ラトザール物語

 

 

第十二話      擬態(その四)

 

 エリザベス=ハートンは、揺れる蝋燭の灯りの中、朽ちかけた椅子に座り、最近育て上げた子供たちのことを思い出していた。もちろん、自分の子供ではなく、里親として育てた人間やエルフだ。シュンラの場合、百九十年間、アラミスでも三十年もの間のことだが、エリザベスにとっては一瞬のことのように思われる。彼女にとっては、一刻前の出来事も、千年前の出来事も大した区別はない。ただ、古い屋敷の壁の塗りむらのような記憶の濃淡があるだけだ。それでも、二人の子供たちが時を同じくして巣立って行ったことを知ると、漠然とした虚脱感のような記憶の空洞を見る思いがするのだ。本当に、あの子たちは存在したのだろうか。一夜の夢ではなかったか。彼女は、そう思っては記憶の断片を繋ぎ合せていた。彼女にとって、記憶は、未来へのメッセージなのだ。それゆえ、できるだけ美しい記憶だけを残したいと思う。でも、過去の現実は、それを許してはくれなかった。

 “ベス!”

 美しいさらさらの黒髪の少年が、飛ぶように駆けて、エリザベスの懐に飛び込んでくる。それは、彼女のお気に入りの“記憶”だった。陽の光をいっぱいに浴びた少年の体の芳しい香りを今でもまざまざと思い出すことができる。その少年の名前は、カルザック。彼は成人するとサジャの村の健康的な美少女と恋におちた。二十年前のことだ。カルザックは、赤ん坊を抱いてエリザベスを訪ねてきてくれた。彼女は、赤ん坊を抱きあやし、その薄紅の頬に頬を寄せた。生まれたばかりの命は、彼女の目にまぶしかった。その美しい平和な記憶は、魔王アーサーによって無残に踏みにじられてしまった。カルザックの死という結末で。

 それから、五年におよぶ血で血を洗う戦いの末、エドガーが魔王アーサーを倒した。しかし、今、魔王が復活しつつある。隣の部屋で眠る少女の胎内で。

 エリザベスは、すすり泣きの音を聞いて、隣の部屋に通じる扉を開いた。寝ていると思っていたアンナが一人ベッドの上で泣いていた。

 「どうしたの。」

 エリザベスは、少女の肩に手を置いた。

 「思い出したの。あの夜のこと。」

 アンナは、顔を上げた。それは、いつもの夢見心地の顔ではない。頬が涙で濡れている。エリザベスは、ただ無言でうなずいた。

 「あの夜・・・、突然、魔物が村を襲って来て、お父さんとお母さんは私の目の前で殺されたの。助けに引き返して来てくれたルドルフも・・・。」

 アンナは、両手で目を覆った。嗚咽が少女の肩を震わせる。

 「わたしは・・・、逃げ出したんだけど、魔物に捕まりそうになって・・・、そこで、知らない男の人に助けられたの。顔半分がえぐり取られたように傷ついていて恐かったけど、目は優しそうだった。そして、気がついた時には、奇妙な部屋で裸で寝かされていたの。わたし、みんな夢だと思って・・・、でも、このお腹・・・」

 アンナのお腹は、臨月で、出産間際の豊かな丸みをおびていた。彼女の嗚咽は止まらない。エリザベスは、アンナの頭を自分の胸に抱き寄せた。事の解決は、時間に任せるしかない。この哀れな少女は、今や、有り余るほどの時間を持っているのだ。彼女は、まだ気付いていなし、理解もできないだろうけど、アンナは不死の一族の仲間入りをしている。それは、時の記憶だけを紡ぐ空虚な実体だ。まるで訪れる人も無い古い図書館で朽ち果てることもできず埋もれる文献のような存在。ただ、少女の忌まわしい記憶ができるだけ深く風化することを願うしかない。エリザベスは、そう考えていた。それにしても、顔のえぐれた男とは誰だろう。シャールだろうか。まさか、あの薄汚い魔法使いが人助けなんかするはずがない。

 「誤解が無いよう言っておくが、おれは、そのガキを助けたわけじゃねえぜ。」

 蝋燭の灯りの届かない薄暗がりの中から突然、その声は聞こえた。くぐもったようにしわがれた男の声だ。その次に若い張りのある女の声が聞こえてきた。

 「いきがかり上、そうなっちやっただけよ。その子の体が必要だったの。」

 薄暗がりの中から姿を現したのは、ヨーコだった。ヨーコは、全身血に染まり、片手に人間の首を持っている。それは、サスケの首だった。

 「私のじゃまをしようとしたから、死んでもらったわ。」

 ヨーコは、血の滴る生首をエリザベスに差し出して見せた。

 「そうそう、あなたにとっては、かわいい子供のようなものだわね。可哀そうな事をしちゃったかしら。」

 そう言って、残忍そうな目で笑った。エリザベスの髪が無数の銀の剣のように逆立ち、鞭のように伸びて、ヨーコの体を襲った。ヨーコはその第一撃を軽くかわすと、目にも止まらぬ素早さでエリザベスの前に立ち、みぞおちに拳を叩き込んだ。エリザベスは、ヨーコの足元に崩れ落ちた。異変に気付いたエドガーとルーイが駆けつけて来た時は、エリザベスの体は、ヨーコの片腕に抱え上げられていた。

 ヨーコの頭をめがけて放たれたエドガーのナイフは空中に浮かぶように動きを止めている。次々に放たれる刃は全てヨーコの体を取り囲むように空中に静止したままだ。

 「無駄よ。こんなものでは私は倒せないわ。」

 ヨーコは、そう言って笑った。

 「その子を離せ!」

 エドガーが叫び、全身を震わせ始めた。ミシミシと不気味な音が響き。薄暗い廃屋の柱が曲がって見える。地響きが聞こえる。まるで空間が捻じ曲げられているようだ。

 「待って、エド! こんな場所で力を放出したら、ベスの体が・・・」

 ルーイが叫んで、エドガーを制止した。エドガーは、ふと泣き出しそうな目をした。いつもとまるで違うなさけ無いような顔で自分の手に視線を落とした。その時、しわがれた男の笑い声が高らかに鳴り響いた。その笑い声の主は、ヨーコだった。彼女の目は空ろで、視線をさ迷わせている。

 「久しぶりだな。エドガー=ハートン。この日を待ってたぜ。」

 ヨーコの口から、くぐもった男の声が出た。

 「きさま、シャール・・・」

 エドガーとルーイは、空ろなヨーコの目をにらんだ。

 「なんだい、その顔は、驚いているのかい。うれしいね。でも、安心しな。俺様は、ちゃんと死んでるよ。幽霊でもないぜ。れっきとした魔法使いだからな。おまえさんたちのようなばけものとは違うんだ。おれはこの女の潜在意識の中に埋め込んだ別人格だよ。擬態の魔薬を使ってな。別人格とはいえ、こうやって会話もできる。もちろん、この女の体も動かせる。“力”も使えるんだ。」

 ヨーコは、空いている方の手をエドガーに向かって動かした。重い木の机がエドガー目掛けて飛んで行き、大きな破裂音と共に彼の目の前で粉々に砕け散った。

 「この女は、サイキックだよ。気付かなかったようだな。ニンジャ一人にこの女の監視を任せるなんてな。サスケの死は、エドガー、おまえさんの責任だぜ。ところで、おれを殺したのは誰だ? そこに突っ立っているルーイかい? なかなか立派な死に様だっただろう。俺様の美学ってやつさ。ちゃんと、あの世で待ってるぜ。ルーイの旦那。」

 ヨーコは、くっくっと笑い声を漏らした。

 「さて、今は、おまえさんたちと遊んでいるひまはないんだ。さあ、おいで、アンナ、帰るぜ。」

 ヨーコは、アンナに手を差し出した。アンナは、怯えた表情で頭を振りながら後ずさりしている。

 「仕方ない子ね。さあ、おいで、私の子猫ちゃん。」

 急にヨーコは、彼女の声に戻った。その瞬間、ルーイが飛び出し、アンナの体を庇うように抱き取った。とっさに視線を戻したヨーコの目の前でエドガーが姿を消した。彼は、ヨーコの背後から剣で切りかかっていた。僅かの差でその切っ先を逃れたヨーコは、舌打ちした。

 「まあ、いい。その子といる限り、いつでもあんたたちの居所は掴めるものね。」

 そう言い残し、ヨーコはエリザベスの体を抱えたまま忽然と姿を消した。

 

 レアルの砦は、今も喧騒に包まれている。早馬の往来はひっきりなしに続き、上級将官やエルドールからの賓客の訪れも後を絶たない。他国からの使者も来る。みなすでに戦局が読めたと判断しているのだ。すでに、戦後の論功行賞の噂も聞こえ始めた。忙しい公務の合間をぬって、メルフィーヌは、軍師の執務室をのぞきこんだ。どことなくそわそわした感じだ。彼女の視線は、床で居眠りをしているように座り込んでいるアラミスの姿をとらえた。シュンラの姿が無いことにメルフィーヌは安心した。

 「チョウリョウ、少し話せるかしら。」

 彼女は、目でチョウリョウを差し招いた。

 「今、エルドール防衛省からの使者が来て、アルザニア島の利権について、あなたの意見が欲しいって。」

 彼を廊下に呼び出すと、メルフィーヌは、そう切り出した。彼女の隣には屈強な護衛兵が直立している。

 「また、戦後処理の議題ですかな。そういった事務手続きに頭を煩わせるのは、私どもには、時期尚早でございますよ。まだ、戦は勝ちと定まったわけではありませぬ。それに、私には、カトマール王室とエルドールの領有権争もブルーノ陛下の王子の安否もあずかり知らぬことでございます。私は、一介の山寺の修行僧、この戦が終われば、それ以外の者ではありませぬ。」

 チョウリョウには珍しく不機嫌そうな言葉だ。しかし、メルフィーヌは、上の空の様子で聞き流しているように見える。

 「そうね。今はまだ気を抜く時じゃないわね。ところで、シュンラから推薦されてあなたの直属の衛兵になったアラミスだけど、どんな様子かしら。さっきに見た時は、居眠りしているように見えたけど。」

 メルフィーヌは、声をおとして、そう尋ねた。

 「アラミスは、いつもあの調子です。眠っているわけではありません。常に気を掴もうとしているのです。頼もしい用心棒ですよ。山寺にも四人の僧兵がおりました。彼らの所作に似ております。」

 「彼、エドガー=ハートンと一緒に行動していたのよね。何故、エドガーのところにいたのか、詳しく聞いていないかしら。もしかして、一年ほど前にエドガーに助けられたとか言っていなかった?」

 「さて、詳しい事情については、何もうかがっておりませぬ。何しろ、一日のうちに交わす言葉は、一言あるかどうかなので。メルフィーヌ様には、何事か気になる点がありますので?」

 「ううん。ただ、知ってる人に瓜二つだったから、つい・・・」

 アラミスの姿を見る度に、メルフィーヌの心の中ではベンの面影が思い出されてくるのだ。抱擁する時の指の感触も鮮明に体に残っている。ベンがエドガーに助けられて、今まで行動を共にしてきたのではないかと、メルフィーヌは、微かながら希望を込めて考えていた。エドガー、想像を絶する魔力を持ち永遠に年をとることのない少年、彼になら、死者を蘇生することもできるのではないかと思ってしまう。彼女自身、致命傷を負いながらも助けられたのだ。第一、ベンの死を確認した者はいない。ガランカが洞窟の中から彼の遺品を持ち帰っただけのことだ。ベンがアラミスと名を変えて、再びメルフィーヌの目の前に姿を現したとしても、それほど不思議なこととは思えなかった。

 「どうなさいました。」

 チョウリョウが心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。

 「何でもありません。ただ、カトマールの反乱以来、色々な事がありすぎて・・・」

 「心配ありませぬ。先ほどは、ちと口が過ぎました。まだ勝ったと浮かれる時ではないのですが、状況は、確実に好転しております。司令官殿は、胸を張って威風堂々と賓客連中に接してくださいませ。あなた様のご意見をみな尊重いたしましょう。」

 「ええ、わかりました。いつもありがとう。この戦が終われば、あなたはシュンラと一緒に暮らすのね。」

 「はい、一緒に小さな家を持ち、シュンラ様の子供の父親となり、学校で教職につくのが私の夢でございます。」

 チョウリョウの言葉に、メルフィーヌは、自分の家族の事を思い出した。母は、魔物の刃にかかり、ガランカの消息もいまだ知れない。残された二人の子供たちは、スラニの砦でどう暮らしているものか。彼女の目が遠くを見るような目になった。

 「メルフィーヌ様の父君も冒険者だったそうですね。」

 チョウリョウが沈黙を破った。

 「ええ、でも、わたしが生まれてすぐに死んでいます。国王陛下に拝謁を許された偉大な冒険者。それが、父について知っていることの全てです。名前は、カルザック=ダルネ。」

 彼女が父親の事について話をすることはあまりない。知っていることが悲しいほどに少なすぎるのだ。どうやって死んだのかさえもわからない。

 その時、軍師の部屋のドアが開いた。アラミスが呆然とした顔でそこに立ち、メルフィーヌの顔を見つめていた。

 「きみが・・・」

 アラミスは、カルザックの面影をメルフィーヌの中に探していたのだろう。ただならぬ様子に護衛兵が色めき立った。すでに剣の柄に手をかけている。

 “ベン。”

 メルフィーヌは、心の中で叫んだ。こんなに似ているのに別人のはずがない。

 「俺は、あなたの父上を知っている。立派な人だった。少年だった俺をかばい、魔王アーサーと戦ったんだ。俺の知っている中で、最も勇敢な人間だった。」

 アラミスは、彼女に向かって冒険者の最敬礼を送った。

 

第十二話 完

 

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