ラトザール物語

 

 

第十二話      擬態(その一)

 

 暗い屋内で子供たちが喧嘩をしている。どれも皆、目をぎょろつかせた顔。周りにいる大人たちは誰も止めに入ろうとしない。子供たちの喧嘩の原因は、僅かに残った菓子の配分だった。屋内には、ゴホゴゴと咳をする声も響く。それも、一人二人の数ではない。女たちは、陰鬱な顔を力なく見合わせる。本格的な冬を目前にして、スラニの砦の食料は底をつきかけていた。暗い屋内は、人の群れでごったがえしている。いかに広大な砦とはいえ、周囲の農村から集まった殆ど全ての人々が隠れ暮らしているのだから無理も無い。それでも、人々は、凍える肩を寄せ合うようにじっと耐えていた。

 最近ガーゴイルの襲撃が増えている。翼を持つこの醜悪な魔物は群れをなして上空から急降下で砦に侵入し、逃げ惑う人間を捕らえ連れ去ってしまうのだ。哀れな犠牲者の体の断片が食べかすとなって砦に落ちてくることもある。ハーピーの襲撃もある。彼女たちは群れをなさず、主に子供を狙う。毎日のように砦の中の誰かが犠牲となった。そのため、人々は、昼でも屋根の下に隠れ暮らすようになった。体が金属でできた魔物を見た者もいる。冬枯れの森の中に食料を探しに出た男が目撃したという。三本足で森の中を歩き回る奇怪な魔物だということだ。一緒にいた仲間は、彼の目の前で、魔物の放った光の矢のようなもので一瞬にして焼き殺されたらしい。彼は、僅かにかき集めた食料も投げ出して命からがら逃げ帰って来たという。

 人々が待ち望むカトマール王宮からの援軍はまだ来ない。その援軍を待つことが無駄なことを知っているのは、カトマールから逃れてきた冒険者を含めて数人だけだった。それは、ガランカ配下の元国王親衛隊のメンバーとメルフィーヌの家族だった。親衛隊の一人、フレイアは、見張りの詰め所で、王都カトマールが魔の手に落ち、炎上した夜の光景を思い出していた。魔の兵士に追われ逃げ惑う人々の阿鼻叫喚の叫びが今でも耳の奥でこだまする。

 「どんどん寒くなってくるぜ。今夜は雪になりそうだ。」

 しわがれた大声の主は、同じく親衛隊のメンバー、戦士のロアルドだった。彼は、城壁の警備から帰ってきたところだ。

 「イッキュウは、どこだ。やつの番だぜ。」

 ロアルドは、小屋の中を見回した。

 「いないわ。」

 フレイアは、一言、そう言って視線を床に落とした。昨日の夜から仲間のイッキュウの姿を見ていない。彼女は、来るべき時が来たことを知った。彼は、砦の民衆を捨てて逃げ出したのだ。フレイアの胸の中には、その確信があった。

 「いないって・・・」

 ロアルドは、外套を壁に掛けながら言葉を呑んだ。

 「イッキュウは、カトマールに偵察に行きたいって言ってたわ。前からね。でも・・・」

 フレイアは、そこで口を濁した。

 「でも、なんだよ。」

 「わかるでしょう?」

 「イッキュウが逃げ出したって言うのか? あいつは、そんな男じゃねぇ。この砦の女、子供たちを見殺しにして自分だけ助かろうなんてこと考えるはずねえよ。」

 「あら、そう言いきれるかしら。わたしには、わかるわ。誰だって、一度は考えたはずよ。」

 そう言いながらフレイアは、ロアルドの分厚い胸板に手を触れた。

 「あなただって、そうでしょう? 私たち親衛隊の仲間は、そんなこと考えるはずないと自分に言い聞かせることで、自分自身の気持ちを抑えているのよ。確かに私たちだけだったら、岩山に隠れてでも生き残ることはできるわ。メルフィーヌ様のような素人同然の冒険者ってわけじゃないもの。」

 「・・・」

 ロアルドは、メルフィーヌの名前にちょっとの間沈黙したが、すぐに自分自身を鼓舞するかのように大きな声をはりあげた。

 「もしかしたら、メルフィーヌ様がもうエルドールに着いているかもしれねえ。あの人のことだ、何かとんでもないことをやってくれるんじゃないかって、おれは思ってるんだ。」

 「もし、本当に運良く女一人で魔物の襲撃をかわしてエルドールまで行き着けたとしても、エルドールが、敵であるラトザールのために兵力を割くなんてことあり得ないわ。彼らのことだもの、自慢の城壁を盾にラトザールから押し寄せる魔物の襲撃に備えるはずよ。」

 イッキュウの逃亡がよほどショックだったのか、今日は、彼女らしくない弱気な発言が目立つ。しかし、フレイアの言葉が、彼らの置かれている状況を最も的確に判断した結果であることは、ロアルド自身も十分にわかっている。

 「おれの決意は変らねえ。おれは、この砦のみんなを守るためだったら命も捨てる。ここには、ガランカの大将の子供もいるんだ。おれたちは大将を失い、メルフィーヌ様も死なせるために出したようなものかもしれねえ。だが、せめてもの罪滅ぼしにおれの命にかえてもあの子たちは守り抜いてやる。」

 その時、櫓の早鐘が鳴った。それも狂ったように鳴り続けている。魔物の襲撃の合図だ。ロアルドとフレイアは反射的に弓を手にして外に飛び出した。

 「あん畜生の化け物め、今日こそは、射落としてバーベキューにしてやる。」

 しかし、いつもと様子が違う。数人の男たちが何かを訴えるようにしきりに叫んでいるが、助けを求める悲鳴ではなさそうだ。遠すぎてよく聞き取れない。ロアルドは声の方向に駆け出した。フレイアも後を追う。それは、砦に一つだけある門の方向だ。早鐘はまだ鳴り止まない。しかし、魔物の姿は見えない。声が次第に大きくなる。騒いでいる人数も増えているようだ。門の前は、すでに人の群れでごった返していた。フレイアは、砦の城壁によじ登って、騒ぎの正体を目で確かめた。見慣れない甲冑に身を包んだ騎兵が隊列を組んで整然と行進してくる。その数五、六十騎ほど、それに加えてその倍以上の荷馬の列が続く。

 「エルドール兵よ! 兵糧部隊も一緒だわ!」

 フレイアが叫んだ。彼女は、呆然とした顔で、城壁の上からロアルドを見おろした。ロアルドは、ただ、満面の笑みを浮かべ親指を立てて見せた。

 「援軍だ!」

 「食料だ!」

 人々は、口々にそう叫んで走り回っている。数人の男たちによって重い木の門が開かれた。ギシギシと軋んだ音を立てる。いつもは陰鬱に聞こえるその音も、今日は、心躍る音に聞こえる。騎兵は、砦に入ると、金属音を響かせて馬をおりた。大勢の人々が寄り集まり、周りを囲んでいる。男たちは、先を争うように、馬の世話、荷物の運搬を手伝っている。ロアルドとフレイアは、人の群れを掻き分けるように前に出た。エルドール兵は、中庭で隊列を組んでいた。そして、リーダーらしい若い男が一歩前に出た。人々の視線がその男に集まった。気品ある顔立ち。良家の子息といった感じだ。甲冑の記章から将校であることがわかる。

 「この中にサミエ家のメイヤ様は、いらっしゃいますか?」

 彼の声に、人々の輪が僅かに乱れた。そして、群集の一番後ろにいたずんぐりとした女に人々の視線が移った。エルドール兵の隊列が、彼女に向かって前進する。人々は、押し合いへし合いしながら移動して通り道を作った。

 「サミエ家のメイヤ様ですか。」

 無口なトロール女のメイヤは、表情も変えず、うなずいた。彼女にとって、そんな風に呼ばれるのは初めてのことに違いない。どう対処したらよいのかわからないという顔つきにも見えるが、もともと表情が乏しい彼女なので、驚いているのか、怖れているのか、喜んでいるのか、その顔から推し量ることはできない。ただ、両腕に抱いている二人の幼子をかばうように少し身を引いた。それは、ガランカとメルフィーヌの双子の子供、リルとリフだった。メルフィーヌに似た艶のあるさらさらの黒髪を乳母の懐に押し付けている。そして、大きな瞳をきょとんとさせて常ならぬ大人たちの様子をうかがっているようだ。エルドール兵は、隊列を組んだまま全員、その場でざざっとひざまずいた。

 「司令官からの直々の令で、あなたがたを保護するためにまいりました。」

 若い将校がそう言った。自分の言葉に重みを持たせるかのように、“直々”という単語を強調した。

 「司令官って?」

 側まで人波を掻き分けてきたフレイアが口を挟んだ。若い将校は、フレイアの記章から国王直属の冒険者であることを知ると、立ち上がり、軽く儀礼的な敬礼をした。フレイアも敬礼を返す。

 「ラトザールの危機を救うために立ち上がったエルドール軍総司令官メルフィーヌ=サミエ閣下です。我々は、閣下のご子息、ご息女の保護のために派遣された先発隊です。閣下の軍は、エルドールからカトマールに至るまでのラトザールの半分をすでに開放し、カトマールに立て篭もる賊軍を包囲しています。この砦もじきに開放されることでしょう。」

 若い将校の張りのある声に固唾を呑んで耳を澄ましていた群集の中から再びざわめきが沸き起こってきた。顔を見合わせて安堵のため息を漏らす者、拳を突き上げて天を仰ぐ者、女たちは隣同士額を肩に寄せ合って泣いている。突然、獣の咆哮のような音がした。フレイアの隣でロアルドが声を上げて泣き出したのだ。

 

 エルドール・ラトザール連合軍の軍師チョウリョウの作戦は、ものの見事に成功した。指揮官不在のカトマール軍は、伏兵を失い、アスカ平野で側面攻撃を受けても成す術も無く、ただ後退するしかなかった。だが、時すでに遅く、彼らの補給路と後方部隊は、ラトザールの民兵によって寸断されていた。そして、潰走するカトマール軍をエルドールの砲撃部隊が襲った。

 軍の惨状をカトマールの軍師キャプテングランが知ったのは、エドガー討伐が空振りに終わり、さらに地下迷宮から連れ去られたアンナの行方を血眼になって探し求めている最中だった。アンナは、魔王アーサーを身篭った少女で、彼らの切り札だった。

 キャプテングランは、すぐさま反撃に出ようとした。しかし、あまりにも巧妙かつ緻密に張り巡らしたエドガー討伐の罠のため、彼の主力である機械兵師団の再展開は大幅に遅れることになる。カトマールの西に広がる丘陵地帯の森が師団の移動をさらに困難にしてしまった。それでも、彼は残った僅かの機械兵をエルドール・ラトザール連合軍への攻撃に投入した。古代の暗黒の力を持つ三本足の金属の怪物は、人間相手の戦いには絶対的な威力を発揮するはずだった。彼のその目論見は、またもや外れることになる。

 チョウリョウは、シュンラから詳しく聞かされていたカトマールの機械兵に対しても、事前の準備を怠っていなかったのだ。エルドール兵は、行軍中、巨大な丸太を運搬していた。そして、接近してきた機械兵に対して、丘の上から丸太を転がした。さらに、油壺をカタパルトで機械兵の群れに投げ込み、火矢を浴びせかけた。三本足の頭でっかちの化物たちは、足をすくわれ火を掛けられ、身動きができないまま破壊された。

 カトマール王宮の主、エダマ=ルンカは、尖塔の窓から恐る恐る外を見て、遠くに揺れ動くエルドール軍の旗を目にしていた。彼の後ろには、キャプテングランの姿があった。

 「グラン殿・・・」

 エダマは、振り返って、窓の外から身を隠すように急いで暗い影の中に移った。いつもと同じ体に張り付くような宮廷官吏の服を着ている。

 「この惨状をどう説明なさるおつもりか?」

 エダマの顔面は蒼白で、唇は震えている。視線を落としていたグランは、僅かにその顔を見て、ため息ともつかない息を吐いた。失敗の原因の一つは、この宦官を生かしておいたことにあると、グランは、心の中でつぶやいた。

 「ハートンに上手を取られました。」

 グランは、喉の奥から搾り出すようにそう言った。

 「ハートンではないわ!」

 エダマは、頭のてっぺんから抜けるような甲高い声を張り上げた。

 「わしが、言っておるのは、目の前に迫ったエルドール軍じゃ! 我が軍は、壊滅。さらには、こうやって城の周りを包囲されておるではないか! この期に及んでも、軍師殿は、エドガー=ハートン一個人への作戦にこだわると言うのか! エドガー、エドガーと寝言のように繰り返すが、そもそも、そなた、エドガーに出会ったことすらないであろう。まるで幽霊を恐れる子供のようなものじゃ。そなたの作戦ミスは、明らかであろう! どう釈明するつもりじゃ!」

 「魔王を身篭った少女の行方を八方手を尽くして探しておりました。それは、ゼーダ様からの最優先指令でありましたゆえ。」

 ゼーダの名前が出ると、エダマは、口をつぐんだ。

 「おしまいじゃ。もう、何もかも・・・」

 エダマは、頭を押さえてふらふらと歩き出した。グランは、自分の脇に立っている二人の大男に素早く目配せをした。二人の大男は、エダマの歩みを助けるかのような素振りで近づいて行く。その手には抜き身の剣を握っていた。その時、グランの背後で、女の声がした。

 「久しぶりだね。グラン。」

 声の主は、妙齢の婦人というべきだろうか。若い時は、美人だったであろうことを物語っているような顔立ちだ。女物の軽い甲冑を身に着けている。派手な色使いで光物の多い装飾性を重視したデザインだ。

 「ゾーラ。」

 グランの顔が恐怖に引きつった表情を浮かべた。目を大きく見開き、唇を半ば開いている。

 「なんだいその顔は。まさか、わたしが来ているのに気付かなかったっていうんじゃないだろうね。鈍いね。ゼーダ様は、そんなおまえにいたく失望なさっているよ。おしおきをしなくちゃね。」

 ゾーラと呼ばれた女は、エダマの肩に手をかけようとしていた大男に目と指で合図した。二人の大男は、踵を返し、グランの体を両脇から抱えるようにしっかりと捕捉した。

 

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