ラトザール物語

 

 

第十一話            竜使いの少女(その三)

 

 エルドール・ラトザール連合軍総司令官メルフィーヌ=サミエは、夜明け前に目を覚ました。アスカの砦は静けさを取り戻していた。朝になれば、カトマール軍が押し寄せてくるらしい。今はまだそのけはいも無い。嵐の前の静けさということだろうか。彼女は、ガランカと過ごしたカトマール城内の暮らしを思い出していた。カトマールは、美しい都だった。タケル川から引き込んだ水路が町の中に張り巡らされており、家々の庭、そして窓には花が咲き乱れていた。ところが、逆賊エダマ=ルンカの反乱で全ては一変した。彼女の暮らしも含めて。この数年間、メルフィーヌの身を様々な出来事が襲ったが、それは全て、エダマの反乱以降この一ヶ月半の激動の序章でしかなかった。そして今、彼女は何か目に見えぬ大きな力に衝き動かされているような気がする。大軍を指揮し、魔の軍勢を向い討つなど、冒険者の修行を始めた時には思いもよらなかったことだ。しかし、前進するしかない。ガランカとの約束を果たすために。二人の子供たちのために。そして、彼女の指揮してきたエルドール兵、駆り集めたラトザール兵、彼らの家族、死んでいった者たち、生きている者たち、魔の暴虐に苦しむ全て人々のために。

 メルフィーヌは、アスカの砦の窓から外を見た。東の空が僅かに白みがかっている。美しい色合いの夜空だ。夜明けが近い。

 その同じ夜空の下、シュンラは、厚着をして、砦の物見櫓の上で膝を抱えてしゃがみ込んでいた。吐く息が白い。エルフの少女は、水平線の彼方に視線をさ迷わせているように見える。時々、手にした紙に何かを書き込んでいるようだ。彼女は、完全に夜が明けてしまうまで、そのままの姿で櫓の上にいた。

 「チョウリョウ。できたよ。」

 シュンラは、部屋に戻ってくると、そう声をかけた。しかし、振り向いた彼の顔を見てその場で立ちすくんだ。

 「あんた、何でキュウリ顔につけてるの? キュウリは、食べるものよ。顔に貼るもんじゃないわ。」

 「キュウリパックですぞ。美容によろしいとある書物にありましたので、試しているところです。シュンラ様もいかがです。」

 彼は、そう言って、切りさしのキュウリをシュンラに差し出した。

 「やだ、遠慮する。わたしが、外で寒い思いをしていた時に、あなた、ぬくぬくと部屋で肌のお手入れに精を出してたわけね。」

 「精神を統一して、千里の先に思いを巡らせていたのでございます。」

 「キュウリをつけて?」

 「目に見える物ばかりに捕らわれてはなりませぬ。それよりも、お願いしたものができ上がったのでございますな。」

 シュンラは、櫓で書いていた紙を彼に手渡した。地図のような紙に子供が書き殴ったような数字がびっしりと記されている。ところどころに下手な鳥の絵のようなものも描いてある。

 「シュンラ様、学校には行ったことありますか?」

 「あんた、エドガーがエルフを学校に入れてくれると思ってるの?」

 「まあ、よろしうございましょう。情報としてはこれで十分です。この戦が終わり落ち着いて二人の家を持ったら、私が文字を教えてさしあげます。」

 “二人の家”という言葉に、シュンラは、頬を微かに赤くした。

 

 メルフィーヌの司令室には、夜明けと共に将校たちが集まり、作戦会議が開かれていた。議題の焦点は、カトマール軍に対して打って出るか、それとも砦に篭城するかだった。意見は、二つに分かれた。それぞれがそれぞれの作戦の利、不利を説いたが、議論は平行線をたどるのみでいたずらに時間だけが過ぎて行く。

 「今はまだ敵の陣は、我が陣地を目指し長くのびております。今のうちに側面に回りこんで叩くことこそ良策。砦を十重二重に囲まれてからでは万事休すというものです。」

 「でも、そこが敵の罠かもしれません。わざと陣形の弱点を見せ付けて、我が軍を誘き出そうとしているのかもしれません。」

 若い将校がそう発言した。

 「さよう罠でございます。」

 チョウリョウが、そう言いながら帷幕に加わった。

 「伏兵の計です。彼らは、先の戦闘で明らかなように伏兵を得意としております。そして、それが成功しておりますので、また用いてきましょう。」

 彼は、机の上に広げられた砦周辺の地形図の上に指を置いた。

 「私がカトマール軍を率いるならば、ここに兵を伏せます。すなわち、彼らの伏兵はここにおります。」

 「ようやくお目覚めでござるか。軍師殿。シュンラ様のお相手も大変なご様子。特に夜はな。」

 年配のエルドールの将校が、そう言って意味ありげな笑いを漏らした。帷幕の中に嘲笑のような笑いが広がる。

 「すなわちと申されても、実戦は、机上の兵法とは異なりますぞ。それともすでに物見を放って確かめられたのかな。」

 「伏兵であれば、物見はかえって危のうございましょう。確かめたのは、鳥でございます。」

 「鳥?」

 「さよう。鳥は、夜明けと共にねぐらより出て餌場に向かいます。もし、夜のうちに兵が伏されれば、鳥はその場で逃げ散り、朝になっても飛び立ちませぬ。このアスカ平野全域で夜明けに飛び立つ鳥を数えれば、伏兵の位置は容易にわかるというわけです。」

 「しかし、広大な平野全体で飛ぶ鳥を数えることなど無理であろう。」

 年配の将校が口を挟んだ。

 「シュンラね。彼女ならできるわ。昨日も、我々の眼には見えない上空のガーゴイルとそこから放たれる槍を全て目で追ってたもの。」

 メルフィーヌが、そう言った。超人的な視力と動く物体に対するずば抜けた情報処理能力の高さは、シュンラの武器の一つだった。

 「さようでございます。明け方、シュンラ様に、この一帯全ての鳥を数えていただきました。」

 チョウリョウは、そう言ったが、彼女の書き記したメモは見せなかった。将校たちは、顔を見合わせている。

 「では、軍師殿は、伏兵を警戒し、砦に立て篭もって戦う案に賛成なのですね。」

 一人の将校がそう尋ねた。チョウリョウは、その将校にニッコリと笑いかけた。

 「伏兵は、伏兵とわかった時点で警戒無用です。我々は、積極的にそこを突くべきです。こちらから」

 チョウリョウは、地形図の一点を指差した。

 「軽騎兵部隊を突入させます。伏兵は、虚を突くことに徹しておりますから、突かれることには殆ど無防備です。そのため、混乱が生じます。そして、それは、罠を仕掛けたつもりの敵本隊にも波及します。その混乱を利用して我々には二つの手を打つことができます。まず一つは、今すぐ味方の後方部隊に伝令を出し、伏兵を失い餌としての弱点を露呈したままの敵本隊を撃たせます。もう一つは、敵の最大の弱点である長い補給線への攻撃です。彼らは、カトマールからアスカまでの砦を攻略しないまま、真っ直ぐ、この砦に兵力を集中させようとしております。それは、ここに総司令官殿が陣しておられるからです。また、彼らは、前回の戦闘で我が軍の力を見くびっており、一気に決着をつけんものとしております。必然的に彼らの部隊は、縦に長く伸び、今回のような陣形になりました。そして、その補給線はさらに長くカトマールまで伸びております。さて、ここからカトマールまで、砦は五つ。前回の戦闘で散り散りになった我が軍の兵士たちの一部は、これらの砦に合流しています。すなわち、我々は、期せずして伏兵をカトマール軍の補給線上に置いているのと同じであります。敵の伏兵を攻撃したら、その混乱に乗じて、前方の五つの砦に伝令を送り込み、敵の後方から蜂起させるのです。」

 チョウリョウは、机の上に顔を並べている将校たちを見回した。

 「弱点である側面を撃たれた上に補給線を絶たれた敵軍は潰走し、カトマールまで逃げ帰れる者も殆どありますまい。彼らの最大の失敗は、決着を急ぐあまり、定石を無視してこのアスカに兵力を集中させようとしていることです。」

 帷幕の中は一瞬、静まり返った。メルフィーヌがその沈黙を破った。

 「すぐに後方の砦に伝令を出して。全軍をアスカに集結させて。軽騎兵部隊は、出撃準備。それから、話のうまい者をより集めて。前方の砦に使者を送る準備をするわ。」

 将校たちは慌しく駆け出して行った。伝令の動きが活発になる。砦全体が喧騒に包まれた。さきほど質問をした若い将校がチョウリョウに近づいてきた。

 「チョウリョウ先生、一つ質問があります。我々アスカに陣している者でさえメルフィーヌ司令官の到着を知ったのは、昨夜のことです。何故、敵軍は、いち早くそれを察知し、このアスカに軍を集結させようとしているのでしょう。」

 チョウリョウは、彼の真面目そうな顔を見た。

 「簡単なことです。昨日、昼過ぎに、総司令官がアスカの砦に陣しているという噂を流布させていたのですよ。私がね。」

 彼は、最後の言葉は、小声で付け加えた。部屋の反対側でメルフィーヌが目線でチョウリョウを呼んでいた。彼女は、年配のエルドール将校と二人で話しをしていた。幸い、若い将校との会話は聞かれていないようだ。

 「ラトザールにその人ありと言われたチョウリョウ殿、見事な立案でしたな。」

 年配の将校は、そう言って、軽く会釈をした。チョウリョウは、仰々しい会釈を返す。

 「ところで、話は変って、シュンラ=リスレン様のことじゃが、総司令官自ら前線に立って指揮をとっておるというのに、エルドールのロードともあろう方が役職無しというわけにはゆくまい。前線で戦列に加わっていただければ、心強いということで、司令官殿にお願いしておるところじゃ。軍師殿のご意見はいかがかな。」

 「わたしは、あの子を戦闘に参加させるのはちょっとまずいと思って、確かに強い味方にはなってくれると思うけど、・・・」

 メルフィーヌの言葉をチョウリョウは引き継いだ。

 「さよう、上策ではありませんな。」

 「さて、それはいかに?」

 「あの方の性格です。前線に立てと言われれば拒みますまい。しかし、甲冑を着たり隊列を組んだりすることはいたしますまい。そして、乱戦ともなれば、いかにシュンラ様とはいえ、流れ矢の一つにも当たらぬとは限らないでございましょう。」

 「流れ矢を怖れていては戦はできませぬぞ。軍師殿は、自分の女・・・、失礼、見たところお親しい関係にある者が矢に倒れるのを怖れておいでか。」

 「妻です。」

 チョウリョウは、きっぱりとそう言った。

 「私が怖れているのは、流れ矢ではありません。流れ矢に当たったシュンラ様です。傷つけば、必定、阿修羅と化し、敵味方の見境無く殺戮の限りを尽くしますぞ。あたり一面が血の海と化しましょう。」

 年配の将校は沈黙した。背筋が凍ったような顔つきだ。

 「あの方は、劇薬のようなものです。瀕死の病人には、場合によって効果があるかもしれません。けれど、通常の体力を保った軍隊の中で用いれば、逆に軍の命を縮めましょう。所詮、戦争は、人族の好んでするものです。エルフのよくするものではありません。」

 「あの子と結婚なさってたのね。おめでとう。」

 年配の将校が退散すると、メルフィーヌがそう言った。

 「はい。ダルマ老師の前で、添い遂げることを誓いました。」

 「ダルマ老師、思い出したわ。ガランカが命を助けてもらったって、でも・・・」

 彼女の顔が曇った。

 「ガランカ様ほどの戦士であれば、敵に討たれれば必ずその噂が伝わってくるはずです。まだ結論を急ぐ時ではありません。」

 「ええ、そうね。そう考えるようにしているわ。ともかく、シュンラのことをお願いね。あの子、わたしには扱い難いの。」

 「心得ております。シュンラ様には、この陣中、もう、役割を考えています。衛生大尉に任じてくださいませ。」

 

 「で、そのエイセイタイイって、何?」

 シュンラは、軍師の執務室で、チョウリョウの背中にからみついていた。

 「単純に言えば、軍医です。」

 「あんた、わたしにお医者さんごっこをやれって言うの?」

 「ごっこではありませぬ。シュンラ様は、数多くの魔物との戦闘の中で負傷者の手当てには慣れておいででしょう。命に関わるような重傷を魔法で治療することだってできます。ぴったりのお役目です。そろそろ戦闘が開始されます。さっそく負傷者が運ばれてきますぞ。準備なさってください。」

 

 キャプテングランの夜を徹しての必死の捜索は徒労に終わった。エドガー一味は罠の網の目の中から忽然と姿をくらましたのだ。まるで、当初から予定の行動であったかのように。

 「図られた。」

 彼がそう思い、カトマールの王宮に引き返す途上、さらに悪い知らせを受けた。最悪の事態だ。魔王アーサーを身篭った少女が何者かによって連れ去られたという。あの強力な結界を破り地下迷宮に侵入することができる者がいるとすれば、一人しかいない。エドガーだ。キャプテングランは、城からの伝言を持ってきたハーピーに危うく怒りの矛先を向けてしまうところだった。美しい女性の上半身に鷲の翼と鋭い鉤爪を持つ誇り高い魔物は、怪訝そうな顔で彼を睨んで飛び去った。

 

 アンナは、久しぶりに朝陽を見た。そこは、村はずれの廃屋の中だった。窓から見える外の光景はあまりにも新鮮だった。隣にヨーコがいた。アンナは、ヨーコに抱きつき、なおも窓の外の景色に心を奪われていた。

 「これも夢? それとも、もう目が覚めたの? わたしは、どうしてここにいるの? 何をしているの? お腹が空いたわ。」

 ヨーコは、アンナの髪を優しく撫でた。そして、上を向いたアンナの唇に唇を重ねた。

 「夢でもいいから、ずっとこうしていたい。」

 少女は、そう言って、柔らかなヨーコの胸に顔を埋めた。アンナと同じ年頃らしい銀色の髪の少女が部屋に入って来た。パンとミルクを持つ手が微かに震えている。

 「朝ごはんよ。昨夜はよく眠れたかしら。」

 エリザベスは、そう言って、優しそうな笑顔を見せた。

 「お兄さま、あの子をどうするつもり? どうして連れてきたの?」

 エリザベスは、別室でエドガーに尋ねた。ルーイも隣にいる。少し顔を赤らめている。

 「今、ルーイにも説明していたところだ。ぼくたちで育てるんだよ。」

 「育てるって言っても、もうほとんど大人よ。しかも、完全に大人の女もいるわ。」

 「女は、計算外だ。勝手について来てしまったんだ。」

 「お兄さまらしくないわね。後でおやつにでもするつもり?」

 彼女は、エドガーの射るような視線に会い、そこで口をつぐんだ。

 「ぼくは、飢えてないよ。さっきルーイからお裾分けをいただいたしね。」

 そう言って、エドガーは、うつむきかげんのルーイの頬に軽く手を触れて、彼の髪を撫でた。まるで、愛玩犬の毛並でも整えるような仕草だ。ルーイは、上目づかいでおとなしく彼の手に頭を委ねている。昨夜シャールと対峙していた時のルーイとは全くの別人のようだ。

 「それから、育てるのはあの子じゃないよ。お腹の中にいるアーサー=ハートンだ。」

 エドガーは、エリザベスに向き直った。

 「でも、叔父様は・・・、アーサーは、殺してくれって・・・」

 「それは、彼の夢だ。意思じゃない。あの子は、ぼくを怖がっている。それが答えさ。生きたいんだ。ぼくたちで、アーサーの暗黒の魔力を中和する。一から育てれば可能なはずだ。」

 「もうすでに、すごい魔力を感じるわ。体の震えが止まらないくらい。」

 「ぼくだってそうさ。ここにいるだけで胸が締め付けられるようだ。」

 「ルーイは、どう思うの? あの子を生かしておくことについて。」

 エリザベスは、ルーイに言葉を向けた。

 「・・・ぼくは、エドに従うよ。」

 ルーイは、小声でそう答えただけだった。エリザベスも諦めたような顔をした。しかし、すぐにまた顔色を曇らせた。

 「アラミスが遅いわ。」

 「彼には、この場所を教えていない。帰ってくることはないよ。」

 エドガーがそう言った。ルーイとエリザベスは、目を見合わせた。

「彼はもう十分成長した。シュンラと違ってね。」

 エドガーは、ルーイの顔をちらりと見た。ルーイは、再び気まずそうに目を伏せた。エリザベスは、無言でルーイの手に自分の手を重ねた。彼らは、また、一つ別れの時が訪れたことを知った。

 

第十一話 完

 

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