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桜ヶ丘駅西口から市営コミュニティバス”のろっと”(高座渋谷方面行き)で、新幹線高架橋下下車。反対方向に40m進み左側の坂道を10m上る。
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| 写真2 地蔵尊像 2009/09/25 |
写真3 拡大 2009/09/25 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 1 | 全体 | |
| 2,3 | 地蔵尊像2 | 享保五年(1720) 正面:《地蔵尊立像》 無□仏施主七人 享保五子五月十五日 【 寸法(cm)】 総高=79 塔高=57.5 幅=32.5 奥行=21 |
| 叢書が発行された昭和57年(1982)時点では木の祠に祀られていた。 |
大和市発行の大和の文化と伝説 第三集(昭和四十五年三月発行)によれば、写真2〜3の地蔵尊像について次のように書かれている。執筆者は関水重雄氏。
地蔵尊は刑部台の私の所有山林の一隅にまつられている。昔から小さな小屋の中にまつられていた。子育てにあらたかな験(しるし)があるとて以前はかなりのお参りがあった。手足にできたイボは地蔵様の石でなでると直るといわれ、お礼に石を倍にして返すので小屋には小石が沢山上がっていた。地蔵尊の像はいつも赤い帽子や赤い前だれを着せられていた。『この地蔵尊の奥に関水姓の八名の集団墓地がある』と書かれているが、地蔵尊の奥は民家が建ち込めている。道路の反対側に墓地があった。もしかしたら地蔵尊は道路の反対側にあったのかも知れない。 市立下福田小学校のホームページ (http://www.ed2.city.yamato.kanagawa.jp/archive/s-shimf/tiiki/open_r.htm ) に、この地蔵の話と写真が掲載されている。その写真を見ると木の祠に入っている。今回の訪問ではコンクリートの祠である。祠を作り直したとき、場所も道路の反対側に移したのかもしれない。 以下に下福田小学校のホームページのハードコピーを示す。残念ながら下福田小ホームページの写真の撮影日は不明である。 |