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ラトザール物語
第十話 敗軍の将(その四)
日が暮れた。夜の闇が支配し始める中、魔法使いのシャールは、ぼろ布に身を包んだまま座り込んでいた。そこは、深い森の切れ間、少しだけ見通しの開けた高台の岩陰だった。暗くなっても、火を使うこともなく、ただじっとうずくまっている。彼は、闇の中に聞こえる微かなけはいに耳を澄まし、瘤だらけの節くれ立った指で何かを数えている様子だ。ときどき、ぶつぶつと独り言を漏らすが、くぐもった声で聞き取ることはできない。その岩場に、いつの間にか別の小さな人影が立っていた。それは、黒いマントに身を包んだ少年だった。フードから柔らかそうな金髪がのぞいている。彼は、座り込んだままのシャールを無言で見下ろしていた。 「やっとおでましかい。」 シャールは、顔も上げずに言った。 「おまえさん一人かい? 言っておいたはずだぜ、一対一では、おまえさんに勝ち目はないってね。ルーイの旦那。」 ルーイは、手に持っていた物をシャールの前に投げ出した。それは、ニンジャが身に着ける鉢金だった。どれも血にまみれている。五人分だ。 「勝ち目が無いのはきみだよ。シャール。忠実な影を失ったきみにはね。」 シャールは、ようやく顔を上げた。 「残念だったな。旦那。もう一人残ってたんだよ・・・」 ルーイの背後から音も無く黒い影が襲い掛かってきた。しかし、ルーイは、すでに剣を抜いていた。いや、すでに背後のニンジャを頭から真っ二つに切り伏せていた。左右に切断された体は、にぶい音と共に別々の方向に倒れた。 「だいぶ、ご立腹のようだね。旦那。食わずに切り刻んじまうなんて。おまえさんがたヴァンパイアだろ。アーサーのおやっさんに聞いたぜ。人間の生き血を吸って生きてるんだ。もっとも・・・」 シャールは、地面の上に乱雑に投げ出された鉢金に目を落とした。 「もう。食事済みのようだな。ひでえことをしやがる坊やだぜ。人間を鶏や牛と同じくらいにしか思ってねえんだろ。かわいい部下たちだったのによ。」 そう言って、シャールは、またくぐもった声で独り言をつぶやいている。それは、死者葬送の呪文だった。ルーイは、表情も変えず、無言で見下ろしていた。 「念のために言っておくが、おれは、生き餌だぜ。おまえさんたちをおびき出す罠のな。」 「知ってるさ。ただ、シュンラのために来たんだ。」 「俺の首をシュンラ嬢へのお土産にするってのかい。泣かせるね。仲間思いのルーイさんよ。でも、おまさんところのお嬢ちゃんを痛い目に会わせたのは、職務上のことさ。まさか、おれの詫び言でも期待して来たんじゃないだろうな。」 「シュンラに何をした?」 ルーイは、そう叫んだ。顔に血の気がのぼる。 「期待されるほどのことはしてないさ。あいつは、とてもじゃないが、女として可愛がってやれるような玉じゃねえ。おまえさんの方が良く知ってるだろ。」 ルーイは、無言で、剣に手をかけた。 「待ちなよ。そんなに気を急かすなって。おまえさんの気持ちもよくわかるぜ。二百年もの間目の前にぶら下げたままだったあんな美味そうな餌を危うく傷物にされかかったんだ。ところで、エドガーは、どこだい?」 「・・・」 「もちろん、こんなとこにはいねえよな。あいつは、こんな単純な罠に引っかかるおまえさんのような馬鹿じゃない。どこにいるかは、見当がつくぜ。エダマのやつ一泡吹かされることだろうて。」 シャールは、顔の半分で、妙に満足そうな笑いを漏らした。 「さあ、そろそろ決着をつけるとするかな。ルーイの旦那、長い付き合いだったな。あの世で待ってるぜ。」 そう言って、シャールは、ゆっくりと立ち上がった。ルーイは、身構える。その脇腹を光の筋のような物が音も無く貫いた。 「くっ・・・」 ルーイは、穴の開いた脇腹を手で押さえて膝を落とした。光の矢がルーイの体を貫通し、目の前のシャールの頭を粉々に吹き飛ばしていた。シャールの動きに気とられて油断した。すでにカトマールの追っ手が背後に迫っていたのだ。第二、第三の攻撃をルーイは、身を翻してかわした。光線で近くの岩が砕け散る。それは、シュンラを襲ったのと同じ機械兵だった。林の中から続々と姿を現してくる。ルーイは、治療呪文を唱える間もなく、光線をかわし続けた。傷口からの出血がひどい。意識が朦朧としてきた。ルーイは、意を決して、機械兵の群れの中に飛び込んでいった。一体、二体と切り伏せる。機械作りの化け物は、轟音と共に爆発した。しかし、数が多すぎる。ルーイは、完全に包囲されてしまった。もはや攻撃を避けることすらできない。 「ごめん・・・、エド。」 ルーイは、迫りくる死をはっきりと感じた。人族の常識を超えて長い年月を生きてきた彼らとて、不死身ではない。十四年前のアーサーの死がそれを物語っている。肉体に縛り付けられている以上、いつかは必ず滅びるのだ。今までその機会が無かっただけのことだ。遠い昔は人間だったような気がするが、その記憶も定かではない。数えることなど不可能な数多くの運命、目を覆いたくなるほど数多くの悲劇を目撃しながら数万年の時間を仲間と共に生きてきた。数多な命を犠牲にして。それが良い事なのか悪い事なのかなんてわからない。なんのために生きているのか。そんな無意味な自問なんてとうの昔に忘れてしまった。仲間を孤独にさせないためかもしれない。ぼくが死んだら、エドは、悲しむだろうな。ルーイはそう思った。もう、数秒後の世界に、ぼくの意思は存在しないのだ。それは、なぜか、待ち望んでいたもののようにも思える。死によって自分の時間を閉じるなんて、まるで人間のようだ。アーサーのように中途半端に生き返るのはいやだ。できるなら、人間に生まれ変りたい。有限の時間に恐れ、楽しみ、自由に恋をする人間に。死んだら、そうなれるような気がする。ルーイがその冷たい手に身を委ねようとした時、彼を呼ぶ声を聞いた。 「ルーイ! 伏せて!」 空が赤く染まった。激しい炎。林の中の機械兵が次々になぎ倒されてゆく。轟音と共に風を切る黒い大きな翼。炎の光を受けて燦然と輝く鱗。ドラゴンだった。
アスカの砦は、エルドール・ラトザール連合軍が最後に開放した砦であり、今回の戦の最前線基地でもあった。メルフィーヌの一行が到着した時はすでに夜になっていたが、砦の中は熱狂的な興奮に沸きかえった。 「総司令官殿が生きておられたぞ!」 兵士たちは口々に叫びながら走り回った。直ちに後方の砦にも伝令の早馬が出た。エルドール・ラトザール連合軍は、今、五つの砦に分散して立て篭もっていた。歓迎の輪の中、メルフィーヌは、壇上に上がった。 「みなさん。ありがとう。心配をかけたわね。わたしは、無事よ。カトマールの賊軍を打ちのめし、ラトザールに平和を取り戻すまでは、負けないわ。」 そう言って、アスランの杖を頭上高く振りかざした。割れんばかりの大歓声が沸き起こる。口々にメルフィーヌの名を呼び合って雷のような大合唱になった。チョウリョウとシュンラは、柱の影でその様子を見ていた。メルフィーヌが将校たちを引き連れて壇上を降り、こちらに向かってきた。チョウリョウは、彼らをいつもの仰々しい礼で迎えた。 「チョウリョウ殿。なんとお礼をもうしあげたらよいことか。今日のことありがとうございます。あなたに助けられなければ、わたし、どうなっていたことか。」 「私は、老師より与えられた努めを果たしたまでにございます。美しい司令官様の礼にはおよびませぬ。」 確かに、エルドール軍司令官の正装で身を正したメルフィーヌは、小船の上の疲れ果てた姿とは別人のように美しかった。 “それにしても、チョウリョウてば、美しいだなんて、おべっか使っちゃって。”シュンラが呆れて見ている目の前で、メルフィーヌは、彼の手を手にとった。 「将校たちに聞きました。あなたは、著名な兵法家とか。ぜひ、我が軍に合流し、軍師として作戦の立案に協力してください。もちろん、ここにいる皆もそれを望んでいます。」 “わたしは、望んでないわよ!”シュンラは、心の中でそう叫んだ。 「もとより、その覚悟でまいりました。」 チョウリョウは、深々と一礼した。メルフィーヌは、シュンラの方に向き直った。メルフィーヌは、このエルフの少女が大の苦手だった。そして、今、彼女は、なぜか、ガランカのことを思い起こさせてしまうのだ。 「シュンラ、あなたには、エルドールに向かう旅で助けられたお礼もしてなかったわね。今までありがとう。いろいろあったけど。」 シュンラは、メルフィーヌを目の端で一瞥しただけで、彼女の言葉には応えなかった。いや、まるで聞こえなかったような素振りを見せた。そして、独り言のように言った。 「わたしもおちたものね。新米プリーストから気軽に声をかけられるなんて。」 シュンラは、チョウリョウの腕を掴んで無理やり自分の方に引き寄せた。 「おいで。チョウリョウ。あんなに、働いたんだもの、今夜は、お風呂くらい使わしてもらえるわよね。」 チョウリョウは、半ば困ったような嬉しいような顔をメルフィーヌに見せながら、エルフの少女に引きずられて行った。すれ違いざま、年配の将校たちは、エルドールのロードの称号を持つシュンラに儀礼的な敬礼を送ったが、彼女は、それにも応えなかった。
第十話 完
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