左図は江戸時代の集落地図です。四角の枠で囲まれたのが「村名」です。 江戸時代は、相模の国、高座郡に属していました。 下図は江戸時代の道路図です。 南北に滝山街道が走っていますが、これは軍事用の道路で山林の中を走っており、村民の日常生活にはあまり使われなかったようです。村落の東側、境川に沿って鎌倉古道があり、西側には引地川沿いの道があります。村民は、両川沿いに住んでいました。 東西方向には、北部に矢倉沢往還(大山街道)、中央部に中原街道、坂東三十三札所を巡る巡礼街道などがありました。石仏は、境川、引地川沿いの集落を走る道沿いに立てられたようですが、今は、神社やお寺に多くが集められています。 なお、左図は大和市のホームページ「市域の全体図」http://www.city.yamato.lg.jp/ web/shakai/reki13-00.html から、下図は山下武雄著「中原往還・順礼街道・塩付道」 http://www.city.yamato.lg.jp/ web/content/000001963.pdf から、引用させていただきました。 詳細地図 (大和市史4から転載) 下鶴間 深見 上草柳・下草柳 福田 上和田・下和田 |
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