ラトザール物語

 

 

第十話              敗軍の将(その三)

 

 メルフィーヌは、自分の周りを見まわした。敵襲がある度に、彼女を囲む護衛兵の数が減ってゆく。断末魔の叫びを残して・・・。彼女は、耳を覆って、座り込んでしまった。カトマールの伏兵に軍の背後を突かれたのは、昨日の夕刻のことだった。野営地を探していた時のことだ。カトマール軍は、その前の戦で逃走すると見せかけて、実は、その場に兵を隠していたのだ。戦場に捨て去られていたおびただしい数の武器と食料に完全に騙されてしまった。そして、メルフィーヌは、軍を深入りさせ過ぎた。ガランカの忠告も聞かずに・・・。そう、わたしの責任だ。メルフィーヌは、もう何度も心の中で繰り返した自責の言葉を胸の中でつぶやいた。でも、ここで泣くわけにはいかない。彼女は、疲れきった顔を上げた。全員疲れきった顔、顔、顔、言葉を発する者も無い。皆、昨夜から一睡もしていないのだ。

 ガランカが、彼女の肩を優しく叩いた。

 「司令官どの。先を急ぎましょう。タケル川までは、もうすぐだ。先にやった者どもが川舟を用意して待っていてくれているはずです。川を渡りさえすれば、敵の追っ手も少なくなる。それまでの辛抱ですぞ。」

 いつもは乱暴な言葉使いのガランカも軍の中では、メルフィーヌに対して敬語を使う。彼女は、立ち上がった。すると、護衛兵たちも皆立ち上がった。

 “みんな、ごめんなさい。”彼女は、心の中でそうつぶやいた。その時、見張りの兵が、敵襲を告げた。がちゃがちゃと金属音を響かせながら、護衛兵たちは、メルフィーヌを囲んだ。矢が飛んでくる。遠くで地を揺るがすような雄叫びが上がる。追っ手は、これまでにない大群のようだ。たちまち、数人の兵士が矢に倒れた。苦痛の叫び声を上げてメルフィーヌの足元を転がる。メルフィーヌは、色を失った。

 “もう駄目だ。ここでみんな死ぬんだ。わたしのために。”

 呆然と立ち尽くすメルフィーヌの背中を太い腕が力任せに押した。

 「何をしている! 早く逃げろ!」

 ガランカが雷のような大声を上げる。

 「さあ、皆、ここはおれに任せて先を急いでくれ!」

 そう言って、ガランカは、大手を広げて矢面に立った。たちまち、数本の矢が、彼の巨体に鈍い音をたてて突き刺さる。

 「あなた!」

 メルフィーヌは、ガランカに向かって手を出しながら叫んだ。すでに、護衛兵たちは彼女の体を抱え込んでいる。

 「大丈夫。おれは、こんな矢では死なぬ。メルフィーヌ。すまなかった。今まで全てのことに。子供たちのことは頼んだぞ。もし、この場を切り抜けられたら・・・」

 ガランカは、無邪気な笑顔を見せた。

 「また、やろうな。」

 そういい残し、ガランカは、長剣を振りかざした。そして、雷のような雄叫びを上げて、追っ手の軍勢の中に一人で駆け込んで行った。

 護衛兵の一群は、叫び暴れるメルフィーヌの体を担ぎ上げたまま逃げ走った。さらに、度重なる敵襲に、人数は散り散りとなり、タケル川の川辺に辿り着いた時は、彼女を含めて、三人だけになっていた。そして、そこには、予定していた先発隊の姿は無かった。背後には追っ手の雄叫びが聞こえる。目の前は、ラトザール随一の大河。対岸は、遥か彼方に霞んでいる。メルフィーヌは、力無く、しゃがみ込んだ。

 “死のう。せめて、ガランカを追って。”

 彼女が、敵の追っ手の方を向いて立ち上がった時、背後から、聞き覚えのある少女の声がした。

 「だいぶ、お困りのようね。」

 岸辺を覆う藪の中から一艘の川舟が漕ぎ出してきた。長身のエルフの少女は、メルフィーヌと目が合うと、にっこりと笑った。

 

 メルフィーヌは、シュンラと共に、小船で川を下っていた。不思議な巡り合わせだ。メルフィーヌは、そう思った。

 “なんで、わたし、こんなところで、何をしているのだろう?”

 メルフィーヌは、膝を抱えた。不思議と涙は出ない。放心してしまったように、もう何も考えられなくなっていた。最後まで彼女に付き従ってくれた二人の護衛兵は、船底で正体も無く眠り込んでいる。二年前、シュンラに助けられ、平和だったカトマールの城下町を歩いた時のことを、彼女は思い出した。あの時も何も考えられなくなっていた。でも、今の自分の立場は、あの時とは全然違う。わたしは、今度の事件の首謀者なのだ。メルフィーヌは、また耳を覆った。自分の盾となり死んでいった兵士たちの断末魔の叫びが耳の奥でこだまする。そして、ガランカの最後の言葉、最後の笑顔。彼女は、強く頭を振った。

 「さて、まず確認させてもらいますが、あなたは、エルドール防衛軍総司令官、メルフィーヌ=サミエ殿にございますな。」

 頭に赤い髪飾りを付けた男が彼女の前に膝をついて話し掛けているのにメルフィーヌは、気付いた。彼女は、無意識のうちにこっくりとうなずく。チョウリョウは、彼女を伏し拝むように、三度深くお辞儀をした。シュンラは、魯を持つ手を止めて、少しあっけにとられた。

 「どんな時でも、礼は、大切です。礼が乱れた時、国が乱れまする。」

 チョウリョウは、シュンラに聞こえるようにそう言った。“そう、あのエロ本に書いてあったの?”シュンラは、そう思ったが口には出さなかった。

 「さて、その司令官どのにお尋ねしたいことがあります。これから、どうなさるおつもりですか?」

 “どうって、何を?”メルフィーヌは、また頭を抱え込んだ。

 「スラニの砦に行きたい。」

 彼女の口からは、そんな言葉が出ていた。そう、スラニの砦、ガランカと彼女の子供たち、そして、昔懐かしい仲間たちの待つ砦。

 「なりませぬ。」

 チョウリョウは、即座に拒否した。

 「スラニの砦は、遠すぎます。川上です。そして、なによりもカトマールを抜けねばなりません。」

 “そんなこと、わかってる。”メルフィーヌは、ぼんやりとした意識の中でそう思った。

 「あなたは、戦をしましたな。どうでした?」

 チョウリョウは、また尋ねた。

 「どうって?」

 「勝ちましたか? 負けましたか?」

 “負けたに決まってる。この有様が見えないの。”メルフィーヌは、このばかばかしい問いを繰り返す妙なやさ男のことがむしょうに腹立たしく思えてきた。何なのこの男、どうして、シュンラなんかと一緒にいるの。

 「負けましたな。司令官どの。でも、それは、あなた様の咎ではございません。」

 「何言ってるのよ。あなた、あなたに何がわかるの? わたしのためにたくさんの人が死んだのよ! わたしが、殺したんだわ!」

 メルフィーヌの顔に血の気がのぼった。

 「では、おうかがいしますが、あなたは、この戦で、その手を血に染めましたか?」

 「・・・」

 「あなたは、誰も殺していない。なぜでございましょう? 戦なのに。理由は、簡単です、あなた様が、総指揮官だからです。皆、あなた様を守るために戦い、命を落としました。それは、あなた様が、総指揮官だからです。」

 「・・・どうして?」

 「メルフィーヌ様、もう一度、お顔を上げてください。」

 彼女は、言われるままに顔を上げた。

 「私、いささか、人相を読むことをたしなんでおります。あなた様の人相は、兵を指揮する将軍の人相ではありません。」

 “そうよ。そうに決まってるわ。わたし・・・”

 「将軍は、兵を指揮し、戦に勝つことを役割とします。だから、古来より、職業軍人がその役割を担ってまいりました。今回の戦も例外ではありません。エルドールやカトマールの軍人が兵を指揮しました。しかし、戦は、勝つか、負けるかしかありません。それも時の運。つまり、いつかは、必ず負けます。それは宿命です。そこで必要になるのが、将軍を指揮する将です。」

 シュンラは、魯を操りながら、思わずチョウリョウの言葉に聞き入っている自分に気付いた。

 「メルフィーヌ様に担わされた役割は、将の将です。あなた様の人相、まさしく、そのことを物語っております。そして、その役割とは。」

 彼は、そこで一息おいて、メルフィーヌの方に膝を進めた。

 「負け戦の中から立ち上がることです。それこそが、もっとも困難かつ重要な役割だからです。今ごろは、あなたの配下の将軍たちが、血なまこになって、あなたの行方を探し求めていることでしょう。この戦に破れ、散り散りになった兵士たちは、あなたのお姿を一目みんものと隠れ忍んでいることでしょう。一刻も早く、あなた様の軍が開放した砦まで戻り、そこで、総司令官の健在ぶりを敵、味方双方に知らしめるのです。そのために、私どもは、川を下っております。」

 「・・・でも、わたし、とてもあの砦には戻れない。わたしがこの言葉で駆り集めた民兵もいっぱい死なせてしまったわ。いまさらどの顔下げて、彼らの家族に会ったらいいのか、お詫びの言葉も見つからない・・・」

 「簡単なことです。元通りに威風堂々としておりさえすればそれでよろしい。もちろん、中には肉親を失ってあなたを誹る者もありましょう。しかし・・・」

 彼は、さらにメルフィーヌに詰め寄った。彼の手がメルフィーヌの体に触れそうになる。シュンラの魯を持つ手が止まった。

 「その誹り、声にならぬ恨みを耐えることも将の将たる者の務めです。あなたが、エルドールで、そのアスランの杖を振り上げた時、あなたは、その全責任を負ったのです。お忘れか。メルフィーヌ様。」

 「おとりこみ中のところ、じゃましたくないけど。お客様がいらっしゃったわ。」

 シュンラの声が終わらないうちに、数本の矢が飛んできた。一本は、船底に突き刺さった。カトマール軍の追っ手が川岸に迫っている。

 「しっかりつかまっていて。ちょっと揺れるわよ。」

 シュンラは、そう叫んで、小船を大河の本流の中に漕ぎ入れていった。急流に飲まれ激しく揺れる船を彼女は、魯一本で巧みに操った。チョウリョウは、甲高い悲鳴を上げた。ようやく矢の届かないところまでくると、今度は、空から槍が降ってきた。川面に数本の槍が水しぶきと共に飲み込まれる。チョウリョウは、また悲鳴を上げた。

 「伏せて!」

 まさに小船を直撃しつつあった槍がシュンラの放った稲妻に砕かれて飛び散った。

 「ちっ。ついにあんな連中まで。」

 空を見上げたシュンラは、舌を鳴らした。ガーゴイルの群れが遥か上空を旋回している。エルドール兵も船底から起き出してきた。しかし、彼らには敵の姿をとらえることすらできない。ただ降って来る槍に驚き慌てるしかなかった。その騒ぎに乗じて一匹の大きなガーゴイルが川船の舳先に降り立った。チョウリョウがけたたましく悲鳴を上げる。ガーゴイルは、角のある頭を振りかざし、金色に光る目でシュンラをきっと睨んだ。そして、威嚇するように大きな牙を剥いた。

 「あら、ごきげんよう。でも、呼んだ覚えはないわよ。」

 シュンラの差し出した手のひらから閃光がほとばしり出て魔物を直撃した。ガーゴイルは、後ろ向けに川に落ちて水しぶきを上げた。上空のガーゴイルの群れは、カトマールの方角に引き返していった。シュンラの瞳は、川の上流に向けられた。大きな船が背後に迫ってきていた。カトマールの水軍だ。

 「みんな、しっかりしがみついて!」

  シュンラは、そう叫んで、船をさらに流れの激しい急流の中へと押し進めた。小船は木の葉のように流れにもまれる。ところどころに岩が露出している。激しい波しぶきの中をシュンラは、船を操った。やがて、カトマールの水軍は、流れの遠くに見えなくなった。なんとか逃げ切れたらしい。シュンラは、川船をすこし緩やかな流れに誘導した。

 「ちょっと揺れたわね。大丈夫だったかしら。」

 エルフの少女は、そう言って、笑顔を見せた。彼女以外は全員、恐怖に震え蒼白な顔で船べりにしがみついたままだった。

 「チョウリョウ、朝起きた時から言おう言おうと思ってたんだけど。その髪飾り、赤い水玉模様はやめたほうがいいわ。目立ち過ぎ。」

 「シュンラ様、これは、髪飾りではございません。男子の冠ですぞ。何度言ったらわかってくださるので。」

 チョウリョウは、僅かに顔を上げ、弱々しい声を出した。

 

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