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市営コミュニティバス ”のろっと” 北部コースの「上村」バス停で下車。北東に60m。
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| 写真2出羽三山供養塔 2009/11/05 |
写真3 右面 2009/11/05 |
写真4 左面 2009/11/05 |
写真5 一部拡大 2009/11/05 |
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| 追加A1 2010/05/03 | 追加A2 2010/05/03 | 追加A3 2010/05/03 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 1 | 全体 | |
| 2〜5 追加A1〜A3 | 出羽三山供養塔2 | 寛政九年(1797) 正面:《大日如来坐像》 月山 湯殿山 羽黒山 大権現 □養 右面:寛政九丁巳仲冬下旬 左面:公所邑講中 【 寸法(cm)】 総高=148 塔高=121 幅=39.5 奥行=35 |
大和市発行の大和市文化財調査報告書76「石造物」(1996発行)によれば、写真2〜5の道祖神について次のように書かれている。
出羽三山とは、月山を主峰とする羽黒山、湯殿山の三山を総称するもの。崇峻天皇(6C末)の第一皇子峰子皇子によって開山されたといわれる修験道の道場。江戸時代には、民間信仰の対象になり、修験者でない一般の信者の登山が行われ、講集団による三山登拝が盛んになった。出羽三山講は千葉県などでは現在も盛んであるが、神奈川県内では現在は衰えたところが多い。 |
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| 写真6 浄水鉢 2009/11/05 |
写真7 右面 2009/11/05 |
写真8 左面 2009/11/05 |
写真9 裏面 2009/11/05 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 6〜9 | 浄水鉢9 | 明治十六年(1883) 正面:《三巴紋》 奉献 右面:相模国高座郡下鶴間公所 下講中 左面:明治十六未年八月吉日 裏面:《三巴紋》 奉献 【 寸法(cm)】 総高=52 塔高=37.5 幅=77.5 奥行=47 |
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| 写真10 浄水鉢 2009/11/05 |
写真11 右面 2009/11/05 |
写真12 左面 2009/11/05 |
写真13 裏面 2009/11/05 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 10〜13 | 浄水鉢10 | 明治十八年(1885) 正面:《三巴紋》 奉献 左面:明治十有八年八月吉日 氏子中 裏面:《三巴紋》 奉献 【 寸法(cm)】 総高=64 塔高=38 幅=91.5 奥行=54.5 |
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| 写真14 弁財天 2009/11/05 |
写真15 斜めから 2009/11/05 |
写真16 正面下部 2009/11/05 |
写真17 右面 2009/11/05 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 14〜17 | 弁財天像3 石祠 | 天明元年(1781) 正面:奉納 當所巳待 惣講中 右面:天明元丑 六月吉祥日 【 寸法(cm)】 総高=144 塔高=59 幅=-- 奥行=-- |
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以下は2010/03/21追記。 この像は叢書では、つきみ野5-6つきみ野1号公園内(つきみ野野球場脇)にあると記されている。 公園内を探し、つきみ野自治会副会長の方にも尋ねたが見つからなかった。 2010/03/20、やまと歴史散歩 その1というサイトに、本像について記載されているのを見つけた。以下に引用させていただく。 つきみ野野球場脇(わき)の斜面に立つ「谷戸弁財天」の石祠は、月日がたつほど打ち壊されていくのだった。屋根が落ち、柱が崩されていった。心ない人の仕業を、ただ憎んで傍観していた。ところが1996年6月15日に、浅間神社の境内へ修復の上石祠は移された。柱が立ち基壇も造られて、旗も力強く靡いている。正面鳥居には弁財天の名が描かれている。祠を守る地元公所の関係した人々の快挙を、ここに報告させてもらいたい。以前、浅間神社を訪れたとき弁財天があることに気づき写真に収めていたが、これが探していた「つきみ野1号公園内の弁財天」であることは上記サイトに遭遇するまでわからなかった。上記サイトを運営している「(株)永屋」さんに感謝。 |
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| 写真18 種別不明 2009/11/05 |
写真19 裏面 2009/11/05 |
写真20 裏面上部 2009/11/05 |
写真21 裏面下部 2009/11/05 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 |
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| 18〜21 | 記載なし 種別不明 | 年代不明 正面:氏子中 氏名多数有り 右面:氏名多数有り 裏面:相州高座郡下鶴間村公所 發願主 大谷弥市 周旋人 古木傳右ェ門 石井与兵衛 大木惣右ェ門 大谷新兵衛 石井政右ェ門 木下嘉兵衛 井上助右ェ門 大木圓右ェ門 木下圓蔵 相州愛甲郡煤ヶ谷村 石工 城所権右ェ門[ ] 【 寸法(cm)】 総高=-- 塔高=(75) 幅=60.5 奥行=60.5 |
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| 写真22 破片 2009/11/05 |
写真23 破片 2009/11/05 |
写真24 境内風景 2009/11/05 |
写真25 境内風景 2009/11/05 |
追加B1 大きな松笠 2010/05/03 |
| 浅間神社については、大和市教育委員会発行「大和の文化と伝統 第四集(昭和46年3月)」に高下一明氏が詳しく書いています。その中で
林寿人なる人物に触れています。 |