ラトザール物語

 

 

第十話              敗軍の将(その一)

 

 ダルマ老師の山寺はすでに一面の雪景色に覆われていた。すでに山の小動物たちは、ねぐらに閉じこもっているのだろう。空腹そうな一羽の鷹が空を舞っていた。エルフの少女シュンラは、その鳥を見上げていた。彼女が座っているのは、高い木立の枝だ。地上から三十メートルの高さはあるだろう。はるか足元の方で人の声がする。声の主は、チョウリョウだった。木立をわたる風に吹き消され、よく聞き取れないが、大げさな身振り手振りで何かを訴えている。シュンラは、舌を鳴らし、枝から飛び降りた。両手を広げ、音もなくチョウリョウのすぐ側に降り立った。まるで、羽のある生き物のような身のこなしだ。

 「シュンラ様、あの枝の方角は、よろしくありませんぞ。六天星の今日と明日は避けた方がよろしゅうございます。美容に悪るうございます。肌も乾燥する時期ですから、気をつけませんと。」

 「あんた、そんなこと言うために、わざわざ、わたしを木から下ろしたの?」

 シュンラは、むっとして言った。

 「木から下りたのはシュンラ様の意思でしょうに。それにしても、いつもながら見事な身のこなし、うらやましゅうございます。私も、あのように高い枝に登ってみたいものです。どんなにか世の中がよく見渡せますものか。」

 「そう。じゃあ、おいで。」

 シュンラは、チョウリョウの襟元を片手で掴んだ。いつもなら、ここで悲鳴を上げて逃げ出すはずのチョウリョウが、その手を両手で握り返した。

 「木の上の世界に連れて行ってくださるので?」

 そして、そのままシュンラの華奢な体を自分の懐に抱き込んでしまった。

 「ちょっと。やだ、何すんのよ。」

 シュンラは、軽くチョウリョウの体を引き離そうとしたが、彼は、必死にしがみつくばかりだった。もはや、抱き付かれているという表現の方が近い。

 「あんな高い木に登るのです。こうやって、しがみついていないと危のうございましょう。」

 いくらチョウリョウがやさ男だといっても、男は男である。ぴったりと寄り添って見るとシュンラよりだいぶ体の線が太い。背の高さは、同じくらいだった。

 「わかったわ。でも、途中でべそかかないでよ。・・・それから、もし、変な事したら、突き落とすからね。」

 シュンラは、チョウリョウの腰を両手でしっかりと抱えたかと思うと、その次の瞬間には、土を蹴って跳び上がっていた。まず、近くの太い枝、そして、その上へ、男の体重を支えたまま手も使わず、両足だけで、どんどんと木の高い枝へと跳び移ってゆく。チョウリョウは、甲高い悲鳴を上げて、シュンラの体に抱きついた。たちまち、地面が遠くなっていった。

 「で。この枝の方角が悪いっていうわけね。」

 先ほど座っていた枝の上で、シュンラは、立ち止まった。ここまで登ってくるのに、少しだけ息を荒くしている。チョウリョウは、恐る恐る目を開けた。

 「うわああ! シュンラ様、こんなところで立っていては危のうございます。滑り落ちまする。」

 「大丈夫よ。ほら。」

 シュンラは、反対側の方角にのびた枝に腰をおろした。チョウリョウの体を幹と自分の体で挟むように座らせてやった。

 「ところで、いつまで、しがみついているつもり?」

 「この枝、折れませんかな?」

 「さあね。折れる時は折れるわよ。」

 そう言って、シュンラは、少し枝を揺らした。チョウリョウは、また悲鳴を上げてシュンラに抱きついた。その慌てぶりが可笑しかったのか、シュンラは、くすくすと笑い出した。

 「やっと。笑顔を見せてくださいましたな。シュンラ様。この山寺にいらっしゃって初めてです。シュンラ様には、笑顔が一番似合いまする。」

 急にチョウリョウは、真顔になってそう言った。シュンラの笑いが止まった。目を上げると見晴らす彼方は、王都カトマールの方角だった。人族の視力では、布地に針で開けた穴ぐらいにしか見えない王都も、彼女のエルフの目ではその奇怪な尖塔の一つ一つまではっきりと見分けることができる。魔法使いのシャールに受けた仕打ち、種馬のように荒い息を上げて近づいてくる男の顔、この素足で胸板を踏み抜いて殺した兵士の断末魔の叫び、そんな光景がシュンラの脳裏をかすめ、言葉にならない思いが胸に込み上げてきた。

 「シュンラ様は、涙を流したことがありますか?」

 シュンラは、チョウリョウの顔を振り返った。横向きに抱き合ったままで、ほんの少し首をのばせば唇が触れ合いそうなほど、二人の顔が接近している。エルフの少女の金髪がさらさらと風に揺れる。

 「涙?」

 たぶんあるだろう。シュンラは、自分に問いかけた。でも、それは、いつのことだろう?百九十三年間生きてきて、最後に泣いたのがいつだったか思い出せない。まだ小さい子供の時、ルーイが遊んでくれないと言ってだだをこねて泣いていた自分の姿が思い出されてきた。あの時から、ルーイは、まったく変わっていない。今と同じ少年の姿のままだ。その美しい少年の姿を彼女はいつも目で追っていた。

 “ルーイ”

 シュンラは、目を伏せた。

 「涙をため込むのは体の毒でございますよ。言葉にできない心の棘を押し流すために、あるものですから。泣きたい時は、泣く。笑いたい時は、笑う。それが自然の摂理でございます。」

 シュンラは、両手で目を覆った。細い肩が嗚咽で震えている。チョウリョウは、その背中をさすった。

 「生きとし生ける物は、自らの持つ時間に同調できる命を愛するものです。自らの命をつなぐためです。時間を持たぬ物を愛することはできません。」

 シュンラには、チョウリョウの言おうとしている意味がわかるような気がした。“時間を持たぬ物”、不死の存在、わかっている。わかっているんだけど、わたしは、彼らの一族に育てられたのだ。そして恋をした。美しい永遠の少年に。でも、それは、わたしとは異質なるもの。エルフである彼女にも有限の時間はあるのだ。エルフの少女は、過去との決別の時が迫っていることをその体で悟っていた。

 シュンラは、涙を拭い、顔を上げた。チョウリョウの目が間近で、彼女の緑色の瞳を覗き込んでいる。シュンラは、唇を彼の唇に重ねた。

 「チョウリョウ、あなた、わたしが怖くないの?」

 「とんでもございません。初めて見たときから、ずっとシュンラ様が好きです。口を吸い合うことができて、もう天にも昇る気分でございます。」

 そう言って、再び唇を重ね合わせた。あまりキスに夢中になりすぎて、枝から滑り落ちそうになり、チョウリョウは、また甲高い悲鳴を上げた。シュンラは、笑いながら、彼の体を両腕と膝の間にしっかりと支えてやった。

 「ところで、・・・あなた、女の体を愛する方法を知ってるの?」

 シュンラは、彼の結い上げた髷の赤い髪飾りをひっぱりながら尋ねた。

 「はい。ダルマ老師が手ほどきしてくださいました。」

 チョウリョウは、真面目くさった顔でそう言った。シュンラは、ふきだし笑いを漏らしてしまった。あの老師がそんなことをするはずがないが、その光景を思い浮かべただけで笑えてしまう。

 「じゃあ、わたしを抱いて。この際だもの、あなたの子供でもいいってことにするわ。」

 

 シュンラとチョウリョウは、山寺の奥まった部屋で抱き合った。お互い全裸になるとチョウリョウの体はしっかりと男の体だった。結構、頼もしいかも・・・。シュンラは、そう思った。チョウリョウは、彼女の長い足の間に顔を埋めてその奥の蜜壺を音を立ててすすった。シュンラの体が女としての反応を示す。

 “どうしよう、こんな時は、何か声をださなきゃ。でも、聞かれるのが恥ずかしい。”

 シュンラは、顔を手で覆って、喉の奥から声ともつかぬ音を搾り出した。初めは微かに、そしてだんだん激しく。チョウリョウは、上体を起こし、彼女の乳首を吸った。シュンラは、彼の頭を両手で持って“優しく”そう心の中で思いながら自分の方に引っ張った。激しく重なる唇。もつれ合う舌と舌。チョウリョウは、腰を押し進めた。シュンラは、思わず、小さな叫び声を漏らした。そして、彼の体にしがみついた。チョウリョウは、忙しく腰を前後に動かし始めた。

 「シュンラ様・・・」

 チョウリョウが彼女の耳元でささやいた。

 「シュンラ様、入っております・・・」

 シュンラは、答えられない。彼の体にしがみついているのが精一杯だった。

 「うっ・・・!」

 チョウリョウは、短い声を漏らし、目くるめく深みへと落ちて行った。

 

 「シュンラ様、チョウリョウ、老師がお呼びです。」

二人が抱き合ったまま一息ついているところで、部屋の外から使僧の声がした。服を着て、廊下に出る。寒い。シュンラはそう思って、思わず彼の体に身を寄せた。大きな祭壇のある部屋の中で二人並んで座った様子を見たダルマ老師は、意味ありげな笑みをこぼした。

 「思いを遂げたようじゃな。チョウリョウ。」

 「はい。老師のご指南のおかげでございます。」

 彼は、深々と頭を下げた。シュンラは、二人の会話に、内心驚いた。まさか、本当にあの手ほどきを受けていたのだろうか。その顔を見て、老師は、また笑った。

 「お気にめさるな。チョウリョウには寺を上げて訓練したのじゃ。ほれ、専門書も取り寄せての。」

 そう言って、老師は、真面目な顔で一冊の本を見せた。しかし、それは、エルドールの男性が好んで読む低俗な読み物だった。題名は、週刊プリースト。表紙をいかがわしい姿の女性の絵が飾っている。この男ばかりの山寺の中で、訓練って・・・。シュンラは、それ以上詮索するのを止めることにした。

 「そこで、わかっているとは思うが、チョウリョウ、おまえには、ひまをもうしつける。もう、わしの弟子でもない。」

 チョウリョウは、無言で深々と頭を下げた。シュンラは、慌てた。

 「それって、わたしのせいで・・・」

 「もちろん、それもあるが、もっと重大な理由がありますのじゃ。」

 老師は、チョウリョウに向き直った。

「つい先ほど入った情報によると、エルドール軍とカトマール軍がアスカの谷で戦闘に入った。カトマール軍は、退き、エルドール軍は追撃を急いでおる。」

 「まずうございますな。最も恐れていた展開です。」

 「うむ。エルドール、そして、ラトザールの民の命運がかかっておる。すぐにたて。もちろん行き先はわかっておるな。問題は、間に合うかどうかじゃ。」

 ダルマ老師は、シュンラの方を向いた。

 「シュンラ殿、チョウリョウをたのみましたぞ。」

 そう言って、シュンラに頭を下げた。

 「でも、負けているのはカトマールの賊軍でしょ。恐れていた展開って何なの。」

 「シュンラ様、カトマールの罠にございます。もう一刻の猶予もありますまい。」

 チョウリョウはすでに立ち上がっている。

 「天命を無事果たした後は、チョウリョウ、もし、生きていればの話だが・・・」

 老師は、怖い目をしている。

 「その時は、残りのおまえの時間、シュンラ殿のために添い遂げよ。よいな。」

 

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