|
ラトザール物語
第十三話 刺客(その三)
朝、メルフィーヌの部屋の外で直立している衛兵は、部屋から出てきたアラミスに無表情のまま敬礼した。アラミスは、廊下を見渡し、辺りに衛兵以外の人影が無いことを確認する。後ろめたい事をしているおぼえは無くとも、ついつい目が動いてしまう。彼は、背後から聞こえた少女の声に跳びあがりそうになった。 「お疲れさま。」 エルフの少女、シュンラが、ひらひらと跳ぶように駆け寄ってきた。 「アラミス坊やが司令官の“夜の特別警護”をしてるって聞いたけど、本当だったんだ。」 「相変わらず、こういうことには目ざといな。姉貴。」 「あなたもなかなかやるわね。でも、もし、ガランカが生きていたら、あなた、殺されるわよ。それとも、一人の女をめぐって、二人の男が戦うかしら。あのでくのぼうも怒ると結構強いわよ。見ものだわ。修羅場ね。メルフィーヌも罪作りだわ。魔性の女ってやつかしら。」 シュンラは、楽しそうに笑っている。心から、そういう修羅場を望んでいるように見える。 「姉貴は、メルフィーヌ=サミエ司令官が嫌いらしいな。」 「あら、嫌ってなんかないわ。ただうっとうしいだけよ。一人では何もできないくせに、人に世話ばかし焼かせて、いい気になってる。脳天気女だわ。手がかかるったら、ありゃしない。」 「カルザックの娘だぜ。」 「知ってるわよ。そんなこと。だって、そっくりだもの。泣き虫のところなんか、特に。あの子、わたしを怖がって、エリザベスにばかり懐いていたわ。あの口うるさいババアにこび売って。」 「いくらなんでも、ババアはないだろう。」 さすがにエリザベスの悪口を聞かされると、アラミスも黙ってはいられない。彼の育ての親だ。小さな子供の頃には、本当の母親だと思っていた。彼の記憶の中で、彼女はいつも同じ姿をしている。長い銀色の髪の美しい少女の姿形。数万年の時を生きてきたといわれる不死の一族。彼らに育てられながら、アラミスだけは成長し姿を変えてきた。彼が人間だからだ。それでも、子供の頃に染み付いた親として慕う気持ちはいまだに薄れはしない。それは、シュンラも同じはずだ。エルフの場合、成長に費やす時間が人間よりも長いだけだ。それだけに、エリザベスに叱られる機会も多かったかもしれない。アラミスとシュンラは、過ぎし日を思い出すような目を見合わせた。二人は、エリザベスがカトマールに捕らえられていることもサスケの死もまだ知らない。 「アラミス、あんたはえらいわよ。いくらぶたれても、わたしを怖がらなかったもの。」 “怖いということすら口に出せなかっただけだ。”アラミスは、そう思った。 「それじゃ、またね、アラミス。チョウリョウのことを頼んだわね。」 手を振りながらそう言って、シュンラは、パタパタと軽い足音を響かせて遠ざかって行った。どっちが脳天気だか。アラミスは、エルフの少女の後ろ姿を見送りながら苦笑した。
アンナは、最近、山寺の周りを散歩するのが日課になっている。ダルマ老師にすすめられたのだ。彼女の数歩後をケルベロスがついて歩く。深い雪道を歩き疲れるとケルベロスの背に乗って暖かくふさふさの獣毛の中で丸くなったりもする。以前隠れていた廃屋の周りに出現していたオークやコボルトたちはここにはいない。しばらく歩いていると、修行僧の一人に出会った。 「こんにちは、シャナオウ。」 アンナは、挨拶した。シャナオウと呼ばれた修行僧も丁寧な挨拶を返す。彼は僧兵だとダルマ老師から紹介された。この小さな山寺には、四人の僧兵がいる。僧兵といっても甲冑を着ているわけでも刀を帯びているわけでもない。服装も他の修行僧と変わりない。体格も特に大きいわけではない。単なる呼び名の一種なのだろう。アンナは、そう考えていた。中でもこのシャナオウは、アンナの身の回りの世話をよくしてくれるし、散歩の途中も、こうやって出会うことが多い。 “わたしを見守ってくれてるんだわ。”アンナは、そう思った。 “わたしは、特殊だから。守っているというよりも、見張っているというべきね。” シャナオウをはじめ山寺の修行僧は、皆、アンナに親切だった。それでいて、アンナのことを放任してくれていたが、常時見張られているという感じは、彼女の心から拭えなかった。 “わたしの事情ではしかたないわ。” アンナは、一夜にして両親そしてボーイフレンドを失った。その深い悲しみの記憶は、一時的に彼女の心を閉ざしてしまった。そして、もう一つ彼女の体に起こった極めて重大な変化にも全く気付くことはなかった。彼女がカトマールの地下迷宮に捕まっていた時にアーサーという魔王が体の中に入り込んだ結果だとルーイは説明してくれた。どうやって入り込んだのかはわからない。ルーイにも答えられなかった。普通にはそんな事は起こりえないはずだ。しかし、現実にアンナの体の中にはもう一つの生命が宿っていた。そして、すでに出産間際にまでなっている。 アーサーは、十四年前に死んだ魔王らしい。悪事を企む者たちが、彼を利用しようとしているらしい。もし彼らの手に魔王の体が渡ったら、大変な事になるとルーイは言った。何がどう大変なのかは、アンナには理解できない。すでに、彼女の身には大変な事が起こりすぎているからだ。死んだり、生まれたり、利用されたりと魔王も大変だと、アンナは思った。 「ケロちゃんおいで。シャナオウさんだよ。怖くないよ。」 アンナは、ケルベロスを手招きした。巨大な犬の怪物は辺りを警戒するように彼女を遠巻きにして歩き回っていた。アンナには、この獣がかわいく思えてしかたがない。特に、頭が三つもあるところがたまらなくかわいい。彼女は、擦り寄ってきたケルベロスの太い前足を撫でた。 「ごめんなさい。この子たち。ちょっと人見知りするんです。」 「名前をつけたんですね。」 シャナオウは、荒い息と共によだれを垂らしている巨大な口を見上げた。鋭い牙は、牛の角ほどの大きさがある。人間の頭くらい一口で噛み砕きそうだ。人見知りしているようにはとても見えない。彼は、そのうちの一頭と目が合ってしまった。 「ええ。その子が、ケロイチ、真ん中がケロニ、そして、こっちがケロサン。ケロサンが一番甘えん坊なんですよ。まとめて呼ぶ時は、単にケロって呼んでます。」 アンナは、くすくすと笑った。 「興味深い名前ですね。」 シャナオウは、そう言って、ケロイチの挑戦的な目から視線を逸らした。 「老師からの言伝です。カンナ山の麓にカトマールが軍を集結させ始めました。それゆえ、しばらくの間、遠出は控えるようにとのことです。」 「カトマールの軍って、わたしがここにいるせいですか?」 「はい。でも、今日のところは心配無用です。この美しい銀世界を心ゆくまで楽しんでください。明日は戦場になるやもしれませぬ。」 「戦になるんですか?」 「できれば、戦は避けたいです。しかし、ここはカンナ山の聖域。我らは、魔の侵入を許すわけにはなりませぬ。」 魔という言葉に、アンナは、自分の臨月のお腹に目を落とした。そこには復活した魔王がいるらしい。今もお腹の中で動いたような気がする。戦いになれば、人が死ぬかもしれない。すでにわたしの存在自体が魔なのだろうか。アンナは、そう思った。彼女は、このところ自分が異形の魔物たちを従えている夢を見るのだ。その夢の中では、彼女は、背の高い男の人の姿をしている。それが、魔王と呼ばれるアーサーだろうか。 「我々のいう魔とは、聖域にとって忌むべきもの。世間一般にいうところの魔族とは異なります。たとえば、このケルベロス、いやケロ殿も・・・、」 彼は、そう言いながらケロの前で片手を上げた、獣は、警戒のため一瞬体を震わせた。 「忌むべきものでない限り、等しく生けるものです。」 シャナオウは、ケロイチの頭を撫でた。獣は、低く唸りながらも、じっとしていた。 「でも、相手は、軍隊でしょう。シャナオウたちだけで戦うのですか?」 「それが、宿命とあれば、それに従うしかありません。」 シャナオウは、静かな笑顔を見せた。
麓から見上げるカンナ山は、すっぽりと雪に覆われていた。カトマールの鎧武者たちは、雪の中に陣して出撃の合図を待っていた。ところどころに破れたカトマール王室の旗が揺れている。キャプテングランは、テントの中からカンナ山を見上げた。夏でも頂は万年雪に閉ざされている山だ。冬季の雪深さは想像に余るものがある。 カトマールを根城にし、これまで、グランの目となり耳となり働いてくれたガーゴイルやハーピーたちが姿を消した。城に天敵のドラゴンが現れたためだ。ドラゴンは、ゼーダの機械兵によって殺されたものの、一度でもドラゴンの姿が見えた場所にはハーピーたちは二度と近づこうとしない。グランは、ハーピーの代表者と最後に交わした会話を思い出していた。 “城、ドラゴンくる。砦、エルフいる。我が同胞の安全無きところ、オマエとの契約、成立せず。オマエたち、不死人捕らえた。オマエたち、みな死ぬ。我ら、関せず。” 彼女は、金色の瞳でグランを睨みつけ、一際甲高い鳴き声と共に飛び去った。生来日和見主義のガーゴイルの群れは、ハーピーに追従した。 グランが、彼らから最後に得た情報は、魔王アーサーを身篭った少女の居場所だった。それが、この雪に覆われたサルテラ山塊の主峰カンナ山だった。 ハーピーたちの離散に同調するように、オークやコボルトたち低級魔物の動きも沈静化しつつある。地上に溢れ出し、人間を襲った彼らが自主的に地下に戻り始めたのだ。それも、魔王の身がカンナ山に入ったことに関係するらしい。カトマールの反乱に加担した兵士たちの顔からも魔の表情が薄れつつある。正気を取り戻したためか、軍から逃亡する兵が後を絶たない。このカンナ山の奥深くに一体何があるのだろうか。魔王を封印するような強力な結界だろうか。グランは、そう考えながら山を見上げていた。山上で待ち受けるのが僅か四人の僧兵だということを彼は知らなかった。 カトマール軍の陣地に視線を戻したグランは、溜息をついた。かつて万を数えた鎧武者も、今回動員できた数は三百に満たない。それでも身重の少女一人の身を確保するには十分なはずだ。そして、魔王の体さえ確保してしまえば、離散した魔を呼び戻し結集させることは容易だと、ゾーラは考えている。グランには、正直なところ、この作戦の成否すら危ぶまれた。妹を人質に取られ動揺しているとはいえ、ハートンが、そう簡単に持ち玉を手放すとは思えなかった。しかし、今はこの作戦に賭けるしかないということだけはグランにも理解できた。 グランは、武人だった。どんな戦の時も死に甲斐を求めてきた。今回は、どうしてもそれを見出すことができない。そんな状況の中で戦に駆り出されるのは、あのイッキュウと同じ境遇だと、彼は思っていた。そして、イッキュウの冷たい体を置いてきたカトマール城の暗い地下に思いをめぐらせた。確かにイッキュウは、死んでいるように見えた。グランは、自分のした事に後悔は無かった。それだけで十分だ。
|