大手町一丁目の人々
 
 
 
 
 
 
宮田征典
昭和14年曲輪町で鉄工業・宮田製作所の長男として誕生。前橋工業野球部出身の父の影響により 桃井小学校3年より野球を始める。第一中学、前橋高校、日本大学経済学部に進む。 62年読売ジャイアンツに入団63年よりリリーフピッチャーに転向、65年には69試合に登板し20勝 内リリーフで19勝をあげた。登板する時間帯が8時30分前後であったから。8時半の男とよばれた。 69年引退。通算45勝30負。テレビ解説者。故人。生家跡は更地となつており道路の拡張予定。
諸田幸一
明治36年赤城村出身。第8代群馬銀行頭取、業務拡大につとめ群馬銀行史にのこる数々の金字塔を自立した。第6代全国地方銀行会会長。大手町一丁目居住。地域への尽力もおしまなかった。故人。
井上清
大正11年前橋市向町現住吉町の薬局に生まれる。旧制前橋中学、旧制水戸高校、千葉医科大学千葉大学医学部卒業国立高崎病院小児科医長を経て、大手町一丁目に開業。65年日本小児科学会評議委員となる。故人。
横田博忠
大正11年年南曲輪町で誕生。旧制前橋中学、旧制新潟高校、東京帝国大学工学部卒業。高校教諭経て県庁へ、78年清水一郎知事のとき副知事に就任大手町一丁目に住居後に転出。
群馬県人名大辞典より