドールとラトザールの旗が揺れる。今ここに、王子ダンの悲願は日の目を見ることになったのだ。

 事は急を要する。カトマールの魔の軍勢が動き出す前に、各地に散らばるラトザールの民衆の立てこもった砦を魔物の手から解放しなければならない。メルフィーヌは、行軍の速度を上げるよう命令した。一番近い砦はサンの砦だ。急げば日が暮れるまでに着くことが出来るだろう。

 「さっきの王子ダンの話。本当の話かい? もし、創り話だとしたら、君は大した策略家だってことになるぜ。」

 再び行軍が開始された後で、ガランカが、メルフィーヌの耳元に口を寄せてそう言った。彼は、今や指令官メルフィーヌに従う将校の一人だ。

 「本当よ。私が嘘をつくはずないじゃない。」

 メルフィーヌは、むっとして言った。

 「ふうーん。おれの知ってる第九王子ダンは、温室育ちのぼんぼんでとてもそんな勇気ある男には思えなかったがね。君はちょっと彼を美化し過ぎてるんじゃないかい。それとも彼に惚れたのか。」

 「あきれた! あなたったら、死者にまでやきもちを妬こうとしてるのね。ええ、そうよ。王子様はあなたと大違い。あなたみたいに、野卑で乱暴で横柄じゃなくて・・・」

 「そうじゃなくて、なんだって?」

 ガランカは、メルフィーヌの肩を抱き寄せた。目と目が逢う。

 「もっと離れて歩いてちょうだい。全軍の士気にかかわるわ。」

 メルフィーヌは、ガランカの腕を振り解いた。

 「了解。指令官殿。」

 ガランカは、素直に従った。メルフィーヌの数歩先を規則正しい歩調で大股に歩き始めた。

 「ねえ、ガランカ。ブルーノ陛下には何人の王子がいたの?」

 メルフィーヌが尋ねた。

 「十四人だ。一番小さな王子はまだ二才。それに姫君が十六人、国元にいたのは、そのうちの五人だ。でも、君の話だとみんなエダマに殺されてしまったらしいな。お気の毒なことだ。」

 ガランカは、歩きながらそう言った。

 夕暮れ近く、サンの砦に急行軍で辿りついたメルフィーヌの軍勢は、軍容も立て直さず、そのままの勢いで、砦を囲む魔物の群れを襲った。魔物たちは、突然の敵襲に算を乱して逃げ走った。もともと、指揮系統も無く血を求めて寄り集まっただけの魔物たちはエルドールの精鋭正規部隊の敵ではなかった。ガランカは、先頭に立って戦い、剣をふるい魔物の群れを蹴散らした。オークや、コボルトなど低級の魔物は彼の前に立つことさえ出来なかった。ほんの数分間の戦闘で、サンの砦は解放され、メルフィーヌは初めての勝利を得た。

 砦の民衆はラトザールの旗を目にして狂喜した。夕闇の中、かがり火を焚き、突然現れた援軍を総出で迎えた。エルドールの兵士とラトザールの民衆は手をとり合い、肩を組み合って踊り狂った。大人たちに負けじと子供たちも大いにはしゃぎまわった。まさしくお祭り騒ぎだった。

 歓待の騒ぎが一段落し、兵士たちを砦に休ませると、メルフィーヌは、砦内の武器を持てそうな大人全員を広場に集合させ、ラトザール全土を襲っている魔の手について説いた。敵はカトマールにある。メルフィーヌの以外な言葉に人々は戸惑いの色を隠せなかったが、王子ダンの話などから、それが正義の戦であることを知った。立ち上がれ! メルフィーヌは、叫んだ。ラトザールを救うために、武器をとれ。メルフィーヌは、そう大声で叫び、エルドールから用意させてきた武具を彼らの前に並べさせた。生まれてから一度も武器を持ったことのない者が大半である。彼らは静まり返りお互いの顔を見合わせた。メルフィーヌは、説き続ける。

 「いまや、ラトザールは生死の際に立たされています。魔の暴虐をこれ以上見逃すことは出来ません。カトマールの賊軍は、我々の育むべき国土を踏みにじり、我々の愛すべき家族を皆殺しにしようとしています。さあ、あなた方も、自らの守るべき者のために戦うのです。立ち上がるのです。」

 メルフィーヌは、そう叫んで、エルドールの平和の象徴、アスランの杖を振りかざした。長い黒髪が躍り乱れ、遠目にも見目美しい彼女の体を飾った。エルドールで急いで仕立てさせた指令官用の盛装が風に揺れる。それは、まさしく美しい勝利の女神の姿として人々の目に映った。

 「逆賊エダマ=ルンカに死を!」

 「ラトザールに平和を!」

 「進め、カトマールへ!」

 人々は口々に叫び、拳を振り上げながら一歩、二歩と前に出た。ついにはメルフィーヌを囲んでの大合唱となった。全員、先ほどの歓待の宴で酒が入っている。久しぶりに魔物の包囲から解放された安堵感も手伝った。座して死を待つよりは、立ちて生きよ。メルフィーヌの叫び声に、人々の心は一つに結ばれた。

 「おれは、とんでもない女を妻にしてしまったんじゃないかと悩んでるんだ。」

 部屋の中で二人っきりになるとガランカがそう言った。砦の顔役が指令官メルフィーヌのために用意してくれた部屋だ。

 「なによ。急に。あなたらしくもないわ。」

 メルフィーヌは、笑っている。彼女は、すでに夜衣に着替え髪をすいていた。

 「今日の砦の連中の目を見たかい? 君の信奉者がこれ以上増えたら、おれは心配で夜も眠れなくなるんじゃないかって悩んでるところなんだ。」

 ガランカの大袈裟な身振り。メルフィーヌは、くすくすと笑っている。

 「女神様。哀れな私めの悩みを安らげて下さい。」

 ガランカは、そう言って、メルフィーヌの足の前に膝まずき、彼女の膝に頭を乗せた。

 「いやだ。もう。へんなことしないでよ。」

 メルフィーヌは、笑いながらガランカの頭を押し退けようとした。

 「じゃ、こういうことならいいかい?」

 ガランカは、メルフィーヌの夜衣を解き、彼女の両足の間に手を滑り込ませた。メルフィーヌの上体が寝台の上に倒れた。ガランカは、彼女の体に覆い被さるように身を屈め、メルフィーヌの耳元で二言、三言ささやいた。

 「あん。もう、いやだ。恥ずかしい。」

 メルフィーヌは、両手で自分の目を覆って、微かな声を漏らし始めた。

 「心配で眠れない上に、君がこうして眠らせてくれないんだから、おれは、間違いなく寝不足になると思うね。」

 ガランカは、そう言って、その大きな全身を使ってメルフィーヌの体を愛撫し続けた。

 

 カトマールのさらに西、歩いて三日ほどの距離にあるスラニの砦は、日に日に激しさを増す魔物の襲撃に曝されながらもなんとか持ちこたえていた。それには、イッキュウ、ロアルドなどの親衛隊士の働きによるところが大きかった。しかし、砦の人々は一向に到着しないカトマールからの援軍を待ちくたびれ、日増しに絶望の表情を各々の顔に刻んでいた。さらに、食糧も乏しくなってきている。何人かの勇気ある若者が食糧を集め持ち帰るために砦を抜け出したが、そのほとんどは二度と帰ってはこなかった。時折、翼のある魔物が恐怖に震える砦の人々をあざ笑うかのように上空をかすめ飛ぶ。中には、砦の外で命を落とした哀れな犠牲者の首や臓物などを砦の中に投げ落とす魔物もいた。飛び槍や矢などの武器も不足してきた。

 イッキュウは、砦の顔役に呼び出され相談を受けた帰り、土の壁でこしらえた廊下でフレイアに出会った。フレイアは、イッキュウと顔役の相談の内容が気になっていた。

 「カトマールからの援軍について尋ねられました。いつもの事です。そして、援軍が来てくれないのなら、誰かカトマールまで行って、我々の窮状を説明してきてはどうかと言われました。暗に私への催促だったのでしょう。」

 イッキュウは、そう言った。

 「カトマールの実態を隠し通すのも、もう、限界かもしれないわね。」

 フレイアは、声をひそめて言った。スラニの砦の人々は、今でも、カトマールの王宮を味方と信じ込み、その援軍のみを頼みにその日、その日を耐え暮らしているのだ。しかし、カトマールは、すでに魔の手に落ちている。その事実を知るのは彼らカトマールから逃げてきた親衛隊士たちのみだった。他は、メルフィーヌの子供たちの乳母メイヤと小間使いの赤毛の少女レダ。今まで、秘密が守られてきたこと自体、神に感謝すべきかもしれない。口のきけないレダは別としても、メイヤの口の堅さは大変なものだ。トロール族の女性というものは、皆、こうも我慢強く苦難を耐え忍ぶことができるのだろうか。フレイアは、そう思った。

 今もし、カトマールの秘密が漏れたら砦の人々は生きる希望を失い、絶望に打ちひしがれることだろう。多くの者が魔物の隙をついて砦を脱出しようとし、その命を無駄に落とすかもしれない。だが、どのみち、人々を騙し通すのは限界にきているようだ。

 「今となっては、メルフィーヌ様の残した言葉に最後の望みをつなぐしかないのかもしれないわね。」

 フレイアは、そう呟くように言った。エルドールに援軍を要請するために行くとメルフィーヌが突然言い出し、砦を旅立ってすでに二十日が過ぎようとしている。もし、順調に行けばすでにエルドールへ到着したはずだ。しかし、砦を抜け食糧を集めに出ることさえ困難な現状で、普段の旅でも十日以上かかるエルドールに女一人が無事辿り着ける可能性は極めて薄いように思われた。彼ら親衛隊士たちは、折りに触れて、メルフィーヌのことを話題にしていた。それは、かつての組頭、ガランカの妻に対する礼儀であり、また、彼女を半ば見殺しにしてしまった自分たちのささやかな罪滅ぼしでもあった。あの時、力づくででもメルフィーヌのエルドール行きを押しとどめるべきだったのかもしれない。

 「僕は、カトマールへ行ってみようと考えているんです。」

 イッキュウの声に、フレイアは、驚いて顔を上げた。

 「・・・気でも違ったの? カトマールの空も土も血で赤く染まったあの夜のことを憶えているんでしょう?」

 「もちろん憶えています。でも、確かにもう限界なんです。それに、あれ以来、カトマールの詳しい状況を知らせてくれた人もいない。もしかすると、状況は改善に向かっているのかもしれない。誰かが様子を見に行くべきだと思います。」

 「逃げる気ね・・・。この砦の人々を捨てて、あなただけ生き延びるつもりでしょう?」

 仲間うちの誰もが一度は、心に思い、決して口には出せないでいたその言葉が、フレイアの唇をついて出た。

 イッキュウは、しばし無言で、フレイアの顔を見ていた。驚き、信じられない物を見るような目付きだった。イッキュウは、フレイアの瞳の中に映る自分の姿を見ていただけかもしれない。やがて、口を開いた。

 「・・・フレイア、あなたが、ロアルドと愛し合っているのを目撃した者がいるという噂だ・・・。本当ですか?」

 「事実よ。」

 フレイアは、顔色一つ変えずにそう答えた。

 「どうして・・・? 僕の、あなたへの想いは知っているはずなのに。」

 イッキュウの唇が小刻みに震えていた。

 「それこそ、どうして、わたしがあなたの想いに縛られなければいけないの? あなたの想いには応えられないとはっきり言っといたはずよ。もう、何べんも言ったでしょう。」

 「じゃ、あなたは、あのロアルドを愛しているんですね。」

 「そんな、ご大層な事じゃないわ。ただ単に、彼がわたしにとって許されるべき人間だったってことだけ。それだけの事よ。それに、そんなこと、いちいちあなたに説明すべきことでもないわ。」

 フレイアは、そう言い放って、顔をそむけた。

 「とにかく、今は仲間同士で争っている場合ではないわ。みんなで力を合わせなければいけないのよ。あなたがこの砦を出ることは絶対に許さないから。みんなも同じ考えのはずよ。」

 フレイアは、命令的な口調でそう言った。

 

メインページに戻る     続きを読む