ラトザール物語

 

 

第十四話      戦士(その三)

 

 カトマール城の片隅に身を潜め、異形の魔物たちの咆哮を聞きながら、イッキュウは、エリザベスの言葉を思い出していた。この魔物たちも、もともとは人間が創り出したもの。戦争の道具として、あるいは、国家の技術を誇示するために。古代の物質文明の時代は、国家レベルの貧富の差が激しく、飢餓に苦しむ国がある一方で飽食に悩む国もあった。飽食の国は自らを先進国と名乗り、飢餓の国を差別する風潮さえあった。そういう世界では、国家は自らの存在を保つために、いやがうえにも国力を誇示する必要があったのだと、彼女は語った。

 「それが、暗黒の力の根源と呼ばれるものですか? その力によって、今の魔物が作られたわけですね。」

 「答えは、イエスであると同時にノーでもあるわ。今となっては、誰もその答えを持っていないの。暗黒の力は、現存する魔物でもその魔力でもなく、異質なもの。そして、はるかに強力で破壊的だった。たったの一撃で何百万もの人命を奪う威力のある無差別殺人兵器が世界中に満ち溢れていたのよ。」

 冷たい牢獄の中、エリザベスは、イッキュウの問いに答えながら視線を虚空に向けた。

 「古代文明は、恐ろしい時代だったんですね。」

 「いいえ。美しい世界だったわ。あの戦争さえなければ。」

 「あなたは、そこにいたんですね。そして、それを見てきたのですね。」

 エリザベスは、答えず、ただ、イッキュウの目を真っ直ぐに見返した。

 イッキュウは、子供の頃から魔物と戦う冒険者に憧れてきた。彼は、力に憧れた。魔法で敵を倒したり、仲間の命を救ったりする力に。夢がかない冒険者となり国王の親衛隊にまで登りつめたが、イッキュウは、追い求める力に限りがないことと、それを追い求める時間に限りがあることを知った。迫り来る死に怯え物陰に息を潜めていると、自分が何を得、何を成し遂げたのか疑問に思えてくる。カトマール王宮の謁見の間で、きらびやかな正装に身を包み肩で風を切って歩いていた頃の自分が随分と昔のもののように思えてくる。いまや、カトマール王宮も廃墟と化しつつある。全てが幻のようにさえ思える。力への憧憬は、儚い夢に過ぎなかったのか。

 “それが、人間というもの。自らの血で時間を紡ぐ者よ。”

 耳元で語りかけられているかのように、エリザベスの言葉が、イッキュウの頭の中で響いた。懐かしいような柔らかな響きは、体を揺さぶるような激しい振動へと変っていった。

 がつん、がつんと何かが壁にぶつかる大きな音、そして、石の砕け散る音に、イッキュウの心は、現実に引き戻された。彼は、身構えた。まだ体力は回復していないものの、いつまでも隠れきれるものではない。意を決して柱の影から飛び出すと、目の前に一つ目の巨人が立ちはだかっていた。片手には人間の首を数珠のようにぶらさげている。逃げ遅れたカトマール兵のものだろう。イッキュウの姿を見た巨人は、大きな唸り声を上げ、片手に持った剣を振りかざした。兵士の長剣が巨人の手に握られていると、小さなナイフのように見える。

 “MAKALDA”

 イッキュウは、顔の前に手をかざして魔法の呪文を唱えた。激しい火花が散り、巨人は数歩退いた。イッキュウは、続けさまに魔法攻撃をくりだし、魔物の足を止めた。とどめの一撃を発する前に、背後に別の魔物のけはいを察した。反射的に横に飛ぶと、それまで彼の立っていた床が砕け散った。イッキュウは、三体の巨大な魔物に囲まれていた。

 

 後にカトマールの知将と称されることになるイッキュウに、筆者は、直接会い、この話を聞くことができた。会った時には、彼はすでに高齢で物静かな笑顔が印象的だった。巷で噂されているような武勇伝などではないと、彼は、笑って言った。彼がカトマール王宮に巣食っていた魔物の軍団を一人で撃退したという話は、すでに伝説になっている。しかし、その実、魔物は突如として凶暴性を失い、自然に退散したのだという。

 「結局、私は何もしていません。」

 彼は、そう言ったが、その笑顔は、大きな仕事を成し遂げた者の自信をたたえていた。彼の言葉が真実だとして、魔物を退散させたのは何だったのか。それは、ダルマ老師の山寺での魔王アーサーの復活に関連していると、筆者は考えている。

 

 夕闇が迫る頃、エルドール・ラトザール連合軍の陣するレアルの砦にカトマールの異変が伝えられていた。昨夜から降り積もっていた雪は、すっかり止んでいた。すぐに軍議が開かれ、明朝、総攻撃と決まった。その決定を受けて、両舷に大砲を搭載したエルドールの軍船がカトマール城に向けて出撃した。レアルの砦は、総攻撃の準備に大忙しだった。その喧騒の中、軍師のチョウリョウは、シュンラの姿を探していた。

 「今日一日、顔を見ていないのです。明朝早く陣を動かさねばならないのに。」

 チョウリョウは、アラミスにそう言った。気紛れな姉貴のこと、心配する必要なんか無いとアラミスは思ったが口には出さなかった。

 

 兵士や軍馬が慌しく行きかう中、レアルの砦に残った民衆も準備を手伝っていた。ようやく魔物との戦いが終わる。誰の胸も明るい期待で膨らみ、喧騒に拍車をかけた。春の作付けには間に合いそうだ。農夫はそう思い、商人はすでに夏の作物の相場を頭の中で計算していた。子供たちは、大人の後を追って駆け回り、山羊が鈴の音を響かせながらその後を追った。賑やかな雑踏から置き忘れられているように一人の女が縁石に腰をおろしていた。全身を汚れた黒っぽい布で覆っているが、フードからわずかに覗く顔は、まだ若そうだ。駆け回る子供の一人が誤って蹴上げた石を避けた時に見せたその横顔は、身なりとは不釣合いにぞっとするほどに美しかった。女は、フードからこぼれた黒髪を隠すように、左手だけで布の乱れを整えた。

 彼女は、カトマール城下に屋敷のある大臣の娘だった。深窓の姫君として育てられ、カトマール国王の後宮に入った。エダマの反乱で全てを失い、魔法使いのシャール=ザマによって、その意識さえも奪われた。ヨーコは、冷たい視線を人々の群れに向けていた。その瞳は、猛禽類が藪の中に隠れた子ウサギを射る目に似ていた。

 無邪気な子供たちを見ていると、何故ここにいるのか、ヨーコ自身わからなくなる。深層心理の中に埋め込まれた憎しみの炎が短く瞬いて消えかかる。ヨーコは、彼女自身の思い出に身を浮かべていた。ヨーコの意識を表に出しておくほうが民衆の中に溶け込みやすいと、彼女の意識を乗っ取っているシャールは考えているのだろう。王宮の中での華麗な生活。父親の家の中で半ば軟禁状態のまま育った少女時代。悲しいこともあれば、楽しいこともあった。ヨーコは、美しい左の手のひらを見た。もう、右手を見ることはできない。何故こんなことになったのか、不思議に思えた。ただ一つ、はっきりしていることがあった。これから人を一人殺さなければならないのだ。それは、彼女が座っている石よりも冷たい現実だった。

 

 カンナ山の麓に連なる丘陵地帯の木立の根元に、雪の中、一人の男が座り込んでいた。鷲のくちばしのような鋭い鉤鼻が特徴的な顔を伏せて、物思いにふけっている様子だ。すでに歩き疲れた様子で、身動き一つない。枯れ枝を踏み折る音が聞こえても、微動だにしなかったが、近づいてくる人影の顔がはっきりと見分けられる距離までくると、頭を上げた。そこには、二人の少年が立っていた。二人とも、頭からつま先まですっぽりとマントに身を包んでいる。姿形は、少年でも、子供のようには見えない。どことなく人間離れしてさえ見えるのは、冬空の淡い逆光のせいだろうか。

 「エドガー=ハートンか?」

 キャプテン・グランは、そう尋ねた。口の中に鉛でも押し込まれているような重々しい口調だ。

 「一つだけききたいことがある。ゼーダとは何者だ。なぜ、ぼくを追う。」

 一人の少年がそう尋ね返した。底知れず冷たい口調。

 「ゼーダは、ゾーラの別人格だ。それ以外は知らぬ。エドガー、君に会いたかったよ。この一年以上、ずっと君の姿を追い求めてきた。歳をとらない永遠の少年。そして、最強の殺戮者。確かに、その通りのようだ。」

 「ゾーラ=バッドは、レプリカだ。実体じゃない。彼女は、ぼくたちが破壊する。もう、飽き飽きするほど何度も繰り返してきたようにね。カラクリ人形め、また、新しいパトロンでも見つけたんだろう。誰かはわからないが、大した問題じゃない。これだけ派手に騒ぎを起こせば、必ず手がかりは得られる。」

 枯葉の上に座り込んだ男の存在など微塵も気にかけていないような冷めた声に、グランは自嘲的な笑いを浮かべた。

 「魔王は、復活したのか?」

 「魔王ではない。我が一族の長老。アーサー=ハートン卿だ。」

 「でも、君たちの間には、意見の相違があるようだが。そもそも、魔王アーサーを倒したのは、君自身じゃなかったのかい?」

 「人間には、人それぞれの考え方があるように、我らには、我らなりの考え方の違いがある。それは、長い年月をかけて、収束と分散を繰り返してきた。そして、これからも繰り返すだろう。」

 「よくわからないが、俺たちが失敗したことは確かのようだ。結局のところ、手の上で踊らされただけのことだな。」

 「あなたは、よく戦ったよ。立派な戦士だった。」

 グランは、無言でうなずき、一瞬、軽く目を閉じた。彼は、こわばった口を無理やりに押し開けて、言葉を継いだ。

 「一つ頼みがある。俺を、君たちが人間を狩るように殺して欲しい。そして、君たちの血となり肉となり、永遠の時を生きるのだ。」

 エドガー=ハートンは、グランの真剣な顔をじっと見て、それまで口の端に浮かべていた笑みを消した。

 「おめでとう。あなたは、死に値する人間のようだ。」

 少年の目が青く光ったように見えた。

 

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