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ラトザール物語
第十四話 戦士(その四)
カトマール国王ブルーノ=コルテリアスは、舟遊びが好きなことでも知られていた。ラトザール随一の大河タケル川にきらびやかに飾り立てた船を浮かべていた。レアルの砦近くの船着場から出撃する黒塗りのエルドール水軍を多数の民衆と共に見送りながら、ヨーコは、過ぎし日の美しい王都を思い出していた。ある日のこと、船上で老王に付き従ったヨーコは、その夜を彼と共にした。それは、彼女にとって初めての体験だった。老王は、大きな寝台の上でヨーコの服を一枚ずつ剥ぎ取り、生まれたままの姿にした。そして、彼女の体を大切な宝物のように隅々まで愛撫した。ヨーコは、王宮に上がる日に父親から教えられた心がけ通りに振る舞い、老王を悦ばせ、彼の子種を身に受けた。事の次第を報告すると、父親の大臣は、踊り上がって喜んだ。そんなに喜ぶ父を見るのは初めてだった。父のためになんとしても妊娠しなければと彼女は思ったが、その願いはかなわなかった。月が過ぎ感情の冷めた父を見て、ヨーコは、自分が政治の道具として利用されたことを思い知らされた。それでも、ヨーコは、父を敬愛していた。そして、カトマールは美しい都だった。 ヨーコは、群衆の中に紛れ込み、ラトザール・エルドール連合軍の中枢の在り処を徐々に絞り込んでいた。次第に、人々の熱気が増し、警護が厳しくなる。メルフィーヌ=サミエ司令官の名が、随所で声高に叫ばれていた。すでに戦勝ムード一色だ。無理もない。ヨーコは、そう思った。しかし、彼女には彼女のなすべき事があった。それも急がなければならない。 人々の喧騒に置き忘れられているかのようなもう一人の女がいた。長身に短めの金髪、エルフのシュンラだった。彼女は、民衆の熱気から遠ざかる方向へと歩みを進めていた。明朝、総攻撃だということは、知ろうとしなくても無数の口から耳に入ってくる。それでも、彼女は、人々の目から自分を避けるように歩き続けた。その時、彼女は追跡者がいることに気付いた。人ごみの中を素早く動く影がある。何者だろう。エルフの少女は、身構えた。振り切ろうと思えば簡単に振り切れる。しかし、シュンラは、そうしなかった。激しい動きに今の自分の体とその分身が耐えられるかどうか不安だったのだ。 「やっとみつけた!」 小さい影は、そう叫んだ。それは、ホビットの子供だった。 「あんた。あの時のチンチクリン・・・」 「おいら、そんな名前じゃないやい。ラピっていう立派な名前があるんだ。」 ラピは、目をむいて言った。エルドールでメルフィーヌと別れたラピは、連合軍の戦勝が濃厚になってくると、知の長老の屋敷にじっとしていられず、レアルの砦まで出てきたのだ。すでにここから東、エルドールまでは、人々の生活も日常に戻り始め、馬車の往来もある。数ヶ月前のような危険な旅ではなかった。彼は、メルフィーヌと再会を果たし、一息ついたところで、持ち前の敏捷さをかわれ、シュンラを探しに出たのだ。 「おいら、おねえ・・、いや、し、司令官カッカに頼まれて、おまえを探しにきてやったんだい。というわけで、帰るよ。みんな心配してるんだからな。」 「心配されるおぼえなんてないわ。特にあの軽薄女なんかにはね。言い寄る男に尻振って歩いてるだけのパッパラパーじゃない。めんどりに着飾らせて道を歩かせる方がましなくらいだわ。」 ラピには、エルフの少女の口から次々に飛び出す雑言が半分も理解できなかったが、今や人々の尊敬を集めているメルフィーヌが侮辱されていることだけは十分にわかった。ラピが怒りに顔を赤くし、返す言葉をさがして目を白黒させているうちに、細いエルフの少女の影は、再び人ごみに紛れ込んでしまった。 エルドールの新聞記者と名乗る男が連合軍の軍師に取材を申し込んできているという話を護衛兵から聞かされて、チョウリョウは、無言で首を横に振った。面会の申し込みは、今日だけでもう、五十八人目だ。もちろん、軍関係者以外は、全て断っている。いつも柔和な彼が、珍しく苛立った顔を見せた。シュンラの行方はまだわからない。 「軍師、そろそろ、支度を。」 側でアラミスがぼそりと言った。チョウリョウは、宙に浮いていた視線を長い刀を手にしたぼさぼさ髪の男に合わせた。 「どうされました? 顔色がさえないご様子。」 口ではそう言いながらも、アラミスがチョウリョウの顔色を本当に心配している様子はなかった。無理もないことだ。彼の心はすでにここにはない。チョウリョウは、そう思った。もうすぐ、総司令官メルフィーヌによる演説が、兵士、および、砦に詰め掛けている数多な人々を前に行われる。軍師を始め、主だった指揮官は全て同席する。総攻撃を明朝に控え、軍の士気を引き締めるためのものだ。同時に、苦難を乗り越えてきた民衆への激励にもなる。演説の内容は、チョウリョウによって、十分吟味されている。作戦にも不安材料はないはずだった。もうすでに、敵のカトマール軍は、軍としての機能を失いつつあるという報告もある。何か重大な事件がカトマール城で起こったらしい。待ち望んだ平和と勝利は、まさに、目前に迫っているのだ。それなのに・・・ 「アラミス殿、演説は、取り止めにしていただこうかと思うのです。」 チョウリョウの言葉に、アラミスは目を見張った。 「何をおっしゃるか。この演説は、あなたの立案によるもの。すでに準備も整い、人々も集まっています。いまさら中止など、無理なことは明らかでしょうに。」 「シュンラ様の姿が見えないのです。いつもは、うるさいほどに付きまとってくるのに。」 「軍師は、姉貴、いや、シュンラ殿一人の気紛れのために、数万の群集の期待を裏切るおつもりか。」 「人々の目当ては、メルフィーヌ様であり、その演説ではありますまい。あなたと同様。」 チョウリョウは、アラミスの目をじっと見ながら言った。アラミスは、顔を赤くし、目を逸らした。 「は、話をはぐらかさないよう願いたい。そもそも、演説を中止したいなどと、軍師には、考えがあってのことか。」 「いえ。」 チョウリョウは、アラミスの意外な慌てぶりに顔をほころばせた。しかし、それはなぜか自嘲的な笑みにも見えた。 「ただ、少しばかり不安になっただけです。この期におよんで、躊躇など、許されぬことでした。」 「不安なのは、皆同じです。でも、それももうすぐ終わるのです。」 アラミスの真面目な顔に引き込まれるように、チョウリョウは軽い相槌を打った。 「そうですね。さあ、まいりましょうか。」 チョウリョウは、静かに席を立った。 「おねえさん。どうしたの? 具合が悪いの?」 麦わらのような髪の小さな女の子が、雑踏の中で、黒い布に身を包んだ女に話しかけた。活気に溢れた群衆に押されながら、女は、おぼつかない足取りで歩いていた。女は、不思議な物を見るような視線を女の子の上に落とした。その額には艶のある黒髪が流れていた。 「どうもしないわ。」 女の体からきれいな声が漏れた。 「おねえさんも、メルフィーヌ様を見にきたの? みんなたのしみにしているわ。もうすぐ、魔物との戦いが終わるんでしょう。」 ヨーコは、女の子の無邪気な笑顔を食い入るように見ていた。 「チョウリョウという人を知っている?」 「うん。軍師様でしょう。メルフィーヌ様を助けた人だよね。でも、変わり者なんだって。」 女の子は、クスクスと笑った。 多数の護衛兵と槍に囲まれ、広場に向かう途中、チョウリョウは、シュンラと過ごした短い日々を思い出していた。ダルマ老師の山寺で結ばれた時のこと、山を下る道中、その他、色々な記憶が頭の中を駆け巡る。なぜか、もう二度と会えない予感に胸を押し付けられるのだ。 「わたし、この戦いで、住んでいた家をなくしたの。魔物が火をつけたのよ。だから、今は、おばあさんの家に住んでるの。でも、家族を亡くした人も多いんだもの。わたしは、幸せな方だわ。」 女の子は、ヨーコの側に身を寄せるようにしてしゃべり続けていた。広場はすでに人で溢れている。人ごみをかき分けるようにヨーコは、広場の中心、一段高くなった場所に近づいていった。女の子もそれについてくる。 「おねえさんの右手、無いの?」 「・・・ええ、そうよ。・・・魔物にね。」 「魔物と戦ったのね。すごいわ。勇気があるのね。もしかして、冒険者なの? メルフィーヌ様もね、冒険者なのよ。知ってるでしょう。一人でワーウルフを倒したこともあるんだって。」 女の子は、上気した顔で目を輝かせている。 「おねえさんは、どんな魔物と戦ったの? コボルト、それとも、オーク?」 「さあ、よくおぼえてないわ。」 ヨーコは、あいまいな笑顔を女の子に見せた。彼女は、コボルトやワーウルフどころか、ドラゴンさえ倒す力を秘めているはずだ。そして、その力を使う時は刻一刻と迫っている。シャールの意識の持つ憎悪の炎が、ヨーコの心を焼き焦がし始めた。広場の中心で護衛兵の槍が陽光を受けてきらきらと輝く。人を殺すために作られた道具の放つ幻惑的な光に、広場に押しかけている人々の心も高まりを見せた。 「逆賊エダマ=ルンカに死を!」 「血祭りだ!」 「メルフィーヌ万歳!」 「ラトザールに栄光を!」 思い思いに叫ぶ人々、その喧騒が最高潮に達した時、行軍吹奏の音が高らかに広場に鳴り響いた。 「アラミス。」 軍師の一行と合流したメルフィーヌは、その群れの中に背の高い茶色い髪の男の姿を見つけると、歩み寄っていった。メルフィーヌとアラミスは、護衛兵の槍の壁の中で抱擁し、キスを交わした。 「すごく胸が高鳴っているの。」 「わかるよ。」 アラミスは、にやりと笑った。チョウリョウは、軽く咳払いし、メルフィーヌに壇上に登るよう促した。 「チョウリョウ、こんなことを言うのはまだ早いと思うんだけど、何から何までありがとう。」 メルフィーヌは、チョウリョウの手を両手にとった。 「早すぎますよ。」 チョウリョウは、笑顔でそう答えた。 喧騒が静まり、人々が固唾を呑んで見守る中、メルフィーヌを始め、十人ほどの軍中枢が壇上に姿を見せた。皆、メルフィーヌの第一声を待っていた。 「あの方が、メルフィーヌ様よ。すごいわ、こんなに近くで見るのは初めて。」 麦わら髪の女の子は、興奮を押し殺した声でヨーコに語りかけた。 「それから、その横にいる人がチョウリョウ。髪飾りをつけているでしょう。やだ、今日も赤い水玉模様だわ。」 女の子は、再びクスクスと笑った。 「ここでじっとしていて。動くと危ないわ。」 ヨーコは、女の子の上にかがむようにささやいた。そして、壇上に向かって歩き始めた。人ごみをすり抜けるように進むのではなく、人間の壁を見えない手で跳ね飛ばすように、ずんずんと進んで行く。異変に気付いた護衛兵がわらわらと壇上を囲む。人々の悲鳴が広場に響いた。その響きの中、すでに、数個の人間の首が宙を舞っていた。首を失った兵士の胴体が辺り一面を血に染める。ヨーコの左手には血を吸った大きな剣が握られていた。騒ぎが起きてからチョウリョウがその剣を見るまで、ほんの一瞬の出来事だった。その剣は、ガチッという大きな金属音と共に彼の目の前で静止していた。青白い光を放つ刀が一瞬早くヨーコの剣を受け止めていたのだ。 「な?」 青白い刀身を見て、ヨーコは、素早く一歩退いた。アラミスは、ムラマサブレードですかさずヨーコを追撃した。 「だれだ、おまえ?」 ヨーコは、アラミスの切り込みを交わしながら、そう言った。彼女の意識を支配しているシャールには、成人したアラミスの記憶が無い。シャールにとって、ムラマサブレードは、エドガーの持ち物という意識しかない。十数年前に、彼を死の淵に立たせた刀だ。予期せぬ状況による戸惑いは、アラミスにさらなる反撃のチャンスを与えた。その間に、護衛兵の群れは、メルフィーヌとチョウリョウの体を抱え込み、壇上から退いていく。ヨーコは、それを追おうとするが、アラミスが許さなかった。二人は、壇上で激しく剣を交えた。ヨーコの目にも止まらない剣さばきをアラミスは、正確に受け止め、鋭い突きを繰り出す。 「ちっ、面倒な。」 ヨーコは、大きく退いて身構えると、左手を広げた。その口は動き続けているように見えたが、声はよく聞き取れなかった。しわがれた男の声のようにも聞こえた。その声は、こう言っているようだった。 「一人残らず、吹き飛ばしてやる。」 ヨーコは、壇上から周りを見回していた。何千もの恐怖に怯えた目が彼女を見ている。その中に、麦わら髪の女の子の目もあった。視線の洪水の中、ヨーコの動きが止まった。その顔は苦渋に歪んでいるように見えた。二つの心に顔を内側から引き裂かれているような表情だった。空中で不気味に弧を描いていた左手も止まった。その体をアラミスの刀が捉えたように見えた瞬間、ヨーコの姿は忽然と消えていた。 第十四話 完 |