ラトザール物語

 

 

第十話              敗軍の将(その二)

 

 チョウリョウとシュンラは、老師の用意してくれた一頭の馬の背に乗り、山寺を後にした。チョウリョウが手綱をとり、シュンラは、彼の腰を抱くようにつかまっていた。二人とも僧衣から、農村の若者風の衣服に着替えている。その姿は、村の若いカップルそのものだった。

 「チョウリョウ、あなた、メルフィーヌの軍に合流するつもりでしょう。」

 「エルドール防衛軍総指揮官ですな。そうです。」

 “やっぱり、そうよね。”シュンラの心の中で心配の種が頭をもたげてくる。

 「あなた、山寺から外の世界に出たことあるの?」

 「ありません。赤子の時に捨てられ、それ以来、山寺で育てられましたからな。でも、書物がありますれば、山寺に座したままでも、千里の先も、手のひらの中にあるがごとく見通すことができまする。老師は、いつもそう教えてくださいました。」

 “エロ本で女の抱き方を勉強したくせに、よく言うわ。”シュンラは、そう思った。“でも、結構よかったみたい。”彼女は、顔が紅潮するのを感じ、彼の背中にぎゅっと抱きついてやった。

 「シュンラ様、あまり強く抱きますと骨が折れまする。」

 チョウリョウは、彼女の腕の中で悲鳴のような声を上げた。

 

 暗い大きな洞窟の中を進む二人の人影があった。頭から黒いマントを被った少年と少女だった。エダマ=ルンカの反乱以来、冒険者の姿は消えている。この洞窟をねぐらにしていたであろう下級中級の魔物どもの姿も今は無い。魔の力の増大と共に地上に溢れ出てしまったのだ。子供だけで入ってこられるような場所ではないはずだ。それでも、二人の足取りはしっかりとしていた。恐れ迷う様子もなく闇から闇へと突き進んでゆく。静かな洞窟の中に水の流れる音と小さな足音だけが響いていた。

 「お兄さま。」

 少女が足を止めた。すぐにもう一人の少年が近づく。少女の指差す岩の表面に溶けたような跡がある。

 「あの子よ。ジークですわ。」

 エリザベスは、そう言った。銀色の長い髪の一部がマントからこぼれている。

 「そう遠くないな。」

 エドガーは、岩の表面の感触を確かめながらそう言った。その時、遠くの方でキュルキュルと何か擦れるような音がした。

 「伏せて!」

 エドガーが叫ぶ。その瞬間、広い洞窟の中が赤く輝き、その次に炎の渦が猛り狂うように襲い掛かってきた。さっきまで二人がいた場所にはもう人の影は無い。

 「ジーク!」

 洞窟のどこかでエリザベスの声がする。

 「怖がらないで。迎えに来たのよ。寂しかったでしょう。いい子ね。」

 闇の中で巨大な二つの目が光っている。エリザベスは、その目の前に立って白い細い腕を差し出していた。グッグウグと地面を揺するような音がする。

 「再会を喜んでいる時間はあまりないよ。すぐに、マーシとザークを探さなきゃ。」

 エドガーは、近くの岩にもたれかかっていた。まるで、子犬とじゃれあう少女でも見ているような目だ。

 「この子、お腹を空かしているわ。」

 少女がそう言った。

 「餌になるオークやコボルトが消えたせいだよ。じきに腹いっぱい食わしてやるさ。」

 そう言って、エドガーは、岩に身を預けたまま微かに笑った。

 

 魔法使いのシャール=ザマは、何かに怯えるように逃げ走っていた。しかし、彼を追う者の姿は無い。姿の無い相手から逃げ回るのは無駄なこと。彼は、わかっていた。しかし、逃げずにいられない。

 「この俺様が、生き餌に使われるとはな。魔王アーサーの片腕とまで言われた俺様も落ちたもんだぜ。」

 ようやく目的の場所についたのか、彼は、立ち止まり、溜息をもらした。いつの間にか黒装束の男たちが彼の周りを囲んでいる。ニンジャの一群だった。

 「シャール様、お待ちしておりました。」

 ニンジャの中の一人がそう言って、膝をついた。それは、これまでも彼の影となり働いてきた者たちだ。エルドール国境の岩場でシュンラを捕らえたのも彼らだった。

 「もう城にはもどれぬ。エダマの奴、俺様をエドガーたちをおびきだす餌に使うつもりだ。あの負け戦は初めから仕組まれたものよ。だが、エドマにこんな手の込んだことができるとも思えぬ。誰か、エダマの後ろで糸を操っている奴がいるはずだ。」

 「調べますか?」

 膝をついたままのニンジャが尋ねた。

 「無駄なことよ。それよりも、わしの護衛に集中してくれ。血に飢えた坊やが一人、罠にかかるはずだ。」

 そう言って、シャールは、くつくつと気忙しい笑い声を漏らした。

 

 チョウリョウとシュンラは、カンナ山を下りた。麓には、まだ雪は積もっていない。ここまで、一人の人間にも一匹の魔物にも遭遇しなかった。いくつか集落を通り過ぎたが、無人だった。チョウリョウは、馬を東の方角に急がせた。王都カトマールが近づくにつれ、魔物の姿を見かけ始めた。彼らは、山あいの道を選んでカトマールを迂回し、タケル川の岸辺に出た。ここまで来る途中で、魔物の群れに包囲された幾つかの砦を見てきた。チョウリョウは、その全てを迂回して先を急いできた。

 やがて、夜の帳が降りてきて一日目が暮れた。野営の支度が済むと、シュンラは、チョウリョウの寝床に潜り込んだ。直ぐに裸になり抱きあった。そして、激しく求め合う。シュンラは、女としての悦びの絶頂を経験した。シュンラは、体の芯が溶け出すような震えを感じ、あまりの驚きと悦びに叫び声を上げてしまった。これが、男に愛されるということか。シュンラは、彼の体の下で目を閉じて、二人の肉体の織り成す共鳴波に身を委ねた。

 「チョウリョウ。老師の最後の言葉。・・・もし、命があればって・・・」

 シュンラは、彼の逞しいとは言えないがそれなりの広さはある胸板に頬杖をついていた。

 「はい。そのようなことをおっしゃいましたな。」

 「あなた、今度の役目に命を捨てる気?」

 「そういうわけではござらぬ。そのくらいの覚悟が必要ということでしょう。」

 「でしょうって、あなた自身のことなのよ! あなた、山寺から一歩も外に出たことがないくせに、いきなり戦の中に飛び込んで本当に大丈夫なの。」

 「ははは。ご心配してくださいますか。チョウリョウは、天下一の果報者でございます。」

 彼は、シュンラの乳房を片手で愛撫しながら、そう言って、からからと笑った。

 「答えになってないわよ!」

 「可愛いお顔で、そのように睨まれましてもな。さよう。私、シュンラ様より長生きすることはできませぬ。人族の寿命がありますからな。いずれ、先に死なせてもらいまする。しかし、それが、どのくらい先の事になるかは、誰にもわかりません。それだけのことにございます。」

 「つまり、死ぬ覚悟で山寺を出てきたってことね。」

 「そう、解釈していただいても結構です。」

 「わたし、あなたが死んでも泣かないからね。」

 「いいえ。泣きまする。泣いて、このチョウリョウのことを心から押し流してくださいませ。シュンラ様にはまだ、この先、いくつもの春が訪れることでしょう。それが、この時代に生きるエルフの定め。摂理というものです。」

 シュンラは、そのおしゃべりな唇を唇で塞いだ。

 

 次の日、昼前のこと、彼らは、一人の兵士が魔物の群れに襲われている場面に出くわした。兵士の鎧は、エルドール防衛軍のものだった。シュンラは、すぐに馬を飛び降りた。剣を抜き、魔物の群れに飛び込む。魔物たちは、たちまち逃げ散っていった。彼女は、エルドール兵を助け起こした。チョウリョウもすぐに追いついてきた。

 「どうしたの? エルドール軍はどこ?」

 シュンラは、兵士の体を揺すった。

 「わからない・・・。カトマール軍の逆襲にあって、ばらばらになった。」

 兵士の話によると、急行軍を続けるエルドール軍の背後をカトマールの伏兵に絶たれ、気付いた時には前方にも鉄壁の鎧武者の壁。エルドール軍とラトザールの民兵は寸断され、各個撃破されてしまったとのことだった。

 “つまり間に合わなかったってことね。”シュンラは、そう思って、チョウリョウの顔を見たが、彼は、さして驚いたふうでも気落ちしたふうでもない。

 「して、エルドール軍総指揮官は、どちらに落ちて行かれたかわかりますか?」

 チョウリョウは、そう尋ねた。

 「司令部の旗がタケル川に向かって南進するのが見えた。私も追いすがろうとしたのだが、敵軍に行く手を遮られた。私は、負傷し、一人、軍からはぐれてしまった。ごふっ!」

 チョウリョウに目で促されて、シュンラは、兵士の体に手を当てて治療の呪文を口にした。兵士は、すぐに歩けるまでに回復した。

 「ありがとう。あなた方は、ラトザールの民兵ですか? すごい術者だ。」

 「違うわ。山から下りてきた修行僧よ。でも、もう用済みみたい。」

 シュンラは、そう答えてチョウリョウを見た。彼は、南の方角を見ていた。

 「シュンラ様、船は漕げますか。」

 彼は、唐突にそう尋ねた。

 

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