大和市の石仏/下鶴間408

下鶴間408 &337   最終更新日:2010年12月24日(周辺地図変更) 
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場所:下鶴間408(写真1 2009/11/05撮影)
左上に阿弥陀如来像(下鶴間408)、右下に地神塔(下鶴間337-1)が見える。
市営コミュニティバス ”のろっと” 北部コースの「上村」バス停で下車。浅間神社脇にある自治会館の前から南方に100m進む。
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阿弥陀如来像1
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写真2阿弥陀如来像
2009/11/05
写真3 部分拡大
2009/11/05
写真4 部分拡大
2009/11/05
写真5 部分拡大
2009/11/05
追加A1 正面
2010/05/03

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
1  全体
2〜5
追加A1
阿弥陀如来像1寛文12年(1672)
正面:《阿弥陀如来立像》 奉造立弥院一尊十六人之女人為菩提也 寛文十二年壬子九月十六日 宮ヶ谷戸村 施主 □□妙□
【 寸法(cm)】 総高=62 塔高=-- 幅=32 奥行=22
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

大和市発行の大和市文化財調査報告書76「石造物」(1996発行)によれば、写真2〜5の阿弥陀如来塔について次のように書かれている。
 舟型の上端部が前面に突き出た起光背型(むくりこうはいがた)の石に施無畏印(せむいいん)の阿弥陀如来立像を彫った石造物。建立年代は寛文12年(1672)と、市域の石造物のなかでは初期のものである。石造物前面はやや風化があって、阿弥陀如来の彫の鮮明さが薄らぎ始めている。
 阿弥陀如来像をもった石造物は、決して多いとは言えず、近世石造物の多様性を示す一例として写真実測を行ったものである。
 なお銘文にある「宮ヶ谷戸」は下鶴間の公所(くぞ)にある。銘文からは、宮ヶ谷戸の尼僧が施主となって、16人の女性の菩提を弔うことを目的にした塔である。   (小川)

 宮ヶ谷戸は公所の集落で、下村と二ツ屋の境あたりの呼び名であろうと地元では伝えられている。宮ヶ谷戸は、公所定方寺の過去帳にも記される地名で、公所の地名であることは確かである。

記載なし/地神塔
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写真6 地神塔
2009/11/05
写真7 正面
2009/11/05
写真8 右面
2009/11/05
写真9 左面
2009/11/05

写真No叢書No説 明
6〜9記載なし
地神塔
昭和六十三年(1988)
正面:地神塔
右面:昭和六十三年十二月
左面:奉献 中村講中
【 寸法(cm)】 総高=56 塔高=39 幅=18 奥行=16
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

地元の老母の話では、地神塔のあった場所に道祖神があったと云う。道路拡張工事で行方不明になり、その後、地神塔が建立されたそうだ。
 話は変わるが、老婆が若い頃はつきみ野野球場のところの用水まで、老婆の祖母の下着の洗濯に行ったそうだ。用水路からの登りが険しく、背負いかごに入った洗濯後の湿った布の重さが肩に食い込み、きつかったとの話である。この辺りも古い住人が少なくなり、過疎が進んでいるそうだ。

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