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ラトザール物語
第十五話 最強の魔法(その三)
レアルの砦を囲む道の一つに四人の僧侶が立っていた。黒っぽい僧服を着、手には長い杖を持っていた。目深に傘のような大きな被り物を頭に乗せているため、顔は見えない。目立たぬ身なりで、物乞いをしながら旅をする修行僧のようにも見える。道を行き交う人々はほとんど彼らの存在に関心を示していないようだ。最近、魔物に家と生業を奪われ修行僧になった者も多い。そんなにわか修行僧の集まりとでも見られているのだろう。 「一足遅れで間に合いませんでしたな。残念でなりませぬ。」 「惜しい才能を亡くしました。」 「宿縁とはいえ。」 「同胞、チョウリョウの冥福を祈りましょう。」 僧たちは、口々にそんな言葉を交わしていたが、いつの間にか、道を行き交う人々の群れの中に溶け込むように姿を消していた。
夕暮れ時、長身の少女が一人、長くのびた影と共に歩いていた。そこは、小さな農村で、道の左右に家が点々と見える。人々は、春の作付けの準備に追われているようで、忙しく働いている。子供たちが道端で駆け回って遊んでいる。時折、賑やかな歓声が上がる。そんな光景の中を、少女は、歩いていた。どこに行くのか。どこに向かっているのか。足任せで、目的もなく歩いているのかもしれない。やがて、人々は、作業の手を止め、遊びの足を止め、見慣れない少女の姿を目で追っていた。柔らかな陽光の中、少女の短めの金髪が風に揺れて輝く。その姿を前に、人々は、互いに耳打ちを交わした。そんな様子を、少女は、気にかけない様子で足を進めてゆく。しかし、彼女は、数人の村人たちに道を遮られ立ち止まった。年老いた者もいれば、若い者もいる。彼らは、早春の可憐な草花を手に持っていた。 「シュンラ様ですね。うちのせがれが、レアルの砦で、お姿を見たともうしております。」 シュンラは、怪訝そうな表情で、村人たちの顔を見た。 「チョウリョウ様のこと、深くお悔やみもうしあげます。わたくしどもは、メルフィーヌ様とチョウリョウ様によって魔物の襲撃から命を助けられた者です。」 年配の男がそう言って、手にした花をシュンラに差し出した。ごつごつとした農夫の手が夕日と小さな花びらに彩られている。 「お子様を無事に出産されることを祈っていますよ。」 子連れの女の人が、そう言って、花を差し出した。 「チョウリョウ様の子供ですもの。行く先、楽しみですね。」 シュンラは、差し出された花を一つずつ無言で受け取ると、彼らに向かってかすかに会釈し、顔を伏せたまま逃げるように道を急いだ。村人たちは、全員、手を止めたまま、いつまでもその後ろ姿を見守っていた。
“わたしは、何をしているのだろう? 何故、人を憎み、人を殺めなければならないのか?” その物は、岩山の中、岩に同化したように動かず、それでいて、常時、追跡者のけはいを探っている。 “何故?” 自らに問いかけるのだが、それが、意味を成さないことも分かってきた。二つの心が、常に正反対の答えを出すのだ。冷たい岩山にうずくまったまま、ヨーコは、自らを制するすべも忘れていた。記憶の狭間に意識を浮かべることが多くなった。脇腹に大きな傷跡があり、肉のただれた臭いが鼻をつく。そして、焼けた鉄を埋め込まれているように痛む。ムラマサブレードによる傷跡だった。痛みは時が経つほどに激しさを増す。 “今更、何を問うのだ。破壊こそがこの世の全て。世界を動かす力の源。全てのものを憎み、破壊してこそ、新しい秩序と進歩が生まれる。” “それが、何の意味を持つのか? こうして、隠れ忍んでいることが、その答えか? 私は、人間ではないのか? 力ゆえにその資格を失ったのか?” 止め処ない自問を続けるヨーコが、追跡者のかすかなけはいを感じるのと、背後に少年の声を聞いたのは同時だった。 「振り返る必要はないよ。ヨーコ。きみの記憶は、読ませてもらった。これ以上苦しませたくないんだ。」 エドガー=ハートンは、彼女の背後に立ち、背中に手をあてていた。一瞬の出来事だった。まるで空間がえぐり取られたように、ヨーコのいた場所を中心に直径五十メートルほどのクレーターが出来上がっていた。エドガーは、そのクレーターの中心に一人で立っていた。しばらくすると、二人の人影がそこに加わった。少年、少女の姿をした彼らは、超自然的な力で丸く切り取られた空を見上げた。 「やっと終わったわね。」 銀色の髪の少女は、ほっとしたような声を出した。 「今回の狩りは、結構美味しかった。」 金髪の少年が、悪戯っぽい笑みを見せた。 「ルーイ、ずるいわ。五人も狩っちゃうなんて。しかも、若い男ばかり。」 「あれは、不可抗力さ。向こうから飛び込んできたんだ。」 「さあ、次の狩りに行こうか。」 エドガーは、冷たい笑顔でそう言った。 「ゾーラの仲間たちをまだ狩ってないわ。」 「ゾーラは食えないけどね。」 「ゼーダの奴隷たちが残っているのよ。結構、美味しそうだったわ。でも、その前に、一つだけ用事を済ませてくる。」 銀色の髪の少女は、そう言って、東の空を見上げた。雲一つない美しい空だった。三人は、舞うようにくるりと一回りすると、風のざわめきにも似た笑い声と共に駆け出した。
メルフィーヌ=サミエ司令官は、エルドール防衛軍を率いて凱旋した。手に手にラトザールとエルドールの旗を持った人々で沿道は埋まっていた。男も女も子供も年老いた者も、皆、歓喜の叫び声を上げて華やかな行軍に花を添えた。 エルドールの新聞の一面には、連日、凱旋の様子がつづられている。もう何度も繰り返されてきたメルフィーヌの紹介記事、戦功のあった将校たちの談話、中にはゴシップ的な記事もあるが、お祝いムード一色に染まっていることに変わりはない。そして、ついに、凱旋軍がエルドールの巨大な城門をくぐる日が来た。その後、お祭り騒ぎの祝賀行事が数日間続いた。メルフィーヌは、五人の長老の前に膝をついた。エルドールの宝、アスランの杖は、勇の長老の手に戻された、平和の象徴として。 歓待の儀式が一段落して休むメルフィーヌに一人の少女が近づいてきた。年の頃は、十四、五才というところか。透き通るような白い肌に長い銀色の髪、白いドレスに身を包んでいるため、まるで妖精のように見える。細い腕に、色鮮やかな赤い薔薇の花束を抱えていた。 「英雄メルフィーヌ=サミエにこれを。」 少女は、メルフィーヌに花束を渡した。 「ありがとう。あなたの名前は?」 メルフィーヌは、何気なく少女に尋ねた。少女は、にっこりと笑って答えた。 「わたしの名は、エリザベス=ハートン。」 メルフィーヌの表情が半ば笑みを浮かべたままで、凍りついた。 「・・・エドガーの・・・」 「そう、妹よ。あなたに会うのは、三度目ね。メルフィーヌ。二度目は、覚えてないと思うけど。」 その時、メルフィーヌの中で何かが溶けるように、ある夜の出来事が思い出されてきた。カトマールが炎上した夜のことだ。彼女は、暴徒に襲われていた。そこに現れたのが、月明かりの中、窓辺に浮かぶ二つの人影。メルフィーヌは、今、目の前に立っているエリザベスとエドガーに助けられ、エルドールに行くように指示された。それが、ラトザール国の危機を救うという、十九才の女の子にとっては無謀とも思える冒険の始まりだった。 「思い出したかしら。お兄さまの暗示が解けたのね。」 エリザベスは、くすりと笑った。 「・・・わたし、今までエドガーの魔法で動かされてきたの?」 メルフィーヌは、呆然として、妖精のような少女の姿に視線を奪われていた。この四ヶ月あまりの出来事が走馬灯のように彼女の頭の中を駆け巡る。ラピと共にしたエルドールへの決死の旅、長老による過酷な試練、ガランカとの再会と再度の別れ、敗軍の将となりシュンラに命を救われ、川を下る小船の中で出会ったチョウリョウ、熾烈な戦闘、そして、チョウリョウの死。度重なる逆境を乗り越え、華やかな祝賀行事の主役となっていることがまるで夢の中の出来事のように思われる。何かに衝き動かされているように感じていたのが全て魔法の力だったのだろうか。 「いいえ、違うわ。お兄さまは、道を示しただけ。後は、あなたの意思で動いたのよ。ラトザールとエルドールの大勢の人々に支えられてね。この勝利のもう一人の立役者は、苦難を耐え忍んだ人々全てよ。魔物に襲われ、家を失い、愛する人を失っても、じっと耐え忍んだ。彼らの忍耐強さ無しには今日のこの美しい日は訪れなかったわ。人間って、本当に強い生き物ね。」 エリザベスは、言葉を区切って上目使いにメルフィーヌの顔色をうかがうような素振りを見せた。 「わたしは、勇者ガランカ=サミエの最期の言葉を伝えに来たの。あなたには、辛い知らせになるわね。」 そう言うと、エリザベスは、前で両手を揃え背筋を正した。 「ガランカ=サミエは、カトマールに捕らえられていた仲間と私を救うために命を落としました。勇者として、サミエ家の名に恥じることのない実に立派な死でした。最期に、あなたに、愛していると伝えてくれと言われましたの。彼の命を奪ったのは、残忍な魔法使いのシャール=ザマ。チョウリョウを殺した者と同じです。その者は、お兄さまがこの世から消しました。永久に。」 エリザベスは、我を忘れたように無言で立ち尽くすメルフィーヌの手を両手にとった。 「アラミスのことを頼みましたよ。メルフィーヌ、美しい思い出をありがとう。大切にするわ。カルザック=ダルネの娘がこんなに立派になったことを・・・、」 エリザベスは再びそこで言葉を区切り、メルフィーヌの目をじっと覗き込んだ。メルフィーヌは、空のように淡い青の瞳の中に数万年の時の流れを垣間見たような気がした。 「我が一族は、誇りに思います。」 そう言い残し、くるりと踵を返した白い妖精の姿は、いまだ歓喜に酔いしれる群集の中に吸い込まれていった。メルフィーヌは、遠くの人垣の中に二人の少年の姿、エドガーそしてルーイを一瞬見たような気がしたが、その後、どう目を凝らしても彼らの姿を再び目で捉えることはできなかった。 それ以降、エドガー=ハートンたちの姿を見た者はない。彼らの失踪が、復活した魔王アーサーに関係があるのか、それとも、逃げたゾーラを追って行ったのかは、わからない。とにかく、三十年後の今に至るまで人々の前から姿を隠していることは確かだ。
エルドールの市庁舎、勇の長老の部屋で、長老に選任されたばかりのメルフィーヌ=サミエが執務を行っている。まだ老婦人という言葉は似つかわしくない。美しく年輪を重ねた女盛りとでも言うべきか。彼女は、三十年前のエダマの反乱以来、そのままエルドール防衛軍の指揮を任されてきた。その間、何度か長老に推挙されたが、司令官任務とのかけもちができないため、辞退し続けてきた。最近ようやく司令官の職を退き、勇の長老の推挙を受け入れたのだ。今でも、三十年前の出来事は彼女の記憶に鮮明に残っている。その後の年月も決して順風満帆とはいかなかったが、彼女は、大勢の仲間たちに助けられ、一つ一つ困難を乗り越えてきた。今でもアラミスと一緒に暮らしているし、大人の関係も続けている。でも、正式に結婚の宣言はしていない。そうする必要はないと二人で話し合って決めた。アラミスとの間には、三人の子供を産んだ。ガランカとの間の子供も合わせて五人。すでに、皆、成人し、各々の道を歩き始めている。 窓の外には、どこまでも続く青い海が見える。海を見ると、何故か、ガランカを思い出す。そして、懐かしい顔を一つ一つ記憶の中に手繰り寄せる。メルフィーヌは、ドアをノックする音に振り向いた。現れたのは、長身のエルフの少女だった。三十年前の記憶と全く同じ姿。シュンラだった。でも、一つだけ決定的に違う点があった。彼女にそっくりの金髪の小さな女の子の手を引いているのだ。勇の長老たるメルフィーヌも、エルドールのロードの称号を持つシュンラに敬礼した。シュンラは、軽く、本当に軽く、でも確かにメルフィーヌに対して敬礼を返した。
「チョウリョウの子よ。名前は、チャラ=リョウ。」 シュンラはそう言って、女の子の背を少し押した。通説としてエルフが子育てをしないのは、すでに述べた通りである。シュンラも、出産前、里親を探し歩いたに違いない。彼女の場合、チョウリョウの子供を他人に預けることができなかったのか、その気性からして、気に入った里親が見つからなかっただけなのか、今となっては定かではない。いずれにせよ、そこには、珍しい子連れのエルフの姿があった。 「あなたに似て可愛くて、チョウリョウに似て聡明そうな子ね。」 メルフィーヌは、女の子の前で身を屈め、その小さな手を握った。三十才になるはずだが、人間で言えば七、八才くらいにしか見えないので、子供に対する接し方になってしまうのも無理はない。 「本ばかり読んでて困るの。そのうち、図書館にでも住み着かなければならなくなるわ。」 シュンラは、少し顔をしかめた。 「あら、ママ、わたし、そのつもりよ。五年前にも、カトマール王立図書館の書士試験を受けたでしょ。でも、身長制限のために不合格になったわ。酷い制度だわ。どうして、図書館書士と身長が関係あるのかしら。梯子という文明の利器を知らない石頭がいるのね。いずれ、改めさせなければならないわ。」 エルフの女の子は、そう言って口を尖らせた。 「わたし、世界中の書物を読んで、古代の物質文明の謎を解き明かしたいの。なぜ彼らが暗黒の力を持つに至り、それで自らを滅ぼしたのか、そして、どうすれば過去の過ちを繰り返さないですむかを研究したいの。」 「あなたならできるわ。チョウリョウの娘ですもの。」 メルフィーヌは、シュンラにそっくりの金髪の頭を撫でた。 「それで、頼みというのは、そういう事よ。あなたなら、エルドール、カトマール両方のお偉いさんに顔が利くでしょう。公立図書館の担当者にこの子を紹介してもらえるだけでいいの。少しばかり話しをつけてもらえると、もっと助かるわ。わたし、そういうことが苦手なのよね。」 メルフィーヌは、シュンラの頼みを快諾した。 「じゃあ、よろしく頼んだわよ。メルフィーヌ。あなた、あんまり変わってないわね。」 褒めているのか批判しているのかよくわからない言葉に、メルフィーヌは、満面の笑顔でうなずいた。それから、三十年前の思い出話に、しばし時間を忘れた後、部屋を出て行こうとするシュンラにメルフィーヌが声をかけた。 「シュンラ、訪ねて来てくれて、ありがとう。他にも何か困ったことがあったら、言ってね。できる限り力になるわ。」 シュンラは、振り向いて、了解のしるしに片手を軽く上げた。その顔から恥ずかしそうな笑みがこぼれた。
さて、ひとまず筆を置く時が来たようだ。私の母が隣の部屋で汚い言葉で何かを罵っている。また、男に逃げられたのだろう。私が覚えている限りでは三十九人目だ。私もそろそろ妹が欲しいが、この様子では、まだまだ先の話になりそうだ。行って慰めてやらないといけない。私の父チョウリョウがかつてそうしたであろうように。
チャラ=リョウ
ラトザール物語 完 |