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上 巻 昔、天竺に国あり。名をば瞿婁国とぞ申しける。その国王の御名をば千歳王とぞ申しける。萬めでたき事限りなし。時に従ひて宝の降る事、雨の降るごとく也。いづれも一天下にはいい加減なる事もおはせじ物なれども、これをば例し少なき事にぞ申しける。誠に天が下になびかぬ草木もなし。宝物は日に従ひて下り、銀、黄金の築地を築き、同じく門を建て、庭には金銀瑠璃を敷き、黄金の砂を散りばめ、築山の木立は光を交へたる心地して、おもしろき事申すはかりなし。 大裏の御殿の屋根は鷲の羽、鷹の羽にて、ゑんしち造りにぞ葺かれける。さて又、黄金の瓦に銀の床をならべ、錦の几帳を立てられたり。百八十間の玉の御簾に、黄金の殿を百廿丈に組まれたり。其うちには一万人の公卿、大臣、三千人の女房たち、囲繞せられておはしますありさま、誠に有り難くこそ見えにけれ。 さるほどに、行末、千秋万歳を保たせ給ふべきとは思ぼし召せども、老ひする事は位も恐れぬ物なれば、大王も妃も齢傾き給ふぞ哀れなる。既に大王は九十にならせ給ふ。妃は六十にならせ給へども、末の世を継がせ給ふべき王子、一人もなし。せめて姫宮にてもおはしまさねば、これをのみ朝夕嘆き給ふ。 公卿、会議あるやうは、「昔よりこのかた申し子をする事とぞ申し侍る。末の世を継がせ給はん王子、一人もましまさねば、国の患ひなるべし」と奏聞ありしかば、帝、げにもと思ぼし召し、利益衆生あらたにまします梵王へぞ参らせ袷ひける。されども、御利益なかりけれども、なを御祈りありて、銀千両、黄金千両に、絹綾千疋参らせ、その上に又、一万五千両を寄せ給ふ。善をなせば叶ふとて、千僧供養をして、九重の塔を建て、ゆゝしき願をぞ立てられける。 二十一日目と申す夜半ばかりに、御戸を押し開き給ひて、御歳八十ばかり成る翁、鳩を刻みたる杖にすがり給ひて、少し装いを正して宣ひけるやうは、「御身の子種を天に昇り地に入り、上は六欲天を始めて三千大千世界を尋ぬれどもさらになし。取らんとすれば、水となり火となり候也。その謂れは、前生、鷹にて侍しが萬の鳥類の命を断ち給しが、ある僧のもとにて阿弥陀経を聴聞し給ひしゆへに、南洲の国にきん王といふ民と生まれて、誓ひをたてし事は、我世にあらんうちは、僧をむなしく通さじといふ願を立て、常に釜戸祓いを行ひし功力により、此国の大王と生まれ給ふ。志深きは富貴の家に生るゝ。しかりとはいへども、過去に物の命を断ちしゆへに、いま子種なし。又、妃の前生は日本美濃国の、二色蛇にて有りしが、物の命を取りつれども、法華経の御声を、ある堂にて耳に触れしゆへ、妃の位に生まれ給へども、これも過去にて物の命を取りしゆへに、子種あたはず。されば、汝が思ふより、我が尋ぬるは苦しきなり」と仰せければ、大王その時宣ふやう、「たとひ、仏の御子なりとも賜る物ならば、七宝の塔を黄金、銀にて積み立て参らせん」と、肝胆をくだきて祈り給へば、十方浄土へ参り、仏に申させ給ひて、子種とて如意宝珠を一つ申し下して賜びけると御覧じて、殊に光めでたきを妃の左の御袖に宿り給ふと思ぼしてより、やがて、妃、御懐妊有りて、喜ばせ給ふ事限りなし。 様々の御祈ども暇もなし。やうやう月日重なりて、その兆候付かせ給ひて、安々と御産ありて、光るほどの姫宮にてぞわたらせ給ひける。大王、喜び給ふ事限りなし。御名をば天大玉姫とぞ申し奉りける。関白殿の北政所を御乳母に定めさせ給ひて、様々の御事ども申すは中々愚か也。 かくて、不思議の事侍り。大王の御歳九十にてましますが、此姫君いでき給ひてより、廿ばかりに若やぎ給ふ。妃も六十にておはせしが十七、八にぞ見え給ひける。御乳母に参り給ふ関白殿の北方も五十ばかりにて侍しが、これも十七、八に見え給ふ。それならず、此姫宮を拝み申す人、若きは愛敬づき、若くなりければ、誠にありがたき事申すは中々愚か也。されば、高きも賤しきも群集して拝み奉る事限りなし。ひとへに地獄の衆生を仏の救はせ給ふに異ならず。 帝、「衆生を憐れみ給ふ事はよき事なれど、さのみはいかでか姫を人に見すべきぞ」と宣旨なりければ、公卿、大臣申されけるは、「釈迦如来は中天竺の主、浄飯大王の御子、悉達太子とて、かたじけなき御子なれども、世を厭ひ、王宮を出で、御姿をやつし、檀特山に登り、難行苦行し給ひて、悟りの境地にならせ給ふも衆生のため也。されば、善を修する者は、三世の諸仏喜び給ふ事也。民、百姓なりとも、決して御へだてあるまじ」と申されければ、「さらば、拝ませよ」とて、高きも賤しきも参り拝み申す事限りなし。老ひたる人は若くなり、若きは愛らしくなりて帰りければ、例し少なき事にぞ申しあへり。 さるほどに、並びの国に摩耶国とて国あり。その国王、かの姫官の御事を聞き及ばせ給ひて、「我この国の主なれども、歳取るをとゞめぬ事こそ口惜しけれ。それにつけても、末の世を継ぐべかりし王子一人もなし。いかゞすべきぞや。瞿婁国の姫宮を迎へ奉り、歳若くなり、此国をも譲り参らせん」との宣旨なりければ、「それ、然るべし」 とて、やがて瞿婁国へ勅使を立てさせ拾ふ。 その道三年かけて行く也。さて瞿婁国の大王、此文を御覧じて仰せけるは 「我姫官に片時も離れがたし。その上、片道三年に行くなれば、立ち離れん事も悲しき也。会ひ見ん事も難かるべし」とて、御涙を流させ給ひけり。 さて、御返事には、「遥かの雲居を隔てゝ承り候事、御いたはしくは侍れども、姫君はいまだ幼く候。その上、たゞ一人ましませば、叶ふまじき」由御返事ありしかば、摩耶国の大王、此由聞こし召し、大きに怒り給ひて、仰ありけるは「瞿婁国は小国也。摩耶国は大国、十八万騎の所なり。瞿婁国を討ち取りて、姫宮取らん」と宣旨あり。此由、瞿婁国の大王聞こし召して、「姫宮を儲けて昨日までは喜び、今日は嘆く事あり」とて、御涙を流し給ふ。 姫官、御歳十三にならせ給へば、光指し添ふ心地して、美しき事限りなし。御心ばへも思慮分別ありて、顔うち赤めて宣ふやうは、「わらは故にて侍れば、何をか惜しませ給ふぞ。摩耶国は十八万騎の大国なり。瞿婁国は小国にて侍れば、討ち取られんは確かなれば、自ら故に、国の乱れあらん事浅ましく侍れば、摩耶国へ行き、大王の御心を休め奉らん」と宣へば、大王、げにもとや思ぼしけん、その御出で立ちを準備し給ふほどに、姫宮、かくなん、 ながらへぬ契りぞ今は徒になる 心尽くさで会ふ由もなし 父親に今日は別るゝ道なりと 明日は行き会ふ橋と成りなん 又、妃、かくなん、 玉手箱二見の浦の沖ながら 中の掛け子の離るべきかは 姫宮、 何とてか二人の親を据へながら 中の掛け子の離れ果つべき かやうに詠じ給ひて、姫宮は白き生絹十五ばかりに、薄色の御装束に白き袴のなまめかしきに、扇さしかざしておはしませば、ひとへに天人かとぞ見え給ひける。御匂ひは生まれおちさせ給ひしより、あたりも異香薫じて、さも有がたき御事也。 さても、大王と妃を始め奉り、皆々名残りを惜しみ給ひて、衣服を引き被り悲しび給ふ事限りなし。御供の人々は勇みをなし、公卿、殿上人、五位、六位に至るまで、御供と出で立ち給ふ装ひ、申すは中々愚かなり。 さて、良き日を選び給ひつゝ出でさせ給ふほどに、七日と申せし時、忍所に御泊まりにて侍りしが、折節、初秋の月いと隈なくて、さやかなりければ、琴をかき鳴らし給ひて、故郷恋しく思ぼし召して、かく詠じ給ふ。 旅の空月をたよりに出ぬれば いとゞ心は澄みわたるなり と詠め給ひて、万秋楽といふ楽を弾き給へれば、おもしろしとも申すは中々愚かなり。聞く人みな涙をぞ流しける。 さるほどに、月隈なく澄み上りけるに、摩耶国のかたより、群雲一むら引き覆ひけり。姫宮これを御覧じて、「あはれ、摩耶国より寄する軍勢やらん」と思ぼして、かくなん、 天つ空雲の通ひ路ふみ分けて 月ならずして誰か行くらん と詠め給ひて、いかなる人のいづかたへおはしますぞと、「いと優しく侍る雲のさまかな」と宣ひければ、群雲のうちより人降り下り、かくなん、 七夕の雲居の空に澄む水の君ゆへ いまは落ちまさるかな かくて、その人を見給へば、歳十七、八ばかりなる人なり。直衣のいと美しきに、紅の生絹の袴に、白き下襲など並大抵でなく、鬢頬ふき流し給ひたるやうは、たゞ人とも覚えず見えさせ給ふほどに、姫君仰せけるやうは、「いかなる人にて侍れば、かやうに天下り給ふぞ」と仰せければ、「御ことこそ、いかなる人にてわたらせ給へば、御声が雲居までめでたく聞こえ侍れば、思ひの外に降る也」と有りしかば、姫宮、宣ふやう、「我はこれ瞿婁国の大王の子、天大玉姫といふなり。されば、我を一目見る人は、老ひたるは若くなり、若き人は愛敬づくにより、摩耶国の大王、聞き及び給ひて我を迎へ取り、歳若く成り給はんとて、御使ひありしかども、父大王にも妃にも一人子にて侍れば、惜しみ給ふ事限りなくて、引き受け給はざれば、摩耶国の大王、逆鱗ありて、瞿婁国は小国、僅か十万騎の所なり。摩耶国は十八万騎の国なれば、討ち従へて、我を取らんと聞こえけれども、我をば遣はすまじきと父母宣へども、親の命を大切にして、進みて出で侍れども、心苦しき旅の空、月の入るさの山に心惹かれて眺めつるなり」と語り給へば、その時、天下り給ふ人、仰せけるは、「我はこれ維縵国といふ国の主、金色太子と申す者也。されば、たゞ今の御物語の由を聞き及びて、これまで参りて候。我に契りをなし給はゞ、これより瞿婁国へ奉りて、摩耶国をば我一人参りて退治せん」と宣へば、姫宮、御親たちの名残りを惜しませ給ひし事を悲しび給ひて、故郷へ帰りなば、さこそ大王も妃も喜び給ふべしと思ぼし召し、かの太子に御契りを結び給ふほどに、太子は「摩耶国の王を退治し、瞿婁国の戦を鎮めん事一定也。それをなぜかと申すに、我剣を持ちたり。一寸抜けば一千人が首落ち、二寸抜けば二千人が首落つる剣あり」と仰せらるゝなり。 さるほどに、姫宮は太子と御契りありて、いつしか御名残り惜しみ給ふ。さて、太子は摩耶国へぞ赴き給ふとて、かくなん、 いつか又重ねてもみん旅衣 飽かで別るゝ衣の褄哉 姫宮、 重ねてもいつかきて見ん旅衣 今日を限りの路と思へば 太子仰せけるは、「心残り侍るものかな」とて、 諸共に姿は世にも変はるとも 結ぶ契りの朽ちは果てまじ 又、姫宮かくなん、 朽ちせざる契りと聞けば頼まるゝ 迷はん後はいとゞ忘れじ と宣ひて、たち別れんとし給ふ時、太子、宣ひしは、「今よりして三年待たせ給ふべし。もし、それを過ぎなば、空しくなりつると思ぼし召し、後生弔ひて賜び給へ」と仰せければ、姫宮「空しき死後の約束事や」とて御袖をしぼり給ふ、いと哀れ也。此御ありさまを見る人、悲しまずといふ事なし。太子、御別れを惜しませ給ひて、かくなん、 別れ路を思へばもろき涙かな 又行き会はん袖や朽ちなん 姫宮、 頼めおく契りの末の深ければ 枕に消えん露の命ぞ かやうに詠じ給ひて、別れの朝の御心のうち推し量られて哀れなり。 さて、姫宮は瞿婁国へ思ひの外に帰り給へば、人々騒ぎけり。大王、急ぎ問ひ給へば、御供の人々、しかじかの事、ありのまゝに申しければ、大王聞こし召して、「さては、太子、仏道に入り給ふやと、姫宮に契りを結び給ひし故にや」と御涙を流させおはします。さても、姫宮帰らせ給ふ事、御喜びは限りなし。され共、姫宮は太子に契り給ひて、いまだ年月も重ならざるに、日に添へて恋しく、遥かなる道のほどいたはしく思ぼし召し、袖の干る間もおはしまさず。 さても、太子は「維縵国の父母の待ち給はんも悲しかるべき」とて、多くの御供の人々をば皆帰し給ひて、金麗駒にうち乗りて摩耶国へぞ赴かれける。やうやう日数を経つまゝに摩耶国へぞ入り給ひける。太子、御覧ずるに、清き澄みたる水流れ、木立もおもしろく生へかゝり、雲も霞も込めたる内裏あり。幡、鉾を立て並べて、人の数多かりけり。 太子、たゞ一人おはしまして、内裏の際にて「物申さん」と宣へば、公卿、殿上人多く並み居て、この由を聞き、北面の侍を出して「何事ぞ」と問ひければ、太子、仰せけるは、「汝に言ふべき事にあらず。さるべき大臣を出し給へ」と宣へば、大臣出でゝ聞き給ふに、太子、仰せらるゝやうは「これは瞿婁国の大王よりの御使ひなり。瞿婁国へ御勢を出さるべきと承り候。これにて我一人して防ぎ申すべきために来たりて候也。急ぎ御勢を出し給へ」と申させ給へば、公卿、大臣これを聞き、「此国の勢をたゞ一人して、防ぎ申さん事のおかしきよ」とて、人々笑ひける。太子、「笑ひ給はずとも、たゞ申し入れさせ給へ」と宣へば、此由、大王に申上ければ、「なに、瞿婁国への勢を一人として防がん事愚かなり」とて、笑はせ給へば、太子、御腹を立て「いかにや大王聞き給へ。摩耶国は大国なりと申せ共、それには依るべからず。細き流れ積もりて大河となる。砂長じて巌となる。竜の子は生まれて七日といふに、六天に昇りて、三千大千世界を飛び回りける徳あり。みそさざいといふ鳥は、竜のまつげに巣を懸け、一日に千里飛ぶ徳あり。しかれば、瞿婁国は小国なりといふとも、戦には強かるべし」と仰せ有りければ、摩耶国の大王、宣ひけるやう、「いざや、大きなるものに叶はぬ譬へを申さん。蛇を蛙呑む事なし。虎や狼を狐獲る事なし。猫は鼠に獲られず、草木栄ふるとも風になびかぬは有るまじき」とて、既に二千人ばかり出して太子に向かはんとす。 その時、太子はたゞ一人、門へ出でさせ給ひ、金麗駒を引き寄せ、乗らせ給ふを、人々見参らせて、さこそおかしく、哀れに見えさせ給ふ。太子は、少しも騒ぎ給はで、勇み給ひて名乗らせ給ふ。「遠くは音にも聞け、近くは目にも見よ。我はこれ維縵国の主の独り子に金色太子といふ者也。瞿婁国の大王の宣旨を受けて、これまで向ひ出でたり。生年十九歳也。屍は摩耶国にさらし、名を後代に上ぐべし」とて、大刀といふ剣を抜きて、振り給へば、たちまちに一千人が首落ちければ、大王も大臣もあきれ騒ぐところを、又、剣を振り給へば、三千人が首落ちければ、これを見て続く者ども、肝をつぶし、震ひわなゝきて、悲しぶ事哀れ也。 大王もかくてはいかゞせんと思ぼし召し、大臣に宣ふやう、「我は凡夫の身なれば、かやうの事をば知らずして、多くの人を滅ぼしつるこそ無念なれ。瞿婁国の姫宮を迎へても我世を譲らんがため也。いまは姫宮も何かせん。太子にこそ譲り参らせたけれ。いまは何事も許し給へ、今よりして太子に世を譲り奉らん」とて、大王は太子の召したる金麗駒の口を控へて、内へ入れ奉り、皇太子の君に備へんとて、奥殿と申す大裏をこしらへ奉り、人々参り喜ぶ事限りなし。されども、太子は姫宮の御事のみ思ぼし召しけり。大王は何ともして太子の御心を慰めばやと思ぼし召し、千人の妃を付け祝ひ給へども、御心も慰み給はで、たゞ姫宮の御事のみ思ぼして、御暇を申させ給ひけり。大王、仰せには「さらば、瞿婁国の姫官これへ迎へ取らせ給へ」と仰けれども、いかゞすべきと思ぼし患ひ、今日明日と思ひ暮し給ふ程に、はや三年になりけり。 姫宮、思ぼしけるやうは、「太子は三年待て、それ過ぎば、亡きと思へと宣ひつるに、はや三年に余れども見え給はねば、いかなる事ぞや。はかなくならせ給ふらん。自ら、はかなき命の消えやらで、物のみ思ふこそは悲しけれ」とて、嘆き給ふぞ哀れなる。せめての事にやとて、花園に立ち出で給ひて、花の散るを御覧じて、かくぞ詠め給ふ。 浅ましや世を憂き風に誘はれて 花より先に我や散るべき かやうに詠め給ひて、「いかにならせ給ふべき御身ぞ」と嘆かせ給ひける。
中 巻 止まらぬ月日なれば、三年も過ぎゆけば、姫君はや十六にならせ給ふ。優美で猶美しく、光さし添ふ心地して見えさせ給へば、いとゞ太子の御事のみ思ぼし召しける。山の端の月を御覧じて、かく詠め給ふ。 山の端に傾く月に物問はん 別れし人はありやなしやと さるほどに、「三年過ぎなば、太子の後世を弔へとこそ仰せられしに」とて、立派な御弔ひにて、自らも御経あそばして、いとゞ打ち嘆き給ひて、かくなん、 暗き夜の光ともなれ朝夕に 御法の月の隈もなければ 限りある別れなりともこの世にて いま一たびのあふよしもがな 朝顔を何果敢なしと思ふらん 花より先に我れや散りなん と、あそばして、朝夕怠るひまもなく嘆き給ふほどに、いまは御心地も患ひ給ひて、永らへさせ給ふべきとも見え給はざれば、御前の人々これをのみ嘆き申せし事限りなし。 ある時、姫宮、西に向かひ念仏高声に申させ給ひて、「暗き路に入りぬとも、心の月は曇りなく照らし給へや、阿弥陀仏」と申させ給ひて、遂にはかなくなり給ふ。その時、乳母、御手を捉へ参らせ、「いかにいかに」と申しつゝ、声をも惜しまず泣きにける。大王も后も御心も惑ふばかりにて、嘆き給ふ事限りなし。 「日頃もいかゞとは思ぼしけれども、よもかくはあらじと思ひしに、かゝる憂き目を見る事よ」とて、御嘆きは限りなし。世の常の人をさへ別れとなれば悲しきに、ましてや例し有りがたく、不死の薬ともなり給ひし君なれば、高きも賤しきも嘆き悲しまぬはなかりけり。 さるほどに、太子は摩耶国にて姫宮の隠れさせ給ふ事をば夢にも知らずして、三年も過ぎぬれば、姫君、御心のうちもいかならんと思ぼし召しやり、千人の妃もさらに御心に入らず、姫宮の御事のみ思ぼし出でゝ、明かし暮し給ふ。 三月十日頃になりぬれば、花もやうやう散り初めて、四方の景色もいと哀れなる折節、太子、昼まどろみ給ふ御夢に、瞿婁国の大王、物寂しくしておはせしに、「姫宮は」と問はせ給へば、「これにはおはし侍らず。須弥山におはします」とありしかば、やがて須弥の麓へ行きて御覧ずるに、渺々たる所に、たゞ一人行き迷ひ給ふ。太子、姫宮に向かひて宣ふやう、「君は何とて一人おはしますぞ」と仰せければ、「誰故と思ぼし召しけるぞ。御身故」とて、袂を御顔に押しあて給ひて、御涙せきあへ給はずして宣ふやう、「太子はいまだこの世にましますに、自らはかゝる長き夜の旅に一人赴く事の悲しきよ」とて、さめざめと泣かせ給ふ御ありさま、かねて見しよりもいや増して、美しく見えさせ給ふ。太子、せんかたなく思ぼし召し、「さらさら忘るゝ事は侍らねども、とやかくや、うち紛れて、今まで訪れ参らせ候はで、物憂くこそ侍れ」とて、摩耶国にての御事、かきくどき語り給へば、夢のつらさはやがて覚め給ひて、御涙せきあへ給はず。 あさましや、三年待たせおはしませと、深く契り奉りしに、さこそ覚束なく思ぼし召すらんと、胸うち騒ぎつゝ、すぐに大王へ御暇を請ひ給へば、大王、宣ひしは、「しばし待たせ給へ。御供の人々、用意せん」と仰せければ、あまりに急ぎ給ふとて、御供の人々も召し具し給はず、たゞ一人かの金麗駒にうち乗らせ給ひて、霞の鞭を当て給へば、群雲の中へ紛れ入りぬ。 片道三年に行く所なれども、六日と申すに飛び着かせ給ひて、瞿婁国の大王に参りて案内を問はせ給へば、「姫宮はこのほどはかなくならせ給ひて、大王の御嘆き申すはかりなし」と申し上げければ、「さればこそ、夢の合ひぬる事よ」とて、御涙にむせび給ふ。やうやうありて、大王に向かひて申させ給ふやう、「我はこれ維縵国の主、金色太子と申す者にて侍り」と宣へば、大王、驚き給ひて、「これへこれへ」と宣へば、対面有りて、互ひに御涙せきあへ給はず。 やゝありて、大王、太子に宣ふやうは、「摩耶国の戦を止めさせ給ふ故、姫宮を二たび返し給ひ、この三、四年添ひ奉りし事、ひとへに太子の御威徳也。姫故に、斯様ならせ給ふらんとて、明暮は、どうともなき命ながらへ候とて、太子の御弔ひ浅からず申つるに、姫、遂に空しくなりて、今日七日になり候」と宣ひければ、太子、涙を押さへて、「我、摩耶国にてしかじかの事を夢に見奉りし」と細々と語り給ひて、互ひに涙にむせび給ふ。大王、宣ふやう、「いまだ姫宮の御姿をそのまゝ置きて侍り」と仰せければ、太子、宣ふやう、「変はる御姿なりとも、いま一目見参らせたき」と宣へば、姫宮住み給ひし所へ入り奉りければ、御乳母を始めて、その外、多くの女房たち、太子を見奉りて一度にわつと泣きて悲しびける。太子、姫宮の錦の褥を引き開けて御覧じければ、いまだ御形も変はらで、たゞ寝入りたるやうにおはします。相変らず色白く、面痩せ給ふばかりにて、つゆ変はりたる御けしきもなく、ひとへに美しくならせ給ふ。 太子御覧じて、御心のうちせん方なくて、御傍らを見給へば、書きすさびたる物あり。これを御覧ずるに、 恋ひわびて野辺の煙と成ぬるを 誰か憂き世に哀れとは見ん 巡り逢ふことしなければ真木柱 終になごりの果てしなりけり と遊ばしたるを見給ふにつけても、いとゞ哀れぞ増さりける。太子、あまりの御嘆きに、姫宮の御そばに、生きたる人に付き添ひたるやうにておはしましける。太子の御姿、いと美しく侍れば、「姫宮の恋ひ給ひしも道理なり」と ぞ申ける。 太子、しばしまどろみ給へば、御夢に、姫宮有りし時よりもなを鮮やかにならせ給ひ、「あな、浅ましや、太子はいまだ此世にましますものを、自ら契りを深く頼みたりし故に、世を空しくなりしなり。太子、変はらぬ御志の深くましまして、私を今一度御覧ぜんと思ぼし召さば、自らを尋ねて来たり給ふべし。我は婆婆世界にはあらず。大梵王宮の黄金の筒井と申す所に、はや生まれ変はりて侍る也。この世にて逢ひ奉らん事は難かるべし。自らは帰り候也。早く早く訪はせ給へ」とて、さめざめと泣き給ひて、かくなん、 この世こそ二度見えぬ中なりと 終には君に逢ふよしもがな かやうに宣ふほどに、御袖を控へ給ひて、「我を具し給へ」とて、御返事を申さんとし給へば、大王は太子を慰め参らせんとや思ぼし召しけん、「さのみは嘆かせ給ひそ」と仰せられし御声に驚かせ給ひて、かくなん、 うたゝねの夢に姿は有りつれど 醒むる現におもかげはなし と仰せられて、大王と妃にこの由、夢物語し給へば、いとゞ御嘆き申すはかりなし。 太子は、「かの所へ尋ねてゆかん」と仰せられけり。大王、宣ふやう、「仰せは尤もな御事なれども、いかにしてさやうの所へは尋ねていらせ給ふべき。これにわたらせ給へ、太子を姫宮の形見とも見奉らん。その上、維縵国の御父母の御嘆きも罪深し」とて止め申させ給へども、維縵国の大王と妃の御方へ、御文どもを細々とあそばして参らせられけり。摩耶国へも文あり。「思ひがけぬ御情けにあづかりつる」など遊ばし送り給ふ。瞿婁国の大王、宣ふやう、「我命あらん限りは、いかならん道までも尋ね奉らん」とて、御涙のひまよりも、かくなん、 死して別れ生きて別るゝ思ひゆへ 左右に物ぞ悲しき と宣ひて、嘆き給ふ事限りなし。 さて、太子は金麗駒に向かひて宣ふやう、「畜生も、物の心は知るぞかし。汝は駒と申せども、その風情あり。我は然るべき所へも行かばやと思ふ也。送り着くべきか」と仰せければ、伏しまろびて嬉しげにぞ見えける。太子、喜び、うち乗らせ給ひて、西に向かひて、霞の鞭を打ち給へば、いづくともなく空に昇り、夜昼となく三年まで馳せ給ふほどに、高き山あり。 うち昇りて見給へば、僧一人、本尊に檎笠添へて首に懸けたるに会ひ給へり。太子は御心細く思ぼし召し、「人に会ひて、知らぬ山路を問はまし」と思ぼし召しけれども、全く会ふ人もなく、「いかになりぬる身の果てなるぞ」と思ぼしけるに、此御僧に会ひ給ひて、嬉しく思ぼし召し、馬より降りさせ給ひて、「思ひよらぬ申し事にて侍れ共、大梵王宮の黄金の筒井と申す所や知らせ給ふ」と問はせ給へば、此御僧、大きに驚きたる体にて、「いかなる人にておはするぞ。此道と申すは凡夫の身にては通らぬ道也。昔より今に至るまで、魂より外は通はざる道なり」と宣へば、太子、宣ふは、「然るべき契りありて、かやうの道に赴き候。よくよく教へて賜び候へ」と仰せられければ、僧、仰せけるやうは、「実やかに哀れにこそ侍れ。さりながら此道たやすく人らせ給ふべきやう有るべからず。思ぼし召し止まり、これより帰り給へかし。我らもさやうの所をば伝へ承り候へ共、詳しくは知らざる」由申させ給へれば、太子、「これまで来たりて帰るべきにあらず。命あらん限りは尋ねてみん」とて涙を流し給へば、僧も墨染の袖を濡らし給ふ。
その時、僧、宣ふやう、「それ程に思ぼし召す事ならば、これより西を指して九ケ月おはしまして侍らば、犬二、三匹腰に付けたる人に会ひ給ふべし。それに詳しく問ひ給へ。これまでは誰が教へて入らせ給ふと尋ね給はゞ、婆婆世界にては衆生を孝養菩薩、又は、ゆふつゞ星とも申す僧の教へたると答へ給へ」と有りしかば、嬉しく思ぼして、教へのごとく九ケ月行きて、御覧ずるに、犬二、三匹腰に付けたる僧の、浄げなるが見え給ふ。 太子、馬より降り給ひて、「物申さん」と仰せければ、「何事ぞ」と答へ給ふ。太子、「婆婆世界にて契りし女人、浄梵王の黄金の筒井といふ所に生まれたるよし、夢に見え、告げ侍る。かの所へ尋ね行き候。詳しく教へて賜び候へ」と宣へば、「この道へは凡夫の身ながら通る事なし。不思議にぞ覚えける。さやうの所をば伝へ聞きて侍れども、詳しくは知り参らせず候。我もはかなき事に化かされて、年に一夜の契りを頼みて、待ちかねたる思ひに知られて、気の毒こそ侍れ」とて教へ給ふ。「これより西におはして大河あり。その川の速き事限りなし。それへは三年して行く道也。河の広さは三百由旬也。いかにして渡るべきやう、さらになし。その川のほとりに右近の橘、左近の桜とて木あり。その所に幼き男子一人、女子一人、左右に置きて愛したる女人有るべし。それに問はせ給へ。さて、これまでは誰が教へて渡り給ふと有りしかば、彦星の教へぞと答へ給へ」と宣へば、嬉しく思ぼし召して、駒に乗り給ひて三年の道を三十日に行き着き給ひて、御覧ずれば、大なる河あり。さらに渡るべきやうなし。 さればとて、帰るべきにもあらずとて、駒に乗り給ひて、霞の鞭をあて給へば、難なく向かひの岸にぞ着き給ひける。教へのごとく、二人の幼き人を愛したる女人あり。斜めならず美しくこそ見えにけれ。太子、馬より降りさせ給ひて、「黄金の筒井といふ所や知らせ給ふ」と宣へば、女人、宣ふやう、「いかなる人の教へにて、これまで来たり給ふぞ」と問ひ給へば、「彦星の教へにて侍るなり」「げに、さる事あり。来る秋ごとを契り、常になく心細き住まゐにて、この幼ひ者を慰むる事も侍らず。不思議の音信を承り候」とて笑はせ給へば、太子、申させ給ふは、「婆婆にてかりそめの契りを結びたる女人に引かされて、尋ぬる心の苦しさを憐れみ給へ。さやうなる所をよくよく教へて賜び候へ」と仰せければ、女人、「さやうの所ありとは聞き侍れども、詳しき事は聞き侍らず。これより西に向かひ給ひて三年道をおはして、立派な僧に会はせ給はんに、問ひ給へ。いかなる人の教へたるぞと問ひ給はゞ、七夕の教へなりと答へ給へ」とありければ、太子、御涙を流し給ひて、かくなん、 浅ましやいかゞ迷へる道なれば いつを限りに尋ね会ふべき いと哀れげに宣へば、女房もかく詠じ給ふ。 いまさらに何を嘆くぞ憂きことの かゝる道とはかねて知らずや とて、「ぜひ穏やかにおはしませ」とて御涙を流させ給ひけり。太子も御名残りを惜しませ給ひける。 さて、馬に召して三年の道を行き過ぎて御覧ずるに、畏れ多い僧、七、八人に会ひ奉り給ふ。太子、馬より降り給ひて、「しかじかの所や知らせ侍る」と仰せければ、僧、大きに驚き給ひて、「昔より、此道は凡夫の身ながら行く事なし。怪しくも侍るものかな」と有りしかば、太子、「出来る事なら、彼のところを教へて賜び候へ。知らぬ道を辿り行く事、露の命も惜しからず」とて涙を流し給へば、僧、これを御覧じて、「哀れなる事にて侍るぞ。これより三十三年おはして、猶空へ昇り給ひて、そこはかともなき山の中を、三七日おはしましたらんに、黄金の足駄を履きて、同じく杖を突き、香の袈裟、香の衣を着給へる僧に問ひ給へ。詳しく教へ給ふべし。誰が教へたるぞと問はせ給はゞ、七曜の星の教へなりと答へ給へ」と有りしかば、太子、御涙を流し給ひて、「果敢なかりける契りかな」とて、かくなん、 知らぬ道に思ひ入けん悲しさよ 恋路ならずは誰か行くべき と宣ひて、「いまさら帰るべきにもあらず」とて、竜にうち乗り給ひて、三十三年に行く道を十三年に行き着き給へば、須弥山のごとくなる山あり。 三七日の道を七日に着き、御覧ずれば、教へのごとくに僧に会い給ふ。嬉しくて、馬より降り、畏まつて申し給ふやう、「不届きなる申しごとにて候へども、大梵王宮の黄金の筒井や知らせ給ふか」と申させ給へば、「いかなる人なれば、凡夫の身ながらこれまでおはしますぞ」と宣へば、太子、「裟婆にて一夜の契りを結びし女人を尋ね候」とて涙を流し給へば、「さやうの所は聞きて候へども、詳しくは知り候はず。さりながら、錐の林を六十四日おはしまして、又、剣の山よりおひ下がりたる道あり。此道を通る者は、切り裂くがごとし。婆婆にて、戦、合戦に斬り疲るゝ者の数ならず。悲しき事限りなし。此道を三七日わたらせ給ひて、又、火の山とて炎燃え焦がるゝ事隙なし。それを四十九日おはして、彼の山を南に御覧じて、焦熱、大焦熱の場所を西へ行き給ふべし。それを過ぎて長夜の闇とて、此道こそ一切衆生の魂、迷ひ歩き候なり。罪深き者は後悔、悲しびあへり。この苦しびは、大焦熱の苦しびに劣らずして、月星の光もなければ、たゞ茫然としてあれども、先も知らざりし事にて侍れば、痛はしくこそ侍れ。たゞし、太子は恋の妄念の罪をば受けさせ給へども、大焦熱の苦しびをば受け給はず。罪深き者を思ぼし召しやらせ給へ。彼の道をおはし給はん時は、南無納満諸願、大悲虚空蔵菩薩と念じ給へ。光を放ち参らせん。その光に付けておはしませ。これを行過ぎ給ひなば、竹の林あるべし。そのうちを十三日が間おはしましなば、ゆゝしく美しき所あるべし。それを三里ばかりおはしまして御覧じ候へ。随臣二千人ばかり引き連れて、銀の輿に召されておはします人に会ひ給ひて、詳しく問はせ給へ。これまでは、いかなる人の教へにて来たり給ひしぞと問はせ給はゞ、婆婆にては衆生を照らし給ふ明星の星、又、冥途にては虚空蔵菩薩と申せし僧の教へにて侍ると仰せ候へ」と宣へば、太子は御教へのごとく、かの道に迷ひ給ひしも、少しは晴るゝ心地して、「嬉しくこそ侍れ。返す返す、導かせ給へ」とて、馬にうち乗り給ひける。 さて、錐の林、剣の山を過ぎ給ひて、長夜の闇をも過ぎ給ふ。その山の暗き事は限りなし。罪深き者の迷ふ事、心のうち、推し量るべし。その時、教への如く、「南無納満諸願、大悲虚空蔵菩薩」と唱へ給へば、たちまちに光を放ち給ひて、太子を照らし給へば、ありがたく嬉しく思ぼし召しけれども、行末、心細く思ぼして、かくなん、 我恋は夢の夢路に惑ふかな 晴るゝ夜もなき心地こそすれ さても、乗り給へる竜、堪へかねて伏しければ、太子、御涙を流し給ひて、「いかにや、汝は畜生なりといふとも、我この道に迷ふべき由を世に嬉しげにしてありしによりて、思ひ立ちぬる。自らを、何となれと思ふぞ。たとひ、堪へ難くとも、これまで来たる事なれば、ことさら長夜の闇路に捨て置くべきか」とて、紅の御涙を流し給へば、竜も感動の涙を流して物を申しけり。「誠に御痛たはしく侍れば、送り付け参らせんとは思ひ侍れども、竜は三年飼はねば息止まる習ひなり。腹筋切れて息止まる」とて、非常に苦しげに見えければ、太子、右の御袖を押し切り給ひて、口に含めさせ給へば、そのまゝ含みたるを御覧じて喜び思ぼし召して、かくなん、 さりともと頼む心の強ければ 恋こそ人の命なりけれ さて、太子、竜に乗り拾へば、飛びて行きければ、憐れに思ぼし召して、かくぞ詠じ拾ひける。 心なき獣までも恋路には 憐れを添へて頼りとぞなる 太子、常に「南無阿弥陀仏」と申させ給へり。又、「南無納満諸願、大悲虚空蔵菩薩」と念じ給へば、光を放ち給ひて、さしも暗き闇なれ共、日の光のごとく照らし給へば、太子、嬉しく思ぼしてやうやう行き給へば、白浜に出で給ひ、此道を十日おはしまして、御覧ぜよ、美しき松原、三里ばかりおはして、涼しき風吹きて、いとおもしろくおはしければ、随臣千人ばかりたなびきて、銀の車に乗らせ給へる人に会ひ給へり。 太子、馬より降り給ひて、宣ふは、「大梵王宮の御もとに黄金の筒井と申す所や知らせ給ふ」と仰せ有りければ、銀の車の簾を上げさせておはする御姿を御覧ずれば、冠、直衣の御姿の、麗しく、めでたき上臈の、御車より降りさせ給ひて、仰せけるやうは、「これまで尋ね来たり給へば、誠実に不思議にこそ侍けれ」と仰せければ、太子、宣ふやう、「暫しの縁に結ぼほれて侍りし女人ゆへ、これまで迷ひ候なり」とて御涙を流し給へば、「誠にいたはしく見奉る也。自らも詳しき事は知らねども、これより西に向かひて四、五日行き給ひて、白浜のやうに霞かけて、日の光ものどかにて、いと心地よき風吹きて、山の気色、木々の気色までもいとおもしろき所を、七里ばかりおはしたらん時、大臣、公卿三千人たなびき、黄金の車に乗り給ふに会ひ給はゞ、それへ御尋ね候へ。かのところへ常に行き通ふ人也。さて、これまでは、いかなる人の教へ給ふぞと尋ね給はゞ、婆婆世界を照らし給ふ月光菩薩の教へにて候。冥途にては大勢至菩薩と仰せ候へ。彼の渺々と有るところをそこはかとなく迷はせ給はゞ、南無帰命頂礼、天子、本地大勢至菩薩、哀愍納受と念じ給へ。その声に光を射し与へん」と仰せければ、太子、嬉しく思ぼし召し、駒にうち乗り、西を指して行き給ふ。
下 巻 御教へのごとく、白浜のごとくに霞かけて、そこはかともなく、地は水晶のごとくにて行く道も覚えさせ給はず。その時、「帰命頂礼、月光天子、本地大勢至菩薩」と念じ給へば、西と思ぼしき所より、奇なる光を太子の上に射し参らせ給ふ。これをしるべにおはしければ、公卿三千人ばかり引き具して、黄金の車に乗りたる人に会ひ給ふ。 太子、馬より降り給ひて、「頼りなき申し事にて候へ共、婆婆にて契りし女人、大梵王宮黄金の筒井といふ所に生まれたると夢に見え侍るなり。願はくは、大慈大悲の御志をもつて教へさせ給へ」と宣へば、車の簾をうち上げて降りさせ給ひて宣ふやう、「誠に不思議なばかり有り難たくこそ侍れ。凡夫の身にて、これまでは不思議にこそおはしましたれ。御身、尋ね給ふ所は、自らも詳しくは知らず」と仰ければ、太子、宣ふやう、「はかなき縁に引かれ、何時を限りの逢瀬とも知らず、心苦しきよ」とて御涙を流し給ふ。「昔、釈尊は凡夫の時、耶輸陀羅女を棄てさせ給ひてこそ、煩悩の絆をば断ちがたい一大事と思ぼし召せ。されども、釈尊は衆生救はせんがために、手段を持ちて世に出でさせ給へり。太子はいまだ凡夫の御身にて候へば、いかに悲しく思ぼし召すらん。御心のうち思ひやられて、いたはしくこそ侍れ。これより西に向かひて行き給はん時、とりわけ熱き風吹きて、猛火の炎燃え焦がる。見るに、心も消えぬべし。又、大きなる河あり。渡るべきやう、さらになし。その向かひの岸に木三本あり。その下に丈十六丈の姥鬼あり。此方の岸には僧一人おはします。此僧に会ひ給へ。いかなる人の教へぞと問はせ給はゞ、婆婆にては日光菩薩とて一切衆生の願ひを満て給ふ大慈大悲の観世音の教へと答へ候へ。その僧はかの尋ね給ふ所よく知り給へり。道にて心細く思ぼし召さば、その時、帰命頂礼、日天子と唱へ給へ」と仰せ有りしかば、太子、嬉しさ限りなし。 又、竜にうち乗りて、七里ほど過ぎさせ給ふ時、熱き風吹きて、猛火の炎燃え焦がるゝを御覧じて、太子、その時、「帰命頂礼、日天子」と唱へ給ひて過ぎ給へり。又、大きなる川あり。近く寄りて見給へば、広さ一万由旬、波は炎にて、波の中には毒蛇群がりて、渡る者を食らひけり。渡るべきやう、さらになし。川の端に、歳のほど廿二、三ばかりなる僧の、香染の袈裟にて、錫杖を杖に突き給ひておはせしが、誠に美しく侍りける。太子、馬より降り給ひて、「物申さん」と宣へば、「何事ぞ」と宣ふ。「大梵王宮の黄金の筒井と申す所を知らせ給ふか」と仰せられければ、僧、「いかなる人なれば、有漏(凡夫)の身にてこれまでは来たり給ふぞや」。太子、「頼りなく侍れども、婆婆にてかりそめの契りを結びし女人を尋ねて、これまで参りて候」とて、涙を流し給へば、僧も哀れに思ぼし召し、ともに涙を催し給ふ。 太子、この河を渡らんとし給ふとて、かく詠じ給ふ。 いざさらば有漏の此身を棄て果てん 後は迷はぬ道もありやと と詠め給ひて、「我有漏の身にて叶はずは、生を変へなば会ひやせん」と、川へ身を投げんと思ぼしければ、御僧、かたじけなくも、かくなん、 有漏の身を棄てゝも今は何かせむ 心変はらで西へ行くべし と詠歌にて「教へのごとくおはしまし、深く頼み給はゞ、などか三世の諸仏も護り給はざるべき。その上、頼もしからずとも、此法師を頼み給はゞ、我、昔し願を立て、十悪五逆の罪深き衆生なりとも救はんと思ふ也。釈迦如来、三界の衆生をば一人も悪所に落とすべからずと誓ひ給ふにより、地獄もいまは澄み侍りける。 又、六道四生に赴く始め、此川の端にて定まる也。このゆへに自ら此川の端を去らずして、一切衆生を救う也。されば、罪深き衆生の身に替はりて、この炎に焦がるゝ也。人に無き事、言ひ付けたる者は、此毒蛇に呑まるゝ也。欲心に住し、我物をば施さず、人の物を横領し、欲しがり、男女の恋慕深きゆへ身のうちより、かく炎を出だし、嘆く人なり。又、鉄の嘴が有る鳥に突かれ候は、よき食物をば我のみ食ひて、人には惜しみたるゆへ也。紅蓮、大紅蓮の氷に閉ぢられて嘆く也。或ひは、人の着たる物を剥ぎ取り、或ひは海川の鱗を取りて世を渡り、仏法をば耳に触るゝ事もなき罪人也。あれに三つの橋あり。黄金の橋は上品往生の人の渡る橋也。又、鋼の橋は下品往生の人渡る也。鉄の橋は、善根をするに末遂げぬ人渡る也。太子の迷ひ給ふゆへ也。さりながら、大梵王宮を尋ねて渡らせ給ふ人ならば、此川を渡らせ給ふべきこそ哀れなれ」と宣へば、太子、宣ふやう、「たとひ、此川にて命を失ひ候とても、これより後へ戻るべきにもあらず。願はくは、御僧、救けて賜び候へ」と有りければ、答へて宣はく、「御心に念じ給はんは、悪魔真金剛智即と誦して、御心を強く持ちて渡らせ給へ。さて、河の向こう岸に着かせ給ひて、南無地蔵菩薩と唱へて、向かはせ給へ。 又、一由旬の木、三本あり。その下に、丈十丈ばかりの鬼神あり。頭は赤くして、空へ生ひ上り、睫は三十丈ばかり生ひ下がり、歯は上下へくひ違ひ、頬は鉄のごとくにて、眼は大きに月日のごとくにて、恐ろしき事限りなし。罪人の衣を剥ぎ取りて、木の枝に懸くる也。彼の鬼神は、罪人の煩悩の衣厚きがゆへに、これを剥ぎ取る也。鬼神は昔の業因なり。人のため良き事をば嫉みて、ため悪しき事をば喜び、病ふある人をば憐れまず、慳貪邪見の者也。思ひ知るべき事なり。 かの三本の木の下を、北西の方に御覧じておはしまし候はゞ、此鬼神、これへこれへと招くとも、南無地蔵菩薩と御唱へ候ひて、西に向ひて三日おはしまして格別の所あらんに、六の道ありて、いづれともわきまへ難き時、西南方二仏と念じて、なを西に向ひておはしまさば、南に当たり、格別の道の侍らんに、御覧じられて候はゞ、誠に世界も広く、清らかに見えて、美しき尼、女房多くありて、これこそめでたき所にて侍るとて招き候共、決してわたらせ候まじ。造作五逆災難と念じ給ひておはしませ。この女房、尼は皆恐ろしき物なり。 又、南東の方に格別の世界有り。皆、銀、黄金にて家を作り並べ、九重の塔を組み、七宝珠の堂もあり。菩薩、聖衆舞ひ遊び、黄金の塔を建てたるうちより、美しき女房の、紅の袴を踏みしだきて、扇を指しかざして、いかにや、極楽への往生人ならばこれへ参り給へ、一切衆生の願ふ浄土なり、とて招き奉らんに、決しておはしますべからず。仏と覚しき光は右に光を放ち給ふなり。又、魔縁の光は左に巡りて、光の色も黄に見え候也。極楽もかくやと覚え侍る。光明遍照と唱へさせ給ひて通らせ給ふべし。この世界は驕慢地獄と申す也。又、南西の方へ向きてすばらしく作り広げたる道あり。門のうちには、格別の女房、殿上人など集まりて、扇差しかざして、これへこれへと招くべし。これこそ八万地獄の始めにて侍れ。即得往生と念じて通らせ給ふべし。又、北東の方に当たり、恐ろしく草生ひ茂り、少しも人の踏みたりとも見えざる道あり。不審にても此道へ行き給へ。美しき白浜へ出でゝ御覧ぜんに、銀の地を踏ませ給ひて、一日ばかりおはしたると思ぼし召さん時、やうやう涼しき風吹きて、紫の林、紅の林有るべし。それを過ぎては、異香薫じて、色々の花咲き乱れ、宮殿楼閣玉を磨けり。或ひは、伎楽を奏する所も有り。或ひは、仏法衆会の庭もあり。又、座禅瞑想の床もあり。いづれもめでたき所也。これ過ぎ、遥かに空へ昇り給ひて御覧ぜば、それは兜率天の内院と申す所へ参り給ふべし。菩薩、聖衆の星のごとくに連なりて、空には音楽を奏して、植木の下には鴨、雁、鴛鴦の囀る声、いづれもこれ法音なり。池のほとりには色々の聖衆が舞ひ遊び、弘誓の舟を浮かべ、おもしろきとも尊きとも、中々申すに限りなし。これをも過ぎ給ひて、猶空へ昇り給はゞ、黄金の門有るべし。そのほとりに竜をば繋ぎ置き給ひて、扉を押し開き給ひて見給へ。栴檀の木あるべし。その木の下にこそ黄金の筒井有るべし。その上の栴檀の木に上り給ひて、かの女房を待ち給へ」と細やかに教へ給ふ。 太子、嬉しく思ぼし召し、いとま乞ひ給ひて、竜に乗り、「南無十方の三世の諸仏」と念じつゝ、川にうち入り給ふほどに、難なく向かひの岸に着き給ふ。地蔵菩薩の御教へのごとくに、鉄の木三本あり。下に十丈ばかりの鬼神有り。それを北西の方へ御覧じて過ぎさせ給へば、かの鬼神出でて、「こなたへ入らせ給へ」と招きけれ共、「南無大悲地蔵菩薩」と深く念じ給ひて、煩ひなく過させ給ふ。 さて、西に向きて三日ばかり行きて御覧じければ、格別に作りたる道、六つあり。「西南万二仏」と唱へて過ぎさせ給ふ。又、南の方に格別の世界あり。美しき女房集まりて、「こなたへ」と招きければ、太子、「五逆災難」と念じて過させ給ふ。又、南東の方に格別の世界あり。銀黄金にて大裏を造りたる。人の姿を見れば、菩薩、聖衆もかくやと覚えたり。美しき女房、紅の袴を踏みしだきて立ち出でゝ申すやう、「これこそ一切衆生の願ふ所也。入らせ給へ」と招きけり。これぞ地蔵菩薩の教へ給ひし傲慢地獄なるべしと思ぼして、「光明遍照」と唱へて通り給ふ。 又、南西の方に、婆婆世界にては大裏のごとくに美しく造りなしたる宮のほとりに、擬宝珠などは赤く見えたり。道は青く、美しくて、門の左右には若き殿上人、女房多く並み居たりしが、申やう、「極楽への往生人ならば、これへ参り給へ。これこそは極楽浄土なれ。三途の川の端に、墨染の衣着て、何とも知らぬ修行者、法師の悪き道を教へて、そなたへ行き給ふは、無間地獄へ赴く道也。早く早くこれへ入らせ給へ」とて招きけれども、太子は、「即得往生」と唱へて過ぎさせ給ふ。太子、思ぼし召しけるやうは、地蔵菩薩の教へ給はずは、必ず彼の所へ行かん事よと思ぼし召し、「八万地獄の口なり」とて急ぎ過ぎ給ひて、又、北東の方に向きておはしませば、草深く、少しも人の踏みたりとも見えざれども、地蔵菩薩の教へのまゝに、草叢を分け入り給ふ。 三日ばかりおはしまして御覧じければ、美しき白浜有り。それを御覧ずれば、いと涼しき風吹きて、小松生ひ並びたり。地を見れば、金銀瑠璃にして、御影も映るほどなり。いとゞ心澄みて、嬉しく思ぼして行き給ふほどに、紫の林、紅の林を過ぎ給へば、赤栴檀の林にも成りぬれば、異香薫じて、光を交へ、宮殿楼閣際立ちすぐれて見えて、或ひは伎楽をなし、或ひは仏法衆会の所も有り。池の中には蓮華咲き乱れて、尊しとも中々言葉に述べ難し。場所柄とて、召したる駒の足音までも御法音にぞ聞こえける。かやうなる所を御覧ずれば、御心の止まる事限りなし。さも有べき事ならねば、過ぎさせ給ふ。 なを、空へ昇り給ひて見給へば、大きなる門有り。いづれも金銀瑠璃をのベたり。これぞ兜率天の内院と覚えたる。詳しく見給へば、七宝の塔を建て並べ、幡は天に翻り、宮殿楼閣重々にして、菩薩、聖衆数を知らず。植木の下には鴨、雁、鴛鴛、迦陵頻といふ鳥群れゐて、囀る声、皆法の声なり。池の中には蓮華咲き満ちて、匂ひを交へ、弘誓の舟に棹さして、天人、聖衆、星のどとくに連なり、天の楽を奏し、舞ひ遊び給ひ、或ひは法音をのぶる庭もあり。或ひは座禅入定の床もあり。又は、初めて往生する人の互ひに供養をなし、婆婆にて憂かりし事を語り合ふ所もあり。誠に気持よき風吹きて、匂ひ満ちたり。太子、これを御覧じて、「あゝ、姫宮を尋ねさまよはぬ身なりせば」と、かやうの尊き所に居るのが望ましくて、御心も止まりて、しばらく休らはせ給へども、さて有べきにあらざれば、こゝをも過ごし給ふ。姫宮を尋ね来ずは、かゝる有がたき所をいかでか見んと思ぼしつゝ、又、空へ急ぎ昇り給ふ。 やうやう近づき見給へば、金銀の築地を築き、黄金の門を建てたり。駒をば門のほとりに繋ぎ置かせ給ひて、内へ入りて御覧ずれば、誠に黄金の筒井あり。その井のもとに赤栴檀の木あり。高さ一由旬あり。高く聳へて見えければ、登るべきやう更になし。 され共、太子は登り給ひて、玉井のもとを見下ろし、姫宮のわたらせ給ふかと待ちかけ給へば、やゝ久くありて、恋ひめで給ふ姫宮と覚しきが、黄金の花籠に黄金の花を入れて、自ら持たせ給ひておはしますを見給へば、もとよりも有りし御姿にいや増して美しき事、中々言葉には及び難く、珠の飾り鮮やかにして、筒井のもとに臨み給ひて、花を濯がんと、水を掬い上げんとし給ふに、昔契りし太子の御おもかげ、池水に映りて見えければ、姫宮、不思議に思ぼし召し、「我すでに大梵王宮に生れながら、なを妄念の心にや。婆婆にての、いにしへ人のおもかげ、現に見えける事の恥づかしさよ」と独り言に宣ひて、かくなん、 昔見し夢の夢路に見し人の 筒井の水に映るはかなさ と詠じて、栴檀の木を見上げ給へば、太子と御目を見合はせ給ひ、「こは、そもそも夢かや、昔の人のおもかげ、此井に映る不思議やと思ひしに、現に見奉る事の不思議さよ」 とて、御涙せきあへ給はず。 太子、木より下りさせ給ひて、ありし御事ども語り給ふ。姫宮、宣ふやう、「さてさて凡人の御身ながら、いかにしてこれまではおはしまし候ぞや。御心ざしの有がたさよ」とて、御涙ばかり也。太子、摩耶国の事、又、瞿婁国へ参り、大王に対面ありて、姫宮隠れさせ給ふを嘆き給ひし事、夢に御告げ有りて、様々心を尽くし給ひし事、細々と語り給ひて、御そば近く寄らせ給へば、姫宮、仰せけるやうは、「自らに近くは寄り給ふべからず。昔こそ、迷ひの凡夫にて侍れ。今は大梵王宮とてありがたき所に生れて侍れば、朝夕花香を供へ奉る身にて候へば、たゞ今もこの花濯ぎて参らせんとて、これへ参り候へばこそ、逢ひ参らせて侍れ。自らは天の飛行と申す物を持ちたり。太子はいまだ凡夫の御身なり。しばらく御待ち候へ。送り帰す天人たち選び候はゞ、これより帰らせ給ふべし」と仰せければ、太子、恨みの涙を流し給ふ。 さて、仰せけるやうは、「哀れ、人のすまじき物は恋路也。此道と申すは、凡夫の通るべき道にても侍らず。我、不思議に諸天、諸仏の御憐れみによりて、煩ひなく此道を尋ね参り、逢ひ奉る甲斐もなきは、いかなる天人なりとも、どうして憐れみなかるべき。これほどの御心をなかなか恨みてもいかゞせん」とて、御袖を絞り給ふ事限りなく、「いかにもして元の道へ帰りなん。帰らじ」と宣へば、その時、姫宮、宣ふやう、「道理をも知らず恨み給ふぞや。自らは太子になほ勝りて思ひ奉りし也。太子は猶も摩耶国にて千人の妃に慰みておはせしを、自らは太子を待ちかねて嘆きし事、譬へて申べきやうなし。幾久しく生き長らふべかりし身なれども、僅か十五、六にて、世を去り、親に物を思はせ、心を尽くし参らせし事は誰ゆへぞや。自ら、いかなる前世の果によりてか、今こゝに生まれて侍れども、なを煩悩の絆や強かりけん、女人の姿を変へずして生るゝ事の悲しきよ。苦しき事も乏しき事も侍らねども、女と言はれ候也。君はしばらく待たせ給へ。大梵王に参りて、この由を申すべし」とて、黄金の宮殿に参り給ひぬ。太子は、姫宮の仰せ、誠に道理と思ぼして、いよいよ御涙せきあへさせ給はず。 さても、姫宮は大梵王に参り給ひて、宣ふやうは、「我、婆婆にて契りし維縵国の金色太子、これまで尋ね来たり給ひて候」。ありし事ども詳しく語り給へば、梵王も哀れと思ぼし召し、「昔より恋する人多しといヘビも、凡夫ながらこれまで来たる例し、さらになし。さやう人を返すべきにもあらず。黄金の筒井の水にて身を濯ぎ、天の羽衣を着せて具して参れ」と宣へば、姫宮、大きに喜び給ひて、この由を太子に宣へば、嬉しさなかなか量りなく、ありがたく思ぼし召して、黄金の筒井の水を浴び、天の羽衣を召して参り給へば、梵王は誠に容貌気高く、宝玉の冠鮮やかにして、黄金の床の上に御座を敷きて座し給へり。 太子は床より下の座におはしませば、床の上へ引き上げ給ひ、太子をつくづくと御覧じて、慈悲の御眼より御涙を流し給ひて、「いかなる人にていらせ給ふぞ」と問はせ給へば、「我は維縵国の者なり。姫宮ゆへにこれまで尋ねて参りたり」と申させ給へば、大梵王、宣ふやう、「姫宮はもとより此国の人也。仮に人間に生れたり。如意宝珠とは、この女人の事也。太子に深き契りありて、かたじけなくも此もとに生まれながら、又逢ふ事を得たり。女人の身を改めて、菩薩の位に上るべき人なれども、太子に志深きゆへにいまだ天女の位にて侍る。太子はいまだ凡夫の御身なれば、これにおはしまし候べきにあらず。これより東に福徳山といふ山あり。何事もこれに劣らずして、楽しび栄へたる所也。その山へおはしまして毘沙門天王と顕れ給ひて、一切衆生を導き給へ。姫宮は吉祥天女と顕れ給ひて、毘沙門天の傍らにおはしまして、絶えぬ契りを結び給へ。毘沙門天王と顕れて、よろづの人の福を願はん時は、此箱の蓋を開け給ふべし」とて、三つ有る箱の中に少し小さきを取り出だし、太子に奉り給ふ。姫官には飛行の珠を奉り給ふ。「一切衆生の願はん時は、これを撒き給へ」と仰せければ、姫宮も太子も喜び給ふ事限りなし。 さて、福徳山におはしまして見給へば、銀、黄金を散りばめて、木立美しく宮殿楼閣重々にして、十万浄土とはかくやらんと覚えてめでたかりける。さて、此山の主に成り給ひて、毘沙門天王と顕れ給ふ。姫宮は吉祥天女と顕れ給ひて、一切衆生の願ひを満て給へり。四王天の北東の方に毘沙門天王とは此御事なり。 さても、太子の父大王は三百五十歳を保ち給ひて、普賢菩薩と顕れ給ふ。瞿婁国の大王は五百歳を保ちて悪魔降伏と顕れ給ふ。母妃は楊柳観音と顕れ給ふ。摩耶国の大王は三百歳を保ちて勢至菩薩と顕れ給ふ。摩耶国にて太子の妃千人は皆星のどとくに顕れ給ふ。いづれも、たゞ人にてはおはしまさず。かゝる尊き菩薩と顕れ給ふ。凡夫を救はんために、衆生となり給ひて見せしめ給ふなり。ありがたきとも申すはなかなか愚かなり。 これを見聞かん人々は皆三宝を敬ひ、父母に孝行を尽くし、君に仕へん輩は忠節をなして、我より下の輩には慈悲をなし、情けなき事を振る舞ふべからず。ことさら慈悲を旨として、毘沙門天を信ぜん人は、現世にては福徳を得、後の世は成仏得脱疑ひなし。何ぞ、空しき夢の世に心を止め、輪廻の業に帰らんや。此草子、見終らん人々は毘沙門の真言に、「喃吠邏嚩室拏耶娑嚩訶」と三遍、「南無吉祥天女」と唱へ給ふべし。 |
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