大和市の石仏/地蔵尊(下福田 イボ神様)

地蔵尊(イボ神様)  最終更新日:2010年12月27日(周辺地図変更) 
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地蔵尊像2


場所:福田1245(写真1 2009/09/25撮影)
桜ヶ丘駅西口から市営コミュニティバス”のろっと”(高座渋谷方面行き)で、新幹線高架橋下下車。反対方向に40m進み左側の坂道を10m上る。
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地蔵尊像2
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写真2 地蔵尊像
2009/09/25
写真3 拡大
2009/09/25

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
1  全体
2,3地蔵尊像2享保五年(1720)
正面:《地蔵尊立像》 無□仏施主七人 享保五子五月十五日

【 寸法(cm)】 総高=79 塔高=57.5 幅=32.5 奥行=21
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

叢書が発行された昭和57年(1982)時点では木の祠に祀られていた。
  
大和市発行の大和の文化と伝説 第三集(昭和四十五年三月発行)によれば、写真2〜3の地蔵尊像について次のように書かれている。執筆者は関水重雄氏。
 地蔵尊は刑部台の私の所有山林の一隅にまつられている。昔から小さな小屋の中にまつられていた。子育てにあらたかな験(しるし)があるとて以前はかなりのお参りがあった。手足にできたイボは地蔵様の石でなでると直るといわれ、お礼に石を倍にして返すので小屋には小石が沢山上がっていた。地蔵尊の像はいつも赤い帽子や赤い前だれを着せられていた。
小屋の修理や建て替えは根下の関水姓のもの八名が材料や手間を奉仕して毎回これに当っていた。この地蔵尊の奥に関水姓の八名の集団墓地がある。
『この地蔵尊の奥に関水姓の八名の集団墓地がある』と書かれているが、地蔵尊の奥は民家が建ち込めている。道路の反対側に墓地があった。もしかしたら地蔵尊は道路の反対側にあったのかも知れない。
市立下福田小学校のホームページ
(http://www.ed2.city.yamato.kanagawa.jp/archive/s-shimf/tiiki/open_r.htm )
に、この地蔵の話と写真が掲載されている。その写真を見ると木の祠に入っている。今回の訪問ではコンクリートの祠である。祠を作り直したとき、場所も道路の反対側に移したのかもしれない。
以下に下福田小学校のホームページのハードコピーを示す。残念ながら下福田小ホームページの写真の撮影日は不明である。

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