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ラトザール物語
第十三話 刺客(その一)
どんよりとした曇り空から雪が舞い落ちてくる。その暗い空にそびえ立つカトマールの尖塔の中に銀色の髪の少女が幽閉されていた。尖塔の窓は、石をくり抜いただけのもので、風と共に雪が吹き込んでくる。少女は、裾の長いドレスを石の床に広げて、じっと座り込んでいた。ここ数日間、そのままでほとんど身動きもない。部屋の入り口に見張りの兵士が二人いる他は、人影も無い。舞い込む雪が無ければ、まるで時間が死んでいるように見える。カトマールの獰猛な兵士たちも、少女を恐れて近づこうとしない。シュンラによって百人以上の死傷者が出た事件は、彼らの記憶に新しい。今幽閉されている少女は、かつて魔王アーサーを倒したハートン兄妹の一人だ。見た目は、か細い少女だが、数万年の時を生き、シュンラをも上回る魔力を持っているらしい。しかし、屈強な兵士たちを震え上がらせているのは、彼女の魔力ではなく、彼女がヴァンパイアだという噂だった。彼女と同じ空気を吸うだけで、死の病に感染するように命を吸い取られると考えている者も多い。ヴァンパイアに関する数多くの迷信が彼らの足を尖塔から遠ざけていた。 エリザベス=ハートンは、座り込んだまま、過去の記憶を紡ぎ合わせていた。十九年前、彼女は、このカトマール城に捕らえられていた。その時は、十一才の少年アラミスも一緒に監禁されていた。
「俺が、魔王アーサーを見たのは、それが初めてだった。」 アラミスは、レアルの砦の司令官執務室でメルフィーヌと向かい合って座っていた。十九年前の出来事を語り始めたところだ。それは、メルフィーヌの父、カルザックが戦いで命を落とした時の話だった。 「アーサーは、普通の人間と同じように見えた。髪は黒く、目はエドガーと同じ深い青だった。年恰好は、人間で言えば四十才すぎぐらいに見えた。背が高く、痩身で、眼光は異様に鋭かった。最初のうち彼は、ベスを相手に、まるで世間話でもするような穏やかな調子で語りかけていた。」
『我が一族よ、何故、そうまでして、人間の肩を持つのだ。彼らの愚かな所業と我らへの仕打ちを忘れたわけではあるまい。人間どもは、暗黒の力でこの地上を焼き尽くし、自らの同胞を殺し尽くしてもなお、反省という言葉を知らぬ。時が経てば、再び同じ過ちを繰り返すのみ。彼らの歴史がそれを実証しておる。』 アーサーは、エリザベスに向かってそう言った。 『繰り返したのは、過去のことであって、未来ではありません。まだ、定まっていないのですから。』 エリザベスは、静かに反論した。 『過去と未来は、常にリンクしておる。現在とて同じこと。食えぬ者が出れば、必ず、その弱みにつけこんで力を得る者が現れる。また、自ら創り出した魔族を忌み嫌い、取り除こうとする。魔族とて、等しくこの地上に生を受けし者ども。ここしばらくの平和な世界が人間と魔族との力の平衡の上に成り立っておることすら、人間どもは理解しようとせぬ。もしその平衡が崩れ人間が再び万物の霊長を気取ることとなれば、人間同士の争いが加速し過去の凄惨な過ちを繰り返すのは火を見るよりも明らかじゃ。』 『けれど、お兄さまは、過去と未来との連環は必ず断ち切れると・・・』 『エドガーの考えは、わしとほんの少しずれておるだけだが、その溝は、何万年経とうとも埋まる事はない。しかし、おまえがわしの側についてくれれば、話は別だ。わしは、人間を滅ぼそうとしておるのではない。少しばかりの調整が必要なだけだ。我らは、捕食者。その調整を行う責務がある。』 『生きとし生ける物全て自然治癒力を持っています。人間社会とて同じこと。作為的な介入は無用。百害あって一利なしです。』 『おまえは、エドガーに毒されておる。あの殺戮者に。奴のこれまでの所業を忘れたわけではあるまい。』 『叔父様は、自らの心と肉体に毒されています。』
「アーサーとベスの議論は、平行線のまま、三日三晩続いた。俺は、自分の置かれている状況も忘れて、居眠りをしていた。ベスは、俺のために食事を要求し、最初のうちはアーサーもそれに応じてくれた。しかし、状況が変った、エドガーが、アーサーの敷いた防衛線を力づくで突破したのだ。アーサーは、部下の多くを失ったらしい。彼は激しい怒りをあらわにし、人間である俺を見せしめに殺そうとした。ベスは、抵抗したが、彼女と魔王アーサーの力の差は歴然だった。そこに現れたのが、エドガーと別行動をとっていたカルザックだった。彼は、俺たちの危機を知り、単身駆けつけてくれたのだ。」
『愚かな人間の身で、このわしに刃向かうつもりか。』
「魔王アーサーは、剣を構えたカルザックを前に嘲笑的な笑いを浮かべていた。しかし、カルザックと激しく剣を交えると、その顔から笑いが消えた。魔王は、手から巨大な光を放った。ベスの防御呪文がその攻撃を跳ね返した時、カルザックの体は、魔王の頭上にあった。そして、その剣は魔王の左肩に食い込んでいた。人間相手に深手を負った魔王アーサーは当惑の表情を浮かべていた。異形の兵士たちが魔王の身を守るために次々に姿を現した。カルザックは囲まれ、魔王アーサーの放った閃光が彼の体を貫いた。しかし、その時、同時に別の閃光が異形の兵士たちの体を引き裂いていた。猛烈な熱波と断末魔の悲鳴が収まると、その中心には、エドガーが立っていた。その時見たエドガーは、いつもの彼とはまるで違っていた。両目が青く光り、体は、白い稲光のようなもので覆われていた。エドガーは、襲い掛かってくる兵士たち全てを粉々に吹き飛ばしながら、アーサーに近づいて行った。手負いのアーサーは、逃げ出した。魔王アーサーが、カトマールの地下迷宮に逃げ込んだことがわかったのは、だいぶ後のことだ。異形の兵士たちが魔王を追うように姿を消し、ベスが駆け寄った時には、カルザックはすでに息をひきとっていた。」 アラミスの話が一段落すると、メルフィーヌは、胸にあった疑問を口にした。 「エドガーほどの魔力があれは、瀕死の者を蘇生することができたんじゃないの?」 「一度失われた命を取り戻すことはできない。過ぎ去った時間をもとに戻せないのと同じだ。そして、エドガーは、破壊神だ。命を授ける者ではない。特にベスの身が危険に晒された時は、見境の無い殺戮者と化してしまう。あの時、ベスは、エドガーを責めたよ。カルザックを彼の攻撃の巻き添えにしたって。でも、俺が見た限りでは、カルザックは、魔王の閃光に貫かれた時、すでに命を落としていたと思う。」 アラミスは、メルフィーヌの目を見ながら、そう言った。メルフィーヌは、その視線を真っ直ぐに受け止めた。彼女にとっては、父を殺したのが魔王アーサーでも、エドガーでも大した問題ではなかった。ただ、子供の頃何度も想像してきた通り、彼が魔王を相手に勇敢に戦ったことを知ってうれしかった。誇りに思えた。それにしても、 “やはり、ベンではないのね。” 彼女は、アラミスの目を見ながらそう思ったが、絡み合った視線は解かなかった。 「わたしには、父の思い出がないわ。父と長い年月を共にしていたあなたがうらやましい。」 「俺は、カルザックが赤ん坊だったあなたを抱いてベスを訪ねてきた時のことを憶えているよ。彼は、何物にも代えがたい宝物として、あなたを愛していた。」
石造りの暗い室内に巨大なベッドがあり、そこに大男が横たわっていた。緑色に近い灰色の肌。トロール族だ。ベッドの側に、金ぴかの甲冑に身を包んだ女が立っている。ゾーラだった。 「お目覚めのようだね。ガランカ。勇名高いサミエ家の御曹司だね。」 ガランカは、横たわったまま、目を開けてゾーラを見ていた。 「本当に頑丈な体だよ。兵士たちは、おまえが死んでいるものと思って、城に運び込んできたんだが、途中で息を吹き返したんだ。憶えているかい?」 ガランカは、太い首を横に振った。 「だろうね。憶えていてもらっちゃ困るんだ。これから、一仕事してもらうんでね。人間を一人殺してもらいたい。簡単なことだろう、あんたにとっては。なにしろ、おまえたちトロールやエルフは、もともと戦争の道具として作られたものなんだ。人間の手によってね。つまり、人間を殺すことが、あんたがたの本来の目的というわけだ。まあ、そんな遠い昔の祖先の記憶なんて残ってはいないだろうけどね。ちょっとばかり、あんたの脳に細工をさせてもらったよ。兵器としては不必要な感情を取り除いたんだ。殺す相手の名前は、チョウリョウ。忌まわしい民兵どもの軍師だ。」 ガランカは、チョウリョウの名前を知っていた。ダルマ老の山寺で会ったことがある。なぜ彼を殺さなければならないのかはわからない。しかし、殺せと言われれば殺すまでだ。それは、彼にとって、至極当然のことのように思われた。 「チョウリョウを殺すのか。わかった。」 ガランカは、しっかりとした口調で、そう言った。 「いい子だ。でも、一つだけ気をつけてもらいたいことがある。チョウリョウの側にエルフが一匹いる。トロール、ドワーフ、ホビット、そういった亜人種は、人間の遺伝子を改変して作られたんだ。そして、古代神話にちなんで種族として命名されたのさ。職人的な役柄から友好的な種族であったドワーフやホビット同様、トロール族は、人間との交配により、その能力の殆どを失った。名残として残っているのは頑丈な巨体くらいなものさ。その点、エルフは違った。知ってると思うけど、人間と交配してもエルフからは女の子しか生まれない。そして、その女の子はエルフになる。それは、エルフの重要な形質が体細胞遺伝するからさ。中心的な役割を担うのがミトコンドリアでね。エネルギー代謝を司る細胞内小器官。まあ、説明してもしょうがないけどね。人間兵器として人工的に改良されたミトコンドリアというものさ。電子伝達系のレベルで改変されてるんだ。彼女たちが生まれつき持っている特殊能力と長い寿命は、こいつのおかげさ。そのため、最初のころはイブと呼ばれていた。ラッキーマザーにちなんでね。さらに、転写産物の初期濃度分散が個体間で一定になるように制御系も改変された。しかし、エルフ族は、あまりの寿命の長さから、気も長くなり、すっかり戦争には不向きな種族になってしまった。まあ、その前に戦争好きな文明の方が滅んでしまったけどね。それ以降の数万年にも及ぶ比較的平和な人間社会には、エルフ族の長い寿命が貢献したという説があるんだ。皮肉なものだろう。戦争の道具として作られた種族が、戦禍の語り部として戦争を抑止したっていうんだから。古代文明の巨大戦争周期説が人族の寿命と関連づけられているのはこのためさ。」 ガランカは、無表情で、じっと耳を傾けているようだ。ゾーラは、そこで、言葉を区切り、頭を掻く仕草を見せた。 「やだね。私の悪い癖さ。無駄なおしゃべりが過ぎるんだ。ゼーダに笑われちまう。まあ、一言で言えば、エルフには構うなってことさ。あんたの勝てる相手じゃない。隙を見て、チョウリョウを殺すんだ。それから、あんたの奥さん、メルフィーヌだね。邪魔になるようなら、殺しな。でも、第一番の標的は、チョウリョウだ。し損なうんじゃないよ。」 “なぜメルフィーヌを殺すのだろう。”ガランカには理解できなかったが、無言でうなずいていた。
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