
海上自衛官時代の回想記
2.術科学校のお話

(第1術科学校全景)
− ご注意 −
本文中にある体験記は作者が海上自衛隊第1術科学校に在籍していた平成5年頃の記憶に基づいております。
現在、第1術科学校の各施設は徐々に老朽化による解体・改築が行われており、
居住環境は大きく向上・様変わりしております。
したがって、現在の環境と相違している部分が多々あることをご了承願います。
(2001年1月)
1.術科学校って、何ぞや?
術科学校とは、海上自衛官の専門科目(これを「特技(=マーク)」という。)をより専門的
に習得するための学校である。海上自衛隊の職種は非常にたくさんあるが、大きく分けると
艦艇職種(第1術科学校・広島県江田島)・機関(船のエンジン)職種(第2術科学校・
神奈川県横須賀)・航空機の職種(第3術科学校・千葉県下総)・経理、補給の職種(第
4術科学校・京都府舞鶴)がある。ほかに、(航空管制官の学校があるが、海上自衛隊では
今のところ航空自衛隊に委託している。)
・・・となっている。
通常は兵相当の階級の「士」の入る海士課程,経験豊富な「曹」の入る「海曹課程」が
メインだが,この他に「専修科」「特修科」「上級海曹課程」「幹部任務課程」などがある。
ここでは、私が入校した第1術科学校の話をする。
2.江田島(えたじま)という場所。
江田島の術科学校の住所は「広島県安芸郡江田島町国有無番地」。
江田島は広島県の瀬戸内海側,山と島に囲まれた非常に恵まれた環境の中にある。
術科学校はそんな江田島のほぼ中央よりにあり,広大な敷地に背後にそびえる古鷹山。
目の前には瀬戸内でも屈指の穏やかな海,江田内(えだうち)湾。ここには帝国海軍(
間違っても旧海軍と言ってはイケナイ)の歴史と伝統が,今もなお伝えられている。よう
するに、古くなっても壊すに壊せない建物の宝庫なのである。
江田島と聞いてまず連想されるのが「海軍兵学校」。かつてはここから多数の海軍士官
が巣立っていき、ある者は海で,ある者は大空のかなたでその命を果てていったと聞い
ている。今はその場所には海上自衛隊の幹部候補生学校がある。
ちなみに、江田島は自衛隊のイメージが先行するが、ちゃんと民間の方も多数住んで
おられる。念のため。
3.江田島の交通。
正直言って,とっても不便。島とは言っても一応は陸続きなのだが,超遠回りなので、殆ど
は小用(こよう)か切串(きりくし)という桟橋から呉や広島市へフェリーを使って出るしかな
い。1時間平均3便。最終も早い。ちょっと呉の街で飲んで出遅れると,エライことになる。
そんなカタガタのためかは知らないが、朝と夜の2便づつだけ、「つばめ号」なる小さいフェリ
ーが出る。このつばめ号、本当に小さい。車は絶対積めない。しかも、他のフェリーより高い。
一度だけ,このつばめ号にも乗り過ごし,タクシーで大回りコースを使って帰ったことがあったが
12000円もかかってしまった。
ちなみに読者情報によると今はつばめ号も新型に変わったらしく、ちょっとだけ豪華になった
らしい。時代は変わって行く…。

(←現在就航している新型つばめ号。)
4.術科学校の居住環境。
教育隊の話を読んだ方は教育隊をどう思っただろうか。きっと「すごい環境」と思ったには違いな
いだろうが,甘い。砂糖10kg舐めるより甘い。ここはもっとすごかった。
第1術科学校の施設(学生館)は昭和13年の建造。当時は海軍兵学校の第2生徒館として建て
られたものらしいが、やっぱり古い。うかつに手すりに寄りかかると危険らしい。
海上自衛隊に限らず自衛隊では「古い」というコトバは禁句。正しくは「歴史ある」「伝統ある」とい
う表現を用いる。もっとも、江田島の施設は歴史的に見ても価値のある建物ばかりだが。しかし、昨年(2000年)からその伝統の学生館もついに老朽化には耐え切れず、解体・改築の運びとなった。某ホームページで解体中の校舎の写真が掲載されていたのだが、想い出の校舎の姿はもう見られないのかと思うとふと寂しい思いにかられてしまった。これも時代の流れなのだろうか・・・。したがって、今書いているこれらの記述はあくまでも私の経験に過ぎないことをご了承願いたい。
実際に住むところだが、まず居住区が広い。学校の講堂ぐらいはある。そこに例の2段ベッドが
ズラーッと並んでいる。ここでは、海士も海曹も一緒の居住区。より部隊に合わせた環境となって
いて,上司との接し方なども学べるが,いきなり教育隊からここへやって来た曹候補学生(注2参照)
の諸君は非常にやりづらそう。なんたって、今まで班長だった人ぐらいの年代のカタガタが自分の
隣で寝てるんだから。
・注2:曹候補学生・・・正式名称は「一般曹候補学生(略して「曹候」)」。一般の隊員は何年か
の部隊勤務の後に試験を受けて「曹」にあがるが、この制度は2年で試験
なしで曹になれる制度。最近では曹候の試験は警察官より難しいと言わ
れている。制服に特徴があり、7つボタンの短ランという独特のスタイルで
ある。昔の予科練の制服。
私が入校したのは9月だったが,寒かった。自衛隊では暖房は蒸気ヒーターのみ。余談だが,自衛
隊ではあらゆるところで蒸気をエネルギーとして利用する。電気やガスよりも経費が安いからだと
思うのだが。この蒸気はボイラー室で作り,基地中に張り巡らせた配管で供給する。風呂を沸かし
たり,給食の熱源にと用途は多彩。もちろん、ヒーターにもこの蒸気が使われている。ただしこの
蒸気ヒーター、居住区全部を暖めるには至らない。しかも、ある時間になるとボイラーを止めてし
まうので,明け方の寒さはハンパではない。結果,冬の江田島は風邪引きが多い。居住区の収容
人数が多いため,江田島では他人に移さない様、風邪で入院させられることは常識。
でも、いいこともある。まず、洗濯機の割り当て率がよかった。最低でも3日に1度は洗濯ができ
る。休日なら使い放題。そして、浴場や食堂が近い。屋内移動できる。しかも、広い。まあ、学生
の数が多かったから当然かもしれないが。しかし、売店はかえって遠くなった。江田島のBXには
見学にきた一般の方も使えるようになっている(江田島の基地の中は観光地として公開されてい
る)ので,観光土産が多い。でも観光土産は定価売り。品揃えは比較的良い方か。
教育隊の居住区にはなくて術科学校にはあるものがあった。テレビである。教育隊ではテレビは
娯楽室と言う自由部屋に一台しかない貴重品だったが,術科学校では各居住区に1台,テレビが
あった。術科学校は結構いいところかもしれない(ただし、下の注参照)。
テレビと言えば,自衛隊の部隊では相当の確率でテレビが普及している。通常、課業中にテレビ
を見るなどとんでもない、不謹慎だと思うかもしれない。だが、課業中でも実際にテレビは点いて
いる。テレビの上には必ず「情報収集中」という文字の書かれた置物が置いてあり,これを置くこ
とで自分たちは勤務中でも公然とテレビを見ることを正当化している。
しかし、マスコミに頼らないと情報収集も出来ないのか,自衛隊は。
(注:術科学校居住区内のテレビについて 〜読者からのご指摘〜)
前出のテレビについて、海爆読者のTombさんから以下のようなご指摘がありましたので付記します。
ちなみに、Tombさんのお父上はなんと第1術科学校の学生隊幹事(3等海佐=当時。とってもエラい
身分)です。
「「テレビは各居住区に認められているわけではない」そうです。
基本的にやはり娯楽室などにしかないということ。闇テレビ(謎)は没収の憂き目にあうらしい
です。ただ、うまく隠してある場合は大目に見るらしいので上手に隠してあったんではない
でしょうか(笑)それともテレビ没収は近年になってのことなのかな?」
(1999年10月・原文ママ)
全国の学生諸君、要注意です。
5.術科学校のラッパ。
第1術科学校では航海科(注3)の学生がラッパを吹く。因みに教育隊では音楽隊の録音した
テープを使っていた。
学生が生で,しかも1発勝負。この状況で上手く吹けることは滅多にない。たいがい、およそ爽快
な目覚めとは程遠いラッパを聞かされることになる。下手ををすると途中で止まってしまうことも
ある。航海科の学生にはたいへん気の毒であるが,そういう場数を踏んで,成長するのかもしれ
ない。
・注3 航海科・・・海上自衛隊の職種のひとつ。おもに、艦艇で艦橋(普通の船で言うブリッジ
のこと)に立ち、航海の安全確保や信号のやりとりをする仕事。海上自衛
隊では花形職種のひとつ。
6.術科学校の教練
職種ごとでカリキュラムが違うので一概には言えず、また専門的な教練ゆえ秘密事項が多いの
で詳細を述べることは難しいのだが、どの職種でも共通しているのは「座学が多い」ことと「試験
が多い」ことである。
座学はおそらく全体の半分かそれ以上の割合ではないだろうか。たいてい、術科学校で基礎を,
部隊で応用術を身に付けさせるのが自衛隊のやり方なので術科学校では基本的なことをみっ
ちり教わる。実習教材はあるにはあるが、ものすごく古い。私が学生だった頃には昭和30年代
ぐらいのアメリカ軍からの頂きものの教材があった。ときにイージス艦が配備されようかという
時代に,だ。同時に複数の目標を一度に攻撃できるような装備品が現場に配備されていても、
その戦術の基礎を教える術科学校では昭和30年代の教材で勉強するというこのギャップ。
それでもそういう教材で勉強した学生が卒業し最新鋭の護衛艦に乗りこむのであるから、
日本の自衛官は素晴らしいとしか申し上げる言葉はない。
試験は座学の分だけちゃんとある。ほとんど週2か週3のペース。夜の自習時間だけではとて
もではないが足りない。ここでどうするかは、2手に分かれる。
ひとつは、消灯が過ぎてからもトイレや洗面所の明かりでコツコツと勉強するタイプ。
もうひとつはカンペ作りに励むタイプ。こちらが割合としては多そうだ。ただ、これをやりすぎる
とあとで部隊で泣く。ここで学ぶすることはあくまでも基礎に過ぎないから。でも、最新鋭の艦
では問題はない。艦にある設備が術科学校では見たことも聞いたこともない新しいものである
から。カンペ作りの手段は様々だが,一番多かったのは大胆にも机に直接書き込んでしまう
方法。答案で塞いでしまえば,めったにバレない。次いで腕に書きこむ方法か。
術科学校では「自隊(じたい)警備」という教練がある。内容の性格上詳しいことは言えないのだが、要する
に自衛隊法のなかにもある「治安出動」の訓練である。
この訓練では警察の機動隊と同じような格好をするのだが,鉄製のヘルメットに小手・すねの
パット・防弾チョッキ・銃とジュラルミンの盾という自衛隊では意味合いの違う完全武装となる。
これはやれば分かるがかなり重い。一番重いのは防弾チョッキ。砂袋かと思うくらい重い。
警察では頻繁に使うだろうから軽くて扱いやすいのであろうが,自衛隊では防弾チョッキは
殆ど使わない(一国民としては,今後もいる事態にならないことを祈りたい。)。教材用だから、
そんなに高いものは買えないのであろう。
7.恐怖の罰則。
基本的に、自衛隊では体罰は禁止されている。たとえ「愛のムチ」というカタガキがあったと
しても、あとで発覚すれば非常に厳しい処罰が待っている。最悪は懲戒免職である。
折角だから紹介しておくが、海上自衛隊では処罰(懲戒処分という)は以下のように規定され
ている。
・注意・・・・・・・・・・・・・一番軽微な処分。
・訓戒(くんかい)・・・・・これも処分としては軽い。下宿で寝坊して遅刻するとこの処分。
・戒告(かいこく)・・・・・このあたりの処分から,受けるとヤバいものとなる。
でも、車に乗っていて青キップを切られるだけでこの処分までつい
てくる。
・減給・・・・・・・・・・・・・いわゆる減俸。「こち亀」の両さんがよく受ける処分。
・停職・・・・・・・・・・・・・自宅謹慎と思えば気楽そうだが,自衛隊では停職分の俸給はバッチ
リ引かれるので酷な処分。対外でケンカ騒ぎを起こすとこの処分に
なることが多い。
・降任・・・・・・・・・・・・・階級を下げられてしまう処分。具体的にこの処分に関する基準は分
からないが、後のことを考えれば厳しい処分。
・免職・・・・・・・・・・・・・いわゆる「クビ」。これが一番厳しい。これをもらうと,二度と公務員に
はなれない。よく事件のニュースに「元自衛官」というカタガキで名
前が出るが,その大半は免職直後のケースが多い。
この他,公式ではないが自衛隊の暗黙の処分に「左遷」というものがある。私は在職中、この
左遷をくらう上司を大勢見た。
話が戻るが,そんな自衛隊もやっぱり軍隊もどき(日本の自衛隊を語るとき,このフレーズは
非常に重要。決して,何があっても軍隊と認めてはいけない。日本国憲法の名にかけて)。
ある程度、体に覚えさせる罰則は必要である。そこで海上自衛隊の全部隊で普及している
のが「前ささえ」というもの。要するに,腕立て伏せの上げた状態である。
この姿勢,長時間やるのは相当きつい。30分で腕が震えてしまう。
術科学校に限らず,教育隊でも頻繁にやらされたやった。大体これをやるときは全員でやるの
で,その前に整列がかかる。そこで教官や先輩方が「注目!お前等、最近たるんどるぞ!
総員、前ささえ用意!!」といった感じである。
それから前ささえの状態で延々の説教。
こたえたね、あれは。
8.江田島の休日
江田島でも,完全週休2日制。もちろん、当直がなければ外出が出来る。術科学校では私服
の外出が出来るので,気持ちとしては少し軽い。また、教育隊と違い,当直がなくて、届けを出
せば金曜の夜から月曜の朝まで外出することも可能である(これを海上自衛隊用語で「大引
き(おおびき)」という)。
ちなみに、日帰りで帰る場合の門限は午後11時。教育隊とはエライ
違い。最低限の規則さえ守れば,意外と柔らかい校風である。
術科学校では下宿を借りることが許されている。休みの日ぐらいは畳の上でゴロゴロしていた
いという日本人感情丸出しの発想である。しかし最近ではプライベートな空間の確保のために
下宿を借りるケースも増えているらしい。第1術科学校の生徒の大半は艦艇での勤務者だか
ら、その発想は理解できるが。
個人的な話だが,私は江田島では下宿は借りなかった。それよ
りも一生のうちにめったにない地方での生活を満喫したかったから。下宿代に使うより,その
費用であちこちに行ってみたかったのだ。
そんな江田島での休日。大別して,近所型とお出かけ型と留守番型の3タイプに分かれる。
まず、近所型。これは下宿を借りている者に多い。金曜日の夜に基地をでて近くの飲み屋で
ヘロヘロになるまで飲み,土曜日は二日酔いで死んで,日曜日にちょっとだけ呉辺りへ出かけ
るタイプ。私の同期にはこのタイプが多かった。
次に,お出かけ型。この種族は金曜日の夜に行きたいところを予めチェックしておいて,翌日
は朝から意気揚揚と出かけていく。地元民化してみたり,時には観光客のつもりになって原爆
ドームや宮島に行ってみたりして,短い広島県民の生活をエンジョイしようとする。このタイプは
先の「つばめ号」で帰って来ることが多い。出かける先は様々だが,主な場所は呉市内や広島
市内。短期間の入校だから,これで充分過ぎるくらい遊び場には事欠かない。広島市内まで一
気にアクセスできるのは非常にありがたい。海上交通は渋滞もないし,実は結構いいかもしれ
ない。台風が来ると欠航するけど。
そして、留守番型。めったにいないタイプなのだが,給料(自衛隊では俸給という)前は増える。
いわゆる「ガリ勉くん」や貯金を趣味とする者はこのタイプに所属している。私もご多分に漏れ
ず俸給日前は留守番したが,実はゆっくり洗濯ができたり,ノンビリと入浴できたりして,意外と
いいのである。でも、隊に残ると,雑用をやらされたり,小人数で甲板掃除(=かんぱんそうじ。
海上自衛隊では陸上,艦上に限らず,清掃のことをこういう。)をやらなければならなかったりで,
デメリットもあるのだが。
9.陸・海・空自衛隊、大激突!!
海上自衛隊には,一般社会に限らず,陸上・航空自衛隊とも違った異色とも(ただし海上自衛官
はこれがフツウと思っている。当然。)いえる習慣やコトバが多数存在している。
これは、江田島で起こった爆笑エピソード。
自衛隊では,委託教育というものがある。自分の隊にはその教育課程がないため、別の隊にそ
の教育を委託するというもの。海上自衛隊では,航空管制官の教育を航空自衛隊に、陸上誘導
弾(短SAM=短距離地対空誘導弾(ミサイルの一種)。沿岸防衛用に一部の陸上部隊に配備されている。)の教育を陸上自衛
隊に委託している例がある。
逆に海上自衛隊で教育を引き受けているものもあるが、今回はそのうちの1つの某課程で起こ
ったこと。
始めて海上自衛隊の部隊にやって来た陸上・航空自衛隊の皆さん。やがて夜になり、
自由時間でテレビを見ていると,「甲板掃除」という号令がかかる。が、何の事かさっぱりわから
ない。
陸上氏「何スかね,甲板掃除って。」
航空A氏「さあ・・・?」
航空B氏「そういえば、外の岸壁に船がありましたよ」
たしかに、江田島に船はある。
航空A氏「あ、その船の掃除の時間かな?」
航空B氏「そうですよ,多分」
陸上氏「ああ,そうか。」
納得した面々,テレビに夢中。
やがて、「巡検用意」という号令がかかる。
巡検とは,甲板掃除の状況のチェックと合わせて,隊員の健康や分隊の態様などをチェックする
海上自衛隊では国旗掲揚の次に神聖な1日の日課である。
が、そんなことは陸上・航空自衛官には分かるはずもない。
やがて当直士官(その日の先任当直幹部)がやってくる。
巡検を受けるときは,必ず部屋の入り口には「点検番」が立っている必要があるが,この部屋には
点検番がいない。当直士官が中に入ると,テレビを見ながら横になっているバカタレがいる。
当直士官,激怒。
当直士官「何をやっとるか!お前等―!!」
陸・空氏「はあ!?」
当直士官「巡検だ!!」
陸・空氏「点呼ですか?早いですね―。」
陸上・航空自衛隊では消灯前に点呼がある。
当直士官、あ然。見ると,掃除もしていない。
当直士官「甲板掃除はどうした!?」
航空A氏「え、やるんですか?自分らも」
当直士官「当たり前だ!!!」
陸上氏「どこの船をやればいいんでしょうか」
当直士官,怒り絶好調。
当直士官「バカモノ!!ここの甲板に決まってるだろうが!!!」
ここでついに航空A氏逆ギレ。
航空A氏「なに言ってるんだあんた!船なんかここにはねえだろ!!」
当直士官「バカモノ!!これを海上自衛隊では「甲板」というんだ!!!」
当直士官が甲板を地団駄しながら怒鳴る。
航空A氏「アホかあんた!!これはフツウは「床」というんだ!!!」
・・・この後,3自衛隊のアホなやり取りは延々続く。