大和市の石仏/下鶴間 山王社

下鶴間 山王社(日枝社)  最終更新日:2013年10月29日  初回登録日(周辺地図変更):2010年12月25日 
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場所:下鶴間2966(写真1 2009/10/09撮影)
鶴間駅東口下車。大山街道に沿って道なりに北東方向に1100m進む。大山街道と滝山街道の交叉点脇。
または、市営コミュニティバス北部ルート ”のろっと” で「山王原公園」下車。北東に190m進む。
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庚申塔62
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写真2 庚申塔
2009/10/09
写真3 右面
2009/10/09
写真4 右面下部
2009/10/09
写真5 左部
2009/10/09

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
1  全体
2~5庚申塔62年代不明
正面:《三猿》 
右面:《蓮》 市川平右衛門 和田作右衛門 遠藤友右衛門 山本□兵衛 和□□右衛門 [  ]郎左衛門
左面:《蓮》 北島彦左衛門 [  ]郎左衛門 [  ]彦兵衛 [  ]次郎兵衛 □田九左衛門 [  ]左衛門 
(注)塔身正面及び裏面は著しく磨滅。
【 寸法(cm)】 総高=124 塔高=110 幅=33 奥行=25
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

正面および裏面は激しく磨滅し大きな窪みが何個もできているが、左右の面は蓮の絵もハッキリしており磨耗は進んでいない。この差は何だろう。人為的なものを感じる。
正面の半球状の穴は何だろう。どうやってできたのだろうか。下和田左馬神社にも同じような穴のある石柱がある。

庚申塔63
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写真6 庚申塔
2009/10/09
写真7 右面
2009/10/09
写真8 左面
2009/10/09

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
6〜8庚申塔63年代不明
正面:《青面金剛立像(合掌六臂)》
右面:右 大山みち
左面:[  ]
【 寸法(cm)】 総高=65 塔高=54 幅=24 奥行=24
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

叢書によれば右面の文字は「右 大山みち」とのことであるが、現時点では「大山み」しか読取れない。

浄水鉢13
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写真9 浄水鉢
2009/10/09
写真10 右面
2009/10/09
写真11 左面
2009/10/09
写真12 正面紋様
2009/10/09

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
9〜12浄水鉢13大正十四年(1925)
正面:奉納
右面:八十又一才 遠藤稲蔵 同 フサ
左面:大正十四年十一月廿日 石工 天野菊治
【 寸法(cm)】 総高=42.5 塔高=-- 幅=76 奥行=38
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

・大和市なんじゃもんじゃ写真館/下鶴間 山王社はこちら

記載なし/橋敷石供養
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写真13 
2010/03/19
写真14 
2010/03/19
写真15 
2010/03/19

写真No叢書No説 明 
13〜15記載なし
橋敷石供養
大正十四年(1925)
正面:奉納 橋敷石 當所 石井守三 横浜市 石井嘉吉
右面:大正十四年十一月廿日
左面:職工 藤本金蔵
【 寸法(cm)】 総高= 塔高= 幅= 奥行=
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)


山王社入口、矢倉沢往還と滝山街道が交叉する交叉点内に設置されている。付近に橋らしきものはない。どこの橋だろう? 大正時代、この付近に川があったのか、それとも、別の場所にあったものを移設したのか。碑銘にある「當所」とはどこのことだろう。

【2013年10月29日追記】
 2013年8月に、石井さんという方からメールをいただきました。内容は下記の通りです。

 お名前がわかりませんがお世話様です。私は石井と申します。  

 有難うございます。お陰様で、思いがけず祖父の石井守三に会えました。
 大和市写真集の「石仏集」の中に拝観させて頂きました。
その写真は日枝神社(大和市下鶴間2966)にある「橋敷石の供養石 石井守三と石井嘉吉」の写真です。
 ご質問の「當所」は日枝神社に近い「大和市下鶴間2860あたり」となります。
 石井守三は当時その場所に2000〜3000坪位の敷地で結構りっぱなお屋敷を構えて住んでおりました。 今はお蕎麦屋さん、豆腐屋さん、そして一般住宅になってます。

 石井嘉吉さんは弟です。嘉吉さんの子孫たちは当時をそのまま引き継いで結構大きな肉屋の商いを横浜で今もなさってます。

 又、ご質問の「橋」は恐らく近くの「大山街道沿いの境川の橋、又は、近くの鶴林寺の側の川の橋」と思います。そこで安心した商売をし易くする為?に橋敷石作りに協力したのではないかと思います。

 守三さんは一代で巨大な富をつくった方で特に豚で儲けた人です。 今でいう高座豚の礎づくりにも商売を通じて貢献させて頂いたようですよ。 鎌倉ハムの発展にも貢献させていただけたようです。

 お陰様で祖父との再会が出来ましたことへの御礼を申し上げます。

  石井某 携帯 090-XXXX-XXXX e-mail: XXXX@muse.dti.ne.jp

 鶴間村の郵便の発達に関する文書(石川文策著「村に電話が入った」)によると、昭和4年5月26日に交換業務開始したとき、加入者は20件足らずだったが、石井守三は加入し電話番号は12番だったと記されている。

 また、弟さんの(株)石井商会の初代・石井嘉吉は昭和2年、益田直蔵より鎌倉ハムを受け継ぎ、現在の鎌倉ハム株式会社に至るまで3代にわたり頑固に伝統を守り、コツコツと昔ながらの製法で ハムを作り続けておられるそうである。

 私は「鎌倉ハム」と云うのは、現在の鎌倉市で開発・製造されているものだと思っていたが間違いで、現在の横浜市戸塚区(当時は鎌倉郡)で、英国人技師ウィリアム・カーティスにより開発され、鎌倉郡川上村に住む益田直蔵にハムの製法が伝授されたものだと初めて知りました。

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