大和市の石仏/下和田左馬神社

下和田 左馬(さば)神社  最終更新日:2010年12月27日(周辺地図変更) 
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場所:下和田1110(写真1 2010/03/22撮影)
大和駅から「いちょう団地行き」神奈中バスで「学校前」バス停下車。「交番前」交差点を北東(「老健さくらぷらざ」と「南大和クリニック」の間の道)に入り120mほど進むと十字路があるので右折し170m。
周辺地図はこちら   ・下和田左馬神社についてはこちら

巡礼供養塔1
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写真2 正面
2010/03/22
写真3 右面
2010/03/22
写真4 左面
2010/03/22
写真5 裏面
2010/03/22
写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
1  全体。鳥居下からの光景
2〜5巡礼供養塔1宝暦十二年(1762)
梵字が正面、右面、左面、裏面の4面に刻まれている。
基壇正面:十方施入 秀光世
基壇右面:寿誉妙念信女 宝暦十二壬午年 十一月吉日
基壇左面:西国 坂東 秩父 百番供養 講中 志施主惣村中 大津伊兵衛 関水佐右衛門 同兵右衛門 石井兵左衛門 荒井次兵衛 石井藤右衛門 荒井市兵衛 森□□左衛門 大津杢右衛門 つね よう つね まり
基壇裏面:貴翁道宜信士 蔵山知宝信女 一誉念心信士 一応端心禅定門 狐法妙舟禅定門 恵山宗□禅定門 関水庄三郎 石井平左衛門 小川金右ェ門 関水伊左ェ門 同梅 □祖□石井半兵衛門
(注)基壇の下部が埋没している。
【 寸法(cm)】 総高=163.5 塔高=84.5 幅=-- 奥行=--
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

碑銘に「西国 坂東 秩父 百番」とありますが、西国三十三カ所、秩父三十四カ所、坂東三十三カ所を合わせると百カ所になります。多分百カ所参拝したのでしょう。
梵字の刻まれた部分は、上下逆さまに積まれている。また、叢書の記述と比較すると角度も90度ずれているようだ。
左馬神社階段下の左横手に祀られている。

石燈籠1
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写真6 正面
2010/03/22
写真7 右面
2009/04/19
写真8 左面
2009/04/19
写真9 裏面
2010/03/22

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
6〜9石燈籠1
左側の石灯籠
寛政元年(1797)
正面:奉献 鯖大明神
右面:常夜燈
左面:寛政元己酉天 九月吉辰
裏面:相州高座郡下和田村 氏子中
【 寸法(cm)】 総高=194.5 塔高=165 竿高=62.5 竿上部幅=30.5 竿上部奥行=--
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

本殿に向かって左側の石灯籠。石灯籠は建立年代のわかるものとしては市内最古。
次に示す右側の石灯籠は昭和六年製である。

記載なし/石燈籠
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写真10 正面
2010/03/22
写真11 右面
2010/03/22
写真12 左面
2010/03/22
写真13 裏面
2010/04/26

写真No叢書No説 明 
10〜13記載なし
右側の石灯籠
昭和六年(1931)
正面:奉献 鯖大明神
右面:常夜燈
左面:昭和六年十月二十日
裏面:當所 石塚千代蔵 大津長太郎
【 寸法(cm)】 総高=-- 竿高=76.5 竿上部幅=30.5 竿上部奥行=30.5
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

本殿に向かって右側の石灯籠。昭和六年製である。

記載なし/石燈籠
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写真14 正面
2010/03/22
写真15 右面
2010/03/22
写真16 左面
2010/03/22
写真17 裏面
2010/03/22
写真XX 左斜めから
2010/03/22

写真No叢書No説 明 
14〜18記載なし
石灯籠(部分)
寛政元年(1797)
正面:奉献 鯖大明神
右面:常夜燈
左面:寛政元己酉天 九月吉辰
裏面:相州高座郡下和田村 氏子中
【 寸法(cm)】 総高=-- 竿高=62.5 竿上部幅=30.5 竿上部奥行=30.5
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

これまでは気が付かなかったけれど、2010/03/22に訪れたとき、鳥居横の桜の木の根元に石仏らしい物の破片が何個もあることに気が付いた。
掘り起こしてみると石灯籠の一部であった。銘を見ると左側石灯籠と全く同じであり、寸法も同一である。このことから、寛政元年に石灯籠を設置したときは、左右がペアになった一対として建立されたが、いつの頃か右側の石灯籠が破損し、昭和6年に右側だけ再建されたことが明らかになった。
 ただし、写真6および写真10を見ると「奉献」と刻まれているが、写真14では「奉納」と刻まれている。字体も明らかに異なる。創建当時、左右の石灯籠を別々の場所・石工が作ったのだろうか、それとも創建当時は全く同一だったが途中でどちらかが破損し再建された時にこのようになったのだろうか? そうだとしたら、写真6と写真14では、どちらが創建当時のものだろうか、あるいは、どちらも創建当時のものではない可能性もある。だとしたら、『年代のわかるものでは市内最古』と云うことも云えなくなる。
 考えてみると、建立年月が刻まれている塔でも、それが創建当時のものなのか、途中で再建されたものなのかを見極めることは不可能とも云えるのではないか。ある種の「歴史のロマン」が感じられる。

その他9
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写真18 正面と仮定
2010/03/22
写真19 右面
2010/03/22
写真20 左面
2010/03/22
写真21 裏面
2010/03/22
写真22 斜めから
2010/03/22

写真No叢書No説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用)
18〜21その他9安政六年(1859)
正面:[ ]
右面:安政六稔
左面:正月〔 ]
裏面:記銘なし
【 寸法(cm)】 総高=80 塔高=67.5 幅=27 奥行=23
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

石灯籠の破片と同じく桜の木の根元にあった。
これだけでは何だかわからないが、下鶴間山王社にある庚申塔62も表面に多数の半球状の穴があり良く似ている。もしかしたら庚申塔の一部かもしれない。「稔」は「年」を表すので、年号が刻まれていた可能性は高いと思われる。
 それにしても、下鶴間山王社の庚申塔も含め、半球状の穴はどうやってできたのだろうか。

【2010/04/26追記]
寸法を測定した結果(総高=-- 塔高=67 幅=27 奥行=23.5)と、写真19から読取れる「□政六稔」と云う文字から、叢書記載の「その他9」であると判定。 なお、「政」の字は、ヘンの下にツクリが配置されている。 写真36に示す鳥居の文字も「文政」の「政」の字は同じようにヘンの下にツクリが配置されている。安政時代と文政時代は40年くらいの違いだから、当時はこのような書き方があったのだろう。先頭の文字は不鮮明だが、「安」の字の「女」らしき形が読取れる。
叢書では「その他」に分類されているが、おそらく庚申塔ではなかろうか。
付近に四角形の石が2個あり、台座かと思ったが寸法を測定すると、大きいほうが H21.5xW40xD43、小さいほうが H16xW36x38.5。
叢書では総高=80、塔高=67.5なので、台座の高さは12.5となり、どちらも寸法が合わない。
別の見方をすると、この台座状の石が使われていた塔が他にも有ったのではなかろうか。

【2010/06/09追記]
大和市文化財調査報告第7集「上和田・下和田の民俗(1981)」に次のような記述がある。
【サイノカミ(道祖神)】久田(宮久保)、上和田、下和田には、それぞれ一つづつサイノカミがある。久田(宮久保)そして下和田ではそれぞれの左馬神社に移されていて、上和田ではサンノウ様の前に置かれている。形態は文字だけの塔で、「奉納御賽前」と刻まれている(久田、上和田)。下和田のサイノカミは、全面に無数の丸いくぼみがつけられていて、文字など読みとることはできない。このくぼみは、子供達がいたずらをしてつけたものだが、サイノカミに限り、このようないたずらも大目に見られた。
上述のサイノカミ三体を以下に比較しておく。
上和田左馬神社
叢書分類=「その他1」
上和田日枝社(サンノウ社)
叢書分類=「その他2」
下和田左馬神社
叢書分類=「その他9」
享保二年(1717)
正面:為奉納御賽前
右面:享保二丁酉稔
左面:七月吉日
   當村 □□(小川)團之助
享保二年(1717)
正面:為奉納御賽前
右面:享保二丁酉年
左面:七月吉日
   當村 小川團之助
安政六年(1859)
正面:〔 〕
右面:安政六稔
左面:正月[ ]
 
「上和田・下和田の民俗」では、「くぼみは子供達のいたずら」と書かれているが、子供のいたずらで、このように綺麗な半球状になるだろうか?きっと、角が残ると思う。 まるで長い間、川の中に沈められていて、くぼみのなかで小石が転がり角が削られたような感じがする。

記載なし/庚申塔?
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写真23 正面と仮定
2010/03/22
写真24 右面
2010/03/22
写真25 左面
2010/03/22
写真26 裏面
2010/03/22

写真No叢書No説 明 
23〜26記載なし
庚申塔か?
年代不明
正面:記銘なし
右面:記銘なし
左面:記銘なし
裏面:記銘なし
【 寸法(cm)】 総高=-- 塔高=51 幅=23 奥行=16
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

写真18のものの2/3位の大きさだが、やはり穴あきの石柱である。文字は無いのか磨滅したのか不明。
角も丸くなっているので、コロコロ転がったような感じがする。

記載なし/浄水鉢
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写真27 正面
2010/03/22
写真28 右面
2010/03/22
写真29 左面
2010/03/22
写真30 裏面
2010/03/22

写真No叢書No説 明 
27〜30記載なし
浄水鉢
昭和六年(1931)
正面:奉納
右面:昭和六年十月二十日
左面:當所 大津長太郎 石塚千代蔵
裏面:記銘なし
【 寸法(cm)】 総高=-- 塔高=55.5 幅=108 奥行=55
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)


記載なし/地蔵尊?
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写真31 正面
2010/03/22
写真32 左面
2010/03/22
写真33 正面
2010/03/22
写真34 真福寺跡
2010/03/22

写真No叢書No説 明 
31,32記載なし
種別不明
年代不明
【 寸法(cm)】 総高=-- 塔高=48 幅=-- 奥行=--
33記載なし
種別不明
年代不明
正面:[ ]者出征軍人 名前多数
34記載なし
墓碑
真福寺跡
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)

写真31,32は巡礼供養塔の脇に設置されている。
写真33は、石仏の破片と同じく桜の木の根元にあった。何かわからないが、出征した人の名が多数書かれているようだ。
写真34は真福寺跡の墓石郡。巡礼供養塔の背後にある。明治27年の墓石もある。
真福寺は左馬神社の東側にあったが、関東大震災で大破し再建されていない。二体の仏像は藤沢の宝珠寺に預けられてる。

記載なし/鳥居
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写真35 鳥居全体
2010/04/26
写真36 右柱裏面
2010/04/26
写真37 右柱裏面
2010/04/26
写真38 左柱裏面
2010/04/26
写真39 左柱裏面
2010/04/26

写真No叢書No説 明 
35〜39記載なし
石の鳥居
文政四年(1821)
右柱裏面:文政四年星次辛巳十月吉日 頭取 大津善兵衛
左柱裏面:奉納 惣氏子中
像に刻ざまれた文字等は、大和市発行の「大和市資料叢書1〜大和市の石造物〜」から引用。
《 》=刻像の説明  □=判読不能文字(1字)  [  ]=判読不能文字(2字以上)



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