6月のイタリア日記


テルミニ駅前旅館の闇

【6月のイタリア日記】


【前へ進むことによって】

 ここ数ヶ月、季節のせいか、昨年末の重圧と疲れによってか、遠くに旅に出れない事について、 ずいぶん悩んでいた。様々な事が要因であると思い続けて来たのだが、そういった時期を乗り越えると、 いろいろチャンスは向こうからやってくるものだな、と思えてきた。年が変わって、すべてが替わる 訳ではないが、大分へ行ったり、4月に香港マカオへ行ったり、徐々にいつの間にか助走を始めた自分が 居た。そうして、どうしてもイタリアへ近いうちに行きたい、と思っているところに、いとこ夫婦から 願ったりかなったりのお誘いがやって来た。

 彼らとはずいぶん歳が離れているのだが、たまに家族の集まりなどで会うチャンスがあると、 ここのところずっと旅行の話をしていた。長い休みを取ることの出来る彼らの旅は、非常に 優雅で、ワタシタチのようにせいぜい長くて10日なんていう忙しいものではないのだが、 イタリアを大変気に入っているというところで共通点があり、いつも話が大いに盛り上がるのであった。 別れ際には「今度イタリアの話をしに遊びにいらっしゃいよ」と言われて、なかなか実現しないでいた。 彼らは単に旅行先としてイタリアと出会った訳ではなく、 2人の息子のうち1人はイタリア・ペルージャに学び、しばらくミラノなどの都市で 生活しており、その際訪ねてそれからずっと、 その他にも、イタリアと遠からぬ縁があり、それからずっとイタリアにはまる日々が続いているようであった。

 ということで、遊びに行く件については、 不義理を重ねていたワタシであったが、ある家族の集まりの帰り道で、今年は ペルージャへ1ヶ月位行く予定だが、同行の友人たちが少し早めに帰国するとのこと。彼らのために 抑えていたアパートを2週間ほど使わないか?とのことだった。キャンセルするのももったいないので、 どうだろう..ということであった。

 まあ、ネックは2週間という長さである。しかも、6月の後半というとなんだかんだ仕事上の恒例行事があって 身動き出来ないではないか。しかし、その時期をはずして実際始動するまでに帰ってくればなんとかなる。 ピンポイントだがそうでもしないと、なかなかイタリアへたどりつけない。家の者は誰か一緒でないといけない、と、 ものすごくこだわり拒絶するのだが、心配する気持ちもワカルけどそんな事言っていたらどこへも行けない。 しかもこんな時期休めるカタギ(!)の勤め人の同行者がいるわけないじゃないかっ! いちいち誘うのもめんどくさいし、人にいろいろ手数をかけるのは苦手だし、行く先に誰か居ればそれで いいじゃないか...ということで、タイムアップぎりぎり行程を決め予約等をする。ただ、心配なのは 欧州を覆うアイスランドの火山灰であり、こんなに欧州中が麻痺する事はNYのテロ以来 と言われていた。また、いつ噴火活動が起きるか全く解らない..となると、実際に影響が及ぶ可能性のある 北部経由は避けた方がいいか...。本当はローマからはいってミラノから帰りたかったが、ミラノは少なからず 影響を受けていたので、念には念を入れて ローマ往復のチケットを取り、ペルージャへ地上移動して彼らと3泊ほど行動を共にしてみようとプランをする。 結局、アパートの2週間はキャンセルになってしまったが、その近くにホテルを取り、なんとか旅立てる 手はずを整えたのが、出発10日前5月の後半ジロデイタリアもヴェローナのゴールに近づいてきた頃であった。

 しかし、出発の1週間前になりプロパーの後輩に予想外の人事異動が出る。 しかも実質減員で嘱託が後任とのこと、上司も旅行の予定を変更するように打診してくるし、 もうひとりのプロパー職員は涙目だし..ああ、今回はもうだめか..と、思ったが、しばらくして 涙目を解消した後輩が「こういうときにこそ行った方がいいですよ」と言った一言で、上司は さておき実行することにした。但し、帰りの便は午前着なので、午後は出社すると自ら 約束をして...。やれやれ。


■6月3日〜破綻した航空会社で不景気なローマへ久々に飛ぶ〜■

 前回ローマを訪れたのは..自分のサイトの記録によると2001年のようであった。ああ、もうなんだか9年も経って しまっている。そういえば、このとき、ASローマに中田ヒデが居て優勝を果たした時であった。このときを最後に ASローマは優勝から遠のき、中田にしてもニホンジン初のキャリアを積み、 この後いくつかのクラブチームを経て、現在は謎の旅人となっている。 旅人か...。まあ、それはさておき、奇しくも今年はそれ以来の優勝の可能性に盛り上がっていたローマ。 ああ、しかし、期待されつつも終盤のツメが甘く陥落。9年ぶりの優勝を逃したところでもあった。 しかも、今年は開催が危ぶまれていた南アフリカW杯がで行われる。 南アに行かれないまでも、なんとか欧州でイタリアの応援をしたいところであったが、 今回は日程上それも叶わなかったなあ...。そのアズーリも前評判はすこぶる悪く... そんなこんなで、出発前唯一イタリアを沸かせたのは、ジロデイタリアで 久々にイタリア人選手が総合優勝・マリアローザを獲得したことではなかっただろうか?しかも、 2006年にドーピングでイタリア中を失望させたイヴァンバッソが復活勝利を遂げたのであった。 ああ、ユーラシア大陸の東の果てで「バッソやったー」と、一人喜んだワタシは、破綻した 日系飛行機会社に乗りローマへ向かう。この路線も再建計画中のスクラップ対象で、今年の9月には廃止となる。 ああ、なんて景気の悪い話ばっかりなんだ...と思いつつ、失業率が悪化して治安が悪いので 家人に気をつけるようにしこたま釘をさされた、オンタイムでフィウミチーノ・レオナルドダビンチ空港へ降り立つ。 なんだかんだ言って、この便は便利なのに残念だ...。今後はイタリア直行といえばアリタリアになってしまうのか。ああ。

 なかなか出てこない荷物は相変わらずで、わざとワタシのを最後にしてんじゃないの?と思われるほど 今回も見事にトリを飾るような勢いであった。散々ツアー客の荷物ががんがん運ばれていくのを見送り、ああ、でも イタリアに帰って来れたんだなあとしみじみと浸る。うれしいなあ、よかったなあ...と。ひたったりしながらも 小一時間でターンテーブルから 開放されて、鉄道駅へ向かう。毎度わかりにくい国鉄窓口・販売機ではなく、 タバッキでチケットを往復分ゲット(@14euro)。9年前よりも劣化した、これまた名前が レオナルドダビンチ号で ローマ中央駅へ向かう。しかしその劣化具合とは裏腹に時間には正確で30分きっかりで到着をする。ローマはここ数日 夏になりきれない、変わりやすいお天気が続いていた。到着した時も雨が少し降っており、 まだ時間的に明るいはずの構内がやや暗く感じた。 9年前にリニューアルされて、極悪なイメージから美しく明るく安全に生まれ変わったテルミニであったが、 やはり年月には勝てず、ややくたびれた 印象が否めない気がした。ATMでユーロを引き出し、明日のペルージャまでのチケットをマシンで受け取る。 バスターミナルに面した広い券売機群であったが、薄暗くなって来たのに乗じて バックパックの女性に小銭をせびるダメ人間がまとわりつく。 ああ、不景気な風景だな..と思いつつ、Via Vicenza通りの Piemonteというホテルにチェックインをする。

 今回は到着した日はとにかく泊まるだけで、WiFiのつながる駅前ホテルというテーマで探していたのだが、 なかなかこの立地ゆえに値段と不釣り合いな部屋が多く、さりとて商人宿(?)の如き泊まっただけで 寂しくなるようなところは遠慮したく...シングルが空いていたここにしたのだが、イタリアの シングルの見事なほどの狭さは要注意である。なんでわざわざこんな部屋を作るのか? そして何故この値段なの?と、思うような部屋が多い中、チープな芳香剤の香りが更に気分を悪くする、 まさにそんな部屋でがっかり。 良くガイドブックに書いてあるように、一人であっても、ツインやダブルの部屋を取るべきだな...と。 ところがネット環境は意外にも快適で、持参したPDAも大いに活躍することが出来た。まあそんなこんなで、 もう9時過ぎていたので、駅のスーパーでいろいろ買い込み初日の晩餐とした。先程よりも雨が強くなり、 すこし肌寒いローマの第1日目の夜であった。


■6月4日〜ウンブリアの中心:ペルージャへ向かう〜■

 昨晩のうちにいとこ夫婦にはメールで到着と、明日の時間を伝えておいた。昨日天気がいまひとつであったので、 心配であったが、打って変わって快晴の青空と強い日差しが朝食室に差し込んでいた。(部屋からは残念ながら見えない) チェックアウトが昼だと思ったが11時で、時間が空いてしまったが、ペルージャから戻って泊まるホテルの 場所を確認に行ったり、駅のショップを見たりしてESの入線を待った。駅のベンチは昼間から、酔っぱらいや 薬中なのかホームレスなのか、これまたダメ人間が入れ替わり立ち替わりやって来る場所で、なんとなく 往年のテルミニ駅を彷彿とさせ落ち着かないのだが、まあ仕方ないというところだろうか。

 ペルージャへのアクセスは、 ウンブリアの中心となる街のわりには、ESなどの座席指定特急は1日1〜2便と少なく、どうしてもICなどで 2〜3時間要してしまう事になる。乗り換えが必要な場合もあり、まあ、距離的にあまり遠くはないが、 時間はかかる場所というイメージか。空港も中心部から20キロほどのところにあるということだが、 わざわざ飛ぶまでもなく、ローマ、またはフィレンツェ あたりから立ち寄るというのが良い行き方かもしれない。となると、近くにアッシジなどの 観光名所はあるものの、そのほかに目的がない限り、なかなか行く機会が無い街とも言える。これまで、 ニホンジンに中田選手という目的があったけれども、彼の記念すべき欧州蹴球キャリアの第一歩の土地 ではあるが、彼が去ってからあまりに時間が経ちすぎており、今後も継続的な目的地になるのは ちょっと難しいであろう...と、思った。もともと、ペルージャは大学都市として有名で、 現にいとこの息子もここで語学を学んだように、外国人がイタリアでの第一歩を踏み出す準備を する土地というイメージがある。様々な人がここをスタートにイタリアをはじめ、欧州へ進出する きっかけを得た場所だったのであろう。中田もしかり、ワタシも機会があればそうしたいところ なのだが..さて大学などで学ぶ脳細胞が残っているのかが問題となってくる訳で...。

 終点のペルージャへ至るまでに、いくつかペルージャ○○といった駅を経て来るのだが、慌てて降りては いけない。次第に丘陵地が連なる緑の濃い風景が広がり、その高台の一角に城砦都市が見えてくる。そこが 目的地のペルージャであった。駅に到着し、地下道をくぐって外に出ようとすると、なんと、いとこ夫婦が 迎えに来てくれていた。昨日のメールでは何も言っていなかったが、無事に到着したことと共に、 こんな形で出迎えてもらえるなどはちょっとびっくりしたし、とてもうれしいものであった。 すっかりリラックスしたリゾートスタイルで、数週間の暮らしがうまく行ってていることを物語っていた。 これまでであれば、国鉄駅から旧市街へのアクセスはタクシーかバスであったようだが、最近地下鉄が 出来たとの情報を得ていたので是非現地で乗ってみて、とお願いしていたが、これが非常に便利であることが 判明。見た目ワタシの知る限りのどのライトレール類よりも小規模で、 ゴンドラやエレベーターの箱が一個ずつ線路のうえを走っていくイメージ。 しかも頻繁にとことこやってくるので、なんだか、遊園地の乗り物のようであった。新市街の住宅地と、旧市街の 高台を20分ほどで結び、その中間にFS駅がある。1回1ユーロで70分有効チケットは、バスなどと共通となって 非常に便利であった。国鉄駅近くには大きなショッピングセンターなどもあるので、これを利用して 旧市街新市街を行き来するのであろう。ということで、このおもちゃの電車に乗って(ほんとに地下鉄?) ここ数週間の出来事などをほとんど聞く間もなく終点に到着。そこから更にエレベーターに乗り5階まで 上昇すると、ちょうど車窓から眺めていた高台の城砦都市のステージに到着するのであった。 エレベーターからの眺めは緑色の丘陵が果てしなく広がっており、イタリアで唯一海のないウンブリア州 であるが、緑の海の中にある島にいるような気分になるのであった。

夏が始まるペルージャの空

海が無いけどゆるやかな緑の海が拡がるウンブリア


 メトロらしくないメトロ駅から旧市街の中心地へは、徒歩で数分とかからない。ペルージャで いちばん高いところにある一本の目抜きどおりがそれである。車はその中心部へは進入できず、 取り巻くような形で中心部西端にあるイタリア広場がバスやタクシーの終着・起点となる。 広場に面したところには、一番大きなホテルや市の主要な建物が並ぶ立派な玄関口となっている。 その反対側の端には。大聖堂とマッジョーレ噴水があり、こちらも大きな広場となって、地元の 人々が大勢集まる場所となっている。大聖堂の階段には、街の人々が大勢腰をかけて日がな一日過ごしている、 といった感じであった。 いとこ夫婦のアパートは、この大聖堂近くの路地を少し はいったところにあった。ワタシのホテルは、イタリア広場と大聖堂のちょうど中間で Locanda della Posta というホテルである。中間といっても、この玄関から大聖堂までの所要時間はゆっくり歩いて 10分かかるかどうかということで、なんともこぢんまりした街なのであった。目抜き通りの歴史的建造物には イタリアのメジャーなチェーン店や、カフェ・レストラン、劇場、等々がずらりと並んでいる。 そういった歴史的な建物群が、オペラの舞台装置のように見えているが、 カジュアルな装いの若者達があふれる、典型的なイタリアの日常が拡がっていた。

人々が集うフォンタナ・マッジョーレと大聖堂前広場

ペルージャ中心部は車が通れませんよ


 ホテルは部屋数はかなりある重厚な建物で、所々にフレスコ画の天井絵がのこっていたり、 おそらくかなりの歴史的建造物のひとつなのだろう。フロントで、WiFiのパスワードを聞いて部屋にはいる。 昨日とは打って変わって、おそらく4倍以上あるのではないか?という広さで、天井も高く 快適でくつろげるようで安心した。窓からの景色は 目抜き通りに面しており、街の中心部が一望できる。しかし、来るときに見えた、ウンブリアの 緑の海はちょうど反対側のようで、見渡せないのは残念だった。ウェルカムフルーツに加えて、 この町の名産であり、イタリアのお土産といえば欠かせない「Bacci」チョコレートが、 マネージャーのメッセージを添えて置かれていた。このペルージャにある会社が作っている商品なのだ。 そういえば、昨日までのどんよりとした空はどこかに行ってしまい、明るい強すぎる日差しと青い空が 窓から差し込んでくる。もうこうなったら、夏から逃れられない。日本よりひと月以上早い本格的な夏空を 満喫しようと決意するのであった。

駅前旅館の数倍の広さ(ペルージャ)

バスタブの壁画も優雅なり

窓からペルージャの目抜き通りが見える

イタリア広場方面はこちら


 荷物を片付けて、シャワーを浴びて、その夜はいとこ達の居る アパートで夕食をごちそうになった。 大聖堂近くのアパートは、いったん重厚な扉の中をはいって奥に進むと、真新しいちいさなエレベーターが 出現する。3人乗ればいっぱいになってしまうような箱で、キーを差し込み、スタートボタンを押し続けないと 閉じ込められてしまう仕様で、彼らはこの数週間で何度閉じ込められたことか...と、笑っていたが、 日本だったらもう大変な騒ぎになっているだろう。なんとかコツをつかんで、このエレベーターなりに快適に 動いているのだが、 ごとごとと心許ない音と動きは到着するまで気が気ではなかった。

 ボタンを押している指がほぼ限界となったあたりで到着。そして歴史的パラッツォを改装して明るい色で飾られた アパートの出入りもなかなか難しそうであった。重い扉の鍵もこれまたうまく開かず、 何度管理人を呼んだことか、と、笑っていたが...たとえば、今回ここにひとり宿泊して、鍵をもらっても 、ひとりエレベーターに閉じ込められそのまま忘れ去られたり、なんとかたどりついても、入ることすら出来ない...なんて事に なっていたかも...。ああ、おそろしい。おそらくいとこ達も笑って昇降・開閉できるようになったのもここ数日 なのかもしれない。まあ、何事もその状況に慣れて 合わせれば良いということか..などと、イタリア的歓迎事項に衝撃を受けつつも、アパートはなんと眺めの良い バルコニーがついた素敵な部屋であった。キッチンと1ベッドルームにリビングの間取りで、バルコニーには 洗濯機置き場もあり、到着したときに見えたウンブリアの山並みが赤い屋根の波の先に広がっている。 最上階のため少々天井が低いのが難点であるが、この風景の中で生活を出来るならば、少々立て付けが悪くとも・ 閉じ込められようとも(うーん)なんでもない..かもしれない。時間は夜8時だったが、夏の日は長く いつまでも見ていたいような部屋からの眺めであった。いとこ夫婦は、今回この部屋を見つけた事を 非常に喜んでいた。これからはペルージャに来ても宿に悩まない。ここに泊まれば十分だからねと言っていた。

いとこアパートからの眺めはこんなかんじ

花ももれなく付いてます(バルコニーで食事も可)


 もう一部屋の同行者は、いとこ夫の初等科(小学校)時代からの友人達であった。 男性2名女性2名で、2組の夫婦というわけではなく、それぞれが友達同士とのこと。今回このアパートに3組 泊まれればよかったのだが、男性チームはすこし離れたところへステイしている。同窓会や行事などで あつまるうちに、最近特に頻繁に顔を合わせる仲間とのことであった。それにしても、 それぞれの長き時間を経て、このように皆で食卓を共に作り上げ、楽しく飲み交わす機会など、 いったいこの先ワタシに巡ってくるのだろうか?などと考えるが、それよりも 何よりも、駅前のスーパーや旧市街の食品店で買いそろえた、シンプルな料理と、昨日行った小さな 街で買ってきたワインがしみじみと美味しく、古い思い出だけを語るだけでない長いつきあいの同窓生の 集まりに、ほっと癒された晩であった。

 結局すっかり招待されてごちそうになってしまったワタシは、明日の約束をしてアパートを離れた。 夜になるとすっかり涼しく、上着があったほうが良いくらいであったが、目抜き通りに拡がるテラス席は まだまだ盛況であった。もう10時過ぎていたが、カフェで水とビールを買って部屋に戻る(場所により夜10時以降は カフェ等でのアルコール・飲料持ち帰り販売規制があるようで、店のマダムに隠して帰ってね、と言われる。 おそらく飲んでポイ捨てや酔って暴れたりするのを防ぐ意味があるのだろうが、そんなつもりのないニホンジンは 急に犯罪予備軍扱いされたようで、微妙な気分になる。欧州の大人な文化を感じる事が多い中、こういう事に関しては 日本は自由で平和で便利な国だな...なんて思う。 まあ、早い時間にどこかで買い占めておけばいいんだけどね。 結局ダメ人間か...。)


■6月5日〜ペルージャからアッシジ遠足〜■

 翌日も真っ青な夏空がホテルの窓に広がっていた。ここから先は日々この空が見られるのだろう。 この日は皆でアッシジへ向かう約束をしていた。ペルージャからアッシジはFSだと15分ほどで到着するのだが、 街の中心部へは2キロほど離れたところにある。中心部へ直接行くのであれば、プルマンバスで行くのが便利なようだ。 ペルージャの旧市街まで上がってくるバスは、近郊の街へは向かわず、主にペルージャ周辺を運行している。 以前、この旧市街まで登ってくるバスがあったはずと、いとこの記憶を元にイタリア広場にある窓口で尋ねてみるが、 ここからは出ておらず、新市街に下った広場のバスターミナルからの発着になるとのことだった。

 それを調べるために 少々約束の時間よりも早く準備していると、窓の外が騒がしい。目抜き通りの中心の広場あたりに、なにやら ステージが出来はじめていた。バスで乗り付けた軍楽隊が正装をして、音だしを始めている。中心の広場には なにやら歴史的な衣装を着けたワカモノが、行き来し始める。これは何か始まるのだろうか?お祭りで古代劇でも 始めるのだろうか?と、窓から眺めていると、序々に街の人たちや見物の観光客も集まり始めた。約束の時間に ホテルの前で皆を待っていると、彼らもいったい何が始まるのか興味津々であった。ちょうどホテルの隣の 洋服屋の店員に何があるの?と聞いてみると、どうもカラビニエリ(憲兵)の196周年の記念行事だという。 古代風の衣装が気になったので「オペラもやるの?」と聞くと、そうですと、この店員は答えた。 その事を皆に伝えると、せっかくだから見ていこう、ということになった。アッシジまでのバスは日中1時間に 1本程度運行しているので、昼に着く予定であったが、2本ぐらい次の便で行くことにした。

 11時きっかりに、軍楽隊のパレードで始まり、華やかに各都市の支部隊と思われる団体が街の中心に次々に集合をする。 各部隊の旗や紋章を掲げてやってくる。最後に、あの古代風の衣装で現れたのは、アッシジの部隊のようであった。 詳細は不明であるが、ウンブリアの中心ということで、かつては対立していたコムネの憲兵隊もここに集結して、 記念行事を行うようであった。その後、期待した特別な出し物は無く、延々と、憲兵隊や街に貢献した人々の表彰や、 有力者のスピーチが続き、軍楽隊も暑さと疲れでゆらゆらし始めた頃、ワタシタチもその場を退散することにした。 しかし、なかなかこういった行事に出会う事がないので、この滞在は結構ラッキーなのかもしれない、なんて思った。

軍楽隊あらわるあらわる♪

こっ...この人物は一体何者?(アッシジ部隊のコスプレ?制服?)

フレディーが好きそうな衣装の人もおります(アッシジ部隊)

ほらね。アッシジと書いてある(ような気がする)

うーん気になる。左隣も気になる気になる!


 昼時と重なってしまったために、バスに乗る前に眺めの良いカフェで軽食を取ることにした。あのエレベーター乗り場の 裏側にある絶景のカフェで、何種類かのパニーニを皆で分け合って昼食とした。 いとこおすすめの、名前を失念したが地元のベルモットをソーダで割った爽やかなドリンクを飲みながら、 なんとなく心はアッシジに行かなくても いいくらいだなあ..と、思うような、このままワインでも飲んで、この景色を愛でたいなあ、などという 誘惑にかられたが、せっかくなので、このキリスト教の聖地を見るべく新市街のバスターミナルへ向かった。 カフェで見た新聞の一面ににイタリアの司令塔ピルロが負傷したと出ていた。もうすぐ目の前にW杯の 開幕が迫っていたので、ちょっと気になる記事であった。

 眺めの良いカフェから、もういちどイタリア広場方面へ戻り、バスターミナルへ別のルートで 下っていく。建物へ降りていくエスカレーターかと思いきや、その先は延々と、新市街に向かって 伸びており、ひとたび中にはいると、それこそ古代遺跡の迷宮に案内されているような通路を下って行く。 彼らの息子もこれを最初に見たときはびっくりした。しかしこれがペルージャの人々の日常の風景なんだ、 と、しみじみ言っていたそうだ。確かに、これは博物館か、遺跡見学でもしているような空間であるが、 皆ここを通って、何年も何世紀も人々は日常として暮らしている。朽ち果てない石の文化というのは、 どんどんその上に文明が折り重なり、人々が通り過ぎ去っていくものなのか...などと、ひんやりとした 暗がりの中で思いをめぐらしながらひたすら歩いた。

 トンネルの暗闇を急に抜けて、もとの明るい日差しが戻り現実へタイムスリップすると、 ほどなくバスターミナルに到着する。 ここは、各近郊都市を結ぶバス(プルマン)が発着しており、ローマ空港からもダイレクトで 来ることが出来る。ワタシ以外皆このルートでペルージャ入りしたのだが、FSを 乗り継ぐよりも所要時間は短く、約3時間ほどで到着するようだ。(Sulga http://www.sulga.it/) 荷物がある場合は乗り換えの手間などを考えると、非常に便利であろう。 が、イタリアで難解なのはどこからバスに乗るのか?どこで切符を 買うのか?これはどこ行きなのか...乗って到着するまでわかりにくいことこの上ない。いったん 解ってしまえばなんてことはないのだが、彼らもバス会社のサイトなどで 十分調べていたにも係わらず、空港での不案内は相当 なものだったようだ。結局のところ無事に乗ることが出来たので、わかりにくいがおすすめのアクセスとのことである。

 さて、今回のアッシジまでのチケットは、ターミナルの入り口にある建物内の窓口で購入する。 7人分片道を購入し乗り場へぎりぎりで乗り込む。なかなか7人で行動というのも緊張感あふれるが、 乗ってしまえば、バスさえ間違えなければ、車窓をタノシミつつ確実に快適なドライブで45分で目的地に到着できる。 イタリアにおいてバスでの移動は非常に重要な手段なのだった。

 アッシジは、聖フランチェスコの生地であり、フランチェスコ派の聖地である。これまで、その清貧の 思想・教え・精神を生んだ土地を、異教徒のワタシタチが足を踏み入れるのはどこか ためらわれるイメージがあったのだが...。街の様子はペルージャと同じく、丘陵の中腹から山頂にかけて 左右に広がる山岳都市で、向かって右奥にあたる一番高い場所にある教会の裏手でバスを降り、 どんどん下って行くのが、いちばん楽なアッシジ散策方法のようだ。 昼過ぎの日差しは強烈で、そういえば皆、水等の飲料を持って居なかったのが心配であった (ワタシは昨晩買った500mlのボトル持参)。 しかし、心配をよそに健脚2人は更に高い場所にある砦を目指し別行動とし、街を散策するワタシタチは 坂を下りながら、この街のハイライトである大聖堂を目指した。このランドマークならば、うまく 落ち合う事ができるだろうということだが、果たして上手くいくのだろうか?

 さて、そのフランチェスコ派の聖地はというと、修験者の道・諸行無常の響きを想像してしまいがちだが、この ウンブリアのゆったりと、延々と続く緑の海に浮かんだ島の中では、そういったきびしさが生まれた 背景が逆に解らなくなるほど穏やかに存在している。山岳都市ではあるが、さほど 厳しくはない環境の街は、予想に反して人々を暖かく迎える明るい観光地であった。坂道の両側には 無数の土産物屋が建ち並び、テラスで楽しく過ごす観光客達は、宗教的聖地であることをすっかり 忘れさせてしまう。しかし、裸足に麻縄のベルトを腰に巻いたフランチェスコ派修行僧とすれ違う時、 ここがそういう場所であったことを思い起こさせる。

アッシジもこんなかわいい街でございます

ギリシア風の建物もございます(中は教会)

どんどん大聖堂へ向かって下って行きます。空がまぶしいぜ。

山の中腹なので、ふと見る眺めがものすごいです

大聖堂に到着。巨大だっ!ものすごいぞっ!しかも暑い!!


 そして、やがて現れる大聖堂はこの 平原を見渡す特等席に荘厳且つ威厳を持って建つ、大変に立派な聖堂である。果たしてこのような建物が フランチェスコの意志であったか?は、敢えて問わず、ブレーキを失った教会建築熱と絢爛な美術を堪能する のである。猛烈に暑い日差しの中から大聖堂に入るとひんやりとした空気に包まれ、斜面に十字型に 2層にわたる巨大な空間を組み合わせた大聖堂は圧巻の建築で、上層部の壁面には、ジョットとその 弟子達による巨大なフランチェスコの生涯を描いたフレスコ画が並ぶ。(近年起きた大地震で大きな被害を 受けたアッシジであったが、人々の努力によって、修復が行われここまで復旧した..ということは、 帰国して見たTVで詳細を知った。) こうした、様々な思惑が時代を経て思想となり、形となって 時を経てきた街ではあるが、先程通ってきたペルージャ・バス乗り場へのタイムトンネル然り、 過ぎたことばかりに重きを置くのではなく、過去と現実が同じ舞台の上で展開して行くような、 そんな不思議な感覚に陥るのがこの場所なのか?などと強い日差しの中で考えたりする。 歴史や史実もこの地にいると、尚今も続いている現実のような錯覚すらする。しかしそれらが重く のしかかることはなく、どの人も軽やかに現実を進む姿はイタリア人ならではのような気がする。

 別行動を心配したが、無事大聖堂で全員揃い、時間もちょうど良くなってきた。 さてどのようにペルージャへ戻ろうか思案するが、やはり 大聖堂のところからバスで帰還、というルートは存在せず、(近くのホテルで聞いてもらったが、 そのような便はないとのこと)。ちょうどそこに停まっていた大型タクシーで料金を聞いてみた。すると、 駅までひとり@3ユーロ。もしペルージャまで行くのなら1台50ユーロで行くよ。とのこと。皆からもっと値切れ との指令が出たが、つたない言語力につき..いや、よく考えてみると、距離にしても2倍以上なので値段相応と思い、 しかも、全員一気に戻れるとならば安心でしょう、ということで 手を打つことにした。但し、旧市街までは行かず、 バスステーションまでと言われていたが、結局、季節が移って爽やかな夏空の 元、快適なドライブをしているうちに、運転手も考えが変わったのか、イタリア広場まで送り届けてくれた のであった。おまけに大変上機嫌で、またのご利用お待ちしてます、と、イタリア式挨拶付きで 連絡先のカードを配ってもらったり、 ちょっと唖然とするくらい快適に帰還することができた。ああ、すごくラッキーだなあ..なんて思った。

 そんなこんなで予定よりも早く街にたどりつき、こちらの大聖堂の近所にあるサルメリア(食料品雑貨店) での買い物に向かった。ペルージャの歴史的町並みの中に、こういった店を見つけるのはなかなか難しい。 間口が狭くなっており、窓からハムや野菜、果物などが見えると、奥にガラスケースがありチーズなどが売っている。 よく見るとお総菜などもあり、更に一歩店に入っていくと、その先にも結構スペースがあり、飲み物類やパスタや 缶詰などがずらりと並んでいたりする。なんと、こんなところに買い物出来るところがあったとは...。 中心部にはスーパーなどは見あたらないので、困ったなあ、と思っていたのだが、こういうところに あったのかあ...と、目から鱗であった。いとこ達は、基本的に自炊生活であるため、パンやハム、 野菜等足りなくなったものを買い足す。ワタシは、ホテルの冷蔵庫の補充にビールと水などを買う。 まだ大型スーパーがやってくる前のワタシの子供の頃の風景のようで、目の前で美味しそうなハムの 塊を切ってもらったり、あれこれ店のオヤジとやりとりしながら買う様は、とても懐かしい ような楽しいひとときであった。

 アパートの前にあるジェラテリアで一休みしたあと、夕食までホテルに戻る。移動もあって、歩いたし、暑かったし、 皆休憩が必要であった。土曜日の夕方は、憲兵のセレモニーがすっかり終わっていたが、 どんどん人が増えてきているようだった。大聖堂の階段にも地元のワカモノ達がびっしりと 座っており、目抜き通りもびっくりするほどそぞろ歩く人々で埋まっていた。これが イタリア人の好きな散歩の風景なのだろうか?テレビをつけると、ローマから憲兵隊のセレモニーの様子が 中継されていた。ベルルスコーニ首相の見守る騎馬隊の隊列は美しく、ベンハーの舞台となったチルコマッシモの 古代競技場に映えるイベントであった。今朝見たものが全国的に行われた行事であることを知り、 ウンブリア支部も趣のある式典であったが、やはりローマは規模が違う。イタリアの中心なのだなあ、 とあらためて思った。

 この日の夜は近くのピッツェリアで夕食。やはり皆疲れていたのか、約束の時間になかなか降りて来なかった。 夜の8時となってようやく日が暮れてきた大聖堂広場は、風も涼しく吹き始め、 更に人が増えてきて、皆思い思いに過ごしていた。ワインとピザとサラダなどで明日の予定などを確認しつつ夕食。 店を出ると元気なワカモノ達がそぞろ歩く目抜き通り。お祭りの時のような夜だった。


■6月6日〜スペッロの聖体祭見学〜■

 ワタシがペルージャに到着した日の午前中、いとこ達が訪れた街がとても良いところだったから 再訪しましょうということで、この日は そのスペッロという街へ向かう。ホテルの朝食室で天井画を見ながらゆっくりと過ごし、テレビを見ながら準備をしていると、 呼び出しの電話がかかる。どうもワタシが10分時間を聞き違えたようで、すでにホテルの前に皆集合していた。 足の悪い同行者も居るので、10分はとても大きい。申し訳ないことをしてしまった。 この日もとても良いお天気で、さて!と気合いを入れて...でも、この駅へ向かう 地下鉄を見ると、あまりにユーモラスなので脱力してしまう。なぜこのようなものを作ったのか、施工者に聞いてみたい ような気になる。確かに、この街にはちょうど良いサイズでありスペックなんだが...。

これがペルージャの地下鉄:おもいきり地上をひた走る1両編成!


 スペッロは、ペルージャからFSで30分ほどのところにある街である。駅から少し歩くのだが、 とにかくまっすぐ向かっていけば迷う事はない、と、先日訪れたときたまたま出会った日本人女性に聞いて たどり着いたとのこと。しかし、この日は「聖体祭」でそんな心配はいらなかった。街中の路面には、 花びらで描かれた宗教画をモチーフにした「花絵」があふれ、そのコンテストが行われていた。すごく ちいさくて静かな、と聞いていた街が一変して、あちこちから人々が押し寄せる一日であった。 (復活祭から60日目にあたる日が聖体祭とのこと。毎年開催日が変わる事になるが、日曜日となっているようだ) 駅を出てのんびりと拡がる平野から、小高い丘の周りに城壁と堀を巡らせて出来た街で、中世の面影の 城門をくぐると、あたり一面に花や花びらで作り上げた作品がどの小径にも描かれていた。鮮やかな色のラグマットを あちこちに広げたような(花絨毯(インフィオラータ)というそうだ)、 それぞれ斬新なモチーフでキリスト教の世界を現している。各作品の前には 作品名と番号、作者が描かれていて、全体でコンテストを行っているようであった。

これら全部花で出来ております



 花絵の展示と別に、街中も花いっぱいに飾られており、とても美しい。しかし、人がとても多くて いったいどこからこんなにやってきたのか?と、思うほどで、更に斜面を登り奥へ進んでいくと、 街の中心にある教会の鐘が鳴り始め、教会から十字架を先頭に白装束の 大勢の神父・信徒たちが聖体を中心に建物から行列で行進を始める。 その瞬間を見ようとする人々と、正午の鐘と、教会からミサを終えて出てくる人と、 教会の並びのレストランへ向かうワタシタチと、ちょうど重なってしまい、もうイタリアでこんな混雑に あうなんて信じられないほど、中世の小径にひしめき合い、身動きが取れなくなるは、圧迫されるは、 暑いわ、はぐれるは...で大混乱であった。サッカー場の帰り道のような状況といえば良くわかるだろうか? とにかく、こんなに大量のガイジンに囲まれたのは初めてかもしれない。

閑静な小さい街が老若男女であふれかえる



 聖体行列が通り過ぎるとやや人もまばらになり、ワタシタチはもうすこし散策をしてから食事をすることにした。 花絵は延々と続いており、しかし、この聖体の行列がクライマックスとなるようで、なんとこのきれいな絵の 上をどんどん通過することになっている。ああ、もったいないと思いつつも、この強い日差しでは、 正午近くにはかなり乾燥しはじめて来ていたので、やはり午前中限りのものであるようだ。 この教会の周りにはお土産になりそうな、陶器店や地産のオリーブオイルやワインを売る店が並んでいる。 陶器店で花の形をしたペンダントをお土産に買う。そのほか何かないか散策をしていると、すぐに街のはずれに 来てしまう。ここもやはり眺めの良い場所に建つ、かつては敵の襲撃を避けるためのであるが、今はゆったりとした 緑の海に浮かぶ島のひとつであった。気持ちの良い山並みが見渡せる街であった。 その後、戻ってきた聖体祭行列に再び巻き込まれつつも、 レストランに到着。エノテカに併設された レストランで、ワインがずらりと並んだ店内を抜けた気持ちの良い中庭に、パラソルを立てた テーブルで昼食を取る。

これが教会から出てきた聖体ということです

街中もたくさんの花が見られます

スペッロの伝統的家屋だそうです


 家族経営のエノテカで、奥のテーブルにはその家族が集まり食事をしていた。オーナーの父親と、息子に娘。 それぞれがソムリエの資格を持ち、日本はもちろん世界各国へ輸出をしているとのこと。 ウンブリアのワインはオルヴィエートの白などは日本でも良く目にするが、実は大変古くからワインを 作っている地域であるそうだ。なるほど、おすすめのワインは白でも濃厚に複雑さも感じられる味わい。 もっとあれこれ呑んでみたい気がしたが、ちょっと控えめに赤白、ワタシだけレゼルバのグラッパを頂く。 食事は軽く、地元のサラミなどの盛り合わせ、サラダ、オリーブやトリュフなどのペーストの ブルスケッタ、地元の濃厚な豆や野菜を使ったスープなどを食す。空は真っ青で日差しが強いが、 パラソルで遮られるととたんに涼しく心地よい場所に変わる。ここが、最近亜熱帯と化している日本の夏とは 大きく違うところ。皆少しうとうとしたりして、幸せな時間が流れる。給仕人がややがさつで がっかりの女性だったが、最後に地元の甘い焼き菓子でしめ、店の主人とイタリア式挨拶で別れる。 商売熱心な娘さんは、サラミやペーストなどのショップにも現れお土産はどうかしら?と同行者に勧めていた。 (サラミは持ち込み禁止だからねえ...でも現地で食べちゃえば大丈夫...) その足で駅へ向かう。すでに乾燥して役目を終えた花絵たちが私たちを見送る。25分ほどでペルージャへ戻る。 この日は本当に暑く乾燥していたので、これが遠くアフリカからの熱の影響なのだろうか。

 この日は、いったん皆部屋に戻り一休みしてから、ペルージャでは人気のレストラン、 アルゼンティーナへ行った。その前にいとこ達から電話がかかり、私たちの好きな風景を案内するからと、 すこし早めに部屋を出た。長い歴史の中で作られた建造物の上にいくつもの時代を経て、その時代の建物が 重なり合っているような街という気がするペルージャ。ローマ時代の水道橋からの眺めは、海のない ポルトの街のようでもあり、その先のエトルスキ人の門などはいったいどれくらいの歴史を眺めているのか、 ほんとうに不思議な場所である。しかしそれらが調和して、今も尚、人々が生活しているところは、 私たちが観光などをしているのを「何をおおげさな」とでも言いたげな感じである。夕陽がちょうど沈み行く 時間で、家路を急ぐ人々と、観光客のワタシがすれ違う。できればそちら側の人になりたい気分なのだが。

ペルージャの水道橋:いとこ達の好きな景色

平衡感覚がおかしくなるような古い建物群(ペルージャ)

ローマ時代の水の通り道は今は人が歩く小径となっている

エトルスキ時代の門。今も尚、鉄器時代のワタシタチかな

ペルージャの夕暮れ:海はないけどポルトにもすこし似ているなあ


  アルゼンティーナは、正統派のレストランでもあり、ペルージャの若者の人気のスポットにもなるような、 若いオーナーの意欲的な店である。アルゼンチン移民にはイタリア系が多いと聞いていたが、こちらの オーナーもその家系のようである。イタリアに戻って、南米風の料理を中心に供しているといった感じであった。 伝統的南米料理が中心であるが、味付けや盛り付けもマイルドで、すすめるワインはトスカーナが多かった。 私たちのテラスのレストランスペースとは別に(ここは実質4階建てぐらいの斜面に建てられた建造物である) 今年の夏のスポットに、ハーレムをテーマにした砂漠の遊牧民の住居のようなスペースと人工の砂浜。 オープンのバースペースで、オーナーは若者をターゲットにしているようであったが...ミラノあたりの 人気スポットのパクリっぽいが、意外にも人が集まっていて、ひと夏いけそうな気もした。

 日中の熱気から信じられないほど夜になると涼しい風が吹く。美味しいワインと和やかな話とで、皆さんとの 最後の晩餐となる。今回参加して良かったのだろうか?と、ふと思ってしまうのだが、暖かい雰囲気に見守られ、 ワタシもすっかりくつろいでしまった。またお会いできる日が来るだろうか?もう日付が変わった街は、 すっかり人通りも絶え、静寂につつまれていた。夜風が気持ちよく、ホテルの正面の重い扉はすでに閉まっていたが、 しばらく更にふらふらしていたい気分でもあった。


■6月7日〜ペルージャを離れローマへ戻る(まとめ)〜■

 早めに起床をして、荷造りをチェック。今日もとてもよいお天気だった。朝食室はワタシだけで、皆他の街へ 行ってしまったようだった。時間を確認しながら、予定より一本早い便で行ったほうが良い気がしてきた。 いとこには怒られそうだが、昼前にはここを出る事にした。駅に着いて彼らの携帯に公衆電話から掛けようとしたが、 うまくつながらない。確か何年か前にもこういうことがあったのだが、何故なのか解決していなかったのが、 裏目に出てしまった。きっと急にチェックアウトしてしまったので、心配しているんじゃないのかな?などと 思ったが、つながらないのは仕方がない。あきらめてやってきたR(準急)でローマへ向かう。但し、冷房車両の はずなんだが、キャビンが暑い!検札に来た車掌が窓を開けるように指示していたから、つまり故障車ということか。 以前もあったのだが、日本だと冷房の故障は近年生死に関わるところだが、これで済むだけまだいいのだろうか?

 途中荷物を上に何故上げないのか、おじさんが注意して来たが、ちょっと持ち上げて見せて、重量を確認 してみせると引き下がった。 こんな重いもの落ちてきたらどないするんねん?おじさんが上げてくれればいいけどね。 と、ローマに近づくにつれて、なんとなくのんびりとした 日々から、殺伐とした都会へ向かう気分が高まる。到着するとやはりダメ人間たちがあちこちに見える中央駅。 はああ〜とため息をつきながら、ダメ店員からビールを購入。今日のホテルへ向かった。ペルージャよりも 空気がよどんで感じる。

 最後のローマ2泊はディオクレツィアーノという ホテルで、テルミニ駅から徒歩5分ほどで、ディオクレツィアーノ帝浴場跡遺跡に近くに建つ四つ星ホテルである。 初日の心細い商人宿風とは違い、やはりこれくらいの設備がないと正直いやだなあ..と思うかなりまともな部屋で、 ダブルのシングルユース、無料WiFi利用可(ワタシのPDAとは相性悪く残念)、ミニバーのソフトドリンク飲み放題、 ジムマシン(これはどうでもいいが)あり、パソコン使い放題...スタッフも若くて英語もまあまあといった ところでなかなか快適であった。これでコンビニでもあれば完璧なのだが...。ああ、なんだか東京が抜けきれない。

テルミニ駅前旅館リベンジ(これくらいがいいね)


 ペルージャののんびりとした 気分から一転して、ローマでの2日間は慌ただしく過ぎ去った。(少々はしょるが) 車の無い街から、わかりにくくごみごみとした道。 ばりっとした人からダメ人間まで、人物の宝庫。排気ガスとたばこの煙。各国からの観光客の波と遺跡群の 嵐...気がついたら地下鉄1日券を片手にあちこちの観光地めぐりをしていた。地下鉄に冷房がはいり、 なんと衝撃的で画期的な事か..と思い、これならばとヴァチカンをスタートして、ポポロ広場、双子の教会、スペイン階段、 コンドッティ通り...と行くが、夏本番の日差しがあまりにも暑いので、地下鉄がおおざっぱに しか通っていない街では歩き回る事は軟弱東京人にはこれ以上困難で、トレビの泉がゴールとなる。その近くの ギャレリアのレストランでパッパルデッレの美味ランチ。グラスワインもサービスも洗練されていたが、 値段は東京と変わりない。まあ、ローマだから仕方ない。でも、ローマはワタシの最初の海外旅行スタート地点 の街でもあり、ずいぶんその頃と変わったような変わっていないような。でもその時はこんなに くつろいで昼からワインを楽しむ事も出来ず、ひたすら今日のように歩き回っていた。少しは進化したのか?とにかくその時は、 また今度来たい。次に来る時はここへ行きたい。ひとりで来たい。とにかく何度もイタリアへ戻りたい...そういう気持ちで 一杯であった。そして、 そういう気持ちは今も変わらない。さすがに今は泉にコインは投げ込んだりしないが、ふらふら歩いて近くの サルメリアで、サルディニア産の大きなからすみをお土産に、次回はこれを買い足しに来ようなんて 都合の良い願掛けをするのであった。

ローマ観光:バチカン公国入国しますた

ローマ観光:バチカン来ちゃった♪

ローマ観光:ポポロ広場参上!(なんだっけ?この門)

ローマ観光:ポポロ広場から双子教会をオベリスク付きで

変な物売りがミニ唐傘売ってる。ヤクルトの応援ミニ傘のようだ...。

ローマ観光:スペイン階段だー(何故フレームインするのだ!)

えーと、船の噴水?だよね

ローマ観光挫折:昼食で暑さから避難

ギャレリアの中にあるギャレリアという店にて

こちらが本家ギャレリアのギャレリア(ややこしい)

ローマ観光終了:トレビの泉(お変わりなく安心しましたよ)


 散策の後、毎度駅のスーパーでワインなどを買い、 ホテル近くの明るいバングラデシュ人がやっているケバブ屋で買い物をして夕食にする。 少々はしょるが、ローマでの2日間はそんな感じのたらたらとした繰り返しで過ぎていった。買い残しは空港の 免税店でうろうろして、チョコレートのジェラートが意外に絶品だったり、アリタリアのオペレーションは 久しぶりだったけど、ビールやらサービスやらが最後までイタリア的で(詳細省略:まあそんなかんじ) 成田に着くまでイタリアを堪能できる点では、赤い破綻した航空会社より楽しいフライトだったなあ...と、 ご機嫌だった。しかし、そのまま午後から仕事となると、ちょっと埋められないギャップは確かにあったかな?

陽気なバングラデシュ人の作ったケバブサンドとコーラ缶のようなペローニ(ビール)


 帰国と同時に南アフリカのW杯が始まり、日本に居ても日々時差ボケの毎日が続いたのは言うまでもない。 意外にも大躍進を遂げたわが日本とは対照的にペルージャのカフェで感じた一抹の不安が、 アズーリに的中してしまったのは非常に残念な 大会となった。しかし、どんなナショナリズムも苦悩も不安も吹き飛ばすブブゼラの快音が大きなアフリカ大陸 からのメッセージだったのかと思い、中田?本田じゃないの?と、ペルージャでも話題になる日が近いような 予感がしたりして。


ぶひひ

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