イタリア各地巡り


ヴェネチアの島巡り

【ヴェネチアの島を巡る〜ムラーノ−ブラーノ-トルチェッロ-サンミケーレ-リド-キオッジャ〜】

<はじめに>

 ツアーで訪れることの多いヴェネチアだが、3泊以上滞在することはあまりない かもしれない。サンマルコ広場やドゥカーレ宮殿、ためいきの橋などを見学し、怪しいほどに流暢な 日本語をしゃべる店員のいるガラス屋につれて行かれ、はではでごてごてのヴェネチアングラスを 旅の思い出にと、法外な値段で購入させられる。そして、食堂につれていかれ、ツアー中 何度食べたか解らない、ポークピカタのようなものを一律で食べさせられ、疲れ果てて、 サンマルコ広場近くのアメリカンスタイルのホテルに泊まり、翌朝それも早朝に起こされヴェネチアをあとに する...。ああ、確かに行った事には行ったのだが、果たしてあれはヴェネチアであった のかどうかわからないままに、ミケランジェロ広場からバスに乗せられ次の目的地へ行く。 といったパターンがツアーでのヴェネチア体験ではないだろうか?私もこれと同じような ツアーに最初の海外旅行で体験している。しかし、このときに受けたヴェネチアの印象が 忘れられず、是非もう一度、もう一度、と、その後何回か通うことになった。

 ツアーでは「絶対にここではぐれないでください!」と添乗員に言われていたため、 この迷宮のような都市は決して一人では歩けないものだとおもっていたが、何のことはない。 大運河を超満員の水上バスで行くよりも、地上をいちど歩いてしまうと、その楽しさは 何にも代えられない。但し、まだまだ「あそこにもういちどもどってみよう」というのは 難しいのだが...まあ、時間の問題であるような気がする。

 ヴェネチア歩きを始めたのは、初めて訪れてから何年も経ったある9月であった。 1週間ほどヴェネチアの島の一駅前メストレの駅前ホテルに滞在していた。メストレから 終点のサンタルチア駅まではおよそ10分で到着する。いったい全部で何番線まである のかとおもうほど、ずらりと列車が並ぶ大きな駅である。国際特急なども止まり、世界中 から、なにか皆一様に期待と興奮に満ちた表情で人々は駅の出口に向かっている様な気がする。 そして、駅の階段を下りると目の前には、まぎれもないあのヴェネチアが姿を現すのである。

<島巡りには>

島巡りには、まずキップを購入しよう。ヴェネチアの船のキップは1駅でもとなりの島まで でも均一料金であるが、1日かけてあちこちめぐるには1日券を購入。滞在によって3日券 などいろいろあるが、とりあえず1日券にしておこう。行く所が決まっているのなら、1回 券でもいいが、意外と券売り場を探すのは困難(たぶんそのへんの売店で売ってたりする んだろうが)なので、主要な、たとえばサンタルチア駅前の券売り場とか、サンマルコ広場の 売り場で購入しておくのがよい。日付と購入時間が刻印していないタイプであれば、必ず 乗船まえに「がちゃん」と刻印することを忘れずに。(検札もあるらしい)

 で、このキップだとどこまでいけるのか?というと、とにかくすべてである(ACTVの表示が あればほぼOK)。渡し舟トラゲットや水上タクシー観光ゴンドラは除外だが同じ経営の 船ならば乗船OKなのである。けっこう大小さまざまな 船に乗れるし、路線によって乗っている人もさまざまである。 さて最初はどこに行きましょうか?

<リドからキオッジャへ>

 国鉄駅前から乗船する場合、大運河を各駅に行くものと、すこし飛ばして ゆくものと、運河を避けて大外廻りで行くもの(ただし一方通行の場合が多いし 本数もすくない)に分かれるが、大運河をとおっていくとサンマルコ広場まで下手を すると1時間ほどかかってしまうので、いそいでいるときは急行か自力で徒歩で 広場を目指すと、リドなどには行きやすい。乗船したら1番後ろからどんどん小さく なってゆくヴェネチアの姿をみているのもよい。天気の良い日はほんとうにさわやかな クルーズとなる。外国航路の巨大な客船も見える。アドリア海に向かってすべり 出してほどなく、20分ほどでリド島に到着する。

 リド島は車の走行禁止のヴェネチアから来ると、バスもタクシーも走って いるので、ちょっと違った風景だ。ヴェネチアのホテルにあぶれたら、リド島まで くれば良いなんて話しもあるが、のんびりとした、ヴィラや高級別荘が立ち並ぶ風景は 「しばらくこっちに滞在してもいいなあ..」なんて思ってしまう。ビーチは、ヴェネチア 内の運河の水からは想像できないほど、さわやかで広々とした遠浅の砂浜が開けて いる。トオマスマンの「ヴェニスに死す」の舞台になった「ホテルデュヴァン」と、そのプライベートビーチ もここにある。(隣りは普通の海水浴場だ)

 さてリドの船着場で降りると、ここでキオッジャ行きのバスに乗り換えなければならない。 この船駅前からは出ておらず、ここからまっすぐに伸びたメインストリートを100mほど行った所 (分かりにくいんだなあ...)のバス停から乗車する。キオッジャ行きは1時間に数本で、 接続のちゃんとしているのがその半分といったかんじなので、リドに到着したら時刻表 をしっかりじっくりチェックしよう。わからなかったらそのへんをぷらぷらしてる おっちゃん(制服着ているほうが無難)に尋ねるとよいか...もしれない。(自分で 調べたほうが納得いくかもしれない...)。で、ここのバスも1日券で乗車できる。バスは 高級ヴィラを抜け、ヴェネチア映画祭の会場前を通り(大きな看板が立ち並び、ここだけ それらしい雰囲気であった)カジノの前も通り過ぎると、ひたすらの一本道をバスは疾走 する。左手は草地になってしまう。右手は漁村のちいさな民家が海を向いてびっしりと 続いている。すっかり、目と鼻の先のヴェネチアのことなど忘れてしまうような場所だ。 バスは走る。30分ほどすると民家もまばらになり目の前には河があって、行き止まり になるのだ。ここでバスは私達をのせたままバスごとカーフェリーというよりも、 渡し舟にのる。ここがリド島のはずれになるのだ。手馴れた作業で固定されたバスとその他 の乗用車をのせ、巨大な渡し舟は対岸の島ペレトゥーラ島へ向かう。

 ペレトゥーラ島は更に寂しい感じの漁業の街らしい。しかし私達は例のバスで通りぬける しか目的がない。横長のリドと比べて終着点は速かった。もう乗客は私達と子供を3人連れた お母さんだけになった。とうとう終点に着くと、その親子は長い壁に囲まれた建物に 入っていった。そこはなんと墓地であった。そこに入るわけもいかず、乗ってきたバスは そのまま引き返して行ってしまったし...バス停の先には、時刻表もなにもない見慣れた 船着き場がある。ここで待っていればきっと来るはずだが、だれもいないのである。 何分か待ってみたがいっこうに来る気配がない。ふと見ると、そこで釣りをしているおじさん がいたので、キオッジャ行きはここで正しいか?とつたない伊語で訪ねるとあと15分で来るという。 なんで知ってるのか不思議なんだが、いわれたとおり待つことにした。果たして、15分後 来たのである。それも相当大きな船である。おじさんはもう向こうを向いて釣りに没頭している。 この時間にあわせてか、人が2〜3人やってきた。自転車などで来ているところを見ると、 地元の人々がもっぱら利用する路線のようである。

キオッジャの中心を流れる運河と街並み。ヴェネチア風でもある。いい天気♪

 船は波のない静かな海を進む。私はデッキに出て、今来た島々の影と遠くにヴェネチアの 街並みをかすかに見る。天気も良く非常に快適であった。さっきまでの不安もどこかへ消え失せ、 次第に目的のキオッジャの街並みも見えてくる。(こういう不安な思いをしないためにも、連絡の よいバスをリドで確認して乗車するとよい)キオッジャは、昼時に到着したためか、目抜き通りの ポポロ通りは店も閉まり静かだった。漁業中心の町で、早朝から午前中は通りの一本となりの 運河周辺には船に乗った市場が出現するそうだ。私たちが行ったときはもうすっかり店じまい しており、水上マーケットであった船はシートがかけられ、その上で猫が昼寝をしていた。 運河にはいくつもの特徴のある橋がかかり、一番港に近い橋は17世紀からかかる大理石の 橋であった。橋の上に座れるようにベンチのようになっており、そこに座って海をみると、 ほんの先にはあの世界的観光地ヴェネチアがあるなんて信じられないほど、のんびりとしている のである。

1600年代から架かるヴィーゴ橋。橋の上からヴェネチアが見えるのだ...

 ここから、ローカル線を乗り継いで陸路メストレまで戻ることもできるが、せっかくなので もういちど同じルートで戻るほうが良いかもしれない。途中の島の住民は、この路線が唯一 都会をつなぐものである、というのがよくわかる。バスに乗り遅れて、友達のスクーターの後ろに 飛び乗り、次のバス停直前でバスをかわし、ぎりぎりセーフで乗ってきた若者もいた。次回は もう少し早く出て、この辺の海の幸でも堪能できれば、と思っているのだが、次の機会が なかなか訪れないでいる。

キオッジャの目抜き通りポポロ通りの額縁屋の美人猫(人なれしているのね)

<サンミケーレ〜ムラーノ〜トルチェッロ〜ブラーノ>

 リドからキオッジャがイタリア半島側へのルートであったが(サンマルコ広場からアドリア海に 向かって右側か)、今度は反対側の旧ユーゴ側とでも言うのだろうか?左側の島巡りである。 まずはヴェネチアングラスで有名なムラーノ島を目指す。

<ムラーノまで>

 ムラーノ島は、他の島々に比べて本島との連絡はよいかもしれない。本島の細い運河を抜け て、外洋に出てゆく船は大運河をめぐる船とさほど替わらない大きさの船が行き来している。 外洋といってもなみのおだやかな大河のような海であるから心配はいらない、但し、リドの 対岸のような澄んだ水は期待できない、あくまでも運河の延長の海であるのだ。ひろい外洋も よく見てみると、ブイが誘導路のようにならんでおり、それにしたがって航行しているのが わかる。普通の道路と同じようにヴェネチアの船は路上のバスのように正確に巡回しているので あった。

 所要時間に見当をつけてのりこんだわけではなかったので、初めてムラーノ行きの船に乗った 時、間違えて1つ手前の島におりてしまったことがある。必ずしもその島の名前が船着場の 駅名になっているというわけではないので、しかも、いりぐちの真っ白で立派なファザードに 魅了されて、ついつい、花束をもった女性といっしょに降りてしまった。船着場のあしもとは 波が打ち寄せており、白と黒の石の格子模様の床をぬらしていた。建物の中に入ると、 正方形の中庭を回廊が取り囲む建物に出る。赤茶色の屋根でふかれた建物は静けさに満ちていた。 回廊を出ると、なんとそこは広い広い墓地であったのだ。ここは島全体が墓地の島「サンミケーレ島」 であったのだ。ヴェネチアの本島の中には埋葬をしてはいけないというきまりのもと、死者はすべて この島に埋葬されたということである。キオッジャにいく1歩手前の島の外れにも大きな墓地があった が、あちらのほうはすこしあたらしい場所なのかもしれないなあ..なんておもった。かつて、 ヨーロッパを襲ったペストをはじめとする数々の病禍のこともふと思った。ここの島々には そういった人々を隔離した島、葬った島、という地図に載らない島がたくさんあるという。 そんなことを思いながら、日本式に一礼し部外者は退散することにした。古い回廊をぬけ、 再び出口をくぐるときに見える青い空と青い海は、さながら、現世と来世の境目のような気が した。すぐに現世であるムラーノ行きの船はやってきた。

<ムラーノは>

 中世のヨーロッパではガラスは大変に貴重な高価なものであった。特にガラスに関する様々な 技術というものは(透明なガラス、色付きのガラス、エナメルで彩色する、金色のふちどりを する等々)すべてが手作りであった当時としては門外不出の技術であった。まさにそれらを 「門外不出」にすべく、ガラス技術者達をまとめて住まわせた島がムラーノ島である。言うまでも 無いことであるが、いまでもガラス工房は無数にあり、国宝級のガラスを展示した博物館は ここにある。もちろん、観光客相手のガラス屋も無数にある美しい島である。

 サンミケーレから5分ほどで、ムラーノの最初の駅につく。だいたいの客はここで下船していく。 島の中心を運河が一本とおっており、そこの両側には様々なガラス店と運河に面した オープンテラスのレストランが端から端まで連なっているのだ。少々古い映画だが、おそらく ヴェネチアを訪れる中年以上の人々はハリウッド映画「旅情」を思い浮かべ、旅の思い出に ひとつあのキャサリンヘップバーンが買ったようなグラスを買いたいなんて思っているのかもしれない。 そして、ここムラーノのやり手たちも、その心を巧みにつかもうとあの手この手である。そう、 あの映画も結局「ニセモノ」をつかまされたあげく、恋人もとんだうそつきであった、なんて、 おちがつくのであったが、この運河を行き交うひとびとはあきもせずに、おなじような やりとりを繰り返すのである。そうわかっていても、ちょうど昼時であったので、運河の そばのレストランに腰をおろしたのだ。案の定、ひどい目にあって(?)しまったので、 ここムラーノでは、ガラス屋をながめ、遠くのヴェネチアの遠景を愛で、うつくしいレストラン で食事する幸せそうな人々を眺め、ガラス工房では実演をタダでみせてもらい、感動して そのまま裏口から退散し、最後にガラス博物館で工芸品の極致の数々をながめ、ああ、 なにも買えなかったね...と言いながらホテルにもどるのが、正しいすごし方だと、 私は思っている。そう、日本に観光に来て「キモノ」を買って帰ろう、と張り切るガイジン(?) が、挙句に「ユカタ」買って満足してしまうのと同じで....人生はそう甘くない のである...。(妙な例えだが...)

 ま、それはそうとして、運河の尽きたあたりを右手にいったところに、更に先へ行く 船着場がある。そこから、こんどは「ヴェネチア発祥の地」といわれるトルチェッロ島を目指す。

<ムラーノからブラーノ経由トルチェッロ>

 今回の島巡りではもっとも距離の遠い島へまず向かう。と、いうのもここまで行くの は1時間に2本くらいしかなく不便であるのでまずはトルチェッロである。ムラーノは頻繁に乗って来た ような小型の船が止まるが、時間通りやってきた船はやはりキオッジャにいったときのように 大きな遊覧船(香港のスターフェリーよりすこしおおきめか?)がやってきた。それも これも、1日券をもっているとのれちゃうのは、なんだかすごく得した気分なのである。 人によるが「もとはとれるのか?」と思うひとにも十分満足である(??)

 天気の良い日の船はほんとうに気持ちがよい。ああ来て良かったなあ、と思う瞬間 である。おまけにここまでくると日本人団体旅行者はおらず白人観光客(だな、ほとんど) にひとりぽつんと怪しいアジア人というのも、またなかなかオツなものである。遠くに 来た気がする(たしかに遠いのだが)ムラーノからブラーノまでは更に広い広い海を走る。 ムラーノに近づくと、運河のようなところを通りいったん、色とりどりの建物が立ち並ぶ ブラーノ島に立ち寄る。降ろす錨も頑丈そうである。ブラーノ島はピンクの隣りは青。 そのとなりは黄色、緑、またピンクと派手なペンキで塗られている。ここはいまでもそうだが 漁師の島で、船で今日のように海から自宅を目指すときに間違えないようにこのような 色で塗られているそうである。

トルチェッロ島にやって来ました。船着き場のそばのマリア様

 ブラーノはのちほどということで、トルチェッロ島へ向かう。更に更に遠くへいくのかとおもいきや ほとんど対岸と言っていいような距離にトルチェッロ島はあった。ブラーノ島とは違い、今はこの島に 住む人は10世帯もないという。何故発祥の地といわれるのかというと、ヴェネチアが今のところに 発展する前、このトルチェッロ島の辺りがもっとも栄えていたという。5〜10世紀頃の話であるそうだ。 相当な発展のあとにこのあたりは、伝染病の流行などから次第に人が離れ、今の本島の大規模な 地盤開発等と相俟って中心は次第に移って行ったということである。 このあたりは、湿地帯と島が点在し、どのように栄えていたのか?今の廃墟でもない、ただ 草地、湿地のこの島からは想像がつかない。船をおりると、みな同じ運河の遊歩道をあるく。 両側は草地であり、人の気配もない。ところどころに、オープンテラスのレストランがあるが、 これらは観光客相手の店であるのでパス。10分くらいそんな調子で運河をいくと、2つの教会 が現れる。この2つの教会こそが、かつての栄華の痕跡をとどめる唯一のものであるのだ。 後日ある本で、ここのモザイクのマリア像のことがかかれてあるのを読んだ。 非常にこころを打たれる素朴なしかし力強いマリア像であると記してあった。残念ながら、 ここまで来ながら私はこれを見逃してしまった。(ラヴェンナでも危うく有名なモザイクを飛ばして しまうところであった。モザイクには縁が薄いのだろうか?)

サンタマリア・アッスンタとサンタ・フォスカ教会。かつての栄華を語るのはこの2つの建物のみ

 このヴェネチアの廃墟と(ギリシア風の遺跡もわずかであるがこの教会の前に 残っている)おそらくその栄枯盛衰を眺めつづけた2つの教会の建物の重厚さが、深く印象に のこったのであった。もうひとつ。教会のたてものを裏側から眺めていたときに、なんとも いえない良い香りがただよい、囲いの中を覗くと、そこはぶどう園のようであった。 そとからとられないようにか、きっちりビニールで囲いがしてあるのだが、香りだけは 隠せないようで...こんな薫り高いぶどうからはいったいどんなワインができるのだろうか? 人が住んでいないからといって、なかなかあなどれないのであるのだ。日本のぶどうは樹に なっているとき、あんな香りはしないなあ〜と、あとからも気になって気になってしょうが なかった。

2つの教会の前には柱の跡、遺跡群がある。といっても皆一休みしたりしている

トルチェッロ島の猫軍団の女王様。これも美人猫ね

 そのあともしばらく周辺をぶらぶらしてみたが、湿地と草地と海とも沼とも言えない風景 と、おそらく本島から流れ着いた数々のごみとで、なんともよく言い表せない場所であった。 そして、数多くおしよせている白人観光客は嬉々としているのだが、彼らはいったい何を感じ ているのだろうか?彼らはけっこう廃墟とか好きなのかもしれないなあ...。などと考え ながら、もと来た道を戻ると、船はまだ姿をみせない。ふとみると、猫の一団が船を待つ客 をねらっている。いちばん美しく、おそらくボスのメス猫に私は近寄っていった。そうすると 彼女はさすが動ぜず頭をなでさせてくれた(ほかの下っ端はぜんぜんだめだけど。他の人が お菓子をあげたら急に「にゃお〜ん」なんて言って、さっきの威勢はどこいっちゃったんだ? と、大笑いであった。猫は世界共通か?!)と、猫をかまっているうちに船がやってくる。

トルチェッロ島猫軍団総出演。女王様はさすが貫禄あるわ〜船を待つ客に忍び寄る...

<色彩と幻想のブラーノ島で>

 さっきも言ったように、トルチェッロとブラーノは目と鼻の先である。しかしこちらのブラーノは 建物がぎっしりと立ち並ぶ、しかもそれぞれが色とりどりに彩色された、不思議な光景の 島である。いろとりどりの壁と白い石畳、あちこちにめぐる運河、窓と窓を結んだ豪快な 洗濯物、青い空。そしてこのブラーノはレース編みでも有名である。街の目抜き通りには、 レースの専門店が並ぶ。家の前に小さい椅子を出して、レースを編んでいるおばあさんがいる。 かつては島のあちこちでこう言った光景が見られたそうだが、レースを編む人は少なくなり、 今となっては街中の土産物屋に並ぶレースはほとんどが中国製ということだ。伝統的な レースを見たい場合には、この島の「レース博物館」を訪れるしかないということだ。 状況はムラーノ島とかわりはないということだろうか?

おもちゃの国のようなブラーノ島の街並み。最近日本でもこういう色の壁を見かけるが、あ、ブラーノ島だ、と、思ってしまう

 しかし、この島の風景は一歩足を踏み入れて見ると独特のものがある。色彩感覚も そうであるが、人通りが一瞬途絶えた路地裏などは、まるでキリコの絵の中にいるような、 不思議な感じがする。小さな運河を渡る橋を何度も渡り、天気の良い日に散策するのも よいかもしれない。ヴェネチアの味覚クモ蟹はこのあたりの漁師が捕っているという。また ヴェネチアでもっとも尊敬される、ゴンドラのチャンピオンを何人も輩出している。 海に密接したヴェネチアらしい生活がこの島にはあるのである。

<もし何日か滞在するのなら>

 ここに紹介した島は、どれも例の1日切符でいけるところばかりである。もしも、サンマルコ の人混みに飽きたら、ちょっと出かけてみると良いかも知れない。また、ちがった、ヴェネチア の顔も見えて来るし、人々の生活もかいま見ることができる。気分転換にもなるし....ね。

 

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