ラトザール物語

 

 

第十四話      戦士(その二)

 

 カトマール王宮の奥深く、窓の無い一室、牢獄と呼ぶには華美過ぎる内装に囲まれて、老王ブルーノ=コルテリアスは無言で椅子に腰をおろしていた。その老王にすがりつかんばかりに、エダマ=ルンカは泣きながら許しを請うている。すでに城内は、異形の魔物たちに半ば占拠されていた。ゼーダとその奴隷たちによって地下牢に閉じ込められていた魔物たちだ。それが、エリザベスの逃亡を防ぐために放たれたものの、もとより統御も何も無い魔族の群れ、好き放題に暴れまわり始めた。魔物の中には、デーモンのように強力な魔法を使う者もいる。彼らは、城の建造物を破壊し始めていた。

 「魔王アーサーを復活させれば、あの魔物たちを手懐けることができると、ゼーダにそそのかされたのです。そして、この世の中を意のままに動かせると。しかし、私は、利用されただけでした。特にあのゾーラという女、言を右に振り左に振り、私のことなど無視する始末。私はだまされていたのです。もともとあんな凶悪な魔物どもを統率できようはずがありません。」

 エダマの泣き言を聞いているのかいないのか、老王は、顔に皺を刻んだまま一言も発することはなかった。

 

 その魔物の喧騒を遠くに聞きながら、ゾーラは、不機嫌そうに顔をしかめた。

 「まったく、うるさい化物どもだ。核弾頭でもあれば、殲滅してやりたいところだが、そうもいかないしね。とにかく、グランに魔王の身柄の確保を急がせなければならないよ。」

 ゾーラの目の前にヨーコがテレポートで現れた。全身血にまみれている上、右腕を失っている。立っているのがやっとの重傷のように見えるが、顔には不敵な笑みを浮かべていた。

 「その有様だと、吸血鬼のお嬢ちゃんの追跡に失敗したみたいだね。」

 ゾーラは、ヨーコの笑みにさらに顔をしかめた。

 「ちょっと手間取り過ぎたわ。あのお嬢ちゃんがわざと派手な魔法を連発してエドガーに居場所を伝えていることはわかっていたんだけど。死に損ないのトロールのせいで、とどめが刺せなかったのよ。まあ、そのトロールだけは始末したけどね。」

 「トロールだって、わたしが民兵どもの軍師暗殺のために仕組んだ罠だっていうのにさ。せっかくの計画が台無しだよ。」

 ゾーラは、さらに不機嫌そうになった。

 「人間一人殺すだけでしょ。わけないわ。わたしがやるわよ。」

 「でも、あんた、その体で動けるのかい? それに、チョウリョウの側にはエルフがくっついているんだよ。」

 ゾーラが、ヨーコの怪我を心配している様子はない。ただ、自分の計画に障害が起こることだけを心配しているようだ。

 「エルフの一匹や二匹、相手にするのは、左腕一本で十分だわ。でも、その前にちょっと休憩するよ。さすがにこの体にも大分がたがきてるから。」

 ヨーコは、ゾーラの危惧を鼻で笑うかのように言い放った。

 

 東の空が白みかけた時、ダルマ老師の山寺では僧たちが甲冑を身につけ、戦支度を行っていた。室内でも吐く息が白い。戦支度といっても十数人の兵数に過ぎない。とても合戦にもちこたえられるような兵力には見えなかった。それでも、僧たちは物静かなまま、ある者は大量の松明を背負い、ある者は弓を手に、てきぱきと身支度を整えていた。交わす言葉もほとんど無い。そんな夜明け前、アンナは、山寺の一室で静かな寝息をたてていた。その部屋に一人の僧兵が近づいてきて、そっと中の様子をうかがった。部屋の庭先でグルグルと不気味な獣の唸り声がした。

 「そこにいるのはケロだろう。心配ないよ。この子の身は、我らが命に代えても守るから。」

 シャナオウは、静かに笑った。

 その同じ頃、カンナ山の麓では、キャプテングラン率いるカトマールの鎧武者が、ガチャガチャと甲冑を響かせて進軍を始めていた。その後に、多数の機械兵も続いてゆく。

 

 シュンラは、夜明け前に目をさましていた。昨夜の夢以来、なかなか寝付けない。同じベッドの中、チョウリョウはまだ寝ている。彼の胸の上に顔を伏せようとした時、シュンラは、自分の口を手でふさいだ。突然の吐き気に襲われたのだ。

 夜衣のまま部屋を抜け、当直の衛兵の敬礼にも気付かぬまま、手洗い場に駆け込んだ。ひとしきり吐き終わると、肩で息をつきながら水桶からすくった冷たい水を口に含んだ。

 二百年近く生きてきてようやく大人になったばかりのエルフは、子供が欲しかった。しかし、それは人族の抱く感情とは少しばかり違っていた。ただ、産みたい、その一心だった。シュンラは、自分の父親の名前も母親の名前も知らない。もちろん、会った記憶も無い。それは特別な事情ではなく、エルフ族としてはごく一般的なことである。エルフは、子育てをしないのだ。彼女たちは、千年以上の寿命の中で十数人の子供を産むと考えられているが、自分で育てることはなく、全て他人に預けてしまう。その行動は、カッコウの託卵に似ている。彼女たちは、出産前、母親としての全愛情を込めて育ての親を慎重に選ぶものらしい。だが、残念ながら、その成功率は低く、エルフ族の人口減少の主原因となっている。減少に歯止めをかけるため、かつてカトマールにはエルフのための託児機関が設置されていた時期もあったが、出産前のエルフを探し出すことが困難なために廃止されてしまった。

 シュンラは、自らの経験してきた運命が、自分とチョウリョウの子供にも降りかかることを本能的に知っていた。そして、それが現実のものとなりつつあることを、今、体で知らされた。

 

 山道を登るにつれて雪は深くなる。道幅が狭いため、カトマール軍の隊列は細長く伸びている。しばらく進むと、カンナ山の中腹から煙が立ち上っているのが見えた。それもかなりの数だ。足を止めた兵士たちの顔に緊張の色が浮かぶ。グランは、後に続く機械兵部隊に視線を移した。機械兵は、魔力を封じる結界を持っている。いかに強力な魔力を持った相手が待ち受けているとしても恐れるに足らない。もしハートンたちが行く手を阻むことがあれば、それこそ、グランにとっては待ちに待ったチャンスとなるだろう。しかし、なぜ、ハートンが魔王を身篭った少女を無防備とも思えるこの山に隠したのか。謎は解けないままだ。そのことがグランの心を重く沈ませていた。

 行軍が谷間に差し掛かったところで斥候が敵兵を発見した。切り立った崖を背に数人の僧兵が立ちふさがっていた。敵が少数と見て、カトマール軍の先頭部隊は強行突破を試みた。ところが、僧兵は長い棒を操り、巧みな体術で多勢のカトマール兵を押し返した。先頭部隊が詰まることにより、雪道の行軍に乱れが出た。グランは、直ちに全軍に戦闘態勢を指示し、陣形を整えた。谷間の向こう側では煙が盛んに立ち上っている。僧兵部隊の伏兵を警戒し、グランは、崖の前に立ちはだかる敵兵を二重、三重に取り囲んだ。その包囲網の中に四人の姿が数えられた。黒っぽい僧服の上から軽い甲冑を身につけただけの僧兵だ。

 山間の窪地に奇妙な静寂が流れた。僧兵の一人が数歩前に出た。それは、シャナオウだった。無数の槍と引き絞られた弓が彼一人に向けられる。ギラギラと血に飢えた光を放つ武器が目に入らないかのようにシャナオウは、落ち着いた声を張りあげた。

 「ここは、魔の心を持つ者の来るべきところではない。立ち去られよ。」

 その言葉の直後、数人のカトマール兵が弓を持ったまま倒れた。矢は、あらぬ方向に飛び去る。槍を手に足を踏み出した兵も倒れ、断末魔の絶叫を上げて白い雪を血に染めた。敵襲に慌てて周りを見回す兵士たち。だが、敵の姿は見えない。四人の僧兵は、手のひらを組み、呪文を唱えている。

 「刃向かう者はその場で命を落とす。立ち去る者は追わぬ。」

 シャナオウが、再び声を張りあげた。その声を掻き消すように、後方から機械兵部隊が光の矢を放った。四人の僧兵の姿は激しい閃光に飲み込まれてしまった。彼らの立っていた場所の雪が解け、地面は黒く焼けただれた。しかし、その中に四人の僧兵は無傷で立ったままだった。黒髪を逆立てた姿は鬼神のように見えた。カトマールの兵士たちに動揺が走った。後方を振り返り、逃げ道を目で追っている兵も多い。グランが兵をかき分けるように前に出た。手には武器を持っていない。

 「僧兵とお見受けするが、何ゆえ我々の行軍を邪魔だてするのか。僧院はいかなる時も絶対中立を守るもの。自らの立場を忘れ、吸血鬼や民兵に加担するのはいかに。」

 「我らは、我らの守るべき物のためにここに立っているだけのこと。ここは、聖域。闇の力の立ち入るところではない。」

 シャナオウが片手を振り上げた。大音響と共にカトマール軍の後方で落雷があり、機械兵が崩れ折れた。いつの間にか、空は雲に覆われている。

 「グラン殿、兵を引かれよ。闇の力に心を売り渡したとはいえ無駄に兵卒の命を損なう必要は無い。ダルマの守護四闘将が相手だと言えば、ゼーダにも話は通じる。セーダも、我等を真っ向から敵にまわすのは利とせぬはず。」

 落雷の余韻と共に山間にシャナオウの声が響き渡る。まるで山がしゃべっているようだと、グランは思った。機械兵の結界をものともしない強大な力を目の当たりにし、彼は、顔から血の気がひいてゆくのがわかった。指揮棒を握る手に汗が冷たくにじむ。グランは、自分の名前を言い当てられた上、マスターゼーダの名前まで出されて、返す言葉も忘れていた。しかし、ここで退けば、ゾーラがそれを許すはずがない。進むも死、退くも死。グランは、山の冬空を仰いだ。再び雪が舞い始めていた。彼は、無言のまま踵を返した。それを見た兵士たちは我先に雪道を逃げ走り始めた。グランは、兵を解いた。もうカトマールに戻るつもりはなかった。

 カトマール兵が逃げ去った後には、機械兵の金属の残骸と赤く染まった雪の中に倒れている兵士だけが残された。シャナオウは、その兵士の体に歩み寄った。

 「おのおのがた、もう、起きてもいいですよ。」

 声をかけられた兵士たちは、むくりと身をもたげた。見ると、それは、カトマール兵に扮した修行僧たちだった。狭あいな山間の行軍と先頭が詰まることによる混乱に乗じて紛れ込んだものらしい。もちろん、背後で立ち上る煙も偽計で、そこには大量の松明が焚かれているだけだった。それが山中に幻の軍勢を作り上げていたのだ。

 「思いの他、うまくいきましたね。おかげで、殺生をせずにすみました。」

 シャナオウは、笑顔でそう言った。

 「出番が無くて、残念がっているものもいるようですな。」

 倒れていた僧が、言った。

 「隠れてないで、出ておいで、ケロ。さっきから尻尾が見えているよ。」

 シャナオウの声に、ケルベロスが雪の山から巨体を現した。荒い息を吐きながら、シャナオウに挑戦的な視線をぶつけている。シャナオウは、その視線を笑顔で受け止めたが、すぐにケルベロスから目を逸らし、険しい表情を見せた。

 「ケロ以外のものは、立ち帰るがよい。アンナと御子は、我らが守る。汝らの手出しは無用じゃ。」

 シャナオウが再び声を張り上げると、そこここのあらゆる物陰からオークやデーモンなどの無数の魔物が姿を現した。牙を剥いて未練がましい叫びをあげるものもいたが、それぞれ、積もった雪をかきわけて山を下りていった。

 

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