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桜ヶ丘駅東口下車。藤沢街道の「桜株バス停」から神奈中バス「上和田団地行き」に乗り「団地入口」で下車。70m逆戻りし右折。道なりに170m進んだ三叉路。
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| 写真e 全体 2010/05/21 |
写真f 正面 2010/05/21 |
写真g 右面 2010/05/21 |
写真h 左面 2010/05/21 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 |
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| e | 全体 | |
| f〜h | 道祖神29 それとも 庚申塔 |
平成二十二年(2010) 正面:奉納 右面:庚申 左面:平成二十二年吉日建之 願主 小川 潔 |
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2010/05/21に訪れたら、上の写真のように立派に再建されていた。メデタシ、メデタシ。 と思ったら、右面に「庚申」と刻まれている。 エッ!。これって、道祖神じゃなかったの? 叢書では、「丸石をともなう石祠型道祖神で市内唯一のもの、賽の神、全体に破損」となっている。 近所に住む持ち主に尋ねたら、「元々道祖神というより、庚申さまだったんだ」とのこと。それ以上詳しい話は「忙しいから」と断られた。 ウ〜ン。一体どっちなんだ? こんなこともあるの? 元の石祠はどうしたのだろう? 捨ててしまった? せめて横に置いておいてくれれば、この塔の歴史が留められるのだろうが、今の形では歴史が途絶えてしまう。 |
2010年3月11日に訪れたら・・・大変!道祖神の右奥の畑に囲いが設置され建設工事(内容は不明)が始まっていた。祠型の道祖神は取りこわされ、祠の中にあった丸石は見当たらなかった。 道祖神の一角は囲いの外にあることから、工事終了後再建されるのかも知れない。 |
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| 写真a 石祠斜視 2010/03/11 |
写真b 祠の前の 台の正面 2010/03/11 |
写真c 祠の前の 台の右面 2010/03/11 |
写真d 祠の前の 台の左面 2010/03/11 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 |
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| a〜d | 道祖神29 |
正面:奉納 右面:わずかに「日」のみ判読可能 左面:相州 鎌倉郡 中和田村 【2013年10月29日追記】 「鎌倉郡中和田村」についてWikiで調べたら次のようなことがわかりました。 中和田村(なかわだむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1939年(昭和14年)4月1日まで存在した神奈川県鎌倉郡の村。現在の神奈川県横浜市泉区のほぼ全域にあたる。この記述から推測すると、写真dの碑銘は、 相州 鎌倉郡 中和田村 と考えられる。 なお、鎌倉郡中和田村と上和田2887は、境川を挟んで向かいあっており、その昔、両地域において何らかの交流があったものと思われます。 |
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| 写真2 石祠 2009/10/22 |
写真3 祠の前の 台の右面 2009/10/22 |
写真4 祠の前の 台の左面 2009/10/22 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 1 | 全体 | |
| 2〜4 | 道祖神29 | 年代不明 【2013年10月29日追記】 中和田村は、1889年(明治22年)4月1日から1939年(昭和14年)4月1日まで存在した村なので、1888年以前に作られた塔ではないことが判明。 左面:[ ]年 [ ]月 (注)丸石をともなう石祠型道祖神で市内唯一のもの、賽の神、全体に破損。 【 寸法(cm)】 総高=54 塔高=45 幅=25 奥行=26 |
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叢書には『丸石をともなう石祠型道祖神で市内唯一のもの』と記載されている。写真2からわかるように、祠内に『丸石』があるが、本当に建立当時から丸石が祀られていたのだろうか? 誰かが悪戯で置いたとか、子供が何気なく置いたとかの可能性は無いのだろうか。 叢書でも『全体に破損』と書かれているように破損が進行している。現時点では祠の胴体部はコンクリートブロックである。従って叢書の『左面:[ ]年 [ ]月』は確認できない。 祠の前の台(線香などを置く台)の左面には次のような文字が刻まれていた(写真3参照)。 相州鎌倉[ ] 中和田村[ ] □西[ ] |