福田八丁目  最終更新日:2010年12月28日(周辺地図変更) 
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観世音菩薩像1


場所:福田 8(写真1 祠内の聖観音菩薩像 2010/02/09撮影)
引地台公園南入口付近
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写真2 正面
2010/02/09
写真3 一部拡大
2010/02/09
写真4 一部拡大
2010/02/09
写真5 一部拡大
2010/02/09
写真7 祠
2010/02/09


写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
1聖観世音菩薩全体
2〜7観世音菩薩像1寛文八年(1668)
正面:《聖観世音菩薩立像》 相州高座郡渋谷庄福田村順西
   寛文八戌申天十二月吉祥日
【 寸法(cm)】 総高=66 塔高=-- 幅=32 奥行=18
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

大和市発行の大和市文化財調査報告書76「石造物」(1996発行)によれば、写真1〜7の聖観世音菩薩について次のように書かれています。
 舟形の頂部が欠損しているが、他には欠損等はなく、刻像も鮮明である。安山岩で作られており、風化は容易には進まないと思われる。
 建立は寛文8年(1668)と古く、大和市域でも初期の石仏といえる。正観音像は、脚部が短いのに対して手が大きく、宝冠も大きいといった具合に、全体としての均整がとれていないのが特色である。こうした不均衡は近世前期の初期石仏にしばしば見られる。
 建立目的は刻銘がなく不明だが、「順西」というのは僧籍にある人の名と思われ、この人が何かの供養のために建立したのではと考えられる。
 近世初期、寛文期像容仏の特色をよく示したものである。以前は、中原街道沿い引地川右岸に祀られていた。これはかって、大雨の時、中原街道の坂の上から流れ落ちてきて、石仏が止まったところに祀ったのだと伝えられている。
ところで、「聖(正)観音菩薩」と「観音菩薩」は何が違うのでしょうか。 調べてみると、「聖(正)観音菩薩」は、観音菩薩の総体、本締的な存在らしい。数多くの観音菩薩像は変化(へんげ)観音と称され、変化観音が現れる以前の観音は聖(正)観音と云うのだそうです。また変化観音には、如意輪観音、千手千眼観音、准胝(じゅんてい)観音、十一面観音、不空羂索観音、馬頭観音等があるそうです。市内にも十一面観音があり、馬頭観音は60基ほどあります。

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