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福 富 草 子
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人は身に応ぜぬ他人の果報を羨むまじきことになん侍る。昔、福富の織部とて、長者一人侍りけり。いかなる先の世の因縁にや、身に生れつきたる芸を一つ持ちたるが、習はざるに不思議を顕し、計からざる音を発して、世の人、神の如くにぞ思ひける。其の芸、浅ましく汚しければ、上中下の人までも、よく聞き知りて笑ひを催す事なりければ、自ら公方にも聞こし召し、もて興じおはしましけること斜めならず。されば富めるが上に富み、楽しきが上に楽しみて、棟に棟を争ひ、蔵に蔵を建てゝ、五穀豊穣、耕さずして、庭にみちみちたり。

ところで都に、乏少の藤太とて、いと貧しきもの侍り。こは織部に引きかへて朝夕の煙も竈に絶え、庭は草茂りつゝ、土塀にあらぬ柴垣や、幔幕の代りに筵を垂れ、衣寒の床を明しかねつゝ、軒も垣をも、この為に壊しとりて、ようやく暖をとりける。夏はあきましき麻の衣古びて、破れ団扇にて蚊を払ひ、軒の夕顔の華やかなるを、慰めにて、明かし暮すめる。幼かりしより契りし女あり、藤太には十あまり姉女房にや侍りつらんかし、背高く健く強く、顔つき凄まじく、口広ければ、人は鬼姥(おにうば)とぞ申しける。この鬼姥、或日、夫の乏少に向ひて申しけるは、「士農工商の遊民は、一つ節ある芸を持ちてこそ、名を四方に輝かし世渡るものにて候へ。あな浅まし、そこはいかなる前世の持戒修行の拙さか、全くの能のおはせぬ事よ、いと口惜しとも口惜しや。打ち読み走り書き、笛など吹き囃し給ふことこそならずとも、あの隣の福富が一芸ばかりの事は、習はゞ何とかならはざらん、さらば彼処に行きて、如何にも打ち歎きて、心を尽し、師匠と仰ぎ、弟子ともなり給ひて習へよ、神変ある世ならば、あれ程にこそおはせずとも、世渡るばかりの身の代などか成らざるべき、器用に物し給はゞ、隣の宝はこなたに満ち侍るべけれ、たとひ生れ付きたりと云ふとも、成さゞる芸の長じ侍るはあらじ、玉は研くに光あり、とにもかくにも習ひ給へ、それを受け引き給はずば、御名残は惜しく候へども、姥には御暇出されば、この顔の艶やかなるほどに、再嫁してどのような縁でも定め侍べらん」と、せかする。

乏少、理に折れて、隣に行き慇懃に畏まり、しかじかの事と云ふ。福富、出で合ひて、「ようぞ、宣ふものかな、我等もそこの朝夕の友なり、こちらからお伺いしたかりしかど、その道を押し付けて教ふる事でなければ、近づいて親しく勧め参らせずして、かう月日過ぎし」など、非常に懇切に云ひ沿へ懇にもてはやすべし。乏少、畏まり、「さてもさても有難の御誼みにぞ物し給へ、常日頃、鬼姥が責め侍りつれど、斯かる大事の御能を、左右なう他の家には伝へ給はじと、推し量り思ひ侍りしかば、鬼姥が諌めをも用ひずして、過ぎこし年月の悔しさよ、かう憐み坐しけるを、姥に語り喜ばせ侍べらん」と、手をつかねて居る。織部の心の中には、今更御世辞やと、憎いものながら、可笑しさ念じつゝ、「そもそも此の一芸は、大事の薬を服し、さて努むる事に侍り、是が家の秘密なり、あなかしこ、人に語り給ふな」とて、何か有らん、古い巻物取り出でゝ、薬の調合の仕方をこまごまと語る。そこで乏少、「さも侍らば、とてもの御誼みに其の御薬、先一度の芸を勤める程賜はれよ、鬼姥が余りに、せはしく申し侍るもうるさけれぱ、近き程に一度ふり出で、先づ手柄を仕り侍るべし。」と、しきりに頼む。福富さらばとて内に入りつゝ、黒く丸めたる薬二つ取り出でゝ、「これ、構へて、空き腹に飲み給ふな、少しお腹をつくらひて、其の芸をなさんと思ふ二時ばかりこなたに、塩湯生ぬるくして用ひ給へ、必らず不思議侍るべし、もし遅くともさのみ苛立ち給ふな、余りに芸の遅なはり侍らば、盥に水汲み入れて、居処(臀部)をひたし、息を吹き給へ、止めたくば、息をのみ給へ」と教ふ。

乏少、喜びて、かの薬を額に捧げ、暇乞して帰る。鬼姥待ち兼ねて、「如何に如何に、習ひ給へりや、教へ給へりや」と云ふ、乏少ほゝゑみして、しかじかと語りければ、姥喜ぶ事限りなし。「今日の内に、さしも有るべき上つ方へ行きて、宣ふべきやうは、『福富の織部が師匠に、藤太の某、いか様にも御注文候へ、御好みに随ひて出し(放屁)侍らん』と高らかに案内し給ふべし、試みにこゝにて聞きたう侍れど、僅に二粒の薬なれば、惜しう侍るぞかし、早や早や出で立ち給へ」とせがむ。

かくて妻戸の隅の皮籠より古たる烏帽子、柿色の帷子、絹の袴取りい出して、乏少に打ち着せつゝ、「露も臆し給ふな、腰たて首さし仰ぎて云ひ入れ給へ」と、烏帽子の塵払ひ、鬢なでつけ、前に立ち、後に廻りて云ふやう、「烏帽子き給ひたれぱ、はじめて姥が親の許へ婿入し給ふやうに覚えて侍るぞや、なうなう、よい殿やよい殿や」。乏少は教への儘に二粒の薬を服して、道すがら腹すぢ張り、引きつりて神鳴の如くなりけるを、念じつゝ尻を動かぬようにして急ぐ。

今出川の中将、若き殿にて興じ給ふとも知りたるにや、かしこに行きて、しかじかと案内す。中将殿は、いと興あることかな、此の間は欝気にて、学問も怠りおはしつるに、いと良かむなりと、かの乏少を御庭に召させて、蹴鞠の場所に、円座を据ゑて、御飯に御酒とりどりもてなし給ひて、御階近う出で坐して、今や今やと御耳を傾ぷけておはす。御簾の内には御妹の内侍、おばの尼前、御台所、各々集ひおはしましける。藤太、腹は痛けれど、飲食にのみ心入りたる、をかしや、さもしや、あまり腰の引きつり、お腹の痛むに堪へずして、立ち出でんとしけるが、栓を取り外して、漏らし侍れば、水はじきの如し。白洲は、さながら山吹の花の散り敷きたるやうにて、かの名所の井出の屋形もかくやらんと思ぼす。俄に風吹き立ちて、御殿も、御階も、匂ひ満ちて浅ましといふばかりなし。桃尻を押へて、走りて逃げんとしけるを、座敷の随身下りたちて、笞杖振り上げて打ち伏せつ、いと黒き居処を引き当てられて、呻くを、下郎共、烏帽子髪引き立て、やうやう御庭から追い出す。

  「下手のおならこき奴や、かかる狼藷、打てや打てや」
  「破れし頭より、血を滲み出して、まるで立田川の秋の錦に異ならずかし」
  「九献にこそ酔ひつらめ、熟柿臭さもまして侍るぞかし、あら臭や臭や」


平に打ちひき裂かれたる烏帽子、かたつむりの様にかぶり、袖も袂も赤に染みて、はふはふ帰へりぬ。昼なかの姿あら恥しや、道すがら目なしどり、軒の雀追ふ童も、手さし指さして笑ふ。叩かれたる腰の骨も、擦りむけし膝の頭も、堪へがたければ、町や棚では、尻も掛けたしけれど、浅ましげなれば、人、寄せもつけず、腰引きねぢねぢ帰るさま、何に、なぞらへん。大路の店よりのぞきて笑ふ。


  「あれを見て。糞をさせるな、ねんねんねんね」
  「不思議や、いかう臭きは、もし、科戸の神風や吹きつらんと思へば、
  いぶせき匂ぞや」


鬼姥、斯かる事とも知らで、日も長けぬるまゝに、門に立ち、延び上り延び上り大路を見やりて、待ちこがるゝに、二町ばかりのあなたに来るを見つけて、すはや、こゝへ人あまた具して帰へりおはせるは、御送りの人々にや、あちらのお邸いかに興じおはしましつらん、近づくまゝに、赤き小袖を打ち着て帰り給ふよと思へぱ、いとゞ嬉し、なほ待ちこがて内に走り入りつゝ、云うやう、「あな見苦しき此の古小袖よ、今よりは長者になり給ふべければ、かゝる破れ衣よも召さじ、嫂にも孫にも何しに着すべき」と、引き落し火吹き立てゝ、めらめらと焼き棄てつ、孫は惜しやと言へど、聞きも入れず、鬼姥はさこそと喜べど、なほ訝しうて、首さしのべて待ち居る。

  「あな煙ぶた、あな煙ぶた、煙は姥に惚れつらん、しつこい煙や、
  そちへ行け、そちへ行け」


乏少、辛うじて帰へりぬ。赤き着物かと見しは、頭に滲みし血なりけり。真黄な袴は、垂れたるものなり。手触るゝこともならねば、杖にかけ、鬼姥は顔はしかめ、鼻はふたぎて、呆れ居る。藤太は着類焼かれて裸になり、震ひわななきて、言い訳すらも聞へず、我と身を抱きて竦み居る。黒いふぐりは垂れど、乏少の名を汚す姿ぞかし。北隣の妙西は、見舞ひ来つゝ、「いふことの言葉なや、南無阿弥陀、南無阿弥陀」とて帰るもいまいまし。隣のおこうは、垣根の隙間より覗きて、笑止がれど、居処のあたりについ目がいく。 かくて其の夜もあくる日も、お腹の痛み名残りありて、夕べの煙は居処に立ち、野辺の虫の音はお腹に鳴く。降りみ降らずみ五月雨の空の様に渋るとみるうち、下腹さしつゝ、こときりきり痛む、あなはら、あなはらと云ふ声も、息の下なれば、鬼姥は憎けれど、さすがに夫婦の仲なれば、皺多き手を温めて、腹を擦れば、懐中の内より浅ましき香り出でゝ、何やらん、にやにやとするも難しや、せんかたなきに、うつ伏しに伏せて、背中に上り、衣桁に取りつきて、腰の骨を踏み、背負ひたる孫は揺すられて、何心なく笑ふ。尿やよだれにや、鬼姥の背中より裾下り流しかけ、太股が濡れるは、乏少が腹癖を早やあやかりつるにやと覚ゆ。

鬼姥、なほ憤りやまで、川辺に出でゝ身を清め、御幣を切りかけて南に向ひ、「南無帰命頂礼、熊野三所権現、夫の乏少に恥見せし福富の織部を、命のうちに取り給ひて、憂き目を見せさせおはしませ」と、鈴ことごとしう鳴らして、呪い憎みて祈る。其の信心神にや通じけん、熊野の方より嘴の太い烏一つ飛び来て、御幣の前に羽を垂れて鳴く。さては願ひ叶ひたり。姥は帰りけり。

乏少、日に添ひ夜に添ひていとゞ弱り、今は廁の通ひさへならざれば、高き足駄を足にはきて、庭をうねり歩き、砧の盤にもたれて、垂れ流すこと夥し。喉渇きて湯水を乞ふこと隙なければ、「姥給へ、姥給へ」と童のやうに甘へて呼ぶ。呑める湯水はそのまま下す。かくて、いたうやつれ、ふくやかなりつる顔ばせも、痩せ痩せと目元いとゞ黒み落ち入りたり。かくて命も危なかりぬべしとて、典薬頭、和気清麿に行きて、しかじかと云ひ嘆きければ、慈悲の施しは家の上下いとはずとて、やがて出で会ひて、事の様子尋ねて、薬調合して賜びしにぞ、鬼姥もすこし安堵の息を吐きたり。

さて、これも福富が、たばかりけると思ひあはせて、憎さのみいや増しに増しければ、如何にもして恨みんと、朝夕心かけて待つ程に、人の情けは合ふ中とて、織部、打ち続き夢見悪しければ、夢解く人に解かするに、「七日の物忌み、門閉ぢて人に会ふべからず。」と云ふに、あな窮屈、たゞ斯かる事は、神社の転じ変へ給ふとて朝早く物詣でける。鬼姥聞きつけて、物陰に隠れて待ち構へかけて、織部を見るよりも、ひしひしと掴みつく。その様、魍魎鬼神もかくやあらん。いと恐ろしとも恐ろしや。福富はさすがに男子なれば、姥が手をもぎ放ちて、逃げ延びけれど、追ひかけて頬のあたりに噛みつく。かくて首を振る様は人噛み犬よりすさまじ。目は逆さまに切れ、口は耳の根まで広ごりて、いきまく蛇体にやなりつらんと、道来る人は、鬼の人喰ふこと、あな恐ろしとて、逃げ侍るもあり、また珍らしとて、見る人も侍りけり。
 人は身に応ぜぬ他人の果報を羨むまじきことなりと、語り伝へたるとや。