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神武天皇より十二代、成務天皇と申し奉るは、限りなくめでたき御世なり。此の帝に皇子、皇女三十八人の御子おはしける。卅八人目は姫君にてわたらせ給ふ。數も知らぬ程の御子たちの御末なればとて、その御名を、さゞれ石の宮とぞ申しける。御容貌おんかたち世に勝れてめでたくおはしければ、數多の御中にも越えて、御寵愛斜ならず、いつきかしづき給ひける。さるほどに御年十四にて、攝政殿の奥方に降嫁し参らせ給ふ。めでたき御おぼえ、一天四海のうちに上を越す人こそなかりけり。 さゞれ石の宮、この世の有爲轉變の理(ことわり)を、つくづく思ぼし召しよりて、それ佛道を願ふに、淨土は十方にありと聞けども、中にもめでたき淨土は、東方淨瑠璃世界(藥師如來の淨土)に及ぶものなしと悟りて、常に怠らず、藥師の御名號、南無藥師瑠璃光如來と唱へ給ふ。ある夕暮の事なるに、月の出づる山の端を眺め給ひ、わが生れん淨土はそなたぞと思ぼし召し、獨りたゝずみ給ふに、御前に虚空より黄金の天冠を額にあてたる官人一人参り、さゞれ石の宮に瑠璃の壺(藥師如來の持つ薬壺)を捧げ申し、「われは藥師如來の御使はしめた、金毘羅大將(藥師如來の護法神)なり」とぞ申しける。「此の壺に妙藥あり。これすなはち不老不死の藥なり。これをきこしめされば、御年も寄り給はず、わづらはしき御心地もなく、いつも變らぬ御姿にて、御命の終りもなく、いつまでもめでたく榮え給はん」とて、かき消すやうに失せにけり。さゞれ石の宮、此の壺を受け取らせ給ひ、「あら、ありがたや。長年願ひ奉る効験かな」とて、三度拝み、良藥を嘗め給ふに、あまき味あひは言いつくせず。青き壺に白き文字あり。よみて御覽ずれば、歌(古今和歌集・賀歌、詠人不知)なり。 君が代は千代に八千代に さゞれ石の巌となりて苔のむすまで とあり。これすなはち藥師如來の御詠歌なるべし。それより御名を改められ、「巌の宮」とぞ申しける。 其の後年月を送り給ふに、聊かも物の悲しき事もなく、いつも常磐の御姿にて、榮花に誇り給ふ。御命長く渡らせ給ふ事は、すべて八百餘歳なり。 成務天皇、仲哀天皇、神功皇后、應神天皇、仁徳天皇、履仲天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄畧天皇、清寧天皇、十一代の間、いつも変らぬ御姿にて、榮えさせ給ふなり。 さゞれ石の宮、ある夜もすがら燈火を掲げ、藥師眞言を念じおはしけるに、かたじけなくも藥師如來、いとも貴き御姿にて、巌の宮に向ひ宣ふは、「汝はいつまで此の世界にあらん。人間界の樂しみはわづかの事なり。それに比べて、淨瑠璃世界の地は、本当に瑠璃なり。汝を移さん淨土は、七寶の蓮花の上に玉の寶殿を立てゝ、黄金の扉を並べ、玉の簾をかけ、床には錦の褥を敷き、綾羅莊嚴を以て身を飾りたる、數千人の女官、時々刻々に守護を加へ、百味の飮食を捧ぐる事ひまもなし。此の世界にて契り深き人は、目の前に竝み居つゝ、何事も心の儘の極樂なれば、それほどまでに人間の八つの苦しみの世界にあらん」とて、巌の宮を東方淨瑠璃世界に導き給ふ。 女人の身で成佛し給ふこと、稀代不思議のためしとかや。上代も末代も斯かるめでたきためしなし。今は末世のこと、か程にこそはおはせずとも、神や佛を念ずる人には、どうして其の効験の無かるべき。南無藥師瑠璃光如來、南無藥師瑠璃光如來、唵呼嚧呼嚧戦駄利摩墱祗莎訶、唵呼嚧呼嚧戦駄利摩墱祗莎訶(なむやくしるりくわうによらい、なむやくしるりくわうによらい、おんころおんころせんだりまとうぎそはか、おんころおんころせんだりまとうぎそはか・藥師如來に祈る真言の呪文) |