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桜ヶ丘駅西口から市営コミュニティバス”のろっと”(高座渋谷方面行き)で、敬愛の園入口下車。逆向きに40m戻り左折。南方に140mくらい進み右折、西方に140mほど進んだ五叉路。
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| 写真2 庚申塔 2009/09/25 |
写真 右面 2009/09/25 |
写真 飯都社跡石柱 2009/09/25 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 1 | 全体 | |
| 2,3 | 庚申塔41 | 天明三年(1783) 正面:庚申塔 右面:維時天明三癸卯□ 左面:[ ]久保邑講中 【 寸法(cm)】 総高=53.5 塔高=-- 幅=23.5 奥行=21.5 |
| 4 | 記念碑3 | 明治四十二年(1909) 正面:飯都社奮趾 明治四十二年 一月建立 【 寸法(cm)】 総高=63 塔高=-- 幅=20.5 奥行=16 |
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「飯都社」って何なのだろうか。 跡地近所の人に尋ねたがわからなかった。またインターネットで「飯都社」を検索しても有力な情報が得られなかった。 いろいろ調べているうちに次の3件の文献を見つけた。 |
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大和市発行の「旧渋谷村福田―座談会―」によれば、次のように書かれている。 http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/000002037.pdf (鈴木) 昔はうちの方の宗昌寺のわきにもお宮があったらしい。それを若宮八幡様へ合祀したんだね。今その跡に碑が残っているけれど、飯戸明神っていったんだそうだね。 |
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同じく大和市発行の「大和市西部における信仰と社会組織(長沢利明)」においても、次のように書かれている。 http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/000002036.pdf 集落のなりたちにおいて、集落の構成員たちが共同で祭祀する集落固有の守護神を持つということは重要かつ不可欠な社会的要素であったにちがいない。たとえば福田地区の各集落を例にとってみると、村社・郷社級のやや広域的な帰属氏子をかかえるところの鎮守神が登場する以前の集落神として、さまざまなものがかつて存在していたようである。境橋の日枝神社(現在の福田神社)、山下の子の神社(現在の福田神社)、代官庭の田中八幡宮(現存)、中福田の神明神社(現存)、根下の若宮八幡宮(現存)、蓮慶寺下の山王社(現存)、八軒町の諏訪社(合祀・廃社)、江の久保の飯戸明神(合祀・廃社)などがそうしたものであったとみてよいだろう。これらの集落神のいくつかは、のちに村社などに昇格・合祀されたり、消失したりしているが、『新編相模国風土記稿』などにその名が記されているものもいくつかみられるのである。 |
また、大和市発行の「大和市史2(昭和58年3月)」626頁においても、次のように書かれている。
『新編相模国風土記稿』には、飯都明神社と諏訪社の記載があって「飯都明神社 祭神詳ナラス 宗昌寺ノ開基鈴木宗昌ト言モノ元和三年(1617)再造シテ彼寺ノ持トス」「諏訪社 寛永二年(1625)勧請ス 字八軒屋ノ鎮守トス 蓮慶寺持」とあるが、(中略)明治四十二年若宮八幡社と長後の天満宮に合祀され、現在は「明治四十二年一月建立 飯都社旧趾」と刻まれた碑だけが残っている。 |
| これらのことから、「飯都社」とは「飯戸明神」のことであると判明した。 |