ラトザール物語

 

 

第十三話            刺客(その二)

 

 雪は激しさを増している。尖塔の牢獄の前に数人の人影があった。その中の一人、ゾーラは、切り窓から外を見ていた。彼女の甲冑は、暗い牢獄の中で不自然に華やかな輝きを放っている。

 「妙だね。いつもうるさいほど飛びまわっているハーピーやガーゴイルが一羽もいないよ。雪のせいかね。ザルバ。連中は、寒さに弱いのかい?」

 ゾーラは、顔に幾何学文様を掘りこんだ男に声をかけた。

 「さあ、そんな話は、聞いたことねえです。」

 ザルバは、そう答えた。

 「まあ、気にするほどのことじゃないだろう。ところで、何か食べたかい?」

 ゾーラは、異様に太い鉄格子の向こう側に座り込んでいる少女の姿に向かって顎をしゃくった。牢獄の入り口に立っていた兵士は、首を横に振った。

 「時々、水は口にするのですが、食事には口をつけようとしません。」

 兵士は、そう答えた。

 「なんだか弱ってるように見えるね。困ったお嬢ちゃんだ。ザルバ。ヴァンパイアの好物はなんだい?」

 「そりゃ、もちろん、人間でさ。普段は、オークやコボルトなんぞも食ってるらしいですがね。生きた人間に勝る餌はありませんぜ。」

 ザルバは、にやにや笑いながら答えた。ゾーラも笑いながら、側に立っている兵士の顔を見ている。兵士は、恐怖に引きつった顔で後ずさりした。

 「安心おし。あんたたちを餌にはしないよ。見張りの兵士がいなくなっちゃ困るだろう。グラン。例の男を連れておいで。」

 ゾーラは、顔だけで後ろを振り向いて、そう言った。グランは、無言で部屋から出て行った。

 「大事な人質だ。いや、人じゃないけどね。そんなことはどっちでもいい。でも、エドガー=ハートンは、本当に取引に応じるかね。」

 「大丈夫よ。」

 男物の服を着た黒髪の美女が答えた。ヨーコだ。

 「エリザベスの身が私たちの手にある以上、やつにとっての優先事項はかわいい妹の安全だけよ。それ以外は眼中になくなるわ。ラトザールの民兵を攻撃しろと言われれば、見境無く殺し尽くすわよ。破壊神エドガーの本領発揮というわけ。でも、そのためには、くれぐれも彼女の安全を脅かさないようにしなければならないわ。」

 ヨーコの言葉に、ゾーラは、にんまりと笑った。その時、ドスンと大きな鈍い音がして、牢獄が震えた。尖塔の壁に外から何か巨大な物がぶつかったようだ。ゾーラたちが切り窓から外を見ると、そこには黒い大きなドラゴンがいた。

 

 「ジーク! きちゃだめ! 逃げて!」

 エリザベスは、いつの間にか立ち上がり、切り窓から外に向かって叫んでいた。ドラゴンのジークは、雪空に悲しそうな鳴き声を轟かせながら尖塔の周りを飛んでいる。尖塔の下に兵士が集まり始めた。三本足の機械兵もいる。それを見ると、ジークは、巨大な炎を吐いた。

 「止めて! 逃げて! ジーク!」

 エリザベスの必死の叫びをかき消すような轟音が鳴り響き、幾筋もの光の矢が雪空を切り裂いた。肉の焼け焦げる匂いが辺りに漂う中、ジークは、ゆっくりと回転しながら舞い散る雪と共に落ちていった。エリザベスは、ジークの名を叫びながら、切り窓の下に泣き崩れた。

 

 夜の訪れと共に雪は止んだ。カトマールからタケル川に沿って東に半日ほどの場所にあるレアルの砦は、薄っすらとした雪化粧の中にあった。家々の灯火が窓から漏れ、辺りを暖かい光に包んでいる。アラミスは、メルフィーヌの部屋に留まっていた。この時間は、チョウリョウの側にシュンラがくっついているので、用心棒は必要なかった。アラミスは、メルフィーヌの求めに応じ、カルザックの思い出を語っていた。時おり屈託の無い楽しげな笑い声が漏れる。蝋燭の明かりに身を寄せ合っているため、二人の距離は、昼間よりも随分と近くなっていた。手をのばせば相手の体に触れられる距離だ。アラミスは、軍師の執務室にいるときとはまるで別人のようにしゃべり続けている。若く美しい女性の前なのだから当然かもしれない。一つの灯火のもと、二人の語らいは、夜が更けるまで続いた。

 

 男一人を屈強な兵士が幾重にも取り囲んでいる。側には、キャプテングランの姿があった。

 「黙ってついてこい。用件は、聞かないほうが身のためだ。」

 グランは、男の顔を見ようとはせず、そう言った。

 「わかっています。虜囚の身となって以来、何かにつけてのお心遣い。ありがとうございました。」

 男は、そう言って、頭を下げた。

 「イッキュウ殿。」

 グランは、初めて男の顔を見た。

 「できれば、こんな戦の中で出会いたくはなかった。しかし、これも人の世の定め。許されよ。」

 かつて国王ブルーノの親衛隊の一員であったイッキュウは、スラニの砦からカトマールに偵察に来て、地下牢に捕らえられていた。今は、グランについて城の中を上に上にと登ってゆく。たどり着いた先は、別の牢獄だった。異様に太い鉄格子が目につく。地下牢よりもさらに寒さが身にしみる。見張りの兵士が道を開けた。グランは、重い鉄格子を開き、イッキュウに中に入るよう促した。

 牢獄の中は暗かった。風が吹き込んでいる。イッキュウは、立ったまま暗闇の中に視線を留め、目が慣れるのを待った。その視線の先にあったのは、一人の少女の姿だった。イッキュウは驚いた。彼は、そこに醜悪な魔物の姿を予想していたのだ。彼は、魔法を使えない結界の中であっても、素手で魔物に最後の一戦を挑むつもりでいた。驚きは、期待に転じ、その少女の正体を知ると共に、再び、絶望へと変った。もちろん、彼は、彼女を知っていた。そして、彼がこの牢獄に移された目的も悟った。

 エリザベスは、身動きもせず、イッキュウの顔を見ようともしなかった。

 

 夜が明けた。イッキュウは、束の間まどろんでいたらしい。久しぶりに見る朝日に目をしばたいた。エリザベスは、昨夜と全く同じ場所で同じ姿勢のまま座っていた。

 「私は、カトマールの状況を確認しようと思ってやってきたんです。」

 一人朝食を済ますと、イッキュウは、語り始めた。

 「私は、仲間と共にスラニの砦にいました。砦の状況は日々悪化する一方で、誰かが王宮で起こった反乱の成り行きを確認する必要があると思ったのです。怖くて逃げ出したのではありません。私は、死を恐れてはいません。」

 「・・・」

 「怖くないと言い切ったら、嘘になるかもしれません。正直なところ、砦を抜け出す時は、行き先を決めてなかったんです。座して死を待つより、生きる道を見出したい。その一心でした。それが、逃げ出すことになるのか、それとも、カトマールに行って目的を成し遂げるのかは、決心していなかったんです。」

 「・・・」

 「結局、私は、ここに来ました。自分の役割からは抜け出せなかったんです。でも、無駄でした。捕らえられてしまったんです。砦に残してきた仲間たちは、私のことを恨み、臆病者としてさげずんでいることでしょう。当然の酬いかもしれません。でも、何もしないまま死にたくなかっただけなんです。」

 一方的にしゃべり続けるイッキュウに対して、エリザベスは無言のまま姿勢を変えることもなかった。しかし、彼女がほんの僅かずつ彼の方に近づきつつあることにイッキュウは気付いていた。それが人肌恋しさといった人間的な感情ゆえのものではないことを、彼は、十分に知っていた。

 

 メルフィーヌは、アラミスの腕の中で目をさました。二人は、裸で抱き合ったままだった。彼女は、アラミスの熱い抱擁と初めて触れ合った唇を思い出していた。ベンには似ているが、その愛撫は、ベンとは異なる男のものだった。

 “やっちゃった。”

 メルフィーヌは、アラミスの胸に顔を埋め、そう思った。まだ、夫のガランカの消息すらつかめないのに、まだ、戦の最中だというのに。お互い明日をも知れぬ者どうし、求め合い、抱き合い、その存在を確かめ合った。後悔はしない。彼女はそう自分に言い聞かせた。

 アラミスの目が開いた。再び触れ合う唇。求め合う二つの若い肉体。メルフィーヌは、彼の逞しい背中に腕をまわしてしがみついた。“離さない。”戦場でめぐり合った二人の未来がどんな方向に進むとも。

 

 すっかり雪に覆われた山深く、巨大な獣が雪道を登っていた。三つの頭を持つケルベロスだ。背中に、少年と少女を乗せている。ルーイとアンナだった。やがて、ケルベロスは、ダルマ老師の山門の前で立ち止まった。修行僧たちは、普段の参拝客でも迎えるかのように二人と一匹を寺の中に通した。

 「ルーイ殿、お久しぶりじゃ。エリザベス殿のことは聞いておりますぞ。エドガー殿は、心を痛めておりましょう。」

 ダルマ老師は、大きな祭壇のある部屋で二人を迎えた。

 「はい。」

 ルーイは、一言、答えた。

 「すでに使僧にことづけておるが、エドガー殿には、くれぐれも熟慮の上で行動していただくよう、あなたからも再度念を押していただきたい。さもなくば、我らとて座視はできぬ。」

 ダルマ老師の野太い声に、ルーイは、無言でうなずいた。しかし、彼には、いつまでエドガーを押さえていられるか、自信は無かった。今日は、アンナを預かってもらうために、この山寺を訪れたのだ。エドガーとルーイの二人だけになってしまっては、身重のアンナを連れ歩くことはできなかった。それに、アンナの胎内にいる魔王アーサーの気は日に日に増大している。彼女を連れ歩く限り、カトマールの追っ手から逃れることすら容易ではない。ダルマ老師は、アンナを預かることを快諾してくれた。

 「サスケとジークを失いました。」

 用件が済むと、ルーイは、そう言った。ダルマ老師はうなずいて見せた。

 「シュンラとアラミスは独立しましたな。今は、二人ともレアルの砦じゃ。ルーイ殿もよくご存じのメルフィーヌ殿の陣中じゃ。」

 メルフィーヌの名前にルーイの顔色が変った。彼には、シュンラとアラミスがメルフィーヌの陣中にいることも初耳だった。

 

 「まだ食ってないね。」

 ゾーラは、尖塔の牢獄の中を見て、ため息をついた。最初のうちは興味半分に覗きに来ていたのだが、二日目、三日目ともなると、焦りの色を隠せないようだ。彼女は、隣にいるザルバに咎めるような視線を投げた。

 「顔見知りだと襲わないんじゃないかい? これ以上弱らせてしまったら、もともこもないよ。」

 「さあ、ヴァンパイアが人間の子供を育てるという話は聞いたことがありますが、知り合いだから食わねえというわけじゃねえでしょ。もうちょっとですぜ。腹が減りゃ、なんだって食いますよ。」

 「全く、化物のくせに、ままごと遊びじゃあるまいし、人間の子供を育てるなんて、どういうつもりだろうね。」

 ゾーラは、忌々しげに言いながら、檻の中のエリザベスを見ていた。

 

 三日目が暮れて外が暗くなった時、僅かに漏れてくる篝火の明かりの中で、イッキュウは、エリザベスと初めて目が合った。彼女の顔は、雪のように白く、すっかり憔悴しているように見えたが、目だけが異様な輝きを放っていた。

 「いいですよ、私は。さあ、一息にやってください。あなただけでも、生き残り、エドガーにここで起こったことを伝えてください。彼なら、きっとこのカトマール城に巣食う悪魔どもを滅ぼし、私の無念を晴らしてくれるでしょう。そうすれば、私の名目も立ちます。仲間を見捨てた裏切り者として朽ち果てるよりも、私は、あなたの記憶の中で一人の戦う男として生きたい。」

 イッキュウは、静かに目を閉じた。

 「あ、でも、できれば、私が眠っている間にやってください。いろいろ言ったけど、やっぱり死ぬのは恐いです。恥ずかしいけど、体の震えが止まりません。」

 エリザベスは、こっくりとうなずいた。

 

 次の日の朝、ゾーラは上機嫌でエリザベスの牢獄をのぞきこんだ。イッキュウは、床に横たわったまま動かない。エリザベスの頬には血の気がさしているように見えた。座っている姿もどことなく元気そうに見える。

 「グラン。あの男を運び出しな。もう用済みだ。」

 ゾーラは、後ろでうつむいているグランに命じた。グランは、鉄格子の扉を開き、中に足を踏み入れた。イッキュウの体に手をかけたところで、座ったままのエリザベスと目が合った。その激しい怒りの視線に射抜かれたようにグランの動きが止まった。まるで凍りついたように動けなくなった。

 「なにびびってんだい。グラン。見っとも無いよ。」

 ゾーラは、笑い飛ばした。

 「さっさと片付けないと、その男、ゾンビになって襲い掛かってくるよ。」

 ゾーラの言葉を聞いて、見張りの兵士たちは、怯えた視線を交わした。すでに通路に向かって後ずさりしている。

 「冗談だよ。そんなの迷信に決まってるだろう。」

 ゾーラは、冗談が過ぎたことを悔やむように苦笑いした。その彼女をエリザベスの視線が捕らえた。

 「おぼえておきなさい。お兄さまは、決してあなたがたのことを許しませんから。」

 それは、エリザベスが、このカトマールに捕らえられて初めて発した言葉だった。一語一語を噛み砕くような底知れず冷たい口調に、ゾーラの嘲笑も半ば凍りついたままだった。音を失った牢獄に、血も凍るような余韻だけが残った。

 

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