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そもそも、鳥羽院の御内に、佐藤兵衛乗清とて、その頃、天下に隠れなく風雅なる人おはします。頃しも弥生上旬の事なれば庭上へ召されつゝ、百首の歌を仕り、その名を天下に上げ給ふ。短い間に百首の歌を連ね給ふほど、歌道に達者なり。君も公卿、殿上人も類なく御感あり。 ある時、内裏へ召されて、歌仕り、殿上を出んとせし折節、にわかに風、南殿の御簾を吹き上げたり。乗清何となく見あげ給へば、顔容端厳の装ひ、美しく飾りたる衣の褄、この世ならぬ香薫じて、美しき黛、雪の膚、春の花、秋の紅葉にもすぐれ、翡翠の長髪たをやかに、芙蓉の眸、丹菓の唇、誠にこの世には並ぶ方無うこそ覚えける。乗清胸うち騒ぎ、何方を忘れ、夢の心ちして、鳥羽の御所へぞ帰り給ふ。 それよりして、何となく一日、二日と悩み給ひて、いとゞ御面影身に添ふ心ちして、うち臥し嘆き給ふ。廾日ばかりを過ごしかね、今ははや、万事限りに見えさせ給ふ。 さるほどに、この由、内裏へ聞へ、御門を初め公卿、殿上人驚き、急ぎ典薬寮の医博士を遣はされけり。さらにその効き目なかりければ、如何はせんと、御扱ひ限りなし。女院聞こし召され、「乗清は歌に達者と聞く。いかで亡くなることの不憫さよ。乗清に親しき人やある」と、仰げれば、御前の女房達申されけるは、「そらさやの侍従こそ、乗清に親しき人にて候へ」と、申させ給へば、「さらば」とて、そらさやを召し、仰せ侍りけるは、「乗清は心煩ふ由、不憫なり。よく見て参り候へ。若き時の習ひ、如何なる事にか侍るらん。隔てなく、よく返して、尋ね給ふべし」と、仰ければ、そらさやの侍従承り候。 やがて牛車に乗り、秘かに乗清の御所へ行き、「如何にや乗清、女院よりの御使ひ」と、申させ給へば、乗清驚き、「こは如何に」と仰せければ、侍従申ける様は、「ありがたや、御身歌道の道に携はり給はずは、帝、女院の御訪ひにあづかり給ふべきや。御心を残さず申上げさせ給へ」と、細々と申しければ、「若き時の習いにて、如何なる事にかあらん」と、掻き口説きければ、乗清涙に咽び、御返事にも及ばず。やゝありて申されけるは、「既に大病に犯され存命限りなり。何と御返事を申し上ぐべき。たゞ忝き由、申し上げるべし」とて、又さめざめと泣き給ふ。 そらさや重ねて申けるは、「常の病にもあらず。如何さま、見たることを忘れず思ひ給ふにや」と、語りければ、続けて、そらさや、「もし又恋煩いといふ心ぞや。さもあらば、懊悩も深くてかなふまじ。昔もさる例あり。天竺に、ゆきといひし女、憂き世を厭ひ、深き山に籠りけるが、犬と契りを込めつるが、 あさましや何獣にうち解けんさこそ昔の契りなりとぞ と、悲しみける。又、ある大王の后は、継子の拘拏羅太子に思ひかけ給ふ。太子うち解け給はざりければ、官人を頼み、太子を害し給ふ。此由、大王聞こし召し、大きに逆鱗ありて、后をやがて害し給ふ。されば、太子のために八万四千の堂を建立ありけるとかや。唐の玄宗皇帝の楊貴妃に一行阿闍梨近づき流罪となり給ふ。一角仙人は玉女に近づき、一期の行、又は業を失ふ。我が朝、志賀寺の上人は京極の御息所、志賀の花見の下向の時、車の物見より、御息所の御姿を一目見奉り、思ひに憧れ、御車の返り給ふ後に付き、そら恐ろしけれども、都まで御供申し、中門に佇み給ふ。女房達、「如何なる人ぞ」と、宣へば、上人答へて曰く、「我はこれ、志賀寺の上人なり。車の物見より、御息所の御姿を一目見奉り、これまで参りたる」由申し給へば、女房達、此由申させ給へば、御息所聞こし召し、「さやうに、上人と申す程の人、是まで来り給ふ事、よくよくの心なるべし。人の思ひ程恐ろしき事は無し。さらば、日隠まで呼びて、手を触れさせて帰さん」とて、南殿の日隠の前へ召されて、御簾の内よりさしも美しき御手を出し給ふ。「上人、是を御情とし給へ」と、仰ければ、上人は、御手を給はり候御情のわりなさの程を悟り、涙に咽びつゝ、時しも春の初めなりければ、思ひ連ねて、かくばかり、 初春の初子の今日の玉帚掃 手に取るからに揺らぐ玉緒 (正月の初子の日、宮中で賜るという玉帚のような 御手触れると我が心が感激でゆれる) 御息所、御返事に、 よしさらば東の道にしるべして 我を誘へ揺らぐ玉緒 (仏に仕えるあなたが私に好意をもつというのならば、 仏の道に私を導いて下さい) と、御返事ありければ、上人、忝き御心ざしかなと思ぼし召し、それより志賀寺へ帰らせ給ひ、いよいよ固い道心を起こし、御息所をも仏に成し給へ」と、祈り給へば、誠にその報ひにや、御息所も有難く成仏の本意を遂げ給ふ。三河の照定基は、赤坂の遊君に契りを結びしが、遊君に別れて後は道心を起こし、入唐渡天を遂げ、石橋を渡りぬ。弘法大師より後、此の橋を渡る人は二人ありけり。柿本紀僧正が染殿の后を恋ひ、御手洗川に寝覚めして、青き鬼と成り給ふ。伊勢の斎官は父との誤ちにて、夢現かと分けかね、その他山野の諸鳥、江河の鱗、夫恋ひかぬるさ牡鹿にいたるまで、此道に命を失ふ習ひなり。 誠に忝も、女院のか様に仰せ下されしに、御返事申させ給へ。しからずは、人知れず心に思ふ事、一筆申させ給へ」と、細々と宣へば、その時、乗清「げにも」とや思ひけん、硯を召し寄せ、香炉木の墨磨り、浅香山の筆取りそめ、思ふまゝに書きて、引き結び、そらさやの侍従に渡し給ふ。「御丁寧にこれまで御出の事、今生来生でもあり得ぬ程有難く侍る。よきやうに御申し有るべく候」とて、涙を流し給ふ。 そらさや内裏へ参り、女院の御前にて、乗清の有様詳しく申し給へば、恭くも女院、叡覧あつて、「如何にもして、乗清が命、助かるべき様を仰せ下さるべし」と宣へば、侍従申し給ふ様、「是に一筆の証取りて参り候」とて、さし出し給へば、女院御覧じて、うち笑み給ひて、「されば、若き時の習ひにて、恋とやらんを思ふか」とて、取り上げ給ひて、初より奥まで委しく御覧させ給へば、余の御事にてはあらず、御身上と御覧じて、御顔に紅葉を散らし、やゝ暫く御返事もさせ給はず。やゝありて仰られけるは、「か様の事は慎ましき事なり。他人が身の上なりとも披露すべからず。中頃、小野小町とやらんも、あまりに心強く、深草少将を拒む。少将、由無き身の有様を悲しむとて、蓮台野へ自ら行きて、身を果たしけるが、最期の歌に詠めり。 死ぬまでも身をば身こそは思ひけれ 自ら送る野辺の送り火 と、か様に悲しみけり。こゝにも最愛して侍りけれ共、終には別れとなりぬ。其の外、大臣、公卿に色好みの咎を受けて、終にはかなく成りぬ。されば、先づ乗清を助くるやうに計ふべし」とて、御硯召し寄せて、一筆遊ばし給ひて、引き結び、そらさやを召し、賜びにけり。 嬉しく思ひ、やがて鳥羽へ行き、「女院よりの御返事」とて出し給へば、乗清忝く思ひ、三度礼をして、これを開きて見給へば、その言の葉に、「天に花咲き、地に実なつて、今夜の又来ん夜、西方極楽世界阿弥陀の浄土にて、姿ばかりを見すべし」と、遊ばされたり。されば、乗清何の理解もでき無く、やがてうち臥し沈みけり。 そらさやの侍従、此由見給ひて、「如何にや、さのみに御情なくはよもあらじ。それ、内裏の御詞に、「天に花咲き、地に実生って、今夜の又来ん夜、西方極楽世界阿弥陀の浄土にて、姿ばかりを見すべし」とあり。天に花咲きとは、星が出でたるをいふ。地に実なつてとは、露を置きての事なり。今夜過ぎ、その次の夜は八月十五夜なり。時しも明月なれば、何処も輝き、おもしろき折節、女院はいつも月の十五日に、西の阿弥陀堂へ御参詣あり。それにて女院の御姿ばかりを見えんと思ぼし召す御情なり。さもあらば、明日をやり過ごし、その次の日は待ち給へ」と、言ひければ、乗清嬉しく、有難く思ひて、其夜にもなりしかば、晴の装束つけ出で立ちて、彼の御堂へ参り、仏殿の後ろに忍びてありけるが、夜も深更に及びて、御格子より見給へば、女房達廾人ばかり、下僕が御輿を舁き、御幸ならせ給ふ。礼拝の座の際まで御輿を寄せ、礼拝の座に下りさせ給ひて、暫く御念誦させ給ふ。女房達を召し寄せ給ひて、「あらおもしろの月や。十五夜中の新月の色、真に現はし、物思ふ者の心如何ばかりや」と仰られて、御歌卅首ばかり遊ばし給ひて、そのまゝそらさやに出し、御輿に召されて、還御なりぬ。乗清有難く思ひ、「さては、我が命を助けんために、かゝる御情のあるよ」と、有難く、嬉しく思ひ参り候ひて、十五日毎にかの御堂へ参詣し給ひて、程なく年明け、如月の頃まで出ず。 ある時、女院、そらさやを召し、仰せけるは、「乗清はいまだ参詣か」と仰せければ、そらさや、「さん候」と申し給へば、「これこれ乗清に」とて、短冊(和歌を書く料紙)を出し給へば、やがてこれを遣はし給へば、乗清これを見給へば、「あこぎ」と一筆遊ばしたるなり。「不思議やな、歌道に達者にて、多くの詞を見つれ共、あこぎといふこといまだ知らず。つくづく思ふに、か程の事をさへ知らずして、及ばぬ恋をして憧れける事よ。これに過ぎたる恥はなし」と思ひ、これこそ道心の基よとて、やがてその名を西行と付き、修行し給ふ。 御心につくづく思ふ様、「先づ先づ聞ゆる伊勢へ参詣申さばや」と思ひ、三わたりの辺を通れば、賤の子供数多通りける。其中に、十七八ばかりなる童が牛を牽きて行ける。かの牛、植へたる麦を食ひけり。かの童、「あこぎよ、いかに」とて、牛をしたゝかに打ちける。西行聞き給ひて、「あら不思議や」と思ひ、「いかにあの童、其の牛をば何とて、『あこぎ』とて打ちけるぞ」と、問ひ給へば、童の申しけるは、「これは知らせ給はずや。伊勢の国、阿漕(あこぎ)が浦とはこれなり。昔、阿漕と申す者、此浦にて、隠れつゝ殺生をして、網を引きしが、度重なりし故、現れて、かの沖に沈められしなり。その謂れにより、此浦を阿漕が浦といふなり。されば、歌にも、 伊勢の国阿漕が浦に引く網も 度重なれば現れぞする 先に此の牛人の麦を二度まで食ひ候が、今も食ひ候程に、主、見候ては叱り候はん程に、牛をか様に申して、打ち候」由申しければ、西行、「さては、女院の仰せられしも此事なりけるよ。度重なれば、我等が大事と思ぼし召して、御情のあまりに、か様に仰られける事の有難さよ」と思ひ、それよりいよいよ信心を致し給ふ。 煩悩即菩提心、生死即涅槃(煩悩の迷いが、かえって悟りとなり、生死の迷いが解脱の境地の涅槃になる)と、尊く、頼もしく思ひ、参宮申し、下向して先づ外宮へ参り、時鳥鳴きければ、取敢へず、 鳴かずともこゝをせにせん時鳥 山田の原の杉の群立ち 又、内宮にて、かくばかり、 何事もそれをこれとは分かねども 恭きに涙落ちけり と詠じて、それより下向し、先づ江州へと心ざし、筑紫へ下り、七年修行して、八年と申すに都へ上りて、有りし内裏の南の御門を通りけるが、「有難や、女院の御心ざしにより修行を遂げぬ」と、内裏の方を伏し拝みければ、折しも、女院、法会縁儀して、四方の景色を御覧じて遊び給ふに、修行者一人参り佇み、何となく南殿の方を見遣りて侍りけるを御覧じて、「如何に、只今の修行者は不審に覚ゆるなり」とて、御硯取り寄せ、御短冊一つ遊ばし、御前の女房達に、「急ぎ、只今の修行者に出し給へ」と仰られ、やがて御簾の外へ出し給へば、西行不審に思ひて、「さては、女院の我が有様を御覧じけるか」と、恥づかしく、又昔を思ひ出して、涙を浮かめ、笠を脱ぐ間もなく、御短冊を頂き、これを見給へば、御歌あり。 雲の上有りし昔に変はらねば 見し玉垂の内や恋しき (宮中はお前が出仕していた頃と変らないので、 御所の事がなつかしくないか) 西行御返事に及ばず、やがて取敢へず、矢立より筆取り出し、御短冊の歌を一字直して参らせ給ふ。女房達受け取り、御前に参り、「今の修行者が御短冊を見て、一字直して侍る」と、申させ給へば、女院御覧じければ、 雲の上有りし昔に変はらねば 見し玉垂の内ぞ恋しき (宮中は御前がいらしていた頃と変らないので、 御所の事がとてもなつかしゅうございます) と直しけり。一字にて御返事に見えけり。「さては、西行なりけるよ」と思ぼし召し、「あはれなる有様かな」と、御涙をぞ流し給ふ。 西行、それより関東へ心ざし給ひて、我が北の方、姫君の事、思ぼし召し出でゝ、「如何に成りぬらん」と悲しく、「又は有為無常の習ひ、もし又はかなく成りてもあるやらん」と、「跡をも弔ひ参らせん」と思ひ、鳥羽の方へ惹かれ行くに、古しへ住み慣れし所を見るに、門は有れども扉無し。築地は有れども覆無し。庭に蓬混じりの浅茅原、軒は忍草混じり、忘れ草、むぐら、朝顔這い懸り、道を隠すばかりなり。西行、館に差し入りて、こゝかしこを見給へ共、「誰そ」と咎むる人も無し。哀れに思ぼし召し、「さても、七八年が間に、か様に荒れ果てつるや」と思ひ、「人々は如何成り給ふらん」と、涙を流して、門を押し開き、会所殿、こゝかしこを眺め給へ共、「誰そ」と咎むる人も無し。 やゝ暫くありて、昔の郡等、刑部といひけるが、時しも廾五日なりければ、御主の御無事を祈らんために、北野へ参詣申さんとて、主殿へ参り、「女房達やおはします」と二三度呼ばわりけれ共、音もせず。遥かに会所を見遣りければ、何処とも知らぬ修行者の、笠を着、草鞋を履きながら、こゝかしこを眺め歩きけるを、刑部、「如何なる修行者なるぞ。斎料のためならば台所へ回れ。何とて、姫君の御座ある主殿近く参るは。無作法なり。追ひ出さばや」と思ひて、立ち向かひ、「如何に、修行者は何処の人ぞ」と申ければ、西行、「これは西国修行の者なり。東国へ心ざして罷り下る。由有る所と見え申し間、一見申す」と仰せける。刑部、「それはともかくも候へかし。余りに無礼なり。笠、草鞋を脱がせ給へ」と言ひければ、西行聞きも入れ給はず、こゝかしこを眺め給へば、刑部大きに腹を立て、走り懸りて、持ちたる鞭にて二三度打ち奉り、縁より下へ突き落としける。西行涙を流し、「代々仕へる下人に打たれける事、これ出家の習ひ、又、刑部が僻事にあらず。父御頭殿の御杖と思ふべし」と思ぼし召し、急ぎ笠を傾け、門外へ出で給ふ。 姫君簾中より出で給ひて、障子押し開け、「如何に、刑部は何処へぞ」と問はせ給へば、刑部畏りて申けるは、「御殿の御祈りのため、北野へ参り候」と申せば、姫君、「心得ぬ事仕る刑部かな。父の事を思へば、此の日頃も修行者に情を懸け申ぞかし。それを知りながら、西国修行と仰せ候程に、父の御事をも尋ね申さんと思ひしに、何の僻事のましませば、さ様に情なく当たり奉るぞ。汝、偏に父を打ち奉ると思ふ也。恨めしの刑部が振舞いや」とて、倒れ伏して泣き給ふ。刑部胆を潰し、深く恐れをなし、「如何でか、これ程の事とは存じ申さず、たゞ『姫君様の御座ある所へ、往来の人無作法なる事』と申たるばかり也。御許し候へ」と口説き申せば、御前の女房達も、「是は偏に刑部が姫君を思ひて申つる事也。許させ給へ」と申し給へば、「道理」と思ぼし召し、「さらば、今の修行者を呼び返し申せ」と仰せければ、刑部、「さらば主の仰せ」とて、直垂の稜を取り、門外へ走り出で、西行に追ひ付き奉り、「今の無礼は平に御許し候へ。姫君様、以ての外に御腹立にて候。『呼び返し申せ』と宣ひ候。御返り候へ」とて、御袖に縋りければ、西行、「返りたくはなけれ共、もし返らずは怪しむべし」と思ぼし召し、「さらば、御身は先へ」とて、中門に入給ふ。笠をも脱がず、草鞋をも脱がせ給はで、軒先の真下に立たせ給ふ。 「これは東国へ急ぐ沙門なり。何の御用にて候ぞ。早く早く」と宣へば、姫君出でさせ給ひて、「あら恥づかしや。如何に修行者、此の所御覧じて、荒れ果て、人の通る道も見えず、浅ましくこそ思し召し給ふらん。さりながら、父には生きて別れ、母には死して離れ、此の三年になり、あの刑部を独り頼み候へども、頼り甲斐なき有様也。さてさて、情なく修行者に当たり申しける事よ。孝子あれば、必ず其家を守る。国に用ひる守護あれば、必ずその国穏やかなり。この家に孤児と成り果て、自らばかり候へば、如何やうの僻事をも許し給へ。それにつき、申たき事の候。西国修行と仰られ候へば、九州九か国の内に、何処にてか、鳥羽院の御内に、佐藤兵衛乗清法名西行と申す人に会はせ給ひて候か。恋しきことなれば、夜も昼も其消息を祈り申し」由語り給ひて、顔に押し当て泣き給へば、西行聞き給ひて、「さては、北の方もはかなく成り給ひけるにや。父母に後れて独り住む孤子の、猶父が事を愛しみて、か様に尋ねけるよ。それとても名乗らばさこそ悦べかりしに、無慚や」と思へ共、「心弱くて叶まじ。とても会ふまじ物故に、はかなく成りたる由を言はばや」と思ひて、声を荒気なく出だして、笠を傾け、「是は修行を七八年して候へども、乗清とも聞たる事も候はず。過にし秋の頃、豊後国こと島の郷を通りしに、新しき卒塔婆有り。立ち寄り見れば、諸行無常の文を書きて、下に過去西行と有り。「是は聞つる様なる名也」と、辺りの人に問ひければ、「都の人とて、九州を修行せしが、西行と云ひて、此五六日先に、此里にてはかなく成らせ給ひて候」と語ける。余りに御痛はしく存じ、其日は逗留して、経を誦み念仏申して通りし也。其人の御事ならば、今生にての対面は叶ふまじ。御跡弔ひ給へ」と語り給ふ。 姫君聞こし召し、「是は夢か、現か、幻か」とて倒れ伏し、女房達も刑部も流涕焦がれ、袖を顔に当て、泣き悲しみ給ひけり。「姫君は未だ御年にも足らせ給はず、生年九歳に成り給ふ。か程に親の事を懇に愛しみけるよ。子ならずは、何の物か、かくまで歎き思ふべき」と、袖を絞らせ給ひけり。姫君、やゝ有りて、簾中へ入り給ひて、唐情の蓋に、衣と袈裟と人丸(柿本人麻呂)の絵を入させ給ひて、自ら持ち、西行の御傍へ寄らせ給ひ、涙と共に仰けるは、「自らが父母の為にとて拵へ置かせ給ひ、「何処よりも便りあらば参らせん」と覚ぼせしが、去々年の秋の頃、はかなく成らせ給ふ也。又、此袈裟衣は 自ら拵へ置き、「御行方も候はゞ、参らせん」と思ひしに、それでは、はかなく成り給ふよ。此人丸の絵は、さしも秘蔵し給ひ、信仰有りしが、由無き恋に憧れて、道心起こし給ふとて、忍びて急がせ給ふ程に取り忘れ給ひしを、『無益に成さじ』と、母上の教へおかせ給ひし也。何処にも西行と云人おはしまさば、これを参り候て賜び給へ。もし又、西行は仰せの如くはかなく成り給ひて候はゞ、それへ参り候ひ、御覧ぜん折節は、御経をも遊ばし、念仏をも御申し、跡弔ひて賜び給へ。『誠に、父の二度来給ふ』と思ふべし。慕はしの修行者や」とて、御傍に倒れ臥し、御袖に縋り、歎き悲しみ給へば、如何なる賤しの男、賤しの女までも袖を絞りけり。いはんや本当の父、西行の心の裡思ひ遣られて哀れ也。刑部も、其外女房達も皆涙を流しけり。 西行仰せけるは、「よその事ながら、か様に哀れなる事候へば、そゞろに涙に咽び候。さては、孤子にてわたらせ給ひけるや。痛しさよ。但し、一旦の栄華も風の前の塵、人間の習い徒なる事これ多し。幼い人多く、たとひ添ひ奉る共、一昔を過すべからず。父の死を道心の種として、菩提を御願ひあるべく候。衣、袈裟は他の人にも御取らせ候へ。我等は有るにまかせ、身に巻きて候。この人丸の絵は御形見に給はり候へ。何処にても念仏申して参り候はん。東国へ急ぐ沙門也。暇申して、さらば」とて、中門へ指して出させ給ふ。「御情なの御事や。父の行方を知らせ給へば、一入御懐かしく覚るに、今宵は是に御留まり有りて、亡き人の御跡をも弔ひ給ひ候へ」と悲しみ給へ共、西行耳にも聞き入れず、門外指して出給ふ。 姫君仰せけるは、「如何に刑部、古しへの修行者は、か様に申せば、皆、笠をも脱ぎ、草鞋をも脱がせ給ひつるが、今の修行者は笠をも脱がず、不審に覚る也。今一度呼び返へし参らせて、笠をも取りて見奉れ」と仰せければ、刑部、急ぎ門へ出でゝ、「如何に修行者、姫君の仰せにて候。先づ先づ御返り候へ」と申す。西行仰けるは、「東国へ急ぎ、日も晩に及び候。又この暮にこそ」とて、出でんとする。刑部申けるは、「幼い人の言い分にて御生憎にて候。さりとては、今一度御返り候へ」とて、御袖に縋ければ、力及ばず返り給ふ。 又、雨落ち際に、笠をも脱がずして、「何事にて候ぞ。是は東国へ急ぎ候、沙門なり。早く早く」と宣へば、姫君するすると寄らせ給ひて、御笠を引き上げ見給へども、姫君は見知り給はねば、刑部は見知り参らせて、急ぎ大庭へ飛び降りて、頭を地に付け、「代々相恩の主君を見知り申さで、打ち申しつる浅ましさよ。知らぬ事にて神も仏も許し候へ。さりとは御許しあれ」と悲しむ。西行、仰せには、「人違ひ也。さらさらそうでは無し」とて、出で給へば、姫君、やがて御心得有りて、「情なや。さては父にてましますや。留まり給へ」とて、泣く泣く走り出でゝ、御袖に縋り給へば、西行、「是は驚き入りたり。人違ひかや。さらさら思ひよらず」とて、帰り袷へば、姫君、涙に咽び、泣く泣く仰せけるは、「残念、御仏も、かく説き置かせ給ふ。諸仏念衆生、衆生不念仏、父母常念子、子不念父母と説かれて、諸々の仏は衆生を念じ給へ共、衆生は仏を念ぜず、父母常に子を思へ共、子は親を思はずとうけ給はり候。か様に子の身として御親を恋ひ愛しみ申すに、親の御身として心強くわたらせ給ふぞや」と、泣き悲しみければ、西行、「思い返しても、さることなし」と宣へば、姫君、「これに御証し候」とて御袂より御絵を取り出し、「これを比べ給へ。母の存命候つる時、父の御事を悲しみ嘆き候へば、か様に絵に写し、未だ御出家候はぬ時の御姿、又、御出家させ給ひし御姿、絵に写して給り候。恋しき折節はこれを見て慰み候へと仰られし也。これこれ少しも違ひなきものを、恨めしや」とて、泣き泣き口説き給へば、西行力及ばず、この絵を取りて見給へば、左の目尻に黒子のあるまで明らかに写したり。「さては、北の方、か様に教へ写させ給ひけるよ」と、いよいよ哀れに思ぼし召し、墨染の袖を顔に当て、「今は何をか包むべき。父西行とは我が事也。母に死なれ、孤子と成りて、便りも無く、悲しかるらん。今宵はこれに留まり、北の方の御跡をも弔ひ申べし」と仰ければ、姫君も女房達も婢女までも、逢ふ時の嬉し泣き、又、恨み泣き、いよいよ哀れは増さりけり。刑部も悦び申す事限り無し。 かくて、五六日逗留して、姫君をも色々慰め参らせ、刑部も主を慕ひて「髪を剃り御供申さん」と歎けり。さらば、出家の功徳は、もし人有りて、忉利天に金銀七宝の堂塔を建て、諸仏を供養し奉るより勝れたり。刑部、髪を剃り落とし、流転三界の文を唱へ、虚空へ髪を捨て、法名を西じゆんと付け給ふ。 姫君も、「髪を剃り、何処までも御供申さん」と、泣き悲しみ給へば、西行仰せられけるは、「御身は女子の身也。如何で旅の道をば具し申べき。男子ならば、何処までも連れ申べきものを」と仰せられければ、姫君、「情なや、父母に離れ、刑部を親とも頼みありしに、これも出家と成り、自らは何と成るべきぞ。残念なる父や、恨めしや」と、悲しみ給ひければ、西行も、「げにも」と思ぼして、つくづく御心の内に思ぼし召す様、「姫君の事、女院へ申し、宮仕ひに参らせん」と思ぼし召し、文細々と遊ばし、かの所縁の人を頼み、女院へ申させ給へば、女院御文御覧じて、「哀れ也。乗清、さやうの姫持ちたる事よ。すぐに昇殿あるべく候」とて、御車を迎ひに、装束取り揃へて、遣はし給ふ。乗清御悦びありて、「昇殿し奉るべし」とて、父に御暇申し、色々慰め奉り、御車に召され、内裏へ入り参らせ給ふ。 此由、奏聞申されければ、女院御覧じて、「誠に乗清が息女」と感じ見給へば、「見所有りげなる有様也」とて、御情を懸け給ふ。成人あるにしたがひて、心様人に勝れ、萬づ芸能、万事の事につけても暗き事は無し。管弦、詩歌にも暗からず。内裏の内、並ぶ人も無かりける。後には内侍所と成り給ひて、父の本領に御領を添へて、女院より参らせ給ひ、いみじく末繁昌させ給ふ。栄へ申す事限り無し。これも親孝行の謂れ、神慮の御恵み誠に目の当たりに見えけり。誰も誰も、親孝行なるべし。 西行は、いよいよ道心滞り無く、諸国をこゝかしこと巡り、歌を詠み、詩を作り、その言葉今に八代集に入り、歌道に心を懸くる人、西行の歌とて翫び、西行の事蹟今に名を残し、後は京へ上り、京に庵室を結び、花を植へ、いみじく寺を建て、後生菩提の為に、往生の素懐を遂げ給ふと也。 |
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