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ラトザール物語
第十三話 刺客(その四)
夜半過ぎにシュンラは、目をさました。隣では、チョウリョウが寝息をたてている。彼女は、夜衣の上からローブを羽織って部屋を出た。暗い廊下を進むと、その先に、白いぼんやりとした人影のようなものが浮かび上がった。シュンラは、足をとめた。人影は、音も無くこちらに歩み寄ってくる。それは、少年の姿をしていた。篝火の届かない闇の中で、それ自体が発光している。そして、激しく瞬いた。 「全てを無にするんだ。全てのもつれた糸を解く。もう、時間は解決してくれない。」 その人影がしゃべった。 「エドガー。ごめんなさい。でも、きかなきゃならないわ。ここに何をしにきたの?」 エドガーは、さ迷う視線をシュンラの上に合わせた。青く光る目は、不気味に笑っているように見えた。 「シャールからの通信が届いたんだ。君たちを殺せとね。酷い話だ。あの魔法使いめ。今度会った時は、この地上から抹消してやる。一滴の血も残さずにね。ぼくにこんなことをさせるんだからね。」 エドガーの姿が揺らめいて見えた次の瞬間、激しい衝撃波に空間が引き裂かれ、シュンラの体はきりもみをしながら、裂け目の中に飲み込まれてしまった。そして、落ちた先は、柔らかいベッドの中だった。隣でチョウリョウが無防備な顔で寝息をたてている。夢。シュンラは、今度こそ本当に目をさました。体が汗でびっしょりと濡れている。エドガーの身に何かが起こっている。シュンラは、そう感じた。
カトマール城の地下、揺れる篝火の下、二人の衛兵が立っていた。長い廊下は、石を積み上げた壁に挟まれ、闇へと続いている。 「今夜も冷えるな。」 「ああ。」 「交代のやつら遅せえな。」 「まだ、代わったばっかだぜ。」 「俺は、いやなんだよ。こんな地味な歩哨だなんて。女の子を捕まえに山に行った連中はいいよな。楽できてよ。それに、比べて、俺たちゃ、化物どものお守りときたもんだ。」 「ぐずぐず言ってると、ゾーラに聞こえるぞ。あの派手女、地獄耳だという噂だ。」 「ヴァンパイアの餌にされた男知ってるかい。」 衛兵の一人が、声をひそめた。 「この部屋の奥で寝ているトロールの部下だったらしいな。」 もう一人の衛兵が、大きな鉄製のドアを目で示した。 「おまえ、ヴァンパイアに殺されたってことが、どういうことか、わかってんのか。」 「ゾンビになって、腐った死体のまま動き続けるっていうんだろう。ばかばかしい。くだらねえ迷信だぜ。」 「迷信じゃねえさ。見たやつがいるんだ。首から血を流しながら、足を引きずってよたよた歩く男の姿をな。」 そう言いながら、彼は、手をだらりと垂らし、ぎこちなく歩いて見せた。 「おおかた、酔っ払いでも見たんだろうて。最近、酒も残り少なくなってきて、禁酒令が出てるせいで、一人で盗み飲みするやつらがいるんだ。」 その時、石床を歩く足音が聞こえてきた。衛兵たちは、姿勢を正し闇の中から歩み寄ってくる人影に目を尖らせた。酔ったようにおぼつかない足取りで、見知らぬ男だ。 「誰だ?」 衛兵は、鋭く誰何した。男は、答える代わりに片手を上げた。その手から閃光がほとばしり出た。避ける間もなく衛兵の一人が床に倒れた。残った衛兵は、剣を抜いたが、続いて襲い掛かってきた猛烈な風で空中を舞った。歩みよってきた男は、言った。 「カトマール王室筆頭親衛隊隊士、イッキュウだ。」 イッキュウは、衛兵の体から鍵を探し出し、ドアを開けた。ぎこちなさはあるものの、その動きは、意思を持たないゾンビのものとは思えない。実際、イッキュウは死んでもいなかったし、ゾンビになってもいなかった。
あの時、尖塔の牢獄の中でイッキュウと目があったエリザベスは、彼に近づいてきた。 「どこかで見たことがあると思ったら、あなた、イッキュウでしょう。おひさしぶり。どうして、ここにいるの?」 エリザベスは、街角で偶然出会った知人のような調子で尋ねた。イッキュウは、戸惑いながらも、これまでの経緯を再度説明した。 「ごめんなさい。わたし、ジークの死がショックで、あなたがいることに気がつかなかったみたい。すっかり、失礼したわ。」 彼女の口調は、兵士たちに恐れられている存在には程遠いものだった。そこで、イッキュウは、彼女と共に一計を案じ、牢獄から抜け出すための芝居を打っことにした。牢獄の中は、凍えるように寒く、一晩風にさらされれば低体温で仮死状態になる。優秀なプリーストであり、医術にも長けたイッキュウには、自分の体の状態をコントロールすることは容易だった。失敗しても、ゾンビのふりをして暴れまわることができる。そして、警備に混乱が生じれば、エリザベスが牢獄から抜け出すチャンスもあるかもしれない。 「ところで、あなたは、その・・・、食事をとらなくても平気なのですか?」 イッキュウは、おずおずとそう尋ねた。絶食している彼女に体力が残されているのかどうかが心配だった。しかし、イッキュウの言う食事とは、彼自身のことを意味することになる。 「だって、ここの料理、不味いんですもの。わたしの口には合わないわ。きっと、あのゾーラに合わせて作っているのね。それに、わたし、飢えてなんかないわ。二、三年くらいだったら、水と花の蜜だけでも生きられるのよ。」 エリザベスは、屈託の無い笑顔を見せた。
イッキュウが渾身の力で押し開けた鉄の扉の先には、平たい岩の上に厚い布を敷き並べただけの粗末なベッドがあり、大男が寝ていた。 「組頭。ガランカの大将。起きてください。」 ガランカは、目を開けて、身を起こした。 「イッキュウ。」 「大将。よく聞いて下さい。あなたは、ある感情を奪われています。しかし、それは意識的に取り戻そうとすれば、取り戻せるものです。要はあなたの精神力次第です。私の言葉がわかりますか?」 「ああ、わかるさ。」 「では、簡単な質問をします。よく聞いてください。あなたは、誰を愛していますか?」 ガランカは、答えられない。頭が痛むように両手で抱えてしまった。 「わからない・・・、なぜだろう? 簡単なことのように思えるのに。質問の意味すらわからないんだ。」 「心配しないでください。焦らず、少しずつ思い出そうと努めることが肝心です。」 「うん。そうだな。」 「まず、あなたの任務を伝えます。この城の塔の一つにエリザベス=ハートン殿が捕らえられています。彼女を助け出してください。彼女を捕らえている者たちが敵です。これは、最優先の作戦です。私はまだ体の自由がきかないので、後で追いつきます。」 「エリザベスを助けるんだな。まかせておけ。」 ガランカは、にっと笑って、床におり立った。その巨体は、まるで、イッキュウの横にそびえ立つ岩盤のようだった。
エリザベスは、まだ、牢獄の石床に座り込んだままだった。昼間に聞こえていたエルドール軍の砲撃も夜に入るとやみ、尖塔の中は物音一つ無い。昨夜、イッキュウは、ガランカ=サミエもこの城の地下室に閉じ込められていると語った。キャプテン・グランが、彼に教えてくれたのだという。伝え聞いたグランの情報によると、ガランカは、ゾーラによって利用されようとしているらしい。戦士としての誇り高い心を壊され、人間兵器に造り替えられているのだという。そのため、エリザベスは、ある辛い役目をイッキュウから頼まれていた。サミエ家は、戦士としてラトザール国に尽くしてきた家柄である。民のために戦う正しい心を代々受け継いできた。名誉のために闘ってきた一族にとって、誇りが傷つけられることは断じて許されない。 エリザベスは、静かに立ち上がり歩き出した。牢獄の鉄格子に向かって。入り口の衛兵二人は、無言のまま数歩後ずさった。 「怖がらなくてもいいわ。苦しまずに済むから。」 彼女は、兵士の顔を見ながら、そう言った。死にゆく者たちの顔には、恐怖の表情が浮かんでいる。エリザベスには、それがたまらなく哀れに思えた。 「ごめんなさい。」 彼女がそう言った次の瞬間、兵士の首は、二つまとめて宙を飛んでいた。首を失った兵士の体が倒れると、その後ろからガランカの巨体が現れた。全身に返り血を浴び、手には長剣を握っている。 「見張りは、これだけか? 拍子抜けするな。もっと暴れたかったのによ。」 「まだ、これからよ。サミエ。暴れる前に、私をここから出してちょうだい。」 エリザベスは、表情一つ変えずにそう言った。
カトマール城は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。情報が錯綜していた。ガランカが逃げ出したというもの、地下の死体置き場からゾンビの大群が現れたというもの、エルドール・ラトザール連合軍の総攻撃が始まったという話まで飛び交った。兵士たちはいたずらに迷路のような城内を駆け回り、そのうちの何人かは運悪くガランカとエリザベスに出くわして血煙を上げた。 ガランカは、逃げ惑う兵士をも容赦なく殺し続けた。その姿は、狩を楽しむ猟犬のようだった。彼らは、尖塔の一番下に下りたところで、行く手を巨大な魔物に阻まれた。それは、かつて魔王アーサーに従っていた異形の魔族だ。一つ目の巨人サイクロプスだった。ガランカの二倍ほどの大きさがある。混乱に乗じて檻から逃げ出したのか、逃亡者を狩るために放たれたのかはわからない。すでに暴れまわった後らしく、口からは人間の手足がのぞいている。ガランカたちの姿を見ると棍棒を振り上げて猛然と襲い掛かってきた。 “MASHIELD” サイクロプスの第一撃をエリザベスは魔法の盾ではね返した。続いて麻痺の呪文を唱えるが、魔物にかわされた。エリザベスのすぐそばに棍棒が振り下ろされ、激しい火花と共に床の石が砕け散った。エリザベスは、床を蹴って宙を舞った。彼女の銀の髪が蔦のように魔物の首に絡みついた。銀の髪は、のび続け、針金のように魔物の体を締め付けた。めくらめっぽう巨大な棍棒を振り回していたサイクロプスの動きが鈍り、ガランカの剣が巨人の体をとらえた。 「おれ達、けっこう息が合ってるんじゃないか。陰険じじいのエドガーなんかふっておれに乗り換えたらどうだい。かわいがってやるぜ。」 サイクロプスを倒すとガランカは、そう言って笑った。 「サミエ。口を慎みなさい。わたしは、あなたの曾おじいさまも、そのまたおじいさまも知っていますが。二人とも礼儀正しい紳士でしたよ。そんな下品な言葉なんか使う人ではありませんでした。」
血の匂いに誘われた異形の魔物たちが集結し、ガランカとエリザベスの行く手を阻む。カトマール城には、ゼーダによって夥しい数の上級魔族が集められていたようだ。魔法攻撃を放つ手ごわい相手もいる。 「きりがねえぜ。」 ガランカは、肩で息をしながらエリザベスを振り返った。すでに彼女の全身も鮮血に染まっている。彼らは城の回廊まで逃れてきていた。星空の下雪化粧をまとった中庭が見える。エリザベスは、駆け出した。 「そっちは、危ないぜ! 囲まれるぞ!」 ガランカの声に耳を貸さず、エリザベスは、中庭に立ち、呪文を唱えた。巨大な光の玉が現れ、彼女の身を包む。周りから襲い掛かってきた魔物たちは、その光に飲み込まれ、そのまま動きを止めた。ガランカは、その魔物たちを剣でなぎ倒した。それらは、石膏の彫刻のように粉々に砕け散った。 「最初から、こうすればよかったんじゃねえか。」 ガランカの言葉が終わらないうちに光の矢が夜空を切り裂いた。 「来たわよ。」 彼らは大きな岩の陰に身を隠した。 「なんだい今のは?」 「古代文明の遺物よ。ロボットっていうの。説明しているひまはないわ。とにかく逃げるのよ。」 闇の中から三本足の機械兵が姿を現した。ウイーンと低い音をたてながら近づいてくる。 「逃げるったって、城の中は魔物がうじゃうじゃしてるんだぜ。」 「・・・」 エリザベスは、答えずに空の一点を見ていた。 「伏せて!」 赤く輝く夜空。一瞬にして、あたり一面が炎の海と化し、機械兵を飲み込んだ。炎の渦の後で大きな翼が風を切る音が聞こえた。巻き起こる風の中、エリザベスとガランカは、ドラゴンの鈎爪につかまって空に舞い上がっていた。
第十三話 完
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