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鶴間駅東口下車。大山街道に沿って道なりに北東方向に1600m進む。三叉路脇。 または、鶴間駅東口から神奈中バス「(鶴ヶ峰駅経由)横浜駅西口行き」、「町田バスセンター行き」で、「下鶴間」下車。進行方向とは逆方向に大山街道を180m戻る。 周辺地図はこちら |
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| 写真2 地蔵尊二体 2009/10/09 |
写真3 線香台 2010/04/03 |
写真4 線香台右面 2010/04/03 |
写真5 常夜燈 2009/10/09 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 |
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| 1,2 | 地蔵尊像14〜17 | 全体 |
| 3,4 | 地蔵尊前の線香台 | 年代不明 右面:施主 比留川善□ 【 寸法(cm)】 総高= 塔高= 幅= 奥行= |
| 5 | 常夜燈 | 年代不明 【 寸法(cm)】 総高= 塔高= 幅= 奥行= |
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叢書では地蔵尊像が4体あると記されているが、今は立像と坐像の2体しかない。 地蔵尊像とその前に置かれている線香台との関係は不明。線香台に刻まれている「比留川」は西側に隣接する綾瀬市の深谷地区に多い名前。 |
| 写真5の常夜燈は祠の左側にある。 |
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| 写真6 地蔵尊立像 2009/10/09 |
写真7 横顔 2009/10/09 |
写真8 地蔵尊立像 2010/04/03 |
写真9 横顔 2010/04/03 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 6〜9 | 地蔵尊立像14 | 年代不明
【 寸法(cm)】 総高= 塔高= 幅= 奥行= *下半身が床に埋められおり、寸法測定困難 |
| 大型の地蔵尊立像は下半身が床に埋められている。 |
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| 写真10 地蔵尊坐像 2009/10/09 |
写真11 斜めから 2009/10/09 |
写真12 地蔵尊坐像 2010/04/03 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 10〜12 | 地蔵尊坐像 | 年代不明
【 寸法(cm)】 総高= 塔高= 幅= 奥行= |
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叢書には50cm以下の地蔵尊が3体あると書かれているが、現時点では1体しかない。 市内では珍しい彩色像。 |
| 立像は目、口は磨滅し鼻や耳も欠けているが、坐像の状態は良い。造塔年代が異なるのだろうか。顔つきも全く異なる。 |
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| 写真13 道標全体 2009/10/09 |
写真14 正面 2009/10/09 |
写真15 右面 2009/10/09 |
写真16 左面 2009/10/09 |
写真17 裏面 2010/04/03 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 |
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| 13〜17 | 記載なし 道標 | 年代不明 正面:[ ] 右面: □右[ ] 左面: 左[ ] 裏面:[ ] 【 寸法(cm)】 総高= 塔高= 幅= 奥行= |
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道路を挟んで祠の反対側、三叉路の角の電柱の隣に道標があった。 この三叉路は矢倉沢街道と巡見使道(現在の座間市栗原方面に向かう道)の分岐点であることから、字の形状も考慮すると、右面は「右 星谷□」、左面は「左 矢倉(沢)」と判読しても良いのではなかろうか。残念ながら正面、裏面の字は私には読めない。 江戸時代、ここは交通の要衝で旅籠屋があり、渡辺崋山も宿泊している。 |
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「やまと歴史散歩 その3」に、渡辺崋山の宿泊したまんじゅう屋、巡見使道についての説明がある。 【まんじゅう屋跡】江戸時代後期の洋学者渡部崋山が1831年に当地方を訪れ、『游相(ゆうそう)日記』を著した。その際、三叉路付近のまんじゅう屋に宿泊した。 【巡見使道】江戸時代、将軍の代替わりごとに各地に派遣された調査団を巡見使と言う。天保9年(1838)に、12代将軍家慶の就任に際して派遣された正使安藤定喬以下123人の一行が、座間栗原から当地下鶴間を経て長津田へと向かった道。 |