霊苑入口
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桜ヶ丘駅西口から「鶴間行き」神奈中バスで「草柳2丁目」バス停下車。
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| 写真2 回国供養塔 2009/10/01 |
写真3 右面 2009/10/01 |
写真4 左面 2009/10/01 |
写真5 左面下部 2009/10/01 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 1 | 全体 | |
| 2〜5 | 回国供養塔3 | 天保十年(1839) 正面:奉納大乗妙□六十六部供養 天下泰平 日月清明 右面:天保十亥年 筑前国儀右衛門 左面:八月八日 脇願主 尼 よし 世話人 甲州 大蔵 上州 林平 *元地は下草柳清雲院跡と言われる。 【 寸法(cm)】 総高=52 塔高=-- 幅=23.5 奥行=18 |
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写真5に示すように剥落が進行中。叢書が出版された昭和57年頃は読めたのかもしれないが、今では「大蔵」「林平」などの文字は読めない。 筑前、上州、甲州など当地とは関係ない人々の名前が刻まれた像がなぜ此処にあるのだろうか。 |
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| 写真6 地蔵尊 2009/10/01 |
写真7 地蔵尊 2009/10/01 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 6,7 | 地蔵尊像20 | 年代不明 正面:《地蔵尊立像》 千日中一切忘施主二世安楽佛餉托鉢[ ]心如妙生蓮入童子[ ] 願主 浄誉□心 【 寸法(cm)】 総高=90 塔高=90 幅=38 奥行=26 |
| この像は古老の話では、草柳3-16附近にあった「清雲院」跡地にあったそうである。 |
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| 写真8 念仏供養塔 2009/10/01 |
写真9 文字部拡大 2009/10/01 |
写真10 剥離片 2009/10/01 |
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| 写真11 念仏供養塔(再建) 2009/12/28 |
写真12 念仏供養塔(再建) 2010/04/21 |
写真13 裏面 2009/12/28 |
写真14 設置場所 2009/12/28 |
| 写真No | 叢書No | 説 明 (大和市資料叢書1 大和市の石造物より引用) |
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| 8〜10 | 念仏供養塔6 | 享保元年(1716) 《単体立像》 念仏供養 干時享保元年申十月吉日 【 寸法(cm)】 総高=70 塔高=61 幅=33 奥行=14 |
| 11〜14 | 再建された念仏供養塔 | 平成八年(1996)四月八日再建 正面:《単体立像》 念仏供養 享保元年申十月吉日建之 裏面:平成八年四月八日 大下講中再建 【 寸法(cm)】 総高=75.5 塔高=61 幅=32 奥行=-- |
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もう文字は読めない。像の足元に落ちていた剥落片に「念佛」の文字が辛うじて判読できる。(写真10参照) この像は、叢書では霊苑近くの「草柳2-13」となっている。 |
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この石仏は、「大和市史8(下)」(平成八年発行)321ページに掲載されている写真129の「お釈迦さん」と思われる。元は草柳中央六丁目自治会館(草柳2-13)にあった、と云う記述も叢書の住所と一致する。 「大和市史8(下)」には次のように書かれている。 下草柳大下(おおしも)でも、陸稲のために雨乞いをした。大下の若い衆が二手に分かれて、一組は路傍にあったお釈迦さん(現在は草柳中央六丁目自治会館の脇にある(写真129))を川に入れて、水を掛けて雨乞いをしている。その間に他の一組は大山へ出かけて水をもらってくる。大山の二重滝の水を一升瓶にもらって、伊勢原(伊勢原市)、石田(同市)、厚木などに待機している者が順次テツギ(手継ぎ)でリレーし、下草柳まで運んでくる。戻ってきたら、その水をお釈迦さんにかける。そして、お釈迦さんはそのまま川の中に放置しておく。このように二つの方式を併合して雨乞いをし、雨が降ると、お釈迦さんを川から出して、元の場所に戻し、アメフリショウガツ(雨降り正月)ということで、オミキ(御神酒)をあげて祝いをする。お釈迦さんを川へ入れた経験は、1913年生まれの人がニ〇歳ころに経験したのが最後だという。昔は石仏をたんに崇めるだけでなく、水に入れたり、火にくべたり(ドンド焼き)して、願いを成就してくれるように、ある意味では「酷使」したようだ。庶民の日常生活に密接に係わっていたことが感じられる。 |
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2009/12/28、念仏供養塔6があったと云う草柳自治会館に行ってみました。 地元、大下講中により新しい念仏供養塔が再建されていました。写真11〜14参照。 |