直線上に配置


物 く さ 太 郎
直線上に配置


東山道みちのくの末、信濃国十郡のその内に、筑摩の郡あたらしの郷といふ所に、不思議の男一人侍りける。その名を物くさ太郎ひぢかすと申し候。名を物くさ太郎と申す事は、国にならびなき程の無精者なり。たゞし名こそ物くさ太郎と申せども、家造りの有様、人にすぐれてめでたくぞ侍りける。四面四町に築地をつき、三方に門を立て、東西南北に池を掘り、島をつき、松杉を植ゑ、島より陸地へ反橋をかけ高欄に擬宝珠を磨き、まことに結構世に越えたり。十二間の侍の詰所、九間の渡り廊下、釣殿、細殿、梅壷、桐壷、籬が壷にいたる迄、百種の花を植ゑ、主殿十二間につくり、檜皮葺に葺かせ、錦をもつて天井をはり、桁、梁、垂木の組入れには、銀金を金具にうち、瓔珞の御簾をかけ、馬屋、侍所にいたる迄、立派に造り立てゝ居ばやと、心には思へども、いろいろ事足らねば、たゞ竹を四本立て、薦をかけてぞ居たりける。雨の降るにも、日の照るにも、世の常ならぬ住居して居たり。かやうにつくり悪しとは申せども、足手のあかぎれ、のみ、しらみ、肘の垢にいたるまで、足らはずといふ事なし。もとでなければ商ひせず、物をつくらねば食物なし。四五日のうちにも起き上らず、臥せり居たりけり。

 



ある時、情ある人が、結婚第三夜の餅を五つ、いかに空腹かるらんとて得させければ、たまたま待ち得たる事なれば、四つをば一度に食ひ侍り。今一つを心に思ひけるやうは、有りと思ひて食はねば、後の頼み有り、無しと思へば腹へれけれども、頼みなし、見守らへて有るも頼みなり、いつまでも人が物を得させんまでは、持たばやと思ひて、寝ながら胸の上にて弄び、鼻あぶらをひきて、口に濡らし、頭にいたゞき、弄ぶ程に、取りすべらかし、大道までぞころびける。その時、物くさ太郎、見渡して思ふやう、取りに行き帰らんも物くさし、いつの頃にても、人の通らぬ事はあらじと、竹の竿をさゝげて、犬鳥の寄るを追ひのけて、三日まで待つに人見えず。三日と申すに、たゞの人にはあらず、その所の地頭、あたらしの左衛門尉のぶよりといふ人、小鷹狩、眉の上白き鷹を据ゑさせて、その手勢五六十騎にて通り給ふ。

物くさ太郎これを見て、首のみもちあげて、「なう申し候はん、それに餅の候。取りて賜び候へ」と申しけれども、耳にも聞き入れずうち通りけり。物くさ太郎是を見て、世間にあれほど物くさき人の、いかにして所知所領を統治せん、あの餅を馬より下りて、取りて渡さん程のことは、いとやすき事、世の中に物くさきもの、われ独りと思へば多く有りけるよと、「あら、情けなき殿や」とて、斜めならずつぶやき腹をぞ立てにける。兵衛尉荒き人ならば、腹をも立て、いかやうにもあしらひ給ふべきに、さにあらで、馬をひかへて是を聞き、「きやつめがことか、聞ゆる物くさ太郎といふものか」。「さん候、二人とも候はゞこそ、我が事にて候」。「さて、おのれはいかやうにして過ぐるぞ」。「さん候、人が物をくれ候時は、何でも食ぶる。くれ候はん時は、四、五日も十日ばかりも、たゞ空しく過ぎ候」と申しければ、「さては不憫の次第かな。命助かる支度をせよ。一樹の陰に宿るとも、一河の流れを汲むことも、他生の縁となり。所こそ多きに、わが所領のうちに生れあふこと、前世の宿縁なり。地を耕して過ぎよ」と有りければ、「地、持ち候はん」と申す。「さらば取らせん」とあり。「物くさく候程に、地もほしからず候」と申せば、「商をして過ぎよ」とあれば、「もとで候はず」と申す。「取らせん」と有りければ、「今さら馴れぬこと、知らぬ事、なりがたく候」と申せば、「さては、かゝる変り者かな。いでさらば助かるやうにせん」とて、硯を取り寄せて御触れの札を書きて、わが領内にまはす。「この物くさ太郎に、毎日三合飯を二度食はせ、酒を一度飲ますべし。さなからん者は、わが領には住むべからず」と触れられけり。まことにまことに、これぞ道理にあはぬは君の仰せかなとは思へども、かくの如く有る程に、三年ぞ養ひける。 

三年目と申す春の末に、信濃国の国司、二条の大納言ありすゑと申す人、このあたらしの卿へ長期の夫役をあてらるゝ。百姓ども寄りあひて、誰がところより誰を京へ上せんぞ、はるかに絶えて経験せぬこと、いかゞせんと欺く。ある人申すやう、「いざ、この物くさ太郎を、夫役にしたてゝ上京させん」といひければ、「思ひも寄らず、餅を大道へころばかし、おのれは立ち出で取りもせで、地頭殿の通り給ふに、取りて給へといふ程の者なり」と申しければ、ある人、これを聞き、「それ位の者を騙せば、よきことも有り。いざ寄りあひて騙してみん」とて、長老四、五人寄りあひて、かれがもとに行きて、「いかに物くさ太郎殿、われらが大事の御夫役にあたりて候を、助けて賜べ」。「何事にて候ぞ」と申しければ、「長夫(夫役)といふものを当たりて候」。「それは幾尋ばかり長き物にて候ぞ。おびたゞしのことや」といひければ、「いや、さやうに長き物にてはなし。わがやうなる百姓の中より、都へ人を上せて奉仕させ参らするを、長夫とは申す也。御身を此三年が間養ひたる情に免じ、上り給へ」といひければ、「それは、さらさら貴殿ばらの志にあらず、地頭殿より仰せにてこそあれ」とて、上るべき様なし。またある人申しけるやうは、「一つには汝の為也。それを何故にと申すに、男は妻を具して一人前の魂つく、女房は夫に添ひて一人前の魂つくなり。かくてむさ苦しき粗末な小屋に、たゞ一人おはせんより、一人前の魂つく支度をし給はぬか。それ謂れあり、男は三度の晴の儀式に魂つく、元服して魂つく、妻を具して魂付く、官につきて魂つく。または街道なんどを通るに、ことさら魂つくなり。田舎の人こそ情を知らね、都の人は情ありて、いかなる人をも嫌はず、容色すぐれた御人も、互に夫妻と頼み頼まるゝ習ひなり。されば都へ上り、心あらん人にも連れ添ひて、魂をもつき給はぬか」と、やうやうに教訓すれば、物くさ太郎是を聞き、「それこそなれ、その儀にて候はゞ、急ぎ上せて賜び給へ」とて、出で立たんとする。百姓どもみなみな大きに喜び、金銭を集めて、京へ上せけり。  

束山道を信濃から上り、宿々を通りけるに、さらに物くさき事なし。七日目と申すに、京へ着き、「是は信濃国より参りたる長夫にて」と申しければ、人々是を見て笑ひけり。「あれ程、色黒く汚げなる者も、世には有りけるぞ」とて笑ひける。大納言殿は聞こし召し、「いかやうにもあれ、勤勉にて使はれなば、しかるべし」とて召し使はれける。都にての有様、信濃国にはまさりけり。東山西山、御所内裏、堂、宮、社、おもしろく尊さ、申すはかりなし。少しも物くさげなる気色もなし。これ程にまめなる者あらじとて、三か月の長夫を七か月まで召し使はれ、やうやう十一月の頃にもなりぬ。

そこで、暇を給はりて国に下りなんと、宿に帰り、わが身を観じて思ふやう、都へ上りたらん時は、よき女房に逢ひ、連れて下れなんどといひしに、ひとり下らんこと、あまりに寂しからん、女房一人尋ねばやと思ひ、宿の亭主を近づけて、「信濃へ下り候。しかるべくは、われらがやうなる者の妻に、なり候はんずる女、一人尋ねて賜び候へ」と申しければ、宿の男はこれを聞き、「いかなる者か、おのれが女房になるべき」といひて、笑ひける。さりながら、かれが云ふことにつきていふやう、「尋ねんことは易き事なれども、夫妻と云ふ事は、大事の物ぞ。遊女尋ねて呼べかし」。「遊女とは何事ぞ、いかなる者を申すぞ」と問ひければ、「夫なき女を呼びて、金銭を取らせて逢ふ事を、遊女の遊びといふ也」。「その儀ならば捜して賜び候へ。下り用意に、使ひ銭十二、三文あり、是を取らせて賜び候へ」と申しければ、宿の亭主は是を開き、さてもさても是程の愚か者は、なしと思ひて、またいふやうは、「其儀ならば、辻取りをせよ」といふ。「辻取りとは何事ぞや」。「辻取りとは、男もつれず、輿車にも乗らぬ女房の、みめよき、わが目に適ふを奪ふ事、天下の御許しにて有るなり」と、教へければ、「其儀にて候はゞ、奪ひ取りてみん」と申す。十一月十八日の縁日なるに、清水へ参りて狙へと教へければ、さらばとて出で立つ。 

その日の服装は、信濃より年を経て着たりける、麻の単衣の、何色とも模様も見えぬに、藁縄を帯にして、物くさ草履の破れたるをはき、呉竹の杖をつき、十一月十八日のことなれば、風はげしく吹きて、いかにも寒きに、鼻をすゝりて、清水の大門に、焼け卒都婆の如く、立ちすくみにして、大手をひろげて待つところに、参詣、下向の人々是を見て、あな恐ろしや、何を待ちてかやうには有るらんとて、みなみな脇道によけて通れども、近づく者はさらになし。あるいは十七、八、二十より下の女房、五人、十人うち連れうち連れ通れども、一目より外、見ざりける。かやうに立ちたる事、朝よりその日の暮るゝまで、人数幾千万と云ふ事なし。あれも悪し、是も悪しとためらひ居たる所に、女房一人出で来たり。年ならば十七、八かと見え侍り。形は桜の花、翡翠の羽のごとき黒髪たをやかに、青黛の眉墨は、はなやかにして、遠山の桜にことならず。しなやかに美しき両鬢は、秋の蝉の羽にことならず。三十二相、八十種好が飽き満ちて、金色の如来の如し。踏みたる足の爪先までも、眉の愛敬ととのへて、いろいろの色の単衣を重ね、紅の千人の袴踏みしめ、裏無し草履はきて、丈にあまれる長い髪を梅のように匂はせて、それに劣らぬ下女一人、供に具してぞ参りたる。物くさ太郎是を見て、こゝにこそわが奥方は出で来ぬれ、あゝ早く近づけかし、抱きつかん、口をも吸はゞやと思ひて、手ぐすねをひき、大手をひろげて待ち居たり。女房是を御覧じて、供の下女を近づけて、「あれは何ぞ」と問ひ給へば、「人にて候」と申しければ、あな恐ろしや、あのあたりをば、いかにして通るべきぞとて、脇道をして通りける。

物くさ太郎、これを見て、あらあさましや、あなたへ行くぞや、手遅れにしては叶ふまじと思ひて、大手をひろげてつゝと寄り、いつくしげなる笠の内へ、汚げなる面をさし入れて、顔に顔をさしあはせて、「いかにや女房」といひて、腰に抱きつきて見上げければ、途方にくれはてゝ、さらに御返事も宣はず。往来の人、これを見て、あな恐ろしや、いたはしやとて、各々見ては通れども、寄りつくものはさらになし。


 



 男、詰め寄りていふやうは、「いかにや女房、お久しぶりにこそおぼえて候へ、小原、静原、芹生の里、革堂、河崎、中山、長楽寺、清水、六波薙、六角堂、嵯峨、法輪寺、太秦、醍醐、栗栖、木幡山、淀、八幡、住吉、鞍馬寺、五条の天神、出雲路、貴船の明神、日吉山王、舐園、北野、賀茂、春日、あちらこちらにて参り逢ひて候ひしは、いかに」と申しける。女房是を聞き、此者はいかさまにも、田舎の者にて有りけるを、宿の男が教へて、辻取りをせよと申してせさするよと思ひ、あれ位ひの者をば、騙さばやと思ひ、「それはさる事も候はん。今はこれにては、人目も多し、わらはが候ふ所へ、急がせ来給へ」とありければ、「いづくにて候ぞ」と問ひければ、調子よき言葉をかけ、それを言ひ返せんその内に、逃げばやと思ぼし召し、「わらはが候所をば、松のもとといふ所にて候」。物くさ太郎是を聞き、「松のもとゝは心得たり、明石
(松は松明で、下が明るいので明石)の浦の事」。かゝる珍しき事はなし、是一つをこそ聞き知るとも、他の事は知らじと思ひて、「たゞし日暮るゝ里に候ぞ」。「日暮るゝ里も心得たり、鞍馬(日が暮れると暗いから鞍馬)の奥はどの程ぞ」。「これもわらはが故郷よ、灯し火の小路を尋ねよや」。「油(灯火の縁で油)の小路はどの程ぞ」。「是もわらはが故郷よ、恥づかしの里に候よ」。「しのぶの里とはどの程ぞ」。「これもわらはが故郷よ、表着(うはぎ)の里に候」。「錦(表着の縁で錦)の小路はどの程ぞ」。「是もわらはが故郷よ、慰む国に候は」。「それは恋して近江国(恋して逢う身から近江国)はどの程ぞ」。「化粧する曇りなき里」と宣へば、「鏡(化粧する曇りなきから鏡)の宿はどの程ぞ」。「秋する国に候よ」。「因幡国(秋は収穫の縁から稲葉にかけて)にはどの程ぞ」。「これもわらはが故郷よ、二十(はたち)の国に候よ」。「若狭国(二十は若いので)にはどの程ぞ」。かやうにとかくいふ程に、此上はわが身逃れるべきやうなし。いやいや、此者に、歌を詠みかけ、それを考案する折ふしに、逃げ去らばやと思ひて、男の持ちたる唐竹の杖にかこつけて、かくなん、 

唐竹を杖につきたる物なれば

ふしそひがたき人を見るかな

(節(臥し)のある唐竹の杖をついている方だから、

添い寝できない方だと思う)

物くさ太郎、これを聞き、あな口惜しや、さて、われと寝じとこそあるなれと思ひ、御返事、  

よろづ世の竹のよごとにそふふしの

など唐竹にふしなかるべき

(いつの世でも竹の節毎に節はある。

どうして唐竹に節(臥し)がないことがあるか)

あな恐ろしや、此男は、我と寝んといふ、また姿には似ず、和歌の道を知りたること、風流よと思ぼし召して、  

はなせかし網の糸目のしげければ

この手をはなれ物語せん

(離せよ。網の糸目が細かくて逃げ出せず、人目もあるので、

手が離れてから話をしよう)

物くさ太郎、是を聞き、さては手をゆるせとごさんなれ、いかゞせんと思ひて、又かくぞ、 

何かこの網の糸目はしげくとも

口を吸はせよ手をばゆるさん

と詠みかへし申しければ、女房時刻移りてかなはじと思ぼし召して、またかくなん、

思ふならとひても来ませわが宿は

唐橘の紫の門

物くさ太郎、この御言葉を思案し、少し手をゆるめる所に、ふりはなし、笠をも御衣裳など迄もうち捨て、裏無草履をも踏みぬぎ、裸足にて、下女をもつれず、ちりぢりになりて、逃げられけり。物くさ太郎、あなあさましや、わが女房取り逃がすしつる事よと思ひて、唐竹の杖、短かめにおつとり、「女房いづかたへ行くぞ」とて追ひ廻りけり。 

女房は是を最後と思ぼし召して、案内は知り給ひたる、あなたの小路、こなたの辻、こゝかしこをめぐり違へ逃げ、春の風に花の散る如く、逃げ隠れ給へり。物くさ太郎、是を見て、「我御前はいづくへ行くぞ」とて、あなたの小路へつゝと寄り、こなたの辻へ行きあたり、間をおかず追ひつめける。ある所にて追ひ失ひ、後へ帰りて先を見れども、人もなし。往来の人に問ひければ、知らずと答へて通りける。清水にて立ちたりし所へ帰り来て、こなた向きにこそ、女房は立ちたりつれ、あなたへ向きて、かやうの事をばいひつれ、いづかたへ行きつらんと、悶え焦がれけれども、甲斐ぞなき。げにげに思ひ出したる事あり、唐橘紫の門と有りつるに、尋ねて見ばやと思ひて、紙一かさねを竹にはさみ、ある侍所へ立ち入りて、「是は田舎の者にて候が、家を訪ねあぐねて候が、あり所は、唐橘紫の門とこそ仰せられしが、そのやうな門は、いづくに候らん」と尋ねければ、「七条のはずれに、豊前守の殿の御所こそ、唐橘と紫は有りしぞ。その小路へ向きて尋ねよ」と教へける。尋ね行きて見れば、実にもそれなりけり。はやわが女房に逢ひたる心地して、うれしき事申すはかりなし。かの屋形には、犬追物、笠懸、鞠遊び、あるいは管絃、碁、将棋、双六をうち、今様、早歌、思ひ思ひの遊びなり。あなたこなたへ行きて見れども、わが女房はなかりけり。もしも出づることも有りなんと、縁の下に隠れける。この女房、御所にては侍従の局と申しける。更けゆくまで宮仕して、わが局へ入らせ給ふが、広縁に立ち出でゝ、なでしこ、といふ下女を召して、「いまだ月は出でさせ給はぬか。さもあれ、清水にての男は、いかに。これ程暗きに、それに行き遭ひたらば、命もあらじ」などと語り姶へば、なでしこ、「縁起でもなし。何の故にか、こゝまでは来り候べき。なまじ仰せ候へば、面影に立ちて候」と申しければ、物くさ太郎、縁の下にて是を聞き、是にこそ我が奥方はあれ、さても縁は尽きぬものぞとうれしくて、縁の下より躍り出で、「いかにや女房、そなた故に心をつくし、骨をば折るぞ」とて、縁より上へ上りける。女、これを聞き、肝心も失せはてゝ、転びまろびて、障子の内へ逃げ入りて、しばしはあきれて、肝魂も身に添はず、秋の夜に夢見る心地して、大空なるぼんやりしたる気色にておはしけるが、やゝありて、「あな恐ろしの者の心や。是まで尋ねて来たる不思議さよ。人こそ多きに、あれ程汚げにむさ苦しき者に思ひかけられ、恋ひられたるこそ悲しけれ」とて、なでしこに語り、欺き給ひける。かゝる所に、番の者ども立ち出でいふやうは、「人の気色のあるやらん、犬が吠ゆる」といひて、人々騒ぎけり。女房思ぼし召しけるは、あらあさましや、番の者どもがあの者をうち殺さんも恐ろしや、さなきだに、女は五障三従に罪深きにとて、涙を流し給ひける。今夜ばかりは、何か苦しき、仮り宿させて、曙に追ひ返せとて、古き畳を敷きて居よとて、賜びたり。下女来りて、「明けなば人に見えず、早く早く帰れ」とて、この男、とある妻戸の傍に、見慣れぬ高麗縁の畳を敷き、居たりけり。かなたこなた身をすりへらし、歩きくたびれ、「あはれ何にても、早く、くれよかし。何をくれるべきやらん。粟をくれられなば、焼きて食ふべし。柿、梨、餅なんどをくれたらば、すぐさま食ふべし。酒をくれたらば、十四五六七八杯も呑まう。何にても早く、くれよかし」と、心をいろいろになして待ち居たる所に、粟、柿、梨、髭篭に入れて、塩と小刀取り添へていだしける。物くさ太郎是を見て、「あな情けなや。女房の器量には似ず、あまたの木の実を、箱の蓋、檀紙にも入れて、くれよかし、馬牛などに物をくるゝ如くに、一つに取り具してくれたる事よ、あまりのこと。たゞし子細有るべし。木の実あまた一つにしてくれたるは、われに一つになりあはんと思ふ心かや。栗を賜びたるは、繰り(栗)言すなとの心にや。梨を賜びたるは、われは男もなしといふ心、柿と塩とはなどやらん。いづれにしても歌に詠まばや」と思ひて、

津の国の難波の浦のかきなれば

うみわたらねど塩はつきけり

(津の国の難波の柿(牡蠣)なので、海を渡らないではないが、

海(熟む)渡らず熟しきらないのに、塩はついたことだ)

女房、これを聞き、「あな、やさしのものゝ心や。泥の中の蓮、藁包みの金とは、かやうのことにてもや侍らん。これ取らせよ」とて、紙を十かさねばかり出されたり。是は何事やらんと思ひけるが、筆の跡なき返事をせよといふ心、ごさんなれと思ひてかくなん、  

ちはやふるかみを使ひにたびたるは

われを社と思ふかや君

(神にかけた紙を使い下されたのは、

私を神社と思うのか)

「この上は仕方なし。具して参り候へ」とて、小袖一かさね、大口、直垂、烏帽子、刀ととのへて、「これを召して参られよ」とぞ申しける。ひぢかす、大きに喜び、めでたや、めでたやとて、長年着たりける先祖代々の着物を、竹の杖にまきつけて、小袖などをば、今宵ばかりこそ貸し給はんずらん、明日は着て帰らんずるぞ、犬や犬の子食ふな、盗人取るなとて、縁の下へ投げ入れて、其後大口、直垂着るやうを知らずして、首にあて肩にかけ、これを持て余しけるを、下女とりつくろひて、烏帽子を着せんとす。髪を見るに、塵埃、虱など、いつ頃に手を入れて、梳き上げたる様子もなし。されども、やうやうこしらへて、烏帽子を髪に押し込みて、なでしこ、手を引きてこなたへこなたへと連れて行きければ、物くさ太郎、わが国信濃にては、山や巌石をこそ歩きならひたれ、かやうに油さしたる板の上をば、歩みならはず、こなたかなたとすべり廻りけり。されども障子の内へ押し入れて、なでしこは帰りける。高貴の御前に参るとて、踏みすべりて、あほむきにまろびけり。さらば他の所にてもなくして、上臈の宝とも思ぼし召す、手弾丸といふ琴の上に倒れかゝりて、琴をば微塵に損ひぬ。女房是を見て、あさまし、いかにせんと涙ぐみて、顔に紅葉をひき散らしてかくなん、

今日よりはわが慰みに何かせん

物くさ太郎、いまだ起きもあがらず、あさましと思ひて、女房の方をうち見て、  ことわり(琴割りにかける)なれば物もいはれず

と申しければ、あな、やさしの男の心やと思ぼし召して、よしよし是も前世の宿縁なり、かやうに慕はるゝも、今生ならぬ縁にてこそかくも有るらんと思ぼし召して、比翼の語らひをなし給ふ。今宵もすでに明けければ、急ぎ帰らんとする時、女房仰せらるゝやうは、「仕方なし、かやうに見参に入りぬる上は、二人はこの世ならぬ縁なり。心ざし思ぼし召さば、是にとどまり給へ。われらは宮仕の身なれども、何か苦しかるべき」とありければ「承る」とてとどまりぬ。

その後は、この女房、下女二人添へ、夜昼これをこしらへて、七日蒸し風呂に入れければ、七日と申すには、うつくしき玉の如くになりにけり。其後は、日々に従つて玉の光有るに似たり。男は美男の評判をとり、和歌や連歌人にすぐれたり。女房かしこき人にて、男の礼法を教へける。しかるに、直垂の衣紋のかまへ、袴の裾まはし、烏帽子の着た様子、鬢の格好までも、いかなる公卿殿上人にもすぐれたり。かゝる程に、豊前守の殿は、この由聞こし召し、目通りのために召さるゝ、身こしらひて参れたり、豊前守是を見て、「男、美男にておはしける。名字は誰」と問ひ給へば、「物くさ太郎」と答へける。思ひがけない御名かなとて、初めて、うたの左衛門になし奉る。かやうにとかくする程に、この事、内裏へ聞こし召して、急ぎ参れとの宣旨也。辞退申せどかなはず、帽額車に乗りて、院参する。大極殿に召し、「汝はまことに連歌の上手にて侍るなる、歌二首つかまつれ」と宣旨なり。折ふし、梅花に鴬の飛び散りてさへづるを聞き、かくなん、 

鴬の濡れたる声の聞こゆるは

梅の花笠洩るや春雨

帝、これを叡覧有りて、「汝が国にも梅といふか」と宣旨なりければ、承りもあへず、  

信濃には梅花といふも梅の花

都の事はいかゞあるらん

帝、これを聞こし召し、深く感じ入りて、「汝が先祖を申せ」と宜旨なる。「先祖もなき者にて候」と申しけり。「さらば信濃国の代官へ尋ねよ」とて、某所の地頭へ宣旨をなし、御尋ね有りければ、薦に巻いたる文書を取り寄せて、見参に入れ奉る。これを開き御覧ずれば、人皇五十三代の帝にあたる、仁明天皇の第二の皇子、深草の天皇の御子で二位の中将と申す人、信濃へ流されて、年月を送り給ひしが、一人の御子もなし、是を悲しみ給ひて、善光寺の如来に詣でゝ、一人の御子を申しうけ給ひて、御年三歳にて、二人の親に死別され給ひて、其後庶民の塵にまじはり給ひて、かゝる賤しき身となり給へり。帝、叡覧ましまして、皇族を離れて、程近き人にておはしけるよとて、信濃の中将になして、甲斐信濃両国を給はりて、此女房相具して、信濃へ下り、朝日の郷に着き給ふ。あたらしの郷の地頭、左衛門尉をは、真心深き人なればとて、甲斐信濃両国の総政所に定め姶ふ。又三年養ひたる首姓にも、みなみな所領を取らせて、わが身は筑摩の郷に御所を建てゝ、眷族を置き、貴賤上下にかしづかれ、国の政おだやかに有りしかは、仏神三宝の加護ありて、百廿年の春秋を送り、御子あまた出できて、七珍万宝に飽き満ちて、長生の神となり給ふ。殿は御多賀の大明神、女房は朝日の権現として御示現なさる。 

これは文徳天皇の御時なりし、物くさ太郎は前世に善根を積みし結びの神として現れ、男女を嫌はず、恋せん人は、我が前に参らばかなへんと、誓ひ深くおはしますなり。およそ凡夫は、本体を申せば腹を立て、神は本体を現せば、三熱の苦しびをさまして、直ちによろこび給ふ也。人の心もかくの如く、物くさくとも身は真直ぐなるものなり。毎日一度この草子を読みて、人に聞かせん人は、財宝に飽き満ちて、幸ひ心に任すべしとの御誓願なり。めでたし、めでたし。