大和市の石仏/上和田2887

上和田2887  最終更新日:2013年10月29日  初回登録日(周辺地図変更):2010年12月27日 
Google
WWW を検索 サイト内検索



場所:上和田2887(写真1 2009/10/22撮影)
桜ヶ丘駅東口下車。藤沢街道の「桜株バス停」から神奈中バス「上和田団地行き」に乗り「団地入口」で下車。70m逆戻りし右折。道なりに170m進んだ三叉路。
周辺地図はこちら

道祖神29

2010年5月21日に訪れたら・・・再建されていました!!
  でも・・・

(クリックで拡大)
blank blank blank blank
写真e 全体
2010/05/21
写真f 正面
2010/05/21
写真g 右面
2010/05/21
写真h 左面
2010/05/21

写真No叢書No説 明
e  全体
f〜h道祖神29
それとも
庚申塔
平成二十二年(2010)
正面:奉納
右面:庚申
左面:平成二十二年吉日建之  願主 小川 潔
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)


2010/05/21に訪れたら、上の写真のように立派に再建されていた。メデタシ、メデタシ。
と思ったら、右面に「庚申」と刻まれている。 エッ!。これって、道祖神じゃなかったの? 叢書では、「丸石をともなう石祠型道祖神で市内唯一のもの、賽の神、全体に破損」となっている。
近所に住む持ち主に尋ねたら、「元々道祖神というより、庚申さまだったんだ」とのこと。それ以上詳しい話は「忙しいから」と断られた。
ウ〜ン。一体どっちなんだ? こんなこともあるの? 
元の石祠はどうしたのだろう? 捨ててしまった? せめて横に置いておいてくれれば、この塔の歴史が留められるのだろうが、今の形では歴史が途絶えてしまう。


2010年3月11日に訪れたら・・・大変!

道祖神の右奥の畑に囲いが設置され建設工事(内容は不明)が始まっていた。
祠型の道祖神は取りこわされ、祠の中にあった丸石は見当たらなかった。
道祖神の一角は囲いの外にあることから、工事終了後再建されるのかも知れない。

道祖神29
(2010年3月11日の状態・・・クリックで拡大)
blank blank blank blank
写真a 石祠斜視
 
2010/03/11
写真b 祠の前の
台の正面
2010/03/11
写真c 祠の前の
台の右面
2010/03/11
写真d 祠の前の
台の左面
2010/03/11

写真No叢書No説 明
a〜d道祖神29 正面:奉納
右面:わずかに「日」のみ判読可能
左面:相州 鎌倉郡 中和田村 和田□和泉村 安西大吉

【2013年10月29日追記】
「鎌倉郡中和田村」についてWikiで調べたら次のようなことがわかりました。
中和田村(なかわだむら)は、1889年(明治22年)4月1日から1939年(昭和14年)4月1日まで存在した神奈川県鎌倉郡の村。現在の神奈川県横浜市泉区のほぼ全域にあたる。
 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、和泉村、中田村、上飯田村、下飯田村および高座郡上和田村、今田村の各一部が合併して成立。各旧村名に使われていた文字(中田村・和泉村・上飯田村・下飯田村)を組み合わせた合成地名。
1939年(昭和14年)4月1日 - 横浜市に編入。同日中和田村廃止。同日に設置された戸塚区の一部となる。
1986年(昭和61年)11月3日 - 横浜市戸塚区から中和田支所(吏員派出所)の管轄区域が分区し、泉区を設置。旧村域が泉区となる。
 この記述から推測すると、写真dの碑銘は、
相州 鎌倉郡 中和田村 和田□和泉村 安西大吉
と考えられる。
 なお、鎌倉郡中和田村と上和田2887は、境川を挟んで向かいあっており、その昔、両地域において何らかの交流があったものと思われます。

道祖神29
(2009年10月22日の状態・・・クリックで拡大)
blank blank blank
写真2 石祠
 
2009/10/22
写真3 祠の前の
台の右面
2009/10/22
写真4 祠の前の
台の左面
2009/10/22

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
1  全体
2〜4道祖神29年代不明
【2013年10月29日追記】
 中和田村は、1889年(明治22年)4月1日から1939年(昭和14年)4月1日まで存在した村なので、1888年以前に作られた塔ではないことが判明。
左面:[  ]年 [  ]月
(注)丸石をともなう石祠型道祖神で市内唯一のもの、賽の神、全体に破損。
【 寸法(cm)】 総高=54 塔高=45 幅=25 奥行=26
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

 叢書には『丸石をともなう石祠型道祖神で市内唯一のもの』と記載されている。写真2からわかるように、祠内に『丸石』があるが、本当に建立当時から丸石が祀られていたのだろうか? 誰かが悪戯で置いたとか、子供が何気なく置いたとかの可能性は無いのだろうか。
 叢書でも『全体に破損』と書かれているように破損が進行している。現時点では祠の胴体部はコンクリートブロックである。従って叢書の『左面:[  ]年 [  ]月』は確認できない。 祠の前の台(線香などを置く台)の左面には次のような文字が刻まれていた(写真3参照)。
相州鎌倉[  ] 中和田村[  ] □西[  ]

・Home:大和市の石仏トップ

・大和市なんじゃもんじゃ写真館はこちら   ・クリックしてメール。

Copyright© 2009 K.Hironaka. All rights reserved