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鶴間駅東口から「一の関経由、大和駅行き」神奈中バスで「一の関」バス停下車。バスの進行方向(南方)に170m進み「大和市深見」交差点を左折。途中「一ノ関自治会館」「八雲神社」前を通り350m進む。通称「谷戸坂」を下る。下りきった三叉路の角地。[大和市深見」交差点から約550m。
周辺地図はこちら |
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| 写真2 道祖神 2009/03/19 |
写真3 2の正面右端 2009/03/19 |
写真4 2の正面左端 2009/03/19 |
写真5 2の右面 2009/03/19 |
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| 写真6 2009/03/19 |
写真7 2009/03/19 |
写真8 2009/03/19 |
写真9 2009/03/19 |
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| 写真10 周辺の光景 2009/03/19 |
写真11 実った稲穂 2009/09/04 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 1 | 全体 | |
| 2〜5 | 道祖神23 | 昭和十五年(1940) 正面:《双体立像》昭和十五年五月十五日 □ノ関 講中 右面:庚辰建 左面:紀元二千六百年 【 寸法(cm)】 総高=43 塔高=-- 幅=30 奥行=12.5 |
| 6〜9 | 柳田國男が水曜手帖で書いている4個の五輪塔かもしれない。 | |
| 10 | 周辺の田園風景。背後の森は深見歴史の森(城山史跡公園)の一部。 | |
| 11 | 秋に行ったときは黄金の波でした。 |
柳田國男全集(ちくま文庫)3巻「水曜手帖」に、この道祖神と思われる記述がある。
小田急線の鶴間の停留所から下りて、北端の一之関という部落に入ってみた。川のへりに四五町歩の稲田があって、小さな支流が民家との境を流れ、その岸を南北に路が通じ、石橋が架かり、その角の屋敷の端に男女双体を刻した道祖神が二つ並んで立っている。一つは寛延二年のものでまん中に割れ目があり、今一つは最近昭和十五年三月のもので、男神の袴を青に、女神の裳を黄色に塗っている。その後ろに古い五輪が四つ、これは古風だから立って熟視しているとそこへ五十ばかりの男が自転車で通りかかった。(中略)この道を少し南に下ると、部落のはずれから坂路になっていて、これをシマン坂といい、昔鎌倉勢がここらまで攻め込んだと言い伝えているそうである。柳田國男は「昭和十五年三月」と記述しているが、写真からは「昭和十五年五月十五日」と明瞭に読み取れる。 また、男女双体を刻した道祖神は一つしかなく、寛延二年のものはない。廃棄されたのだろうか。 五輪塔と思われる破片は残っているのに、寛延二年の道祖神は破片も見当たらない。どこかに移されたのだろうか。 柳田國男が見た「四五町歩の稲田」は、今は東名高速で二つに分断されてはいるが、その形を残している。(写真10,11参照) できることなら、この穏やかな原風景を後世まで残しておきたいものだ。 |
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| 写真12 水神塔 2009/10/27 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 12 | 水神塔2 | 年代不明 正面:水神塔 (注)昔水神塔のところに井戸があった。その井戸を埋めたために、ここに水神塔を祀る。 【 寸法(cm)】 総高=49.5 塔高=37.5 幅=21 奥行=13.5 |
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水神塔は個人の邸内にあるが、写真撮影・ホームページ掲載の許可をいただいた。 現在住んでおられるT家の家人のお話では、水神塔を建てたのは以前の住人のH氏だとのこと。T家では今も毎年正月に水神塔の供養をされているとの事である。 T家の前には道祖神があるが、道祖神が安置されている側溝は以前は境川につながる小川が流れていたとのことである。柳田國男の水曜手帖に記されたとうりの景色をほうふつさせるお話であった。 |