ラトザール物語

 

 

第十五話        最強の魔法(その一)

 

 レアルの砦での騒動は、メルフィーヌ=サミエ司令官の暗殺未遂事件のニュースとして、またたく間に広がった。まだ平和は遠いという者もいれば、賊軍の最後の足掻きと見る者もいる。事件の直後、メルフィーヌが壇上に再び姿を見せなかったら、彼女が暗殺されたという噂が広まってしまったことだろう。一方、軍関係者の中では、刺客は軍師のチョウリョウを狙ったものだという意見が優勢だった。騒ぎを聞きつけ、急いで砦に戻ったシュンラをチョウリョウは、無事な姿といつも通りの笑顔で出迎えた。彼は、軍議の席から戻ったところだった。カトマールへの総攻撃は予定通り決行されることになった。

 「あなたの命を狙ったものよ。間違いないわ。アラミスにも話はきいたもの。」

 エルフの少女は、勢いこんで、そう言った。

 「この冠が目立っただけのことでしょう。シュンラ様の言う通りでした。これからは、もっと地味な色にします。」

 チョウリョウは、そう返して笑った。

 「誤魔化さないで! もう少しで、あなたが殺されるところだったのよ。」

 シュンラは、チョウリョウの顔をにらみつけた。

 「戦争をしているのです。誰もが、誰かの命を奪おうとしておりましょう。とりたてて騒ぎ立てするには及びませぬ。」

 「そうやって、肝心な時には、いつも話しをはぐらかしてばかり。あなたは、昔から自分の命を軽くあしらう癖があるわ。それが、許せないの。」

 「前にも申しましたように、この戦が終わったら、私は、シュンラ様と共に小さな家を持ちとうございます。そして、シュンラ様に文字を教えたり、学校で子供たちに学問を教えたりするのが、私の夢でございます。何故、命を粗末になどいたしましょう。」

 チョウリョウは、シュンラの細い肩を抱き寄せた。シュンラは、意外なほどおとなしく彼の腕に身を委ねた。

 「なぜ泣いているのです?」

 チョウリョウは、シュンラと唇を重ねた後、そう尋ねた。

 「怖いの。なんだかとても。わたし、たぶん・・・」

 シュンラは、そこで言葉を詰まらせた。

 「ははは。鬼神と恐れられるシュンラ様に怖いものなどありましたか。」

 チョウリョウは、笑ったが、シュンラに足を踏みつけられて悲鳴を上げた。窓の外では、止んでいたはずの雪が再び舞い始めていた。雪片が窓に触れて淡くも消え去った。

 

 “何故、躊躇などしたのだ。全員まとめて、吹き飛ばしてしまえばよかったものを。”

 “無力な人間どもなど、皆殺しにしてやればよかったのだ。”

 意思と呼べるものであろうか。思考の断片のようなものが流れ出しては消える。冷たい岩に吸い込まれていくように。それでも、そのものは考え続けた。そうすることが、唯一の役割であるかのように。

 

 「で、姉貴は、妊娠のことをチョウリョウに話していないのかい?」

 レアルの砦の衛兵の屯所でアラミスは、シュンラのぐちとも相談ともつかない話を聞き終えると、そう尋ねた。あたりにひとけはない。総攻撃の準備も終わり、砦は静まり返っていた。明朝には、メルフィーヌ=サミエなど、軍の主要メンバーもカトマールに陣を移す予定だ。

 「だって、まだ、はっきりわかったわけじゃないもの。」

 シュンラは、そう答えながらも、急に吐き気をもよおしたらしく、両手で口を押さえてうずくまってしまった。

 「大丈夫かい? かなり、苦しそうだな。」

 アラミスは、心配そうにシュンラの背中をさすった。

 「子供できてるよ。チョウリョウ、よろこぶぜ。ああ見えて、結構子煩悩だったりするんだぜ。俺も、エルフの赤ん坊なんて見たことないから、楽しみだ。」

 その時、シュンラは、きっと顔を上げてドアを見た。アラミスも、部屋の外の微かな物音に気付いていた。アラミスが、身構えながらドアを開けると、そこにはメルフィーヌの姿があった。

 「ごめんなさい・・・、立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど・・・」

 メルフィーヌは、そう言って、部屋に入った。

 「シュンラ、おめでとう。わたし・・・」

 メルフィーヌの言葉が終わらないうちに、シュンラの片手がその喉を壁に押さえつけていた。

 「誰かに話したら、殺すわよ。」

 シュンラは、蒼白になったメルフィーヌの耳元でそう言っていた。

 「姉貴、何するんだよ! 司令官閣下から手を離せ。」

 アラミスは、シュンラの肩に手をかけて、小声ながらも命令的な口調で、彼女をメルフィーヌから引き離した。

 「司令官? ああそうだったわね。それに、アラミス、あんたにとっては、大切な恋人だわね。夫の生死もわからないうちに、他の男と寝るような女だから、遊ばれてるだけかもしれないけどね。ルーイのように・・・」

 シュンラの口からルーイの名前が出たのは久しぶりだ。最後の一言は、喉の奥から絞り出すような声だった。

 「わたしは、やましい事をしているつもりはないわ。」

 メルフィーヌの声は、少し震えてはいたが、しっかりとしていた。

 「自分のやっている事には責任を持つつもりよ。ガランカに再会できたとしたら、しっかりと話し合って、結論を出すわ。すぐには許してはもらえないと思うけど、許してもらえるまで待つわ。わたしは、アラミスを愛しているの。それは事実で、遊びなんかじゃない。身勝手と罵られてもいい。ガランカのことも愛しているのよ。今でも、彼の帰りを待っているわ。無事な姿を夢にまで見るの。本当よ。」

 「相変わらずのご都合主義ね。新米プリーストが人並みな口をきくもんじゃないわ。」

 「口を慎みなさい、シュンラ。あなたがエルドールのロードでも、ここは戦場。指揮権は私にあるのよ。」

 メルフィーヌとシュンラは、激しくにらみ合った。アラミスは、思わずこの場から逃げ出したくなった。でも、それはできない。ただ二人の女の顔色をうかがうしかなかった。シュンラが、近くの机の上に置いてあった兵士の長剣をつかみ鞘をはらったのは、その時だった。メルフィーヌは悲鳴を上げた。アラミスは、シュンラにおどりかかった。それよりも一瞬早く、シュンラの剣は、何も無い壁に火花を上げて突き立てられていた。

 「何するんだよ! 姉貴! 気でも狂ったのか。」

 部屋の外でばたばたと衛兵の集まる足音が聞こえる。アラミスの方を振り向いたシュンラの顔は、冷ややかな表情に戻っていた。

 「薬の匂いがしたのよ。嫌な。でも、気のせいだったみたい。」

 シュンラは、剣を鞘に収め机の上に投げ出した。

 「忠実な護衛官殿。愛しい司令官と軍師の命をたのんだわよ。」

 シュンラは、アラミスの肩を軽く叩き、駆け集まってきた衛兵たちの間を縫うように部屋を出て行った。アラミスは、衛兵たち相手に事の次第をごまかすのに苦労した。そのため、剣でえぐられた壁の穴の周りの模様が微かに揺らぐように動いたことには誰も気付かなかった。

 

 「ゾーラ殿。ゾーラ殿は、どこじゃ!」

 崩れかけた柱と石の床だけが目立つカトマール王宮に甲高い声が響いた。

 「あの女狐め、どこに姿をくらましおった。」

 エダマ=ルンカは、歯軋りをしながら裾の長い衣を引きずって歩き回った。魔物たちが暴れ狂った一夜が明け、一安心したのも束の間、彼は、王宮の守備部隊が姿を消していることに気付いた。そのほとんどは、逃げ出すか、魔物に殺されるかしたのであろう。彼らを指揮していたキャプテングランもゾーラも姿を見せない。頼みのゼーダの声も、彼の奴隷たちと共に地下迷宮の結界の中から消えた。対照的に、カトマールを包囲するエルドール・ラトザール連合軍は、窓から覗き見ても明らかなように、その陣容と軍勢を増している。いまや見渡す限りの平地が連合軍とその旗で埋め尽くされていた。軍事に疎いエダマにも、戦争の勝敗ははっきりと理解できた。どうして、こんなことになったのか。ほんの数週間ほど前は、城は、黒い鎧武者に埋め尽くされ、エダマは、彼らの上に君臨していた。兵たちは、エダマの前でへばりつくようにひれ伏し、彼の命令一つで進んで命を捨てようとした。エダマは、この国を支配し、さらには、世界に覇を唱えるはずだった。世界中の人々が彼の名に畏れ、その力を称えるはずだった。それなのに・・・・

 エダマは、わずかに残った衛兵を見つけると、転がるような勢いで駆け寄った。

 「誰もおらぬぞ。誰も。見よ。民兵どもはいまにも我が城に攻め入ってくる勢いではないか。それなのに、ゾーラやグランは、どこで何をしておる。」

 「ゾーラは、エルドールの軍師の暗殺に失敗したとかでひとしきり騒いでおりましたが、一味の者どもと共に姿を消しました。すでにこの城内にはいないものと思われます。」

 衛兵の中で最も年配らしい者が言った。

 「ルンカ。あなたの身を拘束します。」

 「な、なにを馬鹿げたことを・・・。誰に向かって言っておるのじゃ。」

 エダマは、片手を口にあてながら後ずさりをした。その彼を、背の高い衛兵たちがぐるりと取り囲んだ。

 「宦官にして、国王の元側近、エダマ=ルンカという者に対してです。カトマール国王ブルーノ陛下の命令です。すでに、国王の令により、城門は開け放たれ、我が軍は、武装解除しました。今は、ラトザールの正規軍の入城を待つばかりとなっています。後は、今回の乱変の首謀者たるあなたの身柄を引き渡すだけです。」

 エダマは、全身の力が抜けたように石の床の上に座り込んでしまった。

 

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